ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

子育ての結果が無残な社会に

昨秋のキプロスの旅の後から、従来の精力的な執筆活動をどうやら緩めていらっしゃると感じていました。
この頃コラムも書かずに、テレビやラジオ出演も控えて静かなパイプス先生、何をなさっているかと言えば、昔の長い論考集の出版準備のようです。来月には、二十周年を迎えた中東フォーラム(http://www.danielpipes.org/12184/)(http://www.danielpipes.org/14015/)(http://www.danielpipes.org/14025/)(http://www.danielpipes.org/14028/)の祝賀会をなさるとのご連絡も入りました。
「いつご出版予定ですか?どのような内容になるのですか?」と急き込んで尋ねたところ、出版社名まで教えてくださり、「原稿提出から発行まで、普通は9ヶ月かかるよ。妊娠みたいだね!」とお茶目なパイピシュ先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120812)。「では、9ヶ月後には、私が新しいお子さんの一番乗りの読者になりましょう!」と応じた後に、「個人的には、一般向けコラム(『ミニアチュア』)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121019)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121020)よりも学究的な論考文(『戦闘的イスラーム』)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)の方が私は好きです。ただ、その場合は翻訳が不要ですけど」と書いたところ、改まって「感想をありがとう。同意するし、その方向性で計画している」と。
初めてパイプス書籍を読み始めた時のことを思い出します。一文毎の記述の水準が非常に高く(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)、複雑で描き方の困難な中東イスラーム世界に対して、極めて明敏な史的感覚でクリアな論理思考をされる本当に学究肌の方だな(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)、と。それなのに、どうしてあの素人っぽい人達(ロバート・スペンサー氏など)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121024)と付き合っていらっしゃるのかしら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130704)、コラム書きなんて何と惜しい才能の使い方をされるのだろう、と。
もちろん、組織をゼロから立ち上げるための資金集めと人材選抜のために、世間一般にご自分が出て行って名を売る必要があったとは理解しています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130704)。それにしても、と。
でも、無我夢中になって邁進されているうちに、アメリカ男性の半数が引退するという定年にご自分も差し掛かり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131220)、今後を見据えて軌道修正といったところなのでしょうか。実は、その方が私にとっても助かります。なんせ、あの調子で次々と映像がアップされ、ブログも細々と出されたら、それに追いつき、消化していくだけでも終わってしまいそうです。どうしても日本語読者にご紹介したいと思っている昔の素晴らしいシャープな論考文や要人とのインタビューなども、原文を読むだけなら数分でも、暇を見つけて訳すとなれば、数日から数週間の作業の繰り返しになります。同時に、関連書籍を日本語と英語で読まなければならないし、もちろん、自分の研究テーマもまとめていかなければなりません(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131223)。他にも、昔から勉強したかった言語を4月より通信講座で始めることになり、同時にしばらく中断していたフランス語なども復習したいし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130323)、その時間配分と調整が難しいな、と思っていたところだったので。しばらく前、パイプス先生にもその旨お知らせしていたところ、うまい具合に運んだというわけです。
土曜日は学会発表。と言っても、「発表するってわかってたから」と、わざわざお土産まで持参で来てくださった方も。この度は、来し方行く末を案じて、2008年に別の学会で使った一次資料の再紹介とその意義について、パイプス先生に倣って、はっきりと主張させていただきました。2003年頃からとみに幼稚園みたいになった今の大学全般にも期待などできないし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130519)、自分としては、素人だったからこそ真っ直ぐ観察できて、一人だったからこそ誰にも臆することなく続けられたこの路線で、かえってよかったという自信および自覚から来るものです。それに、今は80代、90代、あるいは亡くなられた名誉教授の先生方から、その昔、大いに激励され、貴重な資料をお譲りいただいていたという「実績」もありますから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070918)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081027)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091029)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110217)。
それに具体的に弾みをつけてくださったのがパイプス先生。学者のみならず、よい教育者でもいらっしゃるのです。本当にどうもありがとうございます。
安倍政権が、焦りつつも本来の日本社会を取り戻すべく、軌道修正に奮闘されていますが、もしうまくいけば、今まで「私はぁ、エリートでぇ」「あれこれ本を読むな!」などと威張り散らしていた同世代の大学研究者達の居心地がますます悪くなることは明らかなので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070811)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100303)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100615)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130906)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131218)、あの人達と無理に一緒にならなくてよかったとも思います。その間に、本来学びたかった興味のある分野を自分のペースで勉強できました。演奏会なども、自分のレベルに合わせていろいろと楽しむことができるようになりました。
実は2008年頃、私の英語ブログを読んだアメリカの元外交官だった方から、メールをいただいていたのでした。「謝礼は出ないけど、その代わり、大勢の人に読んでもらえる。何かマレーシアについて考えをまとめ、調べたことなんかを発表してくれませんか」と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081202)。
その頃は、アメリカの真のエリートがどのような教育を受け、どのように日本を見ていらっしゃるのか、周囲のいい加減な書籍や講演会の影響で疑心暗鬼だったため(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131220)、間接的にお断りしてしまいました。ただ、数日前に、まだその方が同じサイトを運営されていることがわかり、早速手続きを取り直した次第。遅ればせながらも、だんだん元気が出てきて、この路線でやってみよう、という気持ちになってきました。
そうこうしているうちに、ちょうどおもしろい記事と出会いました。

http://blogos.com/article/81595/
2014年02月26日
純丘曜彰
「高学歴ほど貧乏になる」


/高学歴の者は、一般に高収入だが、上昇志向ゆえに無理な生活拡大をして、可処分所得や資産蓄積が少なくなる傾向がある。人のサルマネなど止めて、身の程をわきまえ、自分の生活水準での豊かさを求めた方が幸せなのではないか。/


 ジュリエットBショア博士(ボストン大学社会学教授)は、リーマンショック前の米国東南部テレコム従業員の調査などを元に、高学歴ほど貧乏になる、と指摘した。彼女によれば、高学歴者は、高収入であっても消費過剰で、可処分所得や資産蓄積が少ない。


 地方から大学に進む者の多くは、都会で就職し、いわゆる中流階級(サラリーマン)となる。彼らは、良くも悪くも、社会的な上昇志向が強い。このため、彼らは、もともとの出自の社会階層を切り捨て、上の「将来」の社会階層に生活を準拠させようとする。くわえて、安定した仕事という社会的信用が、ローンやクレジットによって収入の先取りを実際に可能にしてしまう。たとえば、車や家はもちろん、時計やスーツでさえ、「将来」まで使えるような1ランク上の良いものを買おうとする。ところが、しょせんは雇われ人。たとえどんなに順調に収入が増えていったとしても、複利的に急上昇し続ける上流や成金の収入との乖離は広がり続ける。このために、いつかどこかでレファレンシャルクラスへのフォローが破断する。後に残るのは、高金利の借金の山と、意味の無いムダな贅沢品のゴミ。この破断が、まさにその後の2008年のリーマンショックで露呈した。


 もちろん都会へ行って、大学を出て、知らない人々の生活を見て、世界の視野を広げるのは、大切な人生勉強だ。だが、わかってもいないくせに、人のサルマネをして、ブランド品を買いあさり、高級レストランを食べ歩き、美術館だ、音楽会だ、と、毎日、見栄をブログで自慢。やればやるほど、コンプレックス(強烈な劣等感ゆえの優越感の切望)が痛ましい。かつて有名お嬢様私立大学において一群の女子学生たちが売春クラブとして摘発されたが、その動機は、大学で本物の金持ちのお嬢様たちと同じようなブランド品を持っていないと恥ずかしいから、というものだった。だが、売春で逮捕され、退学になることを、人間として恥ずかしいとは思わなかったのだろうか。


 小学校ですらそうだ。世の中にはケタ外れの金持ちはいくらでもいる。また、何世代も前から趣味やセンスが身についている家の人は、長年の人脈や縁故もあり、さほどカネをかけずとも、いろいろな事をさりげなけなくやってのける。だから、他の子と同じように、などと、出自の違う家庭がマネをしようとしても無理なのだ。無理をすれば、家計も、家族仲も、破綻する。そんなことを、当の子が望んでいるとでも思うのか。


 十九世紀末、ヴェブレンは見せびらかし消費に注目したが、上流はもはやとっくにそんな遊びには飽き、遅れてきたIT成金と中流階級が、いまさらそれにどっぷり浸り込んでいる。しかし、ディデュロ効果として知られるように、たった1つでも身の程を越えるものを生活に入れてしまったら、それが連鎖的にギアアップを起こして、他のものも上のランクへの買い換えを促し、爆発循環的に生活を拡大していってしまう。たとえば、車を買った、家を買った、それどころか、時計一個、スーツ一着を買っただけで、それに合うように、新たなものを次々と買い揃えていかなければならなくなる。


 いくら上昇したところで、あなたとは別人の仮面なら、いったいだれが立派になったのか。ビートルズの『ゲットバック』ではないが、自分の出自、自分の水準に帰ろう。あなたにはあなたの生活があり、それが本来のあなたであり、世間がどう言おうと、それはべつに人に恥じるようなものではない。むしろ、その本来のあなたの生活を、豊かに、心安らかにくつろげるものにしていってこそ、あなたのほんとうの幸せなのではないか。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。

上記の「だが、わかってもいないくせに、人のサルマネをして.....美術館だ、音楽会だ、と、毎日、見栄をブログで自慢」については、一歳半からピアノに触り始め、五歳から大学院一年まで音楽学校に通い、マレーシアから帰国後も芸大名誉教授からレッスンを受けていた私が、まさに「マレーシアにいたくせに、無理してクラシック音楽なんて聴かなくてもいいんだよ」と言われたことに合致しますが、そう言っている人こそ盲目だというわけです。
それに、2007年3月のイスラエル旅行時に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070725)、ある目上のご婦人から「今の大学は成り上がりの寄せ集め。あなたみたいな人がいるから、困るのよね!」と言われました。ところが、帰国して記念文集が発行されたところ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071211)、途端に態度が変わって「あなたの文章を読んで、早速お手紙出しました」と。こういう人が子育てしていたから、今の世の中がおかしくなったんですってば。
要するに、蛙の子は蛙(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130924)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131002)。背伸びをしても、成り上がりや玉の輿はボロが出る、ということなのでしょう。