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本多正信

社会

本多正信

ほんだまさのぶ

戦国武将。1538年〜1616年佐渡

徳川家康家臣。本多正純の父。

三河一向一揆の際に一揆側に付き、出奔。その後、松永久秀に仕えたり、加賀に滞在していたとも言われる。姉川の合戦の際に帰参。

どちらかというと武将ではなく官僚。関東総奉行として辣腕を振るった。

武功派と対立して退けたせいで悪評を受けているが、本人は生活も質素で栄達を望まず、所領も2万2千石だけでそれ以上の加増は固辞して受けなかった。

本質は文治政治を目指す能吏といったあたりか。ある意味、石田三成の徳川版。

講談では謀将として策謀を巡らす腹黒い人物として描かれているが、あまり信用しがたい。


評伝

「剛に非ず、柔に非ず、非常の器」(松永久秀