喧しき靖国批判はこの一冊で一刀両断

上坂冬子先生の【戦争を知らない人のための靖国問題】を読んだ。期待どおり、なんと明快な本であっただろうか。これさえ読めば、マスゴミの社説など赤子の落書きの如くである。ここまで無知蒙昧を曝してもよいものかとさながら心配にすらなってしまう。

朝日などには、我々は中韓におもねるために批判してるのではない、と最近書かれるようになった。

首相はこうも述べている。「私を批判するマスコミや識者の意見を突き詰めていくと、中国が反対しているから靖国参拝はやめた方がいい、中国の嫌がることはしない方がいいということになる」

 これもはなはだしい曲解である。

 日本がかつて侵略し、植民地支配した中国や韓国がA級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社への首相の参拝に反発している。その思いにどう応えるかは、靖国問題を考えるうえで欠かすことのできない視点だ。

 ただ、それは私たちが参拝に反対する理由のひとつに過ぎない。首相の論法はそれを無理やり中国に限定し、「中国なにするものぞ」という人々の気分と結びつけようとする。偏狭なナショナリズムをあおるかのような言動は、一国の首相として何よりも避けるべきことだ。
靖国参拝 嘆かわしい首相の論法/平成18年8月4日朝日社説】より

ネット上でのその手の批判にも耐えきれなくなったのであろう。これでは逆に、中韓のためですと言っているようなものだ。それに、「中韓のためではない」と言いつつも、いつもの口調で「だが、近隣諸国への配慮と〜〜」などと続くのだから人間落ちるところまでいけばこうなるのかと、まさに人生の悪しき手本である。
これに対して、上坂冬子先生はサンフランシスコ平和条約第二十五条をあげる。

【原文 対日平和条約第二十五条】
『この条約の適用上、連合国とは(中略)、当該国がこの条約に署名し且つこれ
を批准したことを条件とする(中略)。ここに定義された連合国の一国でないい
ずれの国に対しても、いかなる権利、権原(俺注釈※「限」の間違い)又は利益
も与えるものではない。また、日本国のいかなる権利、権原又は利益も、この条
約のいかなる規定によっても前記のとおり定義された連合国の一国でない国のた
めに減損され、又は害されるものとみなしてはならない。』
【戦争を知らない人の靖国問題*1】より

サンフランシスコ平和条約とはまさしく戦犯に関する最後の条約である。ここにあるよう、中韓は、上坂先生のことばを借りれば『発言失格国』なのである。我が国のみならず、中共も韓国も取り敢えずは国際法を守る近代国家である。と言っても、中共尖閣諸島を、韓国は竹島国際法を無視し領有権を主張、後者に至っては武力進駐という侵略行為すら行なっているのであるから、国際法を持ち出しても果たしていくら効果があることやらくびを傾げたくもなる。いずれにしろ、国際法を無視したなら無視したで国際社会に恥を曝すだけなのだから、日本政府は断固この主張を行なうべきなのである。どこかの宰相のように、「心の問題だ。理解できない」だけでは説得力はない。理はこちらにあるのだから、高校生にでも引用できる国際条約、しかも日本が独立を回復するなど特別な条約なのだ。主張しないというほうが間違いである。だが、「理解できない」という批判はこれ以上なく正しい。国際法に違反してまで批判を行い、あまつさえ首脳会談を拒否し続ける姿勢は近代国家として理解しがたいものである。

また、サヨクマスゴミは国内としてもA級は問題だ。戦争指導者が犠牲者と祭られているのは問題だ。と主張し、朝日では「歴史を〜する」等という特集を組み勝手に断罪をはじめた。
これに関してはマスゴミのまったくの無知としか言い様がない。高校生が夏休み一日で読み終えられる新書一冊すら読まずに、平気な顔で記事を書けるのかと思うと日本の未来を憂わずにはいられない。

(前略)翌一九五三(昭和二十八)年八月一日に、前記「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の一部改正を行なって戦犯にもこの法律を適用し、戦犯の遺族に同等の遺族年金および弔慰金を支給することを決定したのである。自由党、改進党、左右両派社会党など全会一致で改正に賛成した。
つまり、この時点で戦勝国がどんな決定を下そうとも、独立日本政府としては戦死も戦傷病死も戦犯による刑死も、すべて国家のために犠牲になったとして、その扱いに一切の差を付けないと決定したのである。
いい換えればここで、日本から戦犯という存在はなくなったと見てよい。戦犯処刑という言葉は消えて、公文書では「法務死」と書かれるようになった。
さらに翌一九五四(昭和二十九)年六月三十日には恩給法の改正によって、戦犯として処刑される以前の拘留中に獄死した人も、その遺族たちに同様の保障が約束されたのである。
(中略)
当時の国会の議事録には、戦犯は戦勝国からみれば犯罪人であろうが、日本にとっては犠牲者だという発言が繰り返されている。余談だが、内大臣だった木戸幸一の『木戸幸一日記』によれば、昭和二十年十二月六日、戦犯容疑者として逮捕状の出た木戸氏は昭和天皇から夕食に誘われている。木戸氏が戦犯容疑者指名を理由に辞退したところ天皇は、
「米国より見れば犯罪人ならんも、我国にとりては功労者なり」
といわれたという(十二月十日の日記)。
かくて独立日本は、戦犯にたいして国を守った人としての揺るぎない位置づけを行なったのであった。


【原文 昭和二十六年十一月十三日 参議院討議】
『鬼丸義齊 「戦争犯罪人」というものはどんなものを一体指すことに解しておられるかということを先ず伺いたいのであります。
国務大臣高橋武夫 戦争犯罪なるものは、これは国内法上におきまする犯罪と観念すべきものでは私はなかろうと思います。これは国内法におきましては、飽くまで犯罪者ではない。従いて国内法の適用におきまして、これを犯罪者と扱うということは、如何なる意味においても適当ではないと思うのであります。
鬼丸義齊 今国際裁判において裁判を受けて有罪の判決を受けておるものは、日本政府の見解としては、日本国の立場から行くならば、それは犯罪ではないのだ、いわゆる犯罪じゃないのだということは、只今総裁の明言されたところよって明白になったのであります(中略)。日本国憲法中において犯罪者でないものが、いわゆる刑の執行を受けるはずはございません(中略)。実はこれまで裁判を受けましたる各個の事件につきましても(中略)これは憎むべきものでなくして、むしろ憐れむべきものである。いわゆる国の愛国者である。その愛国者に対して鞭を与えるというのは無理ではないか(後略)』


【原文 昭和二十八年七月九日 衆議院討議】
『青柳一郎 (前略)戦犯者は戦争に際して国策に従って行動して国に忠誠を尽し、たまたま執行しました公務のある事項が、不幸にして敵の手によってまたは処置によって生命を奪われた方々であります(中略)。恩給法の対象になり得ない場合には、せめてこの援護法の対象といたしたいのでございます(後略)。』


【原文 昭和二十八年七月九日 衆議院討議】
『堤ツルヨ (戦犯として拘留中の留守家族に援護法を適用することになったが)早く殺され(筆者註・処刑)たがために、獄死をされたがために、国家の補償を留守家族が受けられない。しかもその英霊は靖国神社の中にさえも入れてもらうないというようなことを今日遺族は非常に嘆いておられます(中略)。処刑、獄死された方々の遺族が扱われるのは当然であると思います(中略)。
A級について私もただしましたところ、A級を含めてこれを扱ってくれということが不可能ならば、A級は辛抱するからA級の指揮棒によって動いたBC級をせめて救ってくれという悲しい叫びをあげておられます(中略)。
解決を願いたいということをさらにつけ加えておきたいと思います(筆者註・この意見は取り入れられて「戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部改正」と同時に、A、B、C級処刑者、獄中死者の遺族に援護法が適用されることになった。また、その後、戦犯は靖国に合祀されることにもなった)。』


【原文 昭和二十八年八月三日 衆議院本会議 戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議】
『……独立後すでに十五箇月を経過したが、国民の悲願である戦争犯罪による受刑者の全面赦免を見るに至らないことは、もはや国民の感情に堪えがたいものがあり、国際友好の上より誠に遺憾とするところである。しかしながら、講和条約発行以来戦犯処理の推移を顧みるに、中国(筆者註・現在の中華民国〔台湾〕)は昨年八月日華基本条約発行と同時に全員赦免を断行し、(その他各国の例をあげているが中略)謝意を表するものである。(中略)われわれは、この際関係各国に対して、わが国の完全独立のためにも、将又世界平和、国家親交のためにも、すみやかに問題の全面的解決を計るべきことを喫緊の要事と確信するものである(後略)。』

ともあれ、以上のような諸般の経緯を併せて考えると、戦犯の問題は日本の総力をあげて昭和二十八年、すなわち独立二年目にすべて解決済といってよい
【戦争を知らない人の靖国問題*2】より

このように、独立から二年後、今から五十三年前に答えは出ていたのである。しかも国会審議、国会決議という我が国の最高権威の一つの場、民主主義の砦においてである。彼らサヨクの大好きな大東亜戦争を最も知る世代が下した判断がこれなのだ右から左まで全会一致である社会党左派まで賛同しているのだ。福島瑞穂なども「侵略否定だ。戦争賛美だ。謝罪だ」などと壊れたおもちゃみたいに繰り返すだけでなく、『偉大な』先人の言動から学ばれてはいかがであろうか。また、このようなサヨクの揚げ足を取る批判だけではなく、根本的な問題として、過去の国会審議、決議をまるでなかったもののように云うのは民主主義国として落第であろうこのような痴態が世界に知れれば日本国の民主主義の信頼性は地に堕ちることは間違いない。民主主義国として当然の行為をわが国民は喚起し支持すべきである。

最後に、最近サヨクマスゴミは、アメリカなど戦勝国もいい顔をしない、と書き立てるがこれはアメリカなど戦勝国を愚弄した主張以外に俺にはことばが見当たらない。A級戦犯をはじめとするすべての戦犯は、ある人は刑死し、ある人は獄死し、またある人は懲役刑や禁固刑の刑期を全うしみな罪を償った人々ばかりである。罪を償った人々を再び責めるのは法治国家としてはあってはならないことだ。恥ずべきことなのだ。アメリカなどの一部学者がそのように主張しているらしいが、それは、自国が法治国家ではない、まだまだ国際法も守れない未熟な国だと声高に叫んでいるのと同じである。ましてや、アメリカから日本に結ばせたといってもよい条約をである。もちろん、そのように主張する学者も間違っているが、それに加担し援護射撃を行なうサヨクマスゴミも結果アメリカなどを冒涜しているにすぎないのだ。すべての戦犯が罪を償った今、そもそも『戦犯』等という言葉を冠詞や形容詞に使うことすら人権侵害にあたろう。出所してきた受刑者を犯人だと云うことと寸部違わないのだから。
もっとも、この論理は人治国家たる中共反日法が猛威をふるっている韓国には通用しないかもしれない。だが、中韓には発言権すらないことは前述の通りなので何ら問題はない。

以上、サヨクの主張に対する俺の出来うる限り最高の反論であると思う。上坂冬子先生の今著はあやふやな知識を補完してくれた名著である。皮肉などもきいていて読みやすいことこの上ない。まさしく全国民必読の書であろう。と言っても、神道を捨てろなどの点については賛成とは云いかねるが。

*1:

戦争を知らない人のための「靖国問題」 (文春新書)

戦争を知らない人のための「靖国問題」 (文春新書)

*2:

戦争を知らない人のための「靖国問題」 (文春新書)

戦争を知らない人のための「靖国問題」 (文春新書)

仙台市長GJ!「中国人犯罪が多発しているのに中華街など造れない」

さっき、FNNスーパーニュースを見ていると、仙台市が中華街構想を白紙撤回したと報じていた。そして、白紙撤回した当の本人である梅原克彦市長はインタビューに応じ、
外国人犯罪で中国人の占める割合が7割を越すのに中華街など作れない』
なる発言をしていた。
仙台ではなんと外国人犯罪の7割が支那人だそうだ
この判断は当然であろう。
FNNスーパーニュースでは「対中強硬派」と冠詞が付けられていたが、事実に基づいた判断なのだから、「強硬」も糞もないであろう。
この程度で「強硬派」などと呼ばれない、全うな日本を望んでしまうどこかやるせない報道でもあった。





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サイカノと靖国と

最終兵器彼女を読んだことは昨日かに書いたとおりですが、普段から靖国やらなんやらと考えてるチンケな脳みそでは、こんな話を読むと特になんだかんだと結び付いてしまうんですよ。

そしてこれを読んで(内容が内容なんで何度も読めませんよ。泣いてしまう)一つ理解しました。小林よしのり氏等が云う、『物語の欠如』を。サイカノでは、知っている人はしっているでしょうが、地球滅亡に向け日本がさまざまな国から侵略を受けます。詳しい設定などは敢えてかかれていませんが、どうやら彼らの祖国が地球滅亡への天変地異のためなくなり、日本に攻め入ってきたものと思います。空軍が最後まで出てくるところを見ると、完全に水没したとかではないでしょうが。当然、日本側も自衛隊を駆使し防衛を行なうわけですが、どうもヤンキーが敵に回ったようで早いうちから陸自の投入という絶望的な状況となります。また、最初に東京が壊滅させられたのか、報道規制も相まって主人公(シュウ)の周辺にはなんら情報が集まっていないようでした。もっとも、シュウの友人であるアツシは陸自に志願するのですが、その陸自の末端兵であるアツシもあまり戦況や地球のおかれている状況は知らなかったようですが。また、戦争が始まる前から陸自で士官をやっているテツ
先輩等も出てくるのですが、みながみな、死ぬ際に「死にたくない。何で死ぬんだ」と云いながら死んでいきました。
さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
俺は別に、「死にたくない。何で死ぬんだ」と言いながら死んでいったことを非難するつもりは毛頭ありません。ですが、この発言は日本が抱える国防の物語・契約の欠如そのものであると思うのです。
作中のこの戦う意味すらわからない『戦争』は極端すぎ、またあてにならない例かもしれませんが、俺は物語の欠如をこれを読み理解できました。
我が国では本来尊いとされるべき、国防による死を軽んじているとしか考えられません。東京が壊滅した作中において、靖国神社に祭られるなど云われても士気は鼓舞されないでしょうが、それでも死んでいく理由ぐらいは付けられるはずです。国を守って死ぬんだと理解できるはずです。我が国には物語がありません。国は国民と戦死に関する契約を結んでいません。八百八万の神が存在する国として異常です。この物語と契約があれば、作中における自衛官の人々ももう少し安らかに死ねたのではないでしょうか。死ぬ理由を見つけることが出来たのではないでしょうか。死後の安寧をもう少し知れたのではないでしょうか。

麻生氏が靖国を国が管理する方向にもっていく、という趣旨の計画案を発表しました。靖国神社が国家護持されるべきであることに異論を挟む余地はありませんが、たくさんの売国奴が政界官界財界に跋扈する我が国において、そのようなことをすれば今後どうなるか恐ろしくて仕方ありません。また、靖国を宗教から離すという考え方も納得がいきません。靖国神社カソリックである麻生氏もなんの後ろめたさもなく参拝できる場です。現にバティカンが戦前から教徒の靖国参拝を認めています。戦後GHQが靖国神社伊勢神宮などを破壊しようとした際も、真っ向から反対したのはバティカンでした。袈裟姿のお坊さんも参拝できるのが靖国です。すべての宗教を受け入れる靖国無宗教にする必要などはありません。政教分離などと叫ぶ人々は、政治は祭りごと、つまり原始宗教から生まれたことを知らないはずはないでしょう。厳格な分離など不可能なのです。日本の伝統は神道であり、またすべての宗教に寛容な神道こそ、靖国に相応しい宗教だと俺は確信しています。
今の靖国のまま靖国があり続けるのをよしとせず、国家権力により靖国の形を悪しきものにかえようというのであれば、麻生氏の案には声を大にして反対を叫びたいです。言わんや、前述のとおりの政界官界財界ですから、時期尚早と言わざるをえません。
物語・契約の場としての靖国には国家の保護が必要不可欠なのですが。
最終兵器彼女を読み思ったことはたくさんありますが、またそれは機会があればということで。
ドラゴンヘッドなどより数万倍、優しく重く切なく切実で美しい誰もに読んでもらいたい漫画です。中古で全巻計1300円程度で購入できた俺は幸せものです。高橋しん先生ごめんなさい。きみのカケラ、買ってきます。
でもやっぱり、セカイ系のみならず世界で最も美しい物語は、イリヤの空、UFOの夏でしょうが。
どうも俺は後半部分からのめり込む作品に名作がおおいようです。サイカノも4巻から纏め買いして結果こうなっていますから。どこかで救われることを信じてたのにな……これもイリヤと同じだ(笑)