『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談 
   * 聴覚の方が、視覚情報より根源的!
 全盲辻井伸行が、譜面をみないで多くの曲を弾きこなすことに不思議?と
思っていたが、「皮膚の外側全部が宇宙」と聞くと成るほど、「聴覚の方が、
視覚情報より根源的!」というのも納得できる。 〜その辺りから〜
≪ 堤◎ ー目に見えるものだけを信じることはなぜ危険なのでしょう?
佐治◎ 一耳のほうが優れているともいえます。目は見たいようにものをものを
 見る特性が顕著です。 聖書にも「神の姿をかたちづ〜てはいけない」と書かれ
 ているでしょう。神の姿が見えようとすると、自分に都合の良い神をつくりだして
 しまって、極端の場合は、その神の命令によって、という思い込みから殺傷事件
 を起こしてしまう。 それも、脳のメカニズムに関係してくるらしいのですが。、
堤◎ ーどんなメカニズムでしょう? 耳との違い?.
佐治◎ ー目は三種類の色を識別する細胞からできています.「RGB」、つまり
 赤REDと緑(GREEN))と、青(BLUE)の細胞にどういう光が入るかによって
 いろいろな色を識別します。 ところが耳の聴覚器官は、二万五〇〇〇種類
 くらいの細胞が縦に並んでいる。ある音が片側からやってきた場合、われわれ
 は二つの耳で、その方向を識別できます。ところが音が片側の耳に入って、
 次にもう片側の耳に入るまでの時間差は一〇〇〇分の一秒くらいで、神経の
 伝達速度では、間に合わない。となると、音源の方向を識別できないはずです。
 そこで・片方の耳から入ってくる音は細胞の上から、もう片方は下から入って
 きて、その合致する位置から、脳が計算して方向の認識をしている。
 しかも、目から入った信号が脳に到達する時間と、耳からの信号が脳に到着
 する時間を比べると、耳からのほうが速い。つまり、耳のメカニズムのほうが
 ある意味では優れています。人類の進化の歴史を見ても視覚情報は、母親の
 胎内にいる時にはシャットアウトされている。でも、音だけは聞こえている。
 視覚情報のほうが優先されているということです。聴覚情報は、より根源的
 ということです。
堤◎ ーならば目の不自駐方の感じ方は全然違うのでしょ-か?
佐治◎ ー生まれながら全盲の人の言葉を借りると、「先生にとっての宇宙は、
 月とか太陽とか星なんでしょうけれど、ぼくにとっての宇宙は、皮膚の外側が
 ぜんぶ宇宙なんです」という。すごいですね。・・・
佐治◎ ー目が不自由で、耳は健常な人と、逆に耳が不自由で、目は健常な人
 とでは、感じている世界はまったく違うようです。  
佐治◎ ー全盲のピアニスト、辻井伸行さんによると、カルテッドでの共演など、
 通常はアイコンタクトで合わせますが、彼は、相手の呼吸を耳で読むといって
 いた。われわれには五感があるが、そのなかでいちばん深いところに入って
 いくのが音情報です。≫
▼ 動物は海中から陸上に、上がって進化?してきた。海中は視覚より聴覚の
 方が生存競争に有効に働くため、人間も、その流れを引継いでいるのだろうか。
ウツの対策に音楽療法があると、この書で述べているが、iPodで軽音楽を聴き
ながらの早朝の自転車散歩で、その実感は確かにある。 情報端末の進化は、
聴覚、視覚情報を、より手軽に修得可能にする。
・・・・・・
4853,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー23
2014年06月28日(土)
   * 仮店舗と、本店ビルの建設
 設計も終わって、ゼネコンへの見積もり。長岡駅前の一等地もあって、小さな
規模きかかわらず、多くのゼネコンの見積もり依頼があった。そして最後に、
大手の大成建設と、準大手の淺沼組に絞られた。しかし、500万の金額の差で
浅沼組になった。 準大手の淺沼組社長が、山本五十六元帥の元直属の部下で、
何もあっても取れとの厳命があったと、後で聞いた。しかし、500万の差が、
実はアーケードの見積もり落ちと、後で判明し、請求してきたが、話が違う!と、
トラブルになりかけたが、最後は相手側のミスと、決着。今から考えると、
建設は、一割以内の差なら、最大手を選ぶのが順当だった。ただし、浅沼組も、
悪くはなかったが。見積もり過程で、得体の知れない建設業界の不気味さを
感じ取っていた。談合で、殆どが決められる建設業界の(マフィアのような)
シンジケートであるる。それも10数年前に社会的大問題になって大きく
変わったが、現在でも、それは厳然と残っている?はず。
 ところで、ビル完成まで、どうするか?で、駅前に、たまたま撤退した
ばかりの専門店街があった。その権利を、母の従兄弟の元市長がが持っていた
関係で、入店することにした。そして7ヶ月後、11月に新規オープンになる。
新店舗の開店も順調にいったが、直ぐに気づいたのが、売場面積を三倍にした
割に、売上げが、思いのほか伸びない。順調に伸びたのが、学生服の売上だけ。
既に、時代が車社会に入っていて、郊外店舗への流れが本格的になっていた。
 その頃、仕入先の産地も、繊維不況で大きな曲がり角に立っていた。
それと大型店の影響で、駅前立地も本格的衰退の兆候を現していた。
その頃、チェーン店を目ざすクラブのセミナーの講習に三ヶ月に一度の割に
聴講にいっていた。そこでは『早く、新業態の店舗を開発し、現業を潰すべし』
と、繰返し、聞いていた。 現に、この10年間、各地で、それを目の当りに
してきた。一息を入れたとき、全エネルギーを、店舗運営と、仕入と販売に
縛られる日々に、自分の限界を感じるようになっていた。その頃、ヨーカ堂
出入りしている紳士ファッションメーカーが訪ねてきて、取引をしたいという。
ヨーカ堂に入れている商品の一部をブランドを変えるので、取引をさせて欲しい
という。 ところが、その商品が嘘のように売れるのである。要するに全国的
ホット商品ばかり。内心、「これは!」の声。新興の大手チェーンには、
短期的には闘えても、長期的消耗戦では、勝てないのではないか?である。
 本店の建替えも落ち着いた頃、ペガサスの教えのチェーン化に、実兄は、
やる気満々!私は、逆に自信が喪失。考えてみれば、私に会社の資産はないし、
縛られるものはない。引き時では?と。
 話は変わるが、本店を開店した後に、その成功の祝いに、30人を連れて、
ハワイ旅行に行くことになった。それが、長岡での花。山場であった。これが、
それまでの疲れ全てを取り払ってくれた。そういえば、同じことを新潟駅
シリーズでも、やっていた。その時々を仕事の合間でレジャーも楽しんでいた!
・・・・・・
4486, 静かなる大恐慌 ー3
2013年06月28日(金)        「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
   * 第二次グローバル化のゆくえは?
この地球規模の混迷の行きつく先は、どうなるのか?
そう楽観的ではないだろう。ーその辺りから
≪ 第一次大戦後には各国間の貿易が再開され、金本位制への復帰が進むなど、
 戦前世界への回帰が模索された。しかし29年に始まる世界恐慌から、各国は
保護主義やブロック化へと雪崩をうって、保護主義やブロック化へと突入して
いった。世界経済を統合するグローバル化の動きは、世界経済を分断する
グローバル化の動きに急速に切り替わり、貿易をめぐる国家の「経済戦争」
が激しくなった。それが第二次世界大戦へつながっていった。 そして、
それは第二次世界大戦で終わりをとげた。 それでは第二次グローバル化は、
どのような結末を迎えるのか。まず、当時と現在とでは状況が違う。
第一次当時は、予期せぬ経済変動に対し、各国経済はあまりに弱かった。
しかし、現在は先進国を中心にした労働者を保護する制度や、銀行や預金者を
保護する制度が幾重にも張り巡らされている。・・加えて、当時の金本位制
という国際金融システムに問題があったといえる。多くの点から考えても、
現在のほうが遥かにショックに強いといえる。しかし、それがいえるのは先進国
だけ、新興国は遥かに弱い。二度のグローバル化に共通しているのは、輸出を
中心に成長する新興国が急激に台頭してくること、そして一たびショックが
起きると大きな打撃を受けるのも新興国であること。 世界はいつも、弱い鎖
から切れていく。アメリカで始まった現在の危機は、欧州に飛び火をした。
それも経済力の弱いギリシャに火がついた。これが別の地域、特に輸出を
伸ばして急成長をしてきたBRICsなどの新興国へと波及したとき、
危機の複雑さは一挙に深まっていく。≫
▼ 著者は、100年前のような二つの大戦が起るかどうかまでは言及してない。
しかし、中国や北朝鮮のような新興国が現に存在している。内部の基盤が
危うい国は、それをカバーするために世界大戦やむなしと考える危険がある。 
それだけでない、スマートフォン(小型パソコン)が一般大衆に普及したとき
の危険性は計り知れない。政府より大衆の方が、情報を知り抜いてしまうからだ。 
20、30年前なら数億、十億円もしたコンピューターが、誰もが持ち活用
した時の社会的影響は想像を超えるだろう。大きな政府をつくったとして、
ネットで結びついた力の終結は誰も予測不能だろう。静かに恐慌は進んでいき、
混沌は当分の間、続く。 隠れた正体は、「情報化社会の本格的到来」である。
・・・・・・
4112、閑話小題 ー血圧
2012年6月28日(木)
   * 血圧
 血圧が高めのことは知っていた。しかし毎日これだけ運動をしていれば
大丈夫のはずと、たかをくくっていた。ところが、家内が先週末、ドラッグ
ストアにある血圧計ではかったところ、思いのほか高かったと聞き、一昨日、
スポーツジムにある血圧計ではかったら、何と165もあった。ヨガを終えた
直後なので血流が良過ぎたのか、それとも・・ そして昨日、一時間半の
運動の後、怖々とはかってみたところ、130だったので、ホッとした。
しかし、これでも高いようだ。ジムに通い始めた頃には月に一度は見ていたが、
だいたい130代だった。ネットによると、≪ 日を変えて何回か血圧を測定し、
いつも拡張期血圧が90mmHg以上、あるいは収縮期血圧が140mmHg以上であるのが
高血圧の診断目安≫という。これからすると、私は、ぎりぎりセーフになる。 
塩分と糖分に関しては、意識的に最小にするようにしてきた。体重も30年間、
体重も増えることもない上に、身体が重いと思ったことはない。
  * 欧州発世界恐慌の瀬戸際 (同じことを繰り返して書いているが)
 ギリシャのやり直し選挙で緊縮派の勝利で、目先の世界恐慌の火種を何とか
消した。しかし、スペイン国債金利が7%を超えた。UCBなどが融資を決定
をし何とか、これも乗り越えつつあるが、何時までも続くわけでない。 一度、
火がつけば、世界の6京(6千億ドルの10倍)の不良債権が表立ち、世界中
の企業と銀行の連鎖倒産が出ることになる。これはリーマンショックなど
比べようのない事態。そのため何があっても目先、乗り越えざるを得ない。
次の目標はロンドンオリンピックの終了だが、微妙である。先日も、スペイン
の銀行28行の格付け引き下げがあった。ドンヨリした暗雲が世界中を覆って
いる中、国内政治は大混迷。消費税を上げないと日本はもたないが、引き
上げれば経済は大打撃。 これほど酷い政治と経済の惨状をみるとは! 
それも、まだ本格的世界恐慌は始まっていないのに、である。 悪いことに
内税のため、増税は実質は経費アップになる。その上、売上減は必至になり、
中小・零細企業は大打撃。もう私にとって影響は少ないが、一歩、ひいた目で
みても恐ろしい。ある朝、何処かの株式市場で暴落が発生、その日を境に
世界経済は大混乱に陥る。解っていても手立てが無いから、ことは深刻。 
・・・・・・
3746, 閑話小題
2011年06月28日(火)
   ◆ エイズ並みの、恐ろしい性病
 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。その中で最もリアルに
出るのが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。人間には、
「あなた群」というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、
体の細胞たちからの記憶が、人の中に蠢いている。過去の色いろな感情や
感覚が、塊になって、その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を
待っている。その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。さしずめ、
今回の倒産劇の「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。
そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・
原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。「他人のせい」は、メビウス
輪で、「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、
あれは数百年に一度の天災が原因である。そこまで、想定できないのは自明。
それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。
   ◆ 3D仕立の靴下とスポーツシャツ
 「父の日」に、次男からプレゼントが送ってきた。ネット・ショップから
だが、包装を開けてみると、靴下二足。白系と黒系の無地もので、よく見ると、
立体的な足の形をしたモノで、足の部分ごとに縫い方が違っている。
 それも、縫い目がない。足にピッタリ密着するようになっている。 
分かりやすくいえば、足袋風ハイソックで、指先、踵、そして土踏まずの箇所が、
それぞれに合わせた織り方になっている。一度、TVで、その製造マシーンを見た
ことがあった。スポーツジムで、それを履いてみたが、脚が全体が適度の締め
付けで軽快な感じがする。一度履いたら、運動に欠かせなくなる。これなら
2〜3千円を出してでも買いたくなる。ところで昨日、ジム用の着替えの
スポーツシャツをと専門店にいったところ、何と「3Dシャツ」のコーナー
があった。やはり立体的に上半身の形になっているシャツが並んでいた。
それも乾燥が早いシロモノである。それが千円というので、さっそく買ったが、
これも良い。元々あったのだろうが、ベトナムで、トレード・オフをし価格
ダウンしたのが店頭に並んだので、目に入ったが。これも、デフレの一現象。
・・・・・・・
3381, 今年、半年の出来事
2010年06月28日(月)
  今年も半年が過ぎ去ってしまった。速いものである。
 * 世界からみると、天変地異でチリとハイチで大地震が発生し、
ハイチでは30万人の死者がでた。一昨年に中国の四川で7万人、2006年12月末
にはスマトラ島沖地震インド洋大津波で20万人が亡くなったが、今年は前半
だけで二つの大震災が発生した。地殻そのものが変動期に入ったようだ。
景気も、欧州に金融恐慌が表面化してきた。ギリシャ、そしてスペインと・・。
経済危機は当分の間、世界中で続く。北朝鮮問題も、再び動き出してきた。 
破綻国家が何時、暴発するのか? アメリカの石油流出も大きな問題。
まだ流出が止まってないから、ことは深刻である。
 * 国内では、鳩山から管首相へ政権が移行。景気は、エコポイント給付
で何とか最悪の事態を避けているが、実態は二番底に向かってまっしぐら。 
社会現象では、ツイッターミニブログ)が爆発的に普及始めている。
またタッチパネル式パソコンのiPadが発売された。 これが新聞・週刊誌
・書籍などを近い将来、淘汰することになる。大相撲で朝青龍が暴行事件で追放。 
その興奮が冷めないうちに、今度は野球賭博が発覚、大相撲協会始って以来の
大不祥事に発展した。 身辺では叔父叔母など既に死に絶えたこともあるが幸・
不幸は無かった。 大きな事件は、年の後半に多く発生する傾向にあるが、
地震が既に二つが発生、アメリカの原油流出も発生した。後半も、何か大きな
事件が続きそうな感がする。日本経済も土壇場に来ており、暗雲が漂っている。

 ところで自分で考えるのが面倒? なら、 俗名を○と×のところに入れておけばよい。
 たとえば、著者のように。 面白みはないが。 あの世の名前も、事前につけて
おくのもオツである。   合掌!

昨日は、中学校の同期、古希の会

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 他のブログ
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 今日のYoutube

昨夜は、湯沢のニューオータニで、長岡東中学校の昭和36年卒
の「同期会」が開かれた。 出席者は61名。二割弱の出席になる。

17時から19時半まで一次会が開始。その直後から、
近くのスナック風の宴会場で二次会が開かれた。
私は、20時53分の新幹線で、そうそう帰ってきた。

自衛隊とか、教師、病院の薬剤師、日立、など仕事はさまざま。
古希となると、元肩書きなどの意識が消えているので、昔の
時代に立ち戻りやすいようだ。

式しだいの司会をかって出たが、以前なら軽くできた進行も、
シドロモドロには、自分でも驚いた。慣れないことはしないことだ。
ある意味で、これだけの同期の人が集まるのは、これが最後。

二日酔いは全くない。

明日は、この文章を下地の随想日記になる。


・・・・・・
3006,戒名を自分で付けてみた ー2
2009年06月28日(日)
 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著 ー読書日記

 歳が歳だけに戒名を自分で考えると、何か神妙な気持ちになる。
思い立ったが吉日、軽い気持ちで考えると良い。 40歳が目安だろう。
あの世の名前を、自分が生きてきた生き様を元にネーミングする作業だから、
これほど面白いことはない。当時は坊様以外に、その能力を持った人が
少なかったこともあるが、今は違う。 家の仏壇には回出位牌が二つある。
回転式の祖先の過去帳である。明治半ばからの当家の祖先の戒名と俗名と
亡くなった日が記録してある。八角形の筒状になった書き込み式位牌で、
中が回転する。私が実家に住んでいるので、仏壇を守っていることになる。 
この仏壇の中に祖先の魂が入っていると考えてもよい。この文を書くに
あたりメモをとったが、一人ひとりの人生が何かを語りかけているようである。
俗名も法名も、一人の人間のミニ物語である。そして亡くなった年齢も命日も、
その人だけの物語の記念日。嘆き悲しむ親や親族がいて、坊様も、それを
踏まえて法名を捻り出したのである。 本人も死に怯えたかもしれない。 
それさえ無かったのかもしれない。戒名も、位牌も決しておろそかにして
はならないのである。 だから、自分の戒名を自分で作るのも、永遠の
自分を残すという意味で大事な作業かもしれない。坊様から命名して
もらうも、それはそれで良い。自分で命名するのが邪道なら、自称戒名、
として別につくっておくのも良いだろう。俗名は親が作るなら、
あの世の名前は自作でつくるのも理屈である。
 ところで、家の回出位牌に書かれていた法名とは、以下の通りである。
父、堀井誠作 の法名は 池行院釈誠道 72歳没 昭和48年6月30日没
母   志摩      報寿院釈尼信華 88歳没 平成4年9月23日   
一番上の兄、運一 の法名は 釈足心 23歳没   昭和27年3月15日
二番目の兄、進 の法名は、釈証盆  24歳没     29年8月11日
三番目の兄 誠 の法名は、釈淨誠   5歳没     11年6月4日
祖父の多吉は、釈淨信        62歳没      2年7月22日
祖母のツルは 釈尼妙証       55歳没     大正12年10月
父には幼児の頃に亡くなった兄がいて 修作 5歳没  明治31年8月29日
明治29年に亡くなった父の姉のヒサ 42年に亡くなったフミの名前がある。
  
そうこう考えると仏壇を守る立場として、自分の戒名を勝手に付けて
良いものか、疑問もある。下手をすると罰当たりになるか?それぞれの命日
には、心を込めて般若心経をあげないと・・ ところで両親を除くと、誰も
彼も私より年齢が下である。父親は「先祖供養だけは、しっかりしておけ」
が口癖だった。
ところで自分で考えるのが面倒? なら、 俗名を○と×のところに
入れておけばよい。たとえば、著者のように。 面白みはないが。 
あの世の名前も、事前につけておくのもオツである。  合掌!

・・・・・・・・・
2642, 郵便ポストが赤いのも、みんな娑婆が悪いのよ!
2008年06月28日(土)
昨日の産経新聞の一面のコラム、曽野綾子の「小さな親切、大きなお世話」
ー弱点を武器にする弱者たちー  が、的を得た論評であった。
ー要旨といえばー
秋葉の男を通した、現代の腑抜けの若者と負け組みと称して何もしない人
たちへの批判である。戦後教育の最悪の集大成が秋葉無差別殺人である。
曽野綾子は、彼は弱点を武器にする弱者でしかない、と批判。短大を出た
環境に育ったこと、派遣会社でも勤めることができること、五体満足の体と
健康があること、それだけで充分という。アフリカや南米の貧困層と比べれば、
全く恵まれている。それを「負け組」意識、弱者の僻みで根が歪んでしまって
いると指摘する。彼らは「弱者は弱い」のだから、援助しろ、イタワルのが
当然という、開き直りを武器にしている、と。
 - 以上だが、
 団塊ジュニアの弱者の事例が周辺に幾らでも転がっている。
彼らは、それなりの間接的な脅しをしてくる。「死ぬしかない!とか、
「弱者になっていまったのは親や社会の責任だ」とか。 時代が下降すると、
頭と尻尾が腐るというが。 何が平和憲法か、笑わせる。アメリカの去勢を
モクロンダ枠組をそのまま大事にして、この様である。
この事件は序曲でしかない。彼女の最後の閉めの言葉
「戦後の日本は心身を強くすることは軍事力の象徴で平和の敵とみなして
 きたが、それは間違いだ。強くなって耐える力を持ち、自発的に不運な
人のために金か労力か、心か時間を差し出せる人を目的に教育すべきである」
が、教育の背骨になければならない。
「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんなアナタが悪いのよ!」
ではね?。

・・・・・・・・・
2007年06月28日(木)
2277, あと半年の命!と告げられた人の言葉  ?1
               |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ

 何げなく読んだ言葉の重みに、すくんでしまった。その一言一言の重みと、
末期ガンと宣告された経験者しか知らない、虚空を目の前にした不思議な
体験の言葉。ノンフィクション作家の柳原和子の「からっぽの演出と装置」
の文章である。
ーー
三年半前、医療から末期を告げられました。なぜか今も生存しています。
告知された私が三年半かけて自覚したのは、告知人が医師であれ、占い師で
あれ、裁判官であれ、死の期限を切られると人は(わたしは)「その言葉に
とことん支配されてしまう、修正がきかない、」という他人からみれば
愚かしいまでの単純な事実でした。実のところ死は虚構です。
誰ひとり体験し、蘇り、それを聞かせたり、した人は一人もいません。
にもかかわらず、誰もが死を語ります。その殆どは身内や友人の死の目撃談、
または別離でしかありません。死そのものではありません。当事者がいない
のに目撃者だけがいる。画像に映り込んだ数えきれない幾つもの黒い影を
論拠として提示されながら、「あと半年の確実な死」を告げられるのは
かって経験したことのない不思議な体験でした。 ・・・中略
死は誰にとっても永遠なる闇の空洞です。しかも空洞の大きさ、質感、彩り
など知りうるすべてが捉えきれないがゆえに言いしれぬ恐怖を誘います。
想像力のなかに位置するブラックホールとでも言いえるかも知れません。
「あなたは6ヶ月後にそこに入っていくのです、」との告知は不思議でした。
震えながら、ひとり、を実感しました。なにひとつ手がかりのない闇と
いささかなる音、気配もない空洞を方向も理解できず、誰も傍らにいない
ままに歩む旅路。・・・・中略  ガンはいまだミステリーなのです。
だからこそ古今の研究者、医師、小説家、哲学者の限りない探求、
征服の野望をかき立てるにちがいなく、またそれを得た患者としての時間も
限りなく幻惑される日々となるわけです。死とガンという二つの幻が混在、
しかも決して読みきれぬ私という幻が歩んでいく日々。
恐いもの見たさ。虜になるのを防ぎきれませんでした。 闇の空洞は悪魔的
な魅力を放っていますが、しかし、そこを歩く恐怖に抗して日々を凌ぐ胆力と
精神の蓄積を私は持っていません。そこで、それ以上か以下かは判然と
しませんが、より不可解なる何かをひきよせることで、とりあえずの支えに
しようとします。 祈る、という行為にそれは凝縮されます。
朝陽に祈り、木々に祈り、なき両親に祈り、路傍の石や草木に祈り、
地蔵や神社仏閣にたちこめる人々が営々と祈りつづけてきたからに違いない。 
その蓄積が源泉であるに違いないある種の空気に祈り、残照を祈る。
 ーー                      ーつづく
 死に関しては色いろある。私の知人は両養子で、義父の亡くなって
数年もしないうちに80歳半ばの義母も亡くなった。その死の間際に義母は
知人に向かって眼を見開いて「(あなたは)嘘! みんなあげる! 
面白かった!」と言ったそうな! これまた、凄い言葉である。
                        ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю
・・・・・・・・
2006年06月28日(水)
1912, スペイン画家・堀越千秋?4
  「スペインうやむや日記」?3  ー読書日記ー
          
 その9 ーむかつく (P-90)が面白い!
 ーー
プラド美術館のそばに何ヶ月か住んでいる知り合いの日本の女の子が、
まだプラド美術館を見てないというから、『え~見てないの。せっかくそばに
住んでいるのだから、損だよ、そりゃ見なくてちゃ』といった。
この言い方あるいは内容が、何か先方に劇的な感情を起こすかもしれないと。
ところが、何と彼女は、にわかにわめきましたです。「それってむかつくっ!」
「・・・・・はい?」「む・か・つ・く!」同席していた、もう1人の女の子
(両方とも20代)が説明してくれた。 こういう「あたまごなし」の
「先生みたい」な「一方的」なものの言いようは、「おしけがましく」て
「むかつく」のだそうだ。 ニャニィ 【君はъака】\_(・ω・`)ココ重要! 
あのな、ふざけんなよばかやろう。だが私は分別のあるインテリの国際人である
から、私の言葉のどこがそれに相当するか、静かに問うた。しかし、むかついた
女の子Aはソッポを向いているし、女の子Bは私が悪いという。そもそも私は下心
なしに安いレストランで不味い夕飯をおごり、そのあとアルメンドロのカフェで
コーヒーまでおごっているところである。 全く無罪である。それが何故??
「世代の差」と女の子Bはぬかした。ヾ(。??∀??)ノ??
私の目の前にいるのはタヌキか、虫か、ナマズか、火星人か? 頭ごなしで
いったのではないし、先生みたいでもないし、先生でもない。ただの親切だ、
ということです。その情けない論理にすがって、言い方の言い訳をいうのに
二時間も要した。時計を見ると午前三時である。この馬鹿どもの相手に、
あたしゃつかれた。;;(≧ω≦;)
  ーーーーー
以上だが、そのときの場面が目に浮かぶようだ!こういう馬鹿女が、
何も知らないでスペインにきているのだ。とくに欧州に行くと、日本人女は
舞い上がってしまう。日本とは、女の扱いが全く違うのだ。
レディファーストに徹しているから、それが土地柄ということが判らないのだ。
旅行先で何時も辟易させられている。頼むから食事の席では、そばに来ないでと・・
この三十数年間、新入社員の入社前教育が、ほぼこういう経験である。
詳細は書かないが・・・ 家庭教育が全く入ってないのだ。それと学校でも
社会規範を教えてない。ニャニィである。そして、1?2年すると、解った
ような顔をして それも・・まあ、ここでやめてこ! 他人事ではない、
自分の最も身近の誰々さん、まさか家内とも言えないが、
「もっと、 ひ・ど・い・・・・・」殺される?? 消せ消せここ!何か
堀越が乗りうつった?感じか。      。゜+.゜ヽ(●´ω`●)ノ。         
わたし、プラドを見てまわった時の感動今でも忘れることが出来ません。
これだけの絵が何と無造作に彼方此方で、見れるのである。確かに、
ルーブルも凄いがプラドはまた違った感動がある。
近くに住んでいて見てない!など・・・それも画家に言われて何を・・・である。
これを書いている現在、ワールドカップのフランス対スペインをみている。
フランスが後半に一点を入れたところ。 スペイン人はフランスを嫌いのようだ。
フランスは嫌いじゃないが、フランス人が嫌いだと!試合そのものは面白いこの上ない。
自国の場合、こうも冷静に楽しめない!と書いていたら、ジダンが三点目をいれた!
(註)ープラド美術館
スペインを、いや世界を代表する美術館の一つがプラド美術館。絵画館としては
世界一という声もある。ボスの『快楽の園』、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、
ゴヤの『裸のマハ』『着衣のマハ』、ルーベンスの『三美神』…… 
「オランダ絵画やフランドル絵画を研究しようとすればプラドを訪れなければ
ならないが、スペイン絵画を研究するには プラドを出る必要はない」という
言葉があるほどだ。              ー つづく
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2005年06月28日(火)
1547, エホバの証人ー2

彼らの世界に一度踏み入ると、多くの規則に従しなくてはならない。
信者は教会活動に全身全霊を捧げることを強要?される。
献血の拒否
偶像崇拝の禁止
・国の祝祭日の否定
・特定の学校行事への不参加
・長時間の伝道の義務(多いもので月に140時間、少ないもので60時間、
 『ものみの塔』と『目ざめよ』の両誌を手にして家をまわる)
・毎週5つの集会の出席
 以上のような義務を果たそうとすると、家庭はもとより、職場や学校から
次第に離れるようになっていく。そこが、彼らの狙いがあるのだ。 それゆえ、
「社会に背を向けた宗教集団」「真理外の人々と社交をまじわるのは危険という
独特な集団」として、外部から敬遠される。それが、ますます信者同士を強める
結果となり、家族との隔離をうんで、その結果がトラブルになってしまう。
彼らの説では1914年と、1942年と、1975年にハルマゲドンの大戦があるはずが
何も起きないことが、マイナスのイメージを強めている。これらから考えてみても、
典型的なカルト?と見られても仕方がない。この教義を信じて教団に入っていれば、
楽しいであろうが。少なくとも疎外感とか、悩みはホボ解決されるからである。
検索でHPをみると、洗脳された人と、その家族とのトラブルが深刻である。
どこにもあるカルト対家族との対立構造が見てとれる。
このシステムに取り込まれたら、本人の自力では脱出はまず不可能だろう。
あのカルトの「オウム教」との共通点があるが、信者の財産を根こそぎ奪い
取らないからまだましか。年間、三万数千の自殺者が出ている現在、カルトを
一方的には既存宗教も批難できない。カルトも、その人達が金にならない
ことも知っている。 難しいところだが。経済が右下がりの時代、
カルトにとっては草刈場の場面である。

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2004年06月28日(月)
1182, 秘境・異郷ツアーレッスン ?3

いま一つ面白いのは、添乗員と現地ガイドである。旅行の3分の1は添乗員
の質できまってくる。そして、質とは我々をいかに楽しませてくれるかである。
結局、自分でその仕事を積極的に楽しんでいるかどうかである。
そして自分の仕事の役割を理解しているかどうかだ。どんな仕事でも、
それは共通している。そこには、その人の素材としての質と会社の教育が
重なって出てくる。ツアー客の、代理店に対する評価は辛辣であり、それに
耐え得なくては存立し得ない厳しい世界である。見ていて本当に激務の仕事である。
次から次に起きてくる予期せぬトラブルを、一つずつ確実に処理をしていく。
ベテランなら解るが、まだ20代の女性の場合見ているほうが辛くなることが多い。
トラブルを処理をしてくれるのから、ツアーは非常に楽といえば楽である。
北スペインの時の女性はまだ忘れることができない。 20代半ばなのに、
30分前に閉館した博物館を日本からワザワザ来たと談じ込んで開けさせた
のには驚いてしまった。「私は不可能を可能にする女」と自分でいっていた。
そして最後まで、その姿勢を崩さなかった。最後は泣きながら大きなトラブル
を処理をしていた。仕事の辛さという面で、究極の場面が次々と出てくる。
やはり南スペインのアンダルシアの時の女添乗員もすばらしい。
スペインが大好きという本人の気持ちが全員に伝わっていた。スペインの
カセットを持ち込んで、バスの中ではその地方地方の音楽を流してくれた。
まあ、人生の何であるかを教えてもらったようだ。 厳しい中でも、
その環境を楽しむこと、それだけでなく世界を知る努力の必要性である。
                            つづく
ー以前書いた文章をコピーしておきます。
[90] 人生のコツ   2001/12/21
 (字数の関係でカット09年6月28日
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2003年06月28日(土)
815, たそがれ清兵衛

 構想十年、山田監督が藤沢周平の時代劇を選び映画化した話題の作。
中年男性が目に涙をいっぱいためて映画館から出てくるという。
昨年、行きそびれてしまい、DVDレンタルがでたら借りようと待っていた。
4月に貸し出し開始の予告の張り出し広告が、レンタルショップに出た。
しかし店頭には中々でなかったが、やっと3週間前に出た。
ところがいつも貸し出し中。それがやっと昨日借りることができた。
 藤沢作品は表題作を始め、どの短編もいじらしく人間くさい主人公と、
普段は見せぬがいざというときに出てくるあざやかな剣さばきの対比が素晴らしい。
作者が晩年に達したといわれるユーモアとペーソスをさわやかに織り成しながら、
剣客小説としての凄絶さも失われないのがよい。彼の多くの小説の共通点がある。
地方の名も知れぬ小さな藩の中の、風変わりな主人公が、それゆえに周囲から
あざ笑われている。しかしそこで、お家騒動がおこり巻き込まれていく。
そして・・・ 早速、映画をみて驚いた。小説と映画は全くといってよいほど
違っていた。ー映画のあらすじは(字数の関係でカット09年6月28日)

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2002年06月28日(金)
451,星野富弘ー詩画展

先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。
数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。
ー彼の概略は
・私と同じ年の1946年生まれ。
 24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。
・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。
・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。
・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。毎年40万人が訪れる。
彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。
対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」という文が
忘れられない。早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。口で、これだけの絵を書く
エネルギーに別世界を感じ取った。今回の豊栄の「花の詩画展」で彼の絵を同じ目線で
直接見て、自分が彼そのものになって、自分の絵を見ているような気持ちになった。
何か悲しい、底から突き上げてくるような暖かさを感じとった。更に動けない自分と
花が一体化したような。花も星野という一つの生き物が自分と一体になっていること
を喜んでいる感覚。見方によって不自然な絵でもある。これまで一人の人間に
見つめられた花が過去にあっただろうか? 愛情と言葉とエネルギーに包まれ一体化
して、絵として表現されたことが。絵の世界ではあったのか知れないが。
決して幸せでない、動けない自分に対する苛立ち、諦め,怒り、そして愛がそのまま
絵と文を通して迫ってきた。地方の女性が一生、因縁に縛られ他の世界を知ること
なく終えようとしている。そういう人にとって、その絵と文は今はやりの癒しとなる。