荒川水系の一級河川で、埼玉県上尾市内が水源。旧大宮市内を流れ、朝霞市で荒川に合流する。
京都出身の3ピースバンド
ライブ時にはいつでも浴衣と裸足とスマイル
メンバー
目崎清虎 Vo&G
ツグ氏 B
N Dr
京都市内を南北に流れる、淀川水系の一級河川である。一般には京都市左京区の出町柳より上流を「賀茂川」と呼び、出町柳にて高野川と賀茂川が合流した地点より下流を「鴨川」と呼ぶ。ただし、河川法においては両者を一括して「鴨川」としている。鴨川はその後三条・四条の繁華街を抜けて行き、京都市伏見区の下向島町にて桂川に合流する。
平安の昔、院政を敷き絶大な権力をふるった白河法皇が、それでも自分の思うようにならないものとして「双六の賽」「山法師」とともに「鴨川の水」を挙げたほどに、かつては何度も氾濫を繰り返す厄介な川*1であったが、今はその見る影もなく穏やかな川である。流れは直線的で、水深は浅い。
河川敷は公園やグラウンドとして整備され、市民の憩いの場となっている。川原(特に三条大橋から四条大橋の間)にはカップルが等間隔で並んで座ることで有名。また、冬には北方から渡来したユリカモメの群れを見ることができる。
この項の記述に当たっては次のサイトを参考にしました。
*1:これは平安京造営にあたって付け替えられたからです
よく耳にする洛中洛外図屏風。今日の画像は洛外図屏風だがそもそも洛中・洛外とはどの場所を指すのか。おそらく洛中とは京都、洛外とはその外となのだろうが明確な線引があるのか調べてみると豊臣秀吉の京都整地によって洛中・洛外が区別されるようになったらしい。御土居堀(おどいぼり)という城壁で区切りその内を洛中、外を洛外とした。 史跡御土居 グーグルマップで重ね合わせると下図のようになる 赤枠が御土居 鴨川を堺とした東側が洛外・東山である。屏風には豊国廟、三十三間堂、方広寺大仏殿、清水寺、八坂の塔、祇園社、知恩院、などが描かれている。東山名所図屏風と同じく北側を右に位置して鴨川を下に描くのは決まりごとなのか…