1.《梵vimukti,vimokaなどの訳。縛るものを離れて自由になる意》 悩みや迷いなど煩悩(ぼんのう)の束縛から解き放たれ自由の境地に到達すること。 悟ること。涅槃(ねはん)。 「―の境地」「煩悩を―する」
2.歌舞伎十八番の一。 1760年江戸市村座初演の「曾我万年柱」の二番目に、 本名題「鐘入解脱衣(かねいりげだつのきぬ)」として 上演されたものが嚆矢とされるが異説もある。
原曲は伝わらず、現行のものは大正以降の復活。
ついに、治癒の神器が貸し出し開始しております。 ラーラ北海道さんのブログへお飛びくださいませ。 ラーラ北海道さんのブログ↓ 治癒の神器を貸し出します | 真我に生きる「ラーラ北海道」 受講生さんがたくさんいらっしゃるので、手元に来るのはいつになるかはわかりませんが、使ってみたい方は是非、ラーラ北海道さんにお申込みしてみて下さい。 皆様の使った感想が楽しみです。 私も以前のお茶会の時に治癒の神器を拝見しましたが、感動しました。(日浦先生のブログでは写真も載っており、革製品もついていて更にかっこよくなってます。素敵。) その日の瞑想も、いつもと違ったし、身体も、耳の閉塞感が治ったり本当に良かったの…
私たちは忘れん坊の神々なのだと思う。 神様が夜眠る時に、「今日は夢の中でこれがしたい」と思って寝る。 でも眠りに落ちた途端に、神様は夢の中でやりたかったことを忘れ、夢の世界の中にどっぷり浸かってしまう。 その夢のストーリーを生きるキャラクターが自分なんだと思い込み、夢の世界を現実だと認識し、一喜一憂したり、何かを頑張ったりする。 しかし神様が起きたら全て記憶という埃となり、夢の中に存在していた「私」も世界も、目が覚める瞬間に消え失せる。 だから解脱の目的は、自分が本当は誰かを思い出すこと、即ち「夢は夢で、私はドリーマー」だと思い出すことであり、 その先に「ドリーマーとして夢を楽しむ。物質次元で…
チベット僧が自分で建てた、修行用の山小屋 ある晴れた日、チベット仏教を勉強しているポーランド人ヤン、ヨガやヒンドゥー哲学を学びながら子供や難民に携わる仕事をしているインド人リシャ、そして寄宿学校で生活をする男の子ケルサンと、山の上の手作りの小屋で何年も修行をしているチベット僧を訪ねることになった。 ダラムサラには、孤児院やチベット難民が生活する寄宿学校がいくつかあるのだが、冬休みの間は、家族がいる子供達は家に戻り、身寄りのない子供達は僧院で生活をしている。そのうちの一人ケルサンは、ネパール出身。4歳の時に両親を亡くし僧院に預けられた後、ダライラマの亡命政府があり、多くのチベット僧やチベット難民…
今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」 謹賀新年 本年も、よろしくお願いいたします。 三が日、久々にゆっくりしました。 で、その間に、題名のとおり 「一年の計は元旦にあり!」 と、思っていろいろ考えてみました。 が、 何も思いつかない!! で、 ちょっと、去年を振り返ろうか? と思っていたら、「今週のお題」が目に入りました。 乗っからせていただきますwww 2024年 一言で言うと「再装填:リロード」って感じでした。 ・車を買い替えた。 ・ブログを始めた。 ・ポイ活にチャレンジ! ・NISAにチャレンジ! アラカンだしな~・・・と思って、いろいろ諦めかけてたのですが、 …
日浦先生から教えて頂いた真理の知識を2回に分けてお伝えします。 2025年1月、2月の日程決定致しました。日程は下記の通りです。 °˖✧✧˖°☆メビウスヒーリングセミナー☆°˖✧✧˖° 日時:2024年 1月25日(土)13時~16時(1回目) 2024年 2月22日(土)13時~16時(2回目) 定員5名程度 開催場所:沖縄県那覇内 受講料:各5万円 受講希望者は、下記の項目を記載の上連絡ください。 ・郵便番号 ・住所 ・氏名 ・年齢 ・職業 ・携帯番号 (受講者情報は日浦先生にもお伝えします) 〇申し込み締め切りは、各開催予定日の1週間前までとします。 〇セミナー当日に、台風が来た際は、日…
本ブログ内の文章と画像はユーチューブ動画の原稿と挿絵です。保存のために、ここに残すものです。 今回は理解の一助にしていただくため静止画や動画映像を多用しております。私の動画は見づらいかもしれませんが、本編動画をご視聴されることをお勧めいたします。 youtu.be 私は無いに気づいた後は、をお送りする宮本昌俊です。今回で34回目の動画になります。今回の動画では、仮想現実を作り出した大本の張本人は人ではない純粋意識‼というお話しをしようと思います。 これらの画像は一人称画像と言われているものです。見ている人の視点に立って環境を撮影した画像になります。私も含め普通の人は、画像に写っているように周囲…
プランジと、プランジの娘ハンサと、彼の師スワミ・ラクシュマンジューの写真とともに。 悟った後の人生を生きている聖人、Shri Pran Nath Koul (以下プランジ)に出会ったのは2023年の7月、インドに到着したその日だった。 スリナガルに到着するなり居候させてくれていたインド人の友達が、「ずっと探し求めていたグルジ(師匠)にやっと出会ったんだ。紹介するね。」と言うので、何も知らないまま、彼の自宅を訪ねることになったのだ。 その友達の家から歩いて5分、カシミール定番のカンドゥールワーン(タンドゥールと薪でパンを焼いてるベーカリー)や、人々が群れをなす八百屋、道端で会話するムスリム達の陽…
あ、信号が赤だ➡いま道路を渡ってはいけない➡ あ、信号が青に変わった➡いま道路を渡ってもいい。 これって、 子供の頃に信号について習ったからできている、 と思っているが、実際は、自分というものなど無しに、 すでにちゃんとできている、という話である。 もっと言うと、訓練しなければ習得し得ない技能、 例えば、 ピアノを弾くという行為でさえ、自分無しにできている。 4歳で、ド、レ、ド、レ、ド~🎵と赤のバイエルを始め、 8歳で、黄色と青のバイエルを終えて、 9歳でツェル二-を弾けるようになった、と言っても、 今この瞬間、カンパネラ、を弾いているのなら、 いきなり、その曲が弾けているのである。 なぜなら…
僕たちは、毎瞬毎瞬、様々な思いの中を生きている。 禿げたオッサンが目に入れば、山田部長だ、と思い、 ピーポーピーポー、が耳に入れば、救急車だ、と思う。 このワインまずっ、うんこの匂いくさっ、というふうに、 見ては思い、聞いては思い、味わっては思い、 匂っては思い、と、絶え間なく何かを思い続けている。 このように、僕たちは、五感が捉えた対象に対して、 どのように思うかを、自分が決めている、と思っており、 それを自分らしさ、または、個性だ、と信じている。 そしてこの、彼はこう思うが、私はこう思う、といった、 思い方の違いをつくることによって、自他を分離させ、 私とあなたは違う人間、という差異を成立…
👆 俺もハレ師匠も若かった(2014年撮影) 先日の記事で、僕をここまで導いてくれた師は、 ハレ師匠と井上哲玄老師だ、と書いたが、 ハレ師匠は奇跡講座(イエス/J)の教師であり、 井上老師は仏教(釈迦)の老師である。 奇跡講座では、赦しの実践に重きを置くのに対し、 仏教では、悟るために修行をする。 そして、僕にはどちらの道も必要だったことが、 今ならはっきりと解かる。 ハレ師匠からは徹底的に〝ハート〟を叩き込まれた。 罪悪感をひとつひとつ直視して、それは起こってない、 ということを確認していく赦しのスタイルではなく、 日常にすでに在る神の想念(ハート/悦びの感じ)を、 じかに感じることが赦しで…