👆 「ホンマ、老けたわあ」という思いだけが、 自分無しに湧き出している。 〝自分〟とは何ぞや、と質問されたならば、 〝反応〟と〝思い〟だ、と答えるだろう。 外側で起きたことに反応して、常に何かを思っている、 それが自分だ、と…。 例えば、朝、洗面所の鏡に映る自分の顔を見て、 「老けたなあ」 「皺が増えたなあ」と反応し、 「昔はもっと、しゅっ、としてたのに…」と思う。 その一連の〝反応の仕方〟を自分だと思っている。 つまり、何かを見たり、聞いたり、したことに対して、 独自の見解を持った主体を自分だ、と錯覚している。 しかし、 本当にその思いは、自分が思ったものなのだろうか。 主体となる私がどこか…