岡田斗司夫の遺言・第三章(なっがいよ!)

kanonminase2008-02-12

遺言第三章です。
昨年10月末の第一章、1月の第二章、ときて…。



最初に岡田さんご自身から、
「この遺言についてのブログ記事は、それぞれ主観が入っているので一つ一つ面白い」と前置きとして言われましたので、エンリョ(?)なく、かなり主観交えて書きます。



これを書いている私の状況は、当日券だったために立ち見を覚悟していましたが、座ることはできました。でも、かなり端っこの席になったため、ちょびっと見づらくて、一体感が得られないのが残念でした(モニターは見られるのですが)で、ひたすらメモメモモードに。
会場の空気感の再現はちょっとできてないかもです。
自分自身が仕事から直行だったので、結構疲労していて
集中力が落ち気味だったのもありますが…。



え〜と。これまでも感想を書いていましたが、テープ起こしではないので、聞き逃しがあるのみならず、どうしても岡田さんの言葉通りでなく、私の主観が入ってしまうわけです。でも、「お許し」が出たようなものと解釈しましたので、ばしばしっと。
(より入った時は、「かのん注:」としてカッコ書き)



…しかし、上の写真のように、A4の紙にかなりびっしり目に書いて、15枚分ですよ!ひゃ〜



で…本題に、……なかなか入らず、先週の富野監督との対談。
なぜしたかというと、「オタク学入門」のリニューアル版(時代的なものなので、加筆訂正も注の付け直しもしない)の豪華付録のためだったそう。



この本とは、オタクとはここのレベルでもいいんじゃない?っていう政治的闘争でもあった。そういう10年以上前
の歴史。で、それを「前日に」読んだ富野監督は烈火のごとくお怒りになったそうで…。しかも岡田さんが中央線の事故で遅れてしまって、いたたまれな〜い空気があったそう。(でも、すごく面白い対談だったらしい。)



で、2/20〜アニメ夜話もやる!という話になり、「トップをねらえ!」の回には「カウボーイビバップ」で若気の至りと突っ込まれた佐藤大さんがリベンジしに来た…つもりだったようですが、スキは与えず!
収録後はとにかくすっきり。3日目の「イデオン」ははりきりすぎて空回りしてしまった。
…だそうです。


(かのん注:以上、枕。ここまで、え〜と……15分はあったようです)


で、さらに本題に入る前に、ガイナックスの歴史について少しあり…。87年のガイナックス後始末記録が少し。
なんせ「赤字覚悟」というのは監督とかはいいけど、個々に事情(赤ん坊のミルク代とか…)を抱えた職業人であるアニメーターはかわいそうすぎる。


さて、『王立』を終えたガイナックス、散るのは美しいのだが…。
この当時、ひたすら催促の電話が鳴りまくっていた。会社にちょっとだけある現金を、「借金返済」にするか「給料を少しでも出す」にするかで引き裂かれる〜という状況。
こういうのが2,3ヶ月続く。



で、バンダイの人が見かねて「アップルシード」を作らないか、と手を差し伸べてくれた。
丸受け・丸投げOKという素敵な条件。
で、<もらった予算>−<AICに渡す制作費>
=<ガイナックスの利益>というわけで。



見事に「ムーディ勝山した」。右から左。口出ししない。
そして出来上がったOVAについての教訓・「アニメ業界は支えあうしかない!」
…だそうです。(某Aさんは、もっと素敵なフォローをしたとのこと)とにかく、買った人は……アニメ界にはいいことをした、ってことだそうですよ。



で、「王立」終了後、吉祥寺の広いところにいたガイナックスは、引っ越して木造の小屋のようなアニメスタジオに引っ越した。それは、二年間だけ広いスタジオが欲しい、それ過ぎたら元に戻りたい、という別のアニメ会社
「交換」(大家さんには内緒)した。これによって家賃が70万から16万にコストダウン。
で、その小屋の中で濃密な打ち合わせだったはずが、借金の催促に謝り、やることがないのにスタッフは出社。



今、自分は「悩まない」人間になっている。それは「王立」の後頃に悩みすぎてこじらしたせい。「次に何を作ろう」が思いつかなかった。それが負のスパイラルを生んでいた。
今学生にアドバイスしているのは「どうしたらいいのか分からない…」ならば、「分からなくていい」。解決不能なもの→「解決不能」のラベルをつけておいておけばいい。
未だにペンディングしている。というわけで、今庵野さんが入ってきて「これをやろう!」といったら「どんな話?」って聞いちゃう…かも。



ここから少し「蒼きウル」の話とか。「トップをねらえ!」は「王立」の後「楽しい活劇をやろう!」という気持ちがあり、詰め込むだけ詰め込んだのが「トップをねらえ!」で、シンプルなのが「蒼きウル」だった。


初期ガイナックスはカウンセリングの技法で作品を作っていた。ガイナックス特有の「匂い」はそこから来る。監督から、もしくはそれに順ずる誰かに何を作りたいか、聞きだすという手法。



「王立」の時はプロトタイプとなった双子の男の子の話があって、岡田さんがすごく勝手にいろいろふくらませて、それに対して山賀さんが「それは違う」ということによって、「王立」ができあがっていった。



トップをねらえ!」はカウンセリング的ではなかったが、精神性はある。それに対して「逃げ」ではないか?と思った。社内で「本気」がやたらはやった。気持ちが体育会系。



で、この時山賀さんが空っぽになってしまった。「充電」に時間がかかってしまう。これは、「力を出し尽くした」という意味合いではない。まだやり足りないとは思っていた、でも…。
この時、庵野さんの「カウンセリング」をやるべきだったかもしれない。でも、できなかった。



庵野さん=年齢的に上、山賀さん=監督暦長い、赤井さん=サポートに徹する人だった。



だから微妙な力関係?だった。
でも、岡田さんとしては「仲良し三人組」と扱いたかった。
山賀さんは監督をやりたい!と積極的なタイプであり、庵野さんは「やってあげてもいいけど」というツンデレのようなタイプであり、赤井さんは「勝ち目があればやる」→「勝つためならば岡田さんが夜逃げしてもいい」という現実的?な参謀タイプ。



赤井さんは、何が効果的か、完璧に条件がそろわないとやんないタイプ。
20代後半でこれを徹底していたからすごい。




なんせ「王立」「トップ」をやった後、「面白さ」に敷居が高くなってしまった。
元々岡田さんは自分の母親が急に新興宗教を始めちゃった、というとんでもない目にあったため、「面白いこと」に対して敷居が高いのだが…。



で、「山賀さんはもっと面白いはず!」と思って、「蒼きウル」の企画を出した時も
「それはお前の最高じゃない!」みたいな反応をしていた。


そして、最初、あの時点(80年代後半)にフルCGをやろうとした。


ここで、「劉備元徳がいろんなカードを持っているのに負けてしまうのが分かる!」と述懐。



社長判断としては、山賀さんを置いておいて、庵野さんを構うべきだったのだが…。



ここで「バスタード!」の話に。
(作者萩原一至は、「トップをねらえ!」が好きらしい)
ウルトラマンのような天使」の描写に庵野さんはいたく感動したそう。
それってつまり…。
「『エヴァ』って『バスタード!』が原作って分かんないからすごい!」(会場笑)
「世話になったので豪華版買ってます!」とフォロー。



エヴァ』→「こういうのがあるんだよね!」って出していく。
トップをねらえ!』→「わかってくれる、でしょ?」という感じ。
両方とも「チャンスを与えられた若い人はどうするか」というテーマは同じ。
その両面を示している。
岡田さんは「自分が『トップ』をやっていなければ『エヴァ』にはまっていたかもしれないけどね〜」
ハリネズミのジレンマ」だって「一つ一つは小さな火だが二つあわせて炎になれ!」というのだって、同じ!
だから「真面目なフリをする、って大切だよ!」(会場笑)



で、そんな庵野さんは「頼む」と言われたらやった、だろう。でも言えなかった。
それで山賀さんの出した企画は「トレスコ」というもの。
何かと言うと、三つの「スコープ」。
ロトスコープ、(実写をとってアニメに起こす)シネマスコープ、(とにかく横長)プレスコープ(声優さんに声の演技を先にしてから映像を作る)




(かのん注・メモではプレスコープと書いてあったけど、ググって出ないので違うかも)



「どんな内容なの?」と聞くと、
ロトスコープで描いたリアルな丹波哲郎(でも絵!)が出てくる。
全てが絵に見えてしまう症状を持つ精神病の女の子から見える世界。萌え絵、アメコミ調、実写風…。



(かのん注・いわゆる実験アニメ?? テーマだけ聞くと、
かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜』の神泉やす菜
=<男性を認識できない。おぼろげにその輪郭だけをとらえることができるのみという相貌失認>
みたいな感じかな?)



とりあえず、スタジオに「トレスコ実行委員会」と書いた看板を立て、
その他3つくらい看板をはってあった。なんだかマッドサイエンティストの家みたい?



この当時、「王立症候群」にかかっていた。富野さんが言う「重力に魂をひかれる」
みたいな感じ。面白いものを作ってしまったことによる呪縛があった。


河森正治も話していたが、「マクロスをやった俺だから…」という気持ちがあり、
富野さんは「ガンダム」をやったから「イデオン」をやらなくてはいけなかった。
宮崎駿でさえ「『ナウシカ』やったから、というのがあった。



トップをねらえ!』時には赤井さん、という切り札は使っていない。
そのリラックスした感じがよかった。
でも、本当に『王立』『トップ』と来て、作りたいものがなくなってしまった。


(かのん注・ふむう。ではあの『スプリング・デイ』(要変換)の後、
『幸運星』(要変換)が作れたあのスタッフってほんとに潔かったというか、
エンターテインメント主義が徹底していたのかなあ。なんちてなあ…更に、
ずっと同じようなものを作り続けられる某ひらがなだけ七文字の
クリエイターさんも徹底しているってことかなあ…)



「作品を作るのって楽しいけど、ある意味呪いである」



ここで、20:30.一時間経過。
岡田さん、5〜6枚あるレジメの、一枚目の1/3しか進んでいないこと
に気づいて悲鳴を上げる。



20:30をまわったころ、書いてあるレジメの年表の読み上げ。
「87年、何もなかった」
「88年、『アップルシード』『トップをねらえ!』」
「89年逆シャア逆襲のシャア)」



ここでスイッチが入ったようで、『逆襲のシャア』の話に。
ガンダムのデザインコンペに参加した。



(かのん注・確かに、wikiではメカニックデザインガイナックスとクレジットされてる)
この時、庵野さんはファーストガンダム安彦良和そのもののタッチで描いて出したら、それを見た富野さんが涙を流して怒ったそう。
これについては岡田さんは庵野さんの気持ちが分からなかったそう。
「これって苦言か何かなの?」と…。



当時、メカデザインといえば小沢さとる風の流線型が多かったけど、ラー・カイラムとかは通った。
ここで衝撃の事実。
岡田さんも実はメカデザインやってる!
どこかというと、ヘッドフォンつけてチェーン・アギと「サイコミュが…」と話しているアムロの前で何かぐるぐるしている機械…だそう。




(かのん注・『逆シャア』が手元にないため、「この、始まってから何時間何分ごろ!」って指定してこのトリビアをちゃんと伝えられないのが大変惜しい…)



ここから、話がそれて「富野さんのセンスのすごさ話」(カタパルトを小さい部屋【管制室?】にぎゅう詰めになって見ている人間がいる。それによって人間のドラマが生まれ、またスケール感も出る)



黒澤明が死んでも残念ではなかった、の話。



→作家には旬がある。旬を過ぎて書く、というのは呪い。でも仕事がなくなるのが死ぬよりも怖いから作り、書く。引退なんかとんでもない。でも、作品が作れるようになると、ズレていく



→まあとにかく、黒澤明は優等生ではあったが、富野さんの方が才能がある



→「富野御大」と書いてあるブログがあるのに、「イデオンは未見だ」と堂々と書いている。「正気か!」教養としてのアニメが崩壊した話。→富野さんは「妥協して『ガンダム』が作れるから天才。でも正当に評価されていない。「おもしろさ」だけが一人歩きしている。



→アニメを教養的に語るなら知っておくべきこと。三点測量しないと、「○○○アニメ」って語れない。その三点とは「古典」「スタンダード」「ファディッシュ(faddish=一時的な流行の意)」アニメを教養として語れないのはアニメが好きで見ているのにもったいない。6色しかない色鉛筆で絵を描くようなもの。



(かのん注・最後の結論はアニメライターのはしくれとして大変興味深かったけど…
だいたいこれで20分ほど……)



☆この辺りでロフトのスタッフさんの英断?が発表される。第四章もやります!


岡田さんが今ノリノリであるという宣言をし、持ち歩いているノートを開く。
明石家さんま論とか書いてあるらしい。



(※かのん注・もちろん、さらに本筋からずれる。
もしや…佐藤大さんによる「『カウボーイビバップ』の呪い」では…)



さんま以前は、芸人の間での評価を気にしなかった。
さんま以降は気になるようになっている。
これはオタクに似ている。アニメが子供のもので、
それをいい年して、見ている大人、でひとくくりだった。
それが、アニメ関係者、絵描き間の評価になっていく。



(※かのん注・このあたりメモがうろです)



階層が生まれていく瞬間、つまり教養になるその時は面白いけど、
先鋭化していってしまう。後ろから入ってきた人にとって、並列的で面白くなく見える。



(※かのん注・うむう。「幸運☆星」(要変換)ってやっぱり「スプリング・デイ」
(要変換)をきっかけに、わっと「後ろから入ってきた人がちゃんとついていけるようにした」
という点でもやっぱりすごかった、のか??)



ほか、最近読んだ本の話。建築について、らしい。


ここで21:10.(とメモにあり)


→さらに本筋以外の話。
「創」の唐沢さんとの対談。「キャラ」について。
Gyaoジョッキーでも「他人の本質が分からない」として話したが、
「見た目至上主義」という言葉が誤解されている。


(イケメンじゃないとダメ?みたいな)



「人間は本である」と今まで思われていたとしたら、
「人間はマンガである」ということ。



結構「絵」で選んでいる部分が大きい、
だからこそ漫画家を目指すなら手にとってもらえるように、
きれいな絵を描け、という意味合い。そこからお話を磨けばいい。



ちなみに、「見た目」の対義語は「中身」ではない。むしろ「身分」?



さらに、「人間はアニメである」かも。
声・動きが加わる。人間の脳は一回抽象化してから認識する。



まあでも、そこまで脳は情報を処理できないので、「マンガ」くらいが限度かな?


(かのん注・小畑健の表紙にした『人間失格』がバカ売れしたことを考えると、
たとえ「本」であっても装丁が大切なのは当然だろうなあ。
そしてどうしても脳裏に「岸部露伴」が浮かぶ…荒木飛呂彦先生の
センスってやっぱり素晴らしいなあ〜なんて思う。)



さて、本題。
89年「電脳学園」というPCゲームが出る。
ここでやっと赤井孝美が重い腰を上げた!
当時、Mac+を買って遊んでいて、
アプリケーションカードを使うとゲームができるんじゃ?と思った。



赤井さんが好んで言っていたのは、☆「オーストラリア征服理論」☆。



オーストラリアの最強生物は有袋類で最強のフクロオオカミ
でもイヌなんだけど…。ガイナックスはアニメ界ではピューマだけど、
でもオーストラリアに行けばフクロオオカミを制してトップになれる。



つまりアニメ界では「『ガンダム』を超えないと!」
みたいな高い高いハードルがあるが、当時「PCゲーム」界隈で売れていたのは
「はっちゃけあやよさん」というとてつもなくひどいゲーム。


(かのん注・これかな?
http://d.hatena.ne.jp/images/diary/s/sbm/2007-10-09.jpg


「『はっちゃけあやよさん』を超えよう!」という低い目標でやる気がでまくった。



で、それにガイナックスは全精力を注ぎ込んだ。大人気ない。



ゲームする人が求めるのは、ブラウン管のちらつきでない、
パソコンのモニターで見るエロい絵。罪悪感すれすれでエロく。そういう目標。
更に「コンプティーク」にヨイショしてもらえばいい。しかもガイナックスからライターを派遣して、
ヨイショ記事を描いてもらうという「効率のいい方法」。



赤井孝美的には「売れて当たり前」だった。
「はっちゃけあやよさん」的なものの淘汰もできた。



同時期アニメ班は『ビートショット』『哭きの竜』『小松左京アニメ劇場』
をやっていた。これは「左手仕事」。
社内でも右手・左手の区別が出てきて、アニメは効率が悪く、
100やっても10しか評価されないのに、ゲームは100やれば100評価される。



そういうわけでゲームをやりだすと、社内の関係はじわじわと悪くなっていった…。



赤井さんという人は、たとえば岡田さんがミステリーアドベンチャーをやりたい、
といったらじゃあこうしよう、という「カウンセリング技法の逆使用」をやる。
完全に銀英伝のオーベルシュタインのような参謀タイプ。自分がやりたい事はない。



電脳学園で、ゲームとしての面白さ、脱衣ゲームをどれくらい面白くできるか?
本格的になり得るかをやってみたかった。



年表読み上げ。89年。娘誕生。同時にミヤザキ事件が起き、
ガイナックス第一期クーデター事件。(ゼネプロ時代含めると第三次)



ここで「ビートショット」の上映。
説明セリフ、記号化されたキャラ、展開だらけ。そしてバンダイとの契約で入れたパンチラ。



これを作ろうと言い出したのは岡田さんであった。



当時、レンタルビデオ屋が流行り出した。
で、レンタルに入れるかどうかの判断については、
洋画なんかは映画青年だったであろう店長がやるけど、
アニメなんかは地位が低いために、バイトの兄ちゃんが適当に仕入れている。



そのバイトの兄ちゃんが暇つぶしにカウンターで読んでいるのは、週刊プレイボーイである!
これは吉祥寺以外、大阪でもリサーチできてる。


つまりバイトの兄ちゃんはガンダムも知らないだろうけど、
いつも読んでいる週刊プレイボーイに載っている漫画なら知ってるから仕入れるだろう!



バンダイに話を持ち込んだら「いいところに気がついた!」と褒められ、話はすすんだ。



「ま、日銭は欲しかったしなあ…」(笑)



その時の山賀さんや庵野さんの優しさのなさといったら…。
ガイナックスがこんなことでいいのか!?」と飲んでクダまいている。
「その金は俺が泥の中に手を入れて捻出した金だ〜!」(会場笑)



この後フォローとしてナウシカクシャナを例に出す。
ナウシカは「生きとし生けるもの全てを幸せにしたい」と願うが、
その優しさは風の谷の人々へのやさしさを削って蟲に与えている。
クシャナは「自分の兵隊を、国を幸せにする」のが大切。だから強く、冷酷。
それは良い悪いではなく、配役でそうなっている。という話。



クリエイターは岡田さん=プロデューサーと一緒に苦労してはいけない。
それはみんなが自分になってしまうだけで作品作りをするにはよろしくない。



さっき泥の中と言ったが、そうでもない。マジックバスに作ってもらったわけで、
バンダイから1700万円もらってマジックバスに1200万円渡して、500万がガイナの手に。
「ていうか作ったマジックバスは会社ごと泥に…」(会場笑)



このことは眠田直さんにもネタにされ、「これは『魔法のバス』です。
企画書と1200万円を乗せれば試写会まで直行するよ〜」とか。



ていうか企画書ですらなく、マンガをバラバラにしてより抜いてホチキスで止めただけのもの!



マジックバスさんは絶句したがちゃんとやってくれた。それなりにうまいことやったのだが、



「元々『王立』のために建てた、アニメ作る会社じゃないの?」
と社内にはいいとはいえない空気が流れていた。



その頃起こったのが宮崎勤事件。これはこたえてしまった。
当時、「あいつと僕たちオタクは違う!」と言っていたが、
でも同じじゃないか、と思った。



明確な線をひけない。
それで作品について考えられなくなった。



正直な気持ちとして「バレた!」と思った。
アニメはすばらしい。でも、負の部分はどうしてもある。
オタクを一万人集めれば、5人はそういうのがいるんじゃない?



それゆえ悩んでしまった。でも自分以外に悩んだ人はいなかった。
みんな「処理」している。仕事だから?思考停止してる?
それで不信感を持ってしまった。
娘の誕生した時期だったゆえに、なおさらであった。



ある文学者が書いた作品を模倣した殺人事件が起こり、
作者はそれについて、文学はそういう毒を含むものだ、とコメントした。



文学はそういうものかもしれない。でも、アニメは小説ではない。
共同作業で作ったものであり、エンターテインメントを作っている。
そういう者としての最低限の倫理観ではないか?
もっと作ることに批評的でなくてはいけない。


そういう毒すら持つ天才は日本に3人くらいでいい。
一握りが突出していて、残りは倫理を守りつつ、そこそこのものを
作っていく。それくらいがシステムとしてうまくいく。


(かのん注【というより解釈】・この辺りのことは、
山田玲司の『絶望に効くクスリ』にも語られていた。
私にとって、宮崎勤事件というのはロリコンよりホラーマニアが
起こした事件というイメージがあったんだけど…。
ふむう。

さっきの例えで考えれば、他のアニメ製作者がクシャナのように
スタジオのメンバーの生活が第一だから、とにかく作品を作って
売ることを優先していたのでは?で、岡田さんは「ナウシカ」側
の理想論に針が振れてしまったのかも。
もう一つ、女性の場合、子供を産んで母親になった
途端に急激にそれまで愛していた「虚」への興味を失うことがある。
「現実」への興味…というより戦いが圧倒的になるから。
岡田さんの場合はもちろん父親ではあるけど、その心情に近くなったのもあった…のかな)



当時のガイナックスの状況としては、
・岡田さんはだんだんアニメに背を向け、
PCゲームにはまってしまっている。



庵野さんは「恩返しの旅」に出ていた。
→赤字覚悟で何かをやってもらった時に、
他の仕事をしに行く巡礼の旅に出ている。
(何故この作品のクレジットに庵野さんの名前が?という場合は
大抵これらしい)


ガイナックスのゲームは『電脳学園』の後、
サイレントメビウス』のゲーム、『プリンセスメーカー』と順調、羽振りがいい。



アニメ班は下請け仕事。


この状況を見かねた副社長の井上さんが
とうとうクーデターを起こしたのである!



さて、『ナディア』の企画の内実について。
この井上さんというのは
岡田さん、そして庵野さんや山賀さんや赤井さん
といった大阪芸大学閥?が好き勝手やっている状況は
貞本さんや前田(真宏)さんの才能を無駄にしてしまう!
という考えの元クーデターを考えた。
決して「天下を取りたかった」わけではない。織田信長の大暴走を
止めるために謀反を起こした明智光秀のような人である。



そのためにガイナックスを「大阪芸大グループ」と
「それ以外グループ」に「分ける」ことを考えた。



(かのん注・結局これって後のGONZOになった、ってことかな〜)



さて、クーデターには勝算がなくてはできないので、井上さんが
岡田さんについて行くより、自分についていった方がいいよ、
と誘うために用意したものとは…。



NHKのTVシリーズ!!これがすなわち『ナディア』



ここからNHKなどがナディアの権利を持っていることなどから、
ちょっと著作権の話にそれる。
まあ著作権というのは19世紀に印刷物について生まれたものだから、
今のような状態になったらどうするかについては考えられていない、
みたいな話があり…。




とまあ、井上さんは、「貞本さんが監督になって一本作らないか」
と誘いかけた。



絵を描く人っていうのは、何故か
自分より絵がうまい人に逆らわないという
法則がある。貞本さんは大抵の人には勝つ。
「負けなかったのは江川達也くらいだけど、
あの人はおかしいからね(笑)
あと大友克洋もちょっとあぶなかったけど
『ふ、ふ〜ん』って感じでこらえてた」(会場笑)





実は「山賀さんが演出しているから」よりも、
「貞本さんが絵を描くから」
が大きかったのでは?ならば、貞本さんは監督たりうる!
というのが井上さんの判断。



でも貞本さん自身は現実的。
『王立』は岡田さんみたいな人がいたから作れた。
井上さんとしては「無駄が多いから分けたい」


井上さんというのはやりたいことがなんにもない
プロデューサー専用タイプ。
岡田さんと山賀さんでどんな作品を作ろうか!と打ち合わせで
盛り上がっていると、井上さんは寝ているという状況。



<以下は『銀河空港』の上映直前に語られたことであるが>
なんせあの24時間テレビを
仕上がっているセル画と背景をひたすら並べて「これは合う、
これは合わない」とやって、撮影に出して編集することでどうにか
放映できたという「ランバ=ラルのような修羅場が似合う男」



(かのん注・ああ、この方ですか〜!

http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/priodical/mayoimichi/TVBROS12.html

http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/priodical/mayoimichi/TVBROS13.html

貞本さんはどんなに説得されても自信がなく、
「あのたくさんの無駄があったからこそ、
の『王立』『トップ』じゃないか?」
「井上さんの言う『思い通りに作る』なんてできない」
「アニメ界には宮崎駿がいる」
という風に、井上さんと貞本さんで三ヶ月くらい
押し問答をしていたらしい。



岡田さんが「ナディア」の企画を知ったのは、
来週の水曜日にNHKの人と会う、という土曜日。



ものすごいびっくりした!
貞本さんは視線を合わせず
「岡田さんは知っていると思ったんだけど…」
「うそつけ!」(会場笑)



初期段階のナディアはほんっとに『ラピュタ』そっくりだったらしい。
というか元は一つみたいなもの。『ナディア』が海賊、『ラピュタ』が空賊くらいのもので…。



このあたりの井上さんに対しては苦言を呈していない。
岡田さん自身が宮崎事件の余波で、ナディアに全力になれなかった。
引退も考えていた。



→荒治療として沢村君を連れてきた、という話も出る。



で、「ナディア」のNHKプロデューサーは
すごい「じいさん」だった。



ラピュタ』と『ナディア』がそっくりなことを認めなかったが、その
事実を知った途端怒って泡吹いて倒れて入院という有様。



そんな中、打ち合わせのストレスに耐え切れず、
貞本さんは監督をやるのは無理!と音を上げてしまった。



「クオリティを下げるのは嫌。僕はバカになりきれないです!」
困り果てていると、庵野さんがにんまりと
「僕がやってもいいですよ」
と言った。
「…お願いします」
「貸しですね」(さらににやり)
「未だにくやしい!『ありがとう』って言ったけど心底悔しい!」
でもその時はおかげで丸く収まった…。



この頃のガイナックスの形としてはやっぱり
「PCゲームでもうけている」という状況。
これはつらい認識。
赤井孝美自身もストレスを感じていた。
岡田さんと山賀さんが次回のアニメを作るからこそのゲームなのに…。ゲームの方に行ってしまっている?



本来アニメーターは経営の心配をしなくていいはず
だが、それがごっちゃになっているのがガイナックスという会社だった。
『ナディア』でもうからない状況。
なんせ庵野さんが惜しげもなくお金を使い切った。



というわけで、1990年はあと『サーキットの狼 モデナの剣』とかやっていた。
お金を生むゲーム部門があり、アニメでプライドと自信を取り戻そうという感じだが…。



わりとベンチャービジネスによくある感じになっていた。



ガイナックスのマイナーめの仕事として、井上さんがとってきた
仕事はビクターのコンポのCMのアニメ。
【上映】



あと、BOφWYの「Marionette」のミュージッククリップ。
これは話を持ち込んだ人が「AKIRA」みたいなアニメを、と
言って、北久保くんがノリノリで作ったもの。
実写パートでBOφWYが歌っていて、合間にアニメ。



【上映】

(かのん注というか思い出・私はかなり長い間この歌「Marionette」を
アニメソングと思っていて、多分『きまぐれオレンジ☆ロード』の
「鏡の中のアクトレス」と混同したかと思っていたが…。
このPVを5歳上の兄が好んでみていた可能性がある。これだったのかも…。
歌手とアニメのコラボは、『CAROL』もあったし、
当時流行ってたんだな〜)



ただ、このPVを作った手柄は話を持ち込んだ人のものに
なってしまった。
だから音楽業界が嫌になり、距離をおくようになった。



さて、この仕事でイメージボードを作ったのが前田真宏
売れ線の絵ではないのだが、圧倒的な才能がある!


庵野さんなどは、イラスト系でうまいのだが、前田さんは油彩画系。
すごい!んだけど売れない…。
ブレードランナーの絵を描いて」と言ったら、
シド・ミードの色合いにそっくりな油彩画を描いてきた。
一目で「ブレードランナー」だとは思う。でも、スタッフ全員一致で「でも…売れない!」



圧倒的な才能は使いづらいもの。
巌窟王』ですら手のひらサイズに縮められた前田真宏が作ったくらいのもの。
「お湯を沸かす、と言ったらポットを持ってくるんじゃなくて、
発電用のタービンから作り出すような才能」



そんな、ジブリでも(『ラピュタ』に参加していた)ガイナックスでも
本人すらも使いこなせない彼の才能を、貞本さんと作ったらどうする?
というのが『銀河空港』パイロット企画だった。



【上映】


これも岡田さんには知らされずに作られていた。
パイロット版が出来たとき、井上さんが、「見て欲しいものがある」
と言って見せて、エンドクレジットに
「TOSHIO OKADA/HIROAKI INOUE」とあり、
「えーっ!」と思った。



世界観としては、
地球から離れた星であり、
街全体に歯車がある。


人間より下のロボットたちが経営する空港。
廃墟で暮らす少年が主人公。主人公はロボット。
人間の女の子と恋に落ちるが、人間とロボットの中間である
サイボーグが立ちふさがる。


主人公の胸にはバイクのエンジンがある。



女の子の「いつか地球に行きたい」という夢をかなえるため、
自分の体をバイクにして運んでいこうとする。でも、そうなったらもうバイクにしかなれない。
地球についた女の子、空を見上げる…という筋書き。



それなりのものができていたが、現実化しなかった。
赤井さんはゲームの方がまだ関心があったし、山賀さんは
自分の企画ではないということであまり乗り気でなかった。



庵野さんの反応は「バイクはいいですね!
あの悪役ハカイダーですよね!」だった。


「言うことがそれか!!」
(「庵野さんは才能が人の10倍あるが、
何かが人の1/10しかない」というのが岡田さんによる評価。)



「『バリバリ伝説』はバイクが分かっていない!」
と力説する「バイク萌え」の貞本さん
と前田さんが組んで、「バイクと人間をテーマにやりたい」
ということで作ったので、まあその反応は間違っていないんだが…。



岡田さん的にはバイクが分からない。まだ萌えの方が分かるくらい。



(かのん感想・『銀河空港』の設定を聞いた印象としては…
う〜ん。ここは女の子が「地球にいけば治る病気にかかってる」
べきでしょう!!(笑))



『ナディア』は庵野さん、貞本さんで回っていったが
「銀河空港」はぽしゃってしまう。
自分抜きでも作品が作れなきゃダメだとは思うが、
やっぱり乗れない、と言っていたら話がなくなってしまった…。
プロデュースする、とか監督になるというのは、能力ではない。
バカになれるか?みたいなこと。



「銀河空港」がつぶれた事で、クーデターは収まった。



その頃、バブルで不動産をたくさん持っていて、
ロレックスの腕時計はめてブイブイ
言わせていた澤村武伺を呼んでくる。
口車に乗せられた澤村さん、奥さんが「離婚する!」と脅してでも
止めたのを振り切って、退路を断ちガイナックスの次の社長に就任。



ガイナックスの第二次転換期が始まる…。



(かのん注・そういえば、GONZOの村濱章司さんが「まんとら
に出ていた時、『ナディア』やった後ゲームでもうけてて、
でもゲーム作る気なくて、アニメの下請けは力を入れて
作れば作るほど赤字が出るので、ふてくされていたら、
「村濱、お前は才能はあるんやけど使いにくいんや!」
と言われて「じゃあやめます」と退社して
GONZOに行った話が語られたのだが…。
この発言をしたのは大阪の人かと思われるが、
岡田さんなのか、次の沢村さんなのか、
それ以外の人なのか? とひそかに気になってる…)



あとは、クールダウンモードに入って、
前回触れた「何かを生産する意義」について、
「意味」(自分がやりたいと思うこと)
「正義」(この世界がすこしでもよくなること)
「利益」(スタッフが苦労しないこと)



というのがあったけど、「笑顔」がごほうびで
ついてくるとなおさらいい、みたいな話。
『王立』は「意味」「正義」「利益」の三本柱はあった。
トップをねらえ!』は
「笑顔」もプラスされてほんとによかった。


え〜。かのん的全体感想のようなものです。




なんというか、『王立』『トップ』をやって、その後ガイナックス
どうするか?という「会社維持」モードになった社長の岡田さんが、
実は「維持」することにそんなに興味を持てなかった、
持てないなりに経営に徹する、ということに関しても
なかなか難しかった(今もしっかり存在しているわけだから、
決してダメにしたわけではないのだが…)
そういう感じなのかな…と思ったのです。



そして、岡田さんは徹底的に「自分がやりたい、やるべき」
と思わないと動けない。
で、そう思えたことならば、天才的な力を発揮でき、
また周りを引っ張って力を引き出すこともできる。



単なる立場上の「義務感」のみではあまり動けないのでは??
それは…なんといっても「キング」だから!!
なのでしょうか?

こういうレポート文では伝えられないんだけど、
特記することとしては、後半に近づくにつれて、
岡田さんのしゃべり口調が
「〜なんだ…」「だったんだ」「…でね」
のような、少年ぽい独白口調?になっていった印象が。



あの頃の自身およびガイナックスの人々と対話しているような
モードに入っていた、のかなあ??


で、いつもの質疑応答。


岡田さん、質問に全力で答えすぎてただでさえ無い
時間が押せ押せになる



私が面白いと思ったのは、今自分たちがアニメ作品を
見ているのは、「仲間が欲しい」から、というお話。



作品が見たいのではない。
コミュニケーションツール。
ちなみにコミュニケーションという言葉自体も昔はなかった。



何かを見る=仲間になれる、というツールなのである。
だから、作品は生まれた途端パロディ化する必要がある。



こういった感覚をオタクだけが持つのではなく、
みんな持っている。



みんなの反応が気になる、正確にはどうか、でなく
情報の解釈が流通する。ハズしたことは言いたくない、
みんなの感覚を共有したい、「仲間になること」が生きる意味と
なっている。



(かのん注・ふむう。なんか「ニコニコ動画」って
見事にそれに応えたメディアだよねえ…。
でも確かに、たとえば「キャベツ」と散々言われて
しまったがために、『夜明け前より瑠璃色な
のアニメがすんごい好き!っていいづらい感じになってる
みたいな状況があるよね。
…この例え、ハズしていたらすみません)



ふううう…。



次回はもうちょっと要点をうまくまとめたレポートを書くか、
楽しむことに徹しようか。



いや、さすがに校了の2週間前って状況は…行けるのだろうか。



綱渡りです!