鉄道駅開業後の島原遊廓ですが、長田幹彦「島原」(『讀賣新聞』大正2年5月4日)には「島原といへば數多い京都の色街のなかで最も古めかしく、そして最も憐れな姿で衰殘の名殘りを留めてゐる唯一の廓であることは云ふまでもない。」「廓へ入ると狭い陰鬱な街筋にはそれでなくてさへ慵い晝さがりの寂しさが一面に漂つて、絃歌のぞめきはもとより女の笑聲ひとつ聞えない。何處の店先をみても降る雨の音に閉ざされて、まるで住む人もない空家のやうにひつそりと靜まり返つてゐる。そして軒並みにつゞいた紅殻塗りの細目格子はいづれも黯んだ濡れ色をみせて、眞靑に色づいた籬のなかの柳の新芽だけが我がもの顔になよなよと靡いてゐる。」と記され…