「社公合意」から16年で社会党は壊滅した、「自公連立」から15年の公明党は今後生き残れるか、「責任与党」にたどり着いた公明党の将来、維新と野党再編の行方をめぐって(その29)

自民党公明党の実質的な連立は「自自公連立政権」の小渕内閣(1999年)に始まるが、自公2党だけの連立政権は小泉内閣の半ば(2003年)からで、以降、第1次安倍内閣(2006年)、福田内閣(2007年)、麻生内閣(2008年)と引き継がれる。この間、毎年の如く首相は替わったが、これを支える自公連立の枠組みは微動だにしなかった。公明党は「補完与党」として現世利益(与党利益)を満喫し、その見返りとして自民党への選挙協力を惜しまなかった。公明党はまた「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」(周辺事態法、1999年)および「イラクにおける人道支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」(イラク特措法、2003年)を自民党と共同提案して成立させた。

「補完与党」になってから新しく決定された公明党綱領(1994年)からは日本国憲法憲法9条は全て姿を消し(1字もない)、代わって「世界に貢献する日本」が麗々しく掲げられた。そして小沢流の「今日、わが国は『経済大国』となり、また世界一の『債権大国』ともなっています。従来におけるような日本のみの平和や繁栄を求める自国本位主義はもはや許されるところではなく、その経済力や国際的地位にふさわしい『世界の中の日本』の役割を果たすことが求められています」との文面が登場した。「平和の党=憲法擁護=戦争放棄」を出発点としたはずの公明党がいまや「一国平和主義」の限界を強調し、「積極平和主義=国際進出=世界のなかの日本」を唱える時代が到来したのである。ここまでくると、9条改憲はもう「目の前」に来ていると言わねばならない。

 2009年総選挙における民主党政権の成立と自公両党の惨敗は、自民はもとより公明にとっても政権を失うことの意味を痛感させたに違いない。与党に返り咲くこと、それも自民の「補完与党」ではなく「責任与党」として連立政権を組むことが新たな公明党の目標になった。そしてその悲願が達成されたのが、2012年総選挙での民主政権の壊滅による自公連立政権(第2次安倍内閣)の復活だ。この時点で、公明党はいかなる場合にあっても「与党の位置から離れない」と決意したのではないか。

そのことが証明される事態がまもなく起こった。安倍政権が正面から9条改憲を掲げ、その前哨戦として憲法96条の国会発議条件を変えることで改憲のハードルを下げようとの策動を始めた。しかし国民の警戒心が強く、強行できないと見るや、今度は集団的自衛権の行使容認を閣議決定するという「解釈改憲」(立憲主義の破壊)に戦略を切り替え、その「先導部隊」としての役割を公明党に与えた。「連立政権の解消」を最初から封印した公明党は、忠実にその使命を実行した。

自衛権行使『新3要件』公明が原案、自民案装い、落としどころ」という西日本新聞の大スクープ記事(2014年6月20日)が暴露した舞台裏の事実は驚くべきものだった(公明党は否定できないでいる)。集団的自衛権武力行使の基準となる「新3要件」は、与党協議会座長の高村自民党副総裁が提案したものではなくて、実は北側公明党副代表が裏で内閣法制局に原案を作らせ、高村氏に手渡したものだったというのである。このスクープ記事は、現在の公明党の到達点すなわちこの15年に及ぶ自公連立政権の積み重ねの中で公明党の「保守与党化」が完了したことを余すところなく示している。公明党はいまや率先して集団的自衛権の行使容認に走り、自民党をリードするまでの本格的保守政党に成長したのである。

私は公明党の保守完了化とともに、創価学会もまた根本的に変質したと思う。創価学会はこれまで「平和を愛し、その実践のために活動する熱心な宗教団体」との外観を装い、与党協議が始まる直前の5月17日には各紙の質問に対して、わざわざ集団的自衛権の行使容認について「本来、憲法改正手続きを経るべきである。慎重のうえにも慎重を期した議論によって、歴史の評価に耐えうる賢明な結論を出すことを望む」との文書回答まで出していた。それが僅か1ヵ月半後の閣議決定の翌日7月2日には態度を豹変させ、集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定について、「公明党憲法第9条の平和主義を堅持するために努力したことは理解している」、「今後、国民への説明責任が十分果たされるとともに、法整備をはじめ国会審議を通して、平和国家として専守防衛が貫かれることを望む」との180度異なる見解を臆面もなく発表したのである。

だが、こんな黒を白と言いくるめるような詭弁(ウソ)をいったい誰が信じるというのだろうか。おそらく創価学会員といえども公明党が「平和憲法の担い手」だと言い続けることは今後難しくなるだろうし、またそれとともに人心が離れていくことも避けがたい。社会党は社公合意によって安保・自衛隊問題への態度を一変させて国民の期待を裏切り、自社さ連立政権の解散後は国民の信頼を失って一挙に壊滅した。社公合意から社会党が壊滅した総選挙までは僅か16年だ。公明党自民党と連立政権を組んでから今年で15年になるが、それと同じことが公明党では起こらないという保証はどこにもない。

すでにその前兆はあらわれている。集団的自衛権閣議決定後の7月13日に行われた滋賀知事選では、自民党幹部の大物が総勢で応援に入り、公明党創価学会も組織を挙げて選挙戦を戦ったにもかかわらず、「当選確実」といわれた自公候補が落選した。敗因は公明支持層の連立政権離れであり、無党派層の「反自公」投票行動だといわれる。

小渕内閣官房長官として「自自公連立政権」の成立に奔走した野中広務氏も、「内閣の解釈で憲法の基本を変えるなんて本末転倒でしょう。絶対にやってはいけない。この問題の深刻さがようやく浸透してきて、この夏、地元に戻った国会議員は有権者の考えを肌で感じ取るはず。地方から大変な批判が出てくると思いますよ。(略)このままでは来春の統一地方選や次の衆院選自民党公明党とともに、必ず鉄槌をくらう」(朝日新聞オピニオン欄、2014年7月18日)と警告している。

「建物が完成したときには組織は崩壊している」(パーキンソンの法則)というが、公明党も保守与党になった瞬間から組織崩壊が始まるのかもしれない。自公連立政権の成立から来年で16年、公明党社会党の二の舞を演ずることなく果たして生き残れるだろうか。(つづく)