備忘と思考

2014-02-25 自著『九月、東京の路上で』を刊行します

関東大震災時の朝鮮人中国人虐殺について書いた自著

『九月、東京の路上で/1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』

を刊行します。3月7日発売です。版元は「ころから」(http://korocolor.com/)。

著者名は、鹿島拾市ではなく「加藤直樹」を使いました。

もともと、「民族差別への抗議行動・知らせ隊」が「関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺から90年。記憶・追悼・未来のために」というテーマで昨年9月から10月にかけて展開したブログ「9月、東京の路上で」に加筆・修正を加えたものです。こちらも文章は私が書いています。

この本は関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺という歴史的事件の全貌を俯瞰的に描くのではなく、そのなかのいくつかの出来事の現場を見ていくものです。90年前の東京の路上に生きた(殺された)人々の姿が読者の記憶に残り、さらに関東大震災時の虐殺について現在に直結する問題として考えるきっかけになれば、それで本書の目的は達したことになります。

書店で見かけたら、お手にとってみていただければ幸いです。


『九月、東京の路上で』(版元ドットコム紹介ページ)

https://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-907239-05-3.html

『九月、東京の路上で』フェイスブックページ

https://www.facebook.com/kugatuTokyo

ブログ「9月、東京の路上で」

http://tokyo1923-2013.blogspot.jp/2013_09_01_archive.html

長谷川です長谷川です 2014/04/07 14:07 ご無沙汰です。お気に入りを整理していたところこのHPを覗くことになりました。出版おめでとう。何かイベント事がありましたら声をかけてください。

おひさしぶりです。おひさしぶりです。 2014/04/10 00:43 ありがとうございます。お元気ですか。直近ですが、あさっての金曜日(11日)に新宿でこの本のイベントがありますよ。http://www.labornetjp.org/EventItem/1396494719209staff01

2014-01-23 「あをつばめ 朴敬元と北村兼子」連載のお知らせ。

社会新報』(週刊)で、

「あをつばめ 朴敬元と北村兼子」

という隔週連載を始めました。第1回が1月22日号で、1回600字程度で全8回という短いものです。

北村兼子は、1920年代から30年代初に活躍したジャーナリストです。今ではまったく忘れられていますが、とにかく文章が面白い。鋭くも思わず笑ってしまう見事なレトリックユーモア、それを載せて弾むポップな文体。「文章をヒネってはいけないと叱られても私の文は水道文で、栓が固いからヒネらねば出て来ない。実際私自身でも持て余しているので、停滞なく出て来るホース文を目下修行中である」。こんな感じ。読み始めると止まらない面白さです。本のタイトルも『ひげ』『怪貞操』『恋の潜航』『短い演説の草案及び北村兼子演説集』。

北村はモダニズムの時代に相応しいセンスで、参政権要求を軸にフェミニズムを主張し、鋭い国際情勢分析に立った軍国主義批判を展開しました。満州事変の前には、日中の対立が日米戦争となり、米中の同盟は米軍の日本本土大空襲に帰結すると警告しています。中国と和解せよということです。「尚武国−これが間違ひの出発点だ、資力の伴はぬ尚武ほど危険なものはない、豚に牙をくくりつけて猪だとは笑はせる」。どうですこの気持ちのいい啖呵。今からでも遅くないから、どっかの出版社で『北村兼子アンソロジー』を出したらいいんじゃないかと思う。彼女のモットーは「主義は鋭かれ」。

その北村兼子が、27歳で死ぬ前年に出会ったのが、朴敬元(パク・キョンウォン)。通い始めた立川の飛行学校においてでした。

朴敬元は、朝鮮慶尚南道大邸市に生まれた女性で、1920年代半ばに、飛行士をめざして日本に渡ってきました。当時、世界的に飛行機ブームというものがありました。その背景には、飛行が人間の可能性の拡大につながるというロマンティシズムがあったわけです。その一翼を担ったのは職業進出の時代を迎えていた女性たちでした。今ではぴんときませんが、「飛行機を操縦したい」という女性たちが世界中に大勢現れて、日本とその植民地でも、40数人が実際に免許をとっています。ところが当時、女性は職業的飛行士にはなれないという法的差別がありました。朴敬元はそういう時代に、性差別と植民地支配という二重の抑圧を超えて「想像もできない遥か彼方の空」に向かうことを夢見ていたのです。その最終目標は、アジアで誰もなしえていなかった女性の単独訪欧飛行でした。167センチの大女で、自信家で大の負けず嫌い。でも明るくて親しみやすく、他人を味方につける不思議な魅力がある人だったようです。

この二人が、わずか8ヶ月だけども交錯したというお話を、書いておこうと思っている次第です。二人の出会いはしかし、一瞬で終わり、まもなく日本の侵略が深まるなか、飛行機は飛び立つ夢ではなく飛来する悪夢に、国境を越えて人を結ぶ希望ではなくて国境を越えて侵略し殺戮する道具へとその正体を現していくのです。



社会新報は大きな図書館で読めますので、機会がありましたらご高覧ください。

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2014-01-15 小説 ドウモ真実教

ドウモ真実教という教団のお話である。

数十年前、浅墓証拠氏の指導の下、この教団はテロに走った。近所の敷地に乗り込んで、多くの人の命を奪ったのである。

背景には、教団への監視の目が強くなり、社会的包囲網が狭まる中、「ジリ貧よりドカ貧を」と勝負に出たということらしい。もちろん、結果は裏目に出る。浅墓氏ほか幹部たちは逮捕され、死刑判決を受けた。

教団は、テロの責任をとってドウモ教団は賠償を支払う。さらに警察の監視下におかれてしまった。もう自由に武器工場などを作れない。

その後、教団はアレポと改名。浅墓氏とは別の指導者を据えて、テロへの反省を掲げて活動を再開した。少しかばっておけば、彼らも彼らなりにがんばった。近所でニコニコと風船を配り、被害者遺族の子どもの学費を援助したりした。だがそんなことで殺された側の恨みはそう簡単に消えるものではない。教団は、新しい指導者の名前で、「反省している。再びテロは繰り返さない」という談話も出した。

ところがその祭壇に、いつの頃からか、あの浅墓氏の写真が掲げてあることが発覚したのである。しかもその祭壇に教団代表が祈りを捧げているのだという。

当然テロ被害者や遺族からは抗議の声が上がる。

これに対して代表は、「誤解です。私達は『不テロの誓い』のために頭を下げているのです」と弁明した。だが、テロを命じた指導者の写真を拝んで『不テロの誓い』をするのはどう考えてもおかしい。そのうえ、教団の内部文書ではこっそり『不テロ』のくだりを削除している。一般信者に対しても、「テロの話はあまりしないように」と教育し始めた。

厳重な監視下にあり、かつてのように広大な土地に武器工場などつくれない今となっては、まさかかつてのようにテロを繰り返すとは、さすがに誰も思ってはいない。それでも不気味だし、そもそも道義的に認め難い。

被害者たちはますます声を張り上げる。教団建物の前で抗議集会を開くようになった。

あのテロの頃に生まれていない若い信者たちは経緯がわからないからこれに反発する。テロのときを知っている高齢の信者は信者で、やっぱり反発する。「我々の教義では、死んだらみんな神様になるのだ。どうしてそれを理解しようとしないのだ。そもそも我々は別に悪いことをするつもりはなかった。教団を守るための自存自衛の戦いをやったんだ。浅墓先生は偉大だ。もうこれ以上、遠慮することなんかない!」

彼らの気分はそんなところで一致した。それからは、しつこく抗議してくる被害者たちの悪口を言うのが、教団建物のなかに閉じこもる彼らの毎日の娯楽となった。

教団建物の隣に住む、被害者の会代表のおばさんの悪口がいちばん楽しい。あのババアは告げ口、ゴマすりの名人だ、口は達者だけど、おれたちがガツンといえばヒイッとすくみ上がるよ、と笑い、おばさんだけでなく、その家族のことなども、あることないことあげつらって盛り上がった。彼らをこき下ろすダジャレやネタを毎日(文字通り毎日!)発表しては、修行でつかれたみんなにひとときの笑いを提供してくれるひょうきん者もいた。そんなダジャレにみんなで爆笑すると、なんだかすっきりするし、団結を確認できるし、そうすると俺たちまだヤレル、みたいな自信がよみがえってくるのだ。

巨大スーパーを経営する副代表のおっさんな、あいつはウチの敷地の駐車場を狙ってるんだよ。カードなんだよ、結局。被害者感情がどうとか言ってるけどカネがほしいだけなんだ、あいつら。

気になるのは、教団建物に土地を貸してくれている不動産屋の態度だ。この会社は、教団に理解を示してくれていた。まあ巨額の家賃を支払っているから当然なんだけど。でも最近、どうもよそよそしい。こないだ受付のお姉さんがポツリと「失望した」とつぶやいたのも気になる。いやいや、聞き間違いだったのかも。社長さんが言ったわけじゃないし、仮にあの社長も教団に冷ややかななのだとしても、それは誤解なんだから(だって教団が正しいに決まってるんだから)、丁寧に説明すればわかってくれるだろう。今は社長さんが忙しくてなかなかうちの教団の指導者に会う時間がないだけ。

心配することないよ、おれたちは正しいんだ、不当な圧力に負けるもんか―。毎日毎日、窓のない部屋のなかで「被害者の会」の悪口で盛り上がっていると、信者たちはなんだかどんどん強くなった気がしてきた。年寄りたちは、教団の昔日の栄光を語り、若者たちは目を輝かせてそれに聞き入る。そうだ、俺たちは大丈夫。俺たちは強いんだ。

だって、あんなすごいテロがやれたんだからさ。

とおりすがりとおりすがり 2014/01/17 21:47 期待して読んでみましたがありきたりでつまらんですね。

たけたけ 2014/01/18 08:06 少々例えが浅はかかな、と思います。

もももも 2014/01/18 13:37 最後の一行が効いています。信者の心はこうして動いていくのだと思います。

春田の蛙春田の蛙 2014/02/20 18:50 >ジリ貧よりドカ貧

笑った。けどジリ貧になったのも教団の自業自得だったという罠w

http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/6S_NERAI.htm

2013-03-15 「蟻の町」についての連載を始めました。

報告遅くなりましたが、『社会新報』(週刊)で、2月20日号から

「約束の地 蟻の町とその演出家・松居桃楼」

という文章を、隔週で書いています。全10回(→間違いです!全8回でした)。次は3月20日号に掲載される第3回です。

焼け跡からの復興が進みつつあった1950年代行政用語で「仮小屋生活者」と呼ばれる人々がいました。彼らの多くは、戦争やそれに起因する失業によって住む場所を失った人々で、寺の境内や公園、旧軍用地といった場所に掘っ立て小屋を立てて集住していました。その数は、東京だけで4000人以上に上ります。有名な集住地としては寛永寺御茶ノ水駅近くのお堀の斜面などがありました。

これに対して行政は、「公共の場」を不法占拠するものだとして、彼らをトラックに押し込み、小屋を焼き払っていきました。その背景には、朝鮮戦争時の治安を脅かす貧しい人々の集住を恐れる米軍意向があったとも言われます。

「蟻の町」はその頃、浅草隅田公園に存在したバタ屋(廃品回収業)の人々の集住地です。彼らもまた「仮小屋生活者」ですが、巧みなメディア戦略で世論の注目を集めて立ち退きを逃れ、ついに東京都に移転先を用意させました。

松居桃楼(とうる)は、終戦前は演出家でしたが、この町に住み込み、こうした顛末の一部始終を“演出”した人物です。彼が、支援としてこの町にやって来た北原怜子を主人公に書いた『蟻の町のマリア』はベストセラーになりました。

主にこの本によって、蟻の町は有名になりました。カトリック教会では今でも、北原はいわば殉教者として語り継がれています。

しかし私は、そうした物語を作ってみせた松居のほうに視点を合わせることで、ひとつの小さな「運動」の顛末とそれを担った活動家の話として「蟻の町」について書いてみたいと思うのです。

社会新報の購入は年間定期購読によらなければなかなか難しいと思いますが、大きな図書館には置いてありますので、機会があったらご高覧いただければと思います。

関西の者関西の者 2013/03/25 12:57 第3回、読ませてもらいました。
大阪在住なので、大阪府立中之島図書館か大阪市立中央図書館(西長堀)で社会新報を読んでます。

御茶ノ水駅近くの堀というのは、丸ノ内線が地上に出てくるあたりでしょうか?
上野とともに桜の名所っぽいような…。
隅田公園もそうですよね。
段ボールハウスや野宿テントの場所って、お花見の場所と重なり合ってる事が多い。
なぜなんだろ?
花見の時期は、どこかに追いやられてるのか?
桜のピンクとブルーシートの色って、対称的な補色っぽいから、
視覚的にはアートのいいモチーフになるのかも…。

kaximakaxima 2013/03/27 21:50 確かにそうですねー。隅田公園の、昔「蟻の街」があったあたりも、桜がたくさんありました。あ、ところで全10回ではなく、全8回でした。書き間違いです。

幾井良子(いくいりょうこ)幾井良子(いくいりょうこ) 2013/04/27 15:37 はじめまして。松居先生の本を絶版にしたくなく、もがいております。「微笑む禅」を英訳してきちんと流通させたいと思っています。よかったらブログをご覧下さい。

kaximakaxima 2013/05/04 08:26 ブログ拝見しました。ぼくの関心は、松居さんが社会運動のなかで果たした役割という点にあります。でも実は、蟻の町と松居さんについて書きたいと思ったきっかけは『微笑む禅』にあったんです。松居さんが大僧正の前で泣く場面です。

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2013-03-06 ユリイカで韓国マンガについて書きました。

ユリイカ』3月増刊号・特集「世界マンガ体系」に、「韓国オルタナティブ・コミック」という文章を書きました。表題のとおり、韓国の非主流派のコミックを紹介しています。

日本の雑誌にも韓国の作家はけっこう描いていますが、それらのほとんどは日本の漫画に近い作風のものです。しかし韓国には、日本の漫画とはかなり作風が異なる漫画もたくさんあります。そうした韓国漫画が今後、もっと日本でも紹介されればと思います。

「ユリイカ」では絵の実物をお見せできなかったので、ネットで絵を見ることができるブログなどを探しました。カラーの絵と雰囲気だけでも見ていただければ。


『泣くには少し曖昧な』(チェ・ギュソク)

漫画学科を目指す予備校生たちの話。リンクは誰かのブログから。写真はチェ・ギュソク。

http://blog.naver.com/saltiee21?Redirect=Log&logNo=20110435483

このチェ・ギュソクが87年の民主化抗争のなかの若者群像を描いた『100℃』を日本で翻訳出版できないかと思っています。


『抗争軍』(キム・ホンモ)

日本の朝鮮支配が続くパラレルワールドを舞台にしたジュブナイルSF漫画です。力強く暖かみとユーモアのある水墨による画風もいいし、話もシンプルに面白くて一気に読んでしまいました。

作者のブログから。

http://blog.naver.com/32ghdah?Redirect=Log&logNo=50021386329

sakushano blog kousougun


『花』(パク・コンウン)

日帝時代から朝鮮戦争にかけての物語。最終的に非転向長期囚の話になるようです。

http://cafe.naver.com/atcropolis/908

この人はほかにも、朝鮮戦争時の米軍虐殺事件を描いた『ノグンリ物語』や、済州島4.3事件を描いた漫画(タイトル失念)などを描いています。掲示板から。


『猫Z』(ピョン・ギヒョン)

遊園地を舞台に、幻惑的な絵柄で独特の奇妙でちょっと苦い世界を描いています。掲示板から。

http://cafe.naver.com/manjang17/278

関西の者関西の者 2013/03/08 13:49 コメントは御迷惑かもしれませんが、『社会新報』で連載されてる「約束の地 蟻の町」を興味深く拝見してます。
オキュパイ運動が盛り上がった後だけに、時宜にかなってますよね。
それに大政翼賛会の時代も経験されてますので、翼賛的雰囲気が溢れ始めてる今だからこそ「参考」になるのかも。
没年が90年代だから、直接お会いになられてるんでしょうか。

kaximakaxima 2013/03/12 21:57 迷惑だなんてとんでもない。ありがとうございます。松居さん本人には会ったことはないのです。60年代の蟻の町を知る人には取材して、いいお話をたくさん聞きましたが、短い連載だからどれだけ反映できることか…。

小笠原功雄小笠原功雄 2013/04/04 23:18 拙ブログでこんなカテゴリを設けております。ご笑覧いただければ幸いです。
カテゴリー「韓国の漫画・純情漫画(韓国の少女マンガ)」の記事(URL参照)

kaximakaxima 2013/05/04 08:18 ブログ拝見しました。これはすごい情報量ですね! 少しずつ読んで勉強させていただきます。

小笠原功雄小笠原功雄 2013/05/07 00:10 ありがとうございます。

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