明治のメディアミックス映画

怪盗ジゴマと活動写真の時代

明治末年頃の日本では、桃中軒雲右衛門を中心にして、浪花節が爆発的な人気をさらっていた。これは一昨日書いたとおりである。もっともだからといって、このころの日本人の娯楽芸能的志向が、江戸時代以来の芸能の流れを汲み、義理人情・忠君愛国的な色合いの強い浪花節のみに向いていたと考えるのは一面的にすぎるだろう。
永嶺重敏さんの待望の新著『怪盗ジゴマと活動写真の時代』*1新潮新書)を読むと、このことがよくわかる。本書で取り上げられているのはフランスからの輸入映画(活動写真)で、日本で爆発的人気を呼んだにもかかわらず、社会的に悪影響を及ぼすことが懸念されたためわずか一年ほどで上映禁止となった「怪盗ジゴマ」(および続篇類似篇を含めた「ジゴマ映画」)である。
この「ジゴマ映画」が日本で爆発的人気を呼んだのが、明治44年(1911)から翌45年(大正元年)のたった一年の出来事なのである。世の中は浪花節が隆盛をきわめ、いっぽうでフランスの探偵映画「怪盗ジゴマ」が巷の話題をさらっていたのだ。
この映画がいかなる経緯で日本に輸入され、いかなる過程をたどって人気が日本中に広まっていったのか。この映画が当時の社会のなかでいかなる受容のされ方をしたのか、社会制度にどんな影響を及ぼしたのか。当時の日本人にどんな強い衝撃を残したのか。そんな諸側面を永嶺さん一流の精緻な分析で追いかけた、知的刺激に満ちた本である。
本書のポイントはいくつかあるが、まずこれまでの永嶺さんのお仕事と深く関わる活字文化への関心の延長線上にある視点として、「怪盗ジゴマ」が映画(映像)のみならず、それをノベライズした小説を生み出し、映画の浸透にひと役買ったという「映像と活字との相互浸透作用、いわゆるメディアミックス状況の誕生」(109頁)という指摘が注目される。すでに日本では明治20〜30年代にかけ、黒岩涙香の探偵小説がブームを呼んでいたが、これとメディアミックスで波及したジゴマ探偵小説ブームは位相が異なると論じている。
ジゴマ映画の人気に便乗したようにノベライズ小説が刊行され、これらが地方にも売れ出したことで、映画人気にいっそうの拍車をかけた。映画の活字のメディアミックスの緊密度は、現代よりむしろ当時のほうが強かったのではあるまいか。現代では映画が売れたとしても、それと同程度ないしそれ以上の活字波及は考えられない。
いまひとつ大きなポイントは、はじめに東京の映画館で上映された「怪盗ジゴマ」あるいはその続篇や類似作品が、「燎原の火のごとく」地方に波及していった様子を、地方新聞の娯楽欄を丹念に調査したうえで明らかにしたことだろう。本書では第一章・第二章にあたる部分で、個人的には活字への浸透を論じた第三章に加え、地方席捲の様子を活写した第二章にはいたく興奮させられた。
ジゴマ映画の地方波及に大きな役割を果たしたのが活動写真弁士駒田好洋という人物であった。第二章では、ジゴマ映画がどこの地方都市でどのくらいの期間上映されたかという点を細かく追うなかで、駒田の地方興行巡業のあり方(事前宣伝や地方入りするさいのパフォーマンスなど)も生き生きと再現されている。駒田の地方巡業は、ジゴマ映画を主題にしたメディア戦術を扱った本書においては脇筋になってしまうが、永嶺さんご自身は「あとがき」で駒田という人物にも強い関心をおぼえたと書いているから、それが第二章の叙述の活きのよさに反映されているのだろう。
映像の社会的(悪)影響や、映像をめぐる商業主義、剽窃といった現代に通じる問題がすでにジゴマ映画で出ていることの指摘も重要だ。映画の検閲についても、ジゴマ映画人気以前は取締が一本化しておらず、検閲の主体に混乱があったのだが、それ以後「中央集中化」が行なわれ、最終的に内務省に集中化されたという。映画検閲制度にもジゴマ映画は大きな影響を与えたわけである。
本書では、ジゴマ映画が江戸川乱歩今東光伊丹万作寺山修司らに与えた影響が紹介されているが、これに加え、管見に入った谷崎潤一郎による言及をあげておきたい。

話は少し違うが、無論西洋物のフィルムのうちで、私は一番どんな物が好きかと云うと、嘗て見た独逸のウェエゲナアの「プラーグの大学生」や「ゴーレム」の如き真に永久的の価値ある物を除いては、中途半端なものよりも寧ろ俗悪な物が大好きである。いかに俗悪な、荒唐無稽な筋のものでも、活動写真となると不思議に其処に奇妙なファンタジーを感じさせる。たとえば「ジゴマ」などは其の好適例である。随分出鱈目な不自然な筋ではあるが、あれ全体を一箇の美しい夢だと思えばいいのである。(「映畫雑感」『潤一郎ラビリンス11 銀幕の彼方』中公文庫所収*2
谷崎は早くから映像文化に注目し積極的に関与した小説家の一人だろうが、「ジゴマ」を例にとって、いまにも通じる普遍的な映画の魅力を引き出している。
その他この時期に日記を残している、たとえば夏目漱石の日記を繰っても、漱石は「ジゴマ」を見た形跡はなさそうだし、漱石の弟子で多くの映画評がある寺田寅彦にも「ジゴマ」に触れた文章は見あたらなかった。ジゴマ映画を観た文学者・文化人の反応をもっと知りたくなってきた。

サスペンスフルな90分

紅の翼」(1958年、日活)
監督中平康/原作菊村到/脚本中平康松尾昭典石原裕次郎中原早苗二谷英明芦川いづみ滝沢修大坂志郎芦田伸介西村晃小沢昭一/安部徹/岡田真澄相馬幸子東恵美子/峯品子/清水まゆみ/山岡久乃下條正巳

1958年に封切られた石原裕次郎主演映画は、“日本映画データベース”によれば以下の9本。前年57年や翌年59年も同じくらいの本数に出演しているから*1、恐ろしい。

  • 「夜の牙」(1/15)
  • 「錆びたナイフ」(3/11)
  • 「陽のあたる坂道」(4/15)
  • 明日は明日の風が吹く」(4/29)
  • 「素晴しき男性」(7/6)
  • 風速40米」(8/12)
  • 「赤い波止場」(9/23)
  • 「嵐の中を突っ走れ」(10/29)
  • 紅の翼」(12/28)

このうちすでに観た「陽のあたる坂道」を除き、57年作品の「鷲と鷹」から、「俺は待ってるぜ」「夜の牙」「赤い波止場」と、封切順に観ていこうという計画で今回「紅の翼」を選んだのだが、あらためてデータベースで調べたらまったく勘違いしていた。「紅の翼」は年末封切ではないか。手もとにあって鑑賞可能な「素晴しき男性」「風速40米」を飛ばしてしまっている。律儀に観ているつもりであったが、間の抜けた話である。
さて中平康監督が「狂った果実」以来石原裕次郎と組んだ「紅の翼」だが、最初から最後までサスペンスフルにして手に汗握る内容で、90分があっという間だった。面白い。
石原裕次郎は民間航空会社のパイロット。やっぱりキムタクのようである。つくづく思うが、この時期の裕次郎映画は、これだけの本数が次々と制作されることもあってか、手をかえ品をかえ、石原裕次郎という不世出のスターをいかに魅力的に見せるかという点で人物設定やストーリー展開、演出などが工夫されているから、つまらないものはほとんどない。
クリスマスイブの日、八丈島で子供が破傷風に罹ったものの、血清がなく一刻を争うというなかで、血清を八丈島に届けるべく、セスナ機で石原裕次郎が飛び立つという筋。中原早苗(キュート)は新米雑誌記者で、これは美談になると踏み、自らてきぱきと連絡して血清を空港まで届けるよう手配し、セスナ同乗を取り付ける。もともと八丈島行きの飛行機をチャーターしていたのは二谷英明で、実は彼は殺し屋なのである。
冒頭殺し屋の目線からの映像で社長が銃で撃たれるシーンで始まる。殺される社長が安部徹。なんと開始3分で殺されてしまうという哀れさ。石原・二谷・中原三人でセスナに乗り込み、二谷が凶悪犯人であることがばれてから、残る二人は二谷に銃を突きつけられ、脅される。
そのときのトラブルでセスナが故障し、新島の元陸軍飛行場に不時着、三人は一夜を過ごす。空港では遭難かと騒然となっており、石原の家族(妹が芦川いづみ)、中原の家族(父親が滝沢修)が集まってくる。滝沢修は航空会社(担当が西村晃)の対応の悪さをなじりつつ、中原の同僚小沢昭一がつい彼らを遺族呼ばわりしたため(このあたりこの映画で唯一笑えるシーン)、激昂して見せ場をつくる。また石原との約束を反古にしたため石原がセスナを操縦することになったと泣きわめく恋人でスチュワーデスの峯品子に向かい、毅然と抗議する芦川いづみの凛々しさも、ファンとしてはたまらない。
空港を飛び立つとき、セスナ機の操縦機器をひとつひとつチェックする場面(石原が操縦レバーやボタンを動かすと、次のシーンは対応する部位が動くという細かい編集)や新島から八丈島に向けて明け方に飛び立つシーンは、監督して見せ場だったらしい。大きな流れとしてのストーリー展開も、細かなシーンや特撮場面も、また伏線となる小道具の使い方も間然するところがなく、セスナが飛び立つときにバックに流れる主題歌も颯爽と格好いいし、ほぼ完璧な映画と言っていい。
二谷英明の死に様が呆気なかったのがちょっと可哀想といえば言える。大坂志郎八丈島で子供を看病する医師の役。
紅の翼 [DVD]

*1:57年は助演も含め58年同様9本。「幕末太陽傳」「勝利者」「鷲と鷹」「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」など。59年は10本。「若い川の流れ」など。