太平洋戦争後の1947年に八高線で客車列車の脱線転覆事故が発生し、その際に使用されていた木造客車の車体強度が問題になり、1949年以降既存の木造客車から鋼製客車への改造が開始されました。 木造客車からは台枠・台車・自動連結器・自動空気ブレーキ機器などが流用され、鋼製の車体のみが新製される形で約3,500両が導入され全国で活躍しましたが、これらの客車を総称して「鋼体化客車」と呼ばれました。 このうち初期のグループ(オハ60系)は、側面の窓枠が700mm・座席2区画で窓が3枚という木造客車時代と同じ窓割となりました。 一方、1950年以降に登場した鋼体化客車では側面の窓枠がスハ43系同様に1m幅に…