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ヴァージニア・ウルフ

読書

ヴァージニア・ウルフ

う゛ぁーじにあうるふ

ヴァージニア・ウルフ(1882-1941) 小説家・評論家

Virginia (Adeline) Woolf (nee Stephen)


1882年1月25日、父レズリー・スティーヴン?(Leslie Sthphens)と、母ジュリアの間に生まれる。

両親ともに再婚だったため、一家の七番目の子供であった。

父、レズリー・スティーブンは文芸評論家哲学者であり、『イギリス人名辞典』(Dictionary of National Biography)の編集によって有名である。

母ジュリアは1895年、48歳で死去。当時わずか13歳であったヴァージニアに大きな衝撃を与える。

1904年、父親が72歳で死去。その後、兄弟と姉とブルームズベリー地区に移り住む。兄のケンブリッジでの友人たちを主たる構成員とするいわゆる「ブルームズベリー・グループ」がここに自然発生的に成立する。この知的階級グループは経済学者ケインズ数学者ラッセル、作家フォースター、ストレーチーといった錚々たるメンバーを含み、Q・ベルの翻訳『ブルームズベリー・グループ』を始めとして多くの学者の研究の主題となった。ヴァージニアの将来の夫となったレナード・ウルフもまた、この友人の輪に属していた。

1915年処女作『船出』(The Voyage Out)を発表。小説家としての道を歩み始める。

代表作としては『ダロウェイ夫人』(Mrs. Dalloway)、『灯台へ』(To the Lighthouse)、『波』 (The Waves)などがあげられる。実験的な手法を用い登場人物たちの心理を深く掘り下げ高い評価を得た。

文芸・社会評論でも活躍。1919年に発表された評論"Modern Fiction"は彼女のモダニストとしての立場と視点を明らかにするものだということができるだろう。また、『自分だけの部屋』(A Room of One's Own)、『三ギニー』(Three Guineas)などでフェミニストとして女性と創作活動、女性と平和などの問題を取り扱った。

 

生涯、神経的発作(狂気?)に悩まされる。第二次大戦さなかの1941年3月28日、ウーズ川へ散歩に出かけ、入水自殺書斎に夫レナードと、姉ヴァネッサへの書き置きが残されていた。遺作『幕間』(Between the Acts)は死後出版された。