明治150年賛美は危険 自由、民権重視 五日市憲法発見50年 - 東京新聞(2018年8月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018081902000140.html
https://megalodon.jp/2018-0819-1004-33/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018081902000140.html


明治期につくられた民間の憲法草案「五日市憲法」が東京都五日市町(現あきる野市)の土蔵で発見されてから、今月二十七日で五十年となる。発見のきっかけとなったのは、明治以降百年間の日本の歩みを賛美する政府の歴史観への疑問。この憲法を土蔵の中で最初に手にした新井勝紘(かつひろ)・元専修大教授(74)は、今の明治百五十年関連施策も輝かしい発展を強調するばかりで、戦争への反省がないと警鐘を鳴らしている。 (高山晶一)
新井さんによると、土蔵調査のきっかけは五十年前の「明治百年論争」。佐藤栄作首相(当時)らが、西欧に追いつき追い越そうと励んだ百年間をたたえて多くの記念事業を行ったのに対し、「戦争を繰り返してきた百年間が、国を挙げて祝う歴史なのか」との反論が出ていた。
東京経済大四年生だった新井さんが所属する色川大吉ゼミ(日本近代史)も、この問題に直面。「地域で暮らす人たちの視点で百年を検証しよう」と、「開かずの蔵」といわれていた旧家の土蔵を調査し、出てきたのが五日市憲法だった。
卒業後、生涯をかけて五日市憲法の研究を続ける中で見えてきたのは、五日市憲法に豊富に書かれているような自由や国民の権利を、当時の人たちが切望していたこと。「明治政府はそうした声にまったく耳を貸さず、大日本帝国憲法天皇の名において制定し、国民に押し付けた。以後、近代天皇制の下で軍国日本が形成され、戦争に突き進んだ歴史をきちんと見なければならない」と新井さん。
佐藤栄作を大叔父とする安倍晋三首相は明治維新から百五十年の今年、明治期に度々言及し「近代化を推し進め」「独立を守り抜いた」と高く評価。明治の人たちの功績を伝える多彩な関連施策が、全国で実施されている。
政府がまとめた関連施策の「基本的な考え方」も、明治以降の日本が「技術革新と産業化」や「教育の充実」に取り組んだと指摘。「明治の精神に学び、更(さら)に飛躍する国」を目指すとしているが、戦争など負の歴史には一切触れていない。
新井さんは「明治百年のときと似ている」と指摘。「日本はずっと戦争の総括が中途半端。『悪いところをほじくり返さなくても』と言って明るいところだけ見ようとするが、いいとこ取りの歴史では同じ過ちを犯す。負の歴史もちゃんと見ることが、歴史に学ぶということだ」と訴える。

<五日市憲法> 大日本帝国憲法(旧憲法)の制定前、全国でつくられた民間の憲法私案の一つ。元仙台藩士の千葉卓三郎らが中心になって作成したが、旧憲法に反映される機会はなかった。正式名は「日本帝国憲法」で、全204条。国民の権利保障に力点を置いたのが特徴で、今の日本国憲法に近い内容が盛り込まれているといわれる。東京都文化財

五日市憲法 (岩波新書)

五日市憲法 (岩波新書)

<自民党総裁選 改憲の行方>緊急事態条項の創設 国に権限 人権侵害に懸念 - 東京新聞(2018年8月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018081902000137.html
https://megalodon.jp/2018-0819-1006-01/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018081902000137.html

自民党総裁選で、安倍晋三首相の対立候補となる石破茂元幹事長が、九条改憲より「緊急性があり優先度が高い」と訴える項目の一つが、大規模災害が起きた際の対処を定める緊急事態条項の創設だ。
論点は「国の権限強化」と「国会議員の任期延長」。自民党が今年三月に四項目の改憲条文案をまとめるに当たり、議論が曲折したのは国の権限強化だ。
二〇一二年の党改憲草案は、災害や海外からの武力攻撃時に首相が「緊急事態宣言」を出せば、国民は国の指示に従わなければならないとして、国に強い権限を認めた。具体的には国民の移動を制限したり、自動車や家を所有者の許可なく処分したりすることが想定された。
こうした私権制限は、人権侵害につながるとの懸念が強い。改憲しなくても、災害対策基本法で対応できるとの指摘もある。
条文案は対象を大災害に限定した上で、私権制限について直接的な表現は見送ったものの、「法律の制定を待ついとまがない」場合に政府が政令を制定できる規定を盛り込んだ。政令の内容によっては、国民の代表である国会での審議を経ず、国民の権利を制限する命令を出すことが可能だ。
党執行部は当初、議員任期延長に絞る方針だったが、石破氏らが「災害対策基本法に緊急時対応の規定はあっても、憲法に根拠が明示されていないので自治体が使えない」と主張。執行部も受け入れた。
一方、議員任期延長は、大災害で選挙の実施が難しくなった場合、衆院議員四年、参院議員六年と憲法で定められた任期を特例で延長できる内容。条文案は、衆参両院で三分の二以上の賛成があれば可能とした。
憲法五四条には、衆院解散中に緊急事態が起きた場合、参院の緊急集会を開ける規定があり、「議員任期延長のための改憲は必要ない」との意見もある。延長された任期中、議員は国民の信任を受けていない状況で国会で議論することになり、国民主権の観点から問題という指摘も。
首相は、過去に緊急事態条項について「大切な課題」と話したことがあるが、昨年五月に九条改憲を提案して以降、積極的には主張していない。野田聖子総務相も、今月発表した総裁選向けの政策で緊急事態条項には具体的に言及しなかった。 (木谷孝洋)

ガダルカナル島兵士の「遺書」発見 散り行く身真心が贈り物です - 東京新聞(2018年8月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018081702000142.html
http://web.archive.org/web/20180817012950/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018081702000142.html

太平洋戦争の激戦地、ガダルカナル島(現在のソロモン諸島)の戦闘に参加した兵士が、妻とみられる女性に宛てた手紙が、米国立公文書館で見つかった。軍当局の検閲を受ける前の段階の遺書とみられ、総攻撃で戦死を覚悟し「私の一生の真心が只(ただ)一つの贈り物です」と淡々と記している。七十六年前の筆致が、戦争のつらさや悲しさを今に伝えている。 (加藤行平)

戦傷病者の記録を伝える「しょうけい館」(東京都千代田区)の学芸課長、木龍(きりゅう)克己さん(61)が、ワシントン郊外の米公文書館分館で戦傷病者の記録を調査中、米軍が回収した資料から見つけた。
木龍さんによると、手紙は「陸軍」の便せん一枚に青色インクで書かれていた。「九月三日 ソロモン群島 ガダルカナル島に於(お)いて記す」で始まり、「決戦が迫りました 散り行く身の一筆残します」と別れの決意を記していた。末尾に「久男」、宛名は「千代子殿」と名前だけが書かれ、宛名のない封筒に収められていた。
戦史叢書(そうしょ)(防衛研修所戦史室)によると、一九四二年八月、日本軍が同島に造った飛行場を米軍が占領。奪還を目指した日本陸軍は部隊を逐次投入し、同月二十日に「一木(いちき)支隊」が、翌九月十二日には「川口支隊」が総攻撃を行ったがいずれも失敗、多数の戦死者を出した。冒頭の「九月三日」はこの川口支隊の攻撃の直前に当たる。
木龍さんは手紙を書いた日時と具体的な場所、「敵機の攻撃が激烈」など戦闘の様子が記されていることから、「検閲を受ける前の段階の手紙」とみている。「検閲を意識すれば『国のため』『天皇陛下のため』など大義名分に触れてしかるべきだが、一切書かれておらず、検閲を受けていないことが推測される」とも指摘。「一兵士が妻を気遣う気持ちが素直に伝わってくる。上官が攻撃を前にペンと紙を与え、遺書を書かせ、兵士も書きたいことを書いたのではないか」と推測している。
手紙は戦闘後に米軍が回収したとみられるが、その経緯は不明。川口支隊は九州の部隊だが、「久男」さんの生死やフルネーム、「千代子」さんが誰なのか、分かっていない。木龍さんは「本人や家族が判明すれば、お伝えしたい」と話している。


◆手紙全文 
九月三日 ソロモン群島 ガダルカナル島に於(お)いて記す

重大なる作戦に参加いたし 男子として無上の喜びを感じます 連日敵機の攻撃又(また)激烈です

決戦が迫りました 散り行く身の一筆残します

生前の厚情 有難く思います 何一つ出来ず残念ですが 私の一生の真心が 只(ただ)一つの贈り物です

弱い君です 御身(おんみ)御大切に 強く生きて下(くだ)さい

私の言葉を忘れず 一本立ちになって一日も早く女としての生活へ入られるよう 私は君の身を護(まも)ります 私の戦死に 万歳の一声を叫んでやって下さい 君の今後の生活が 私を生かしてくれるのです

立派に生き抜いて下さい 御多幸を祈ります

  久 男

千代子殿

※原文は、漢字以外は片仮名

 

<軍事郵便に詳しい新井勝紘(かつひろ)元専修大学教授(日本近代史)の話> 検閲を考えず兵士の正直な気持ちが表れている。「最後の手紙」ということで、配慮しないで書いた、検閲前の手紙だろう。検閲は軍内部でブラックリストに載っているような兵士が主な対象で、同じ釜の飯を食った、ごく一般的な兵士にはさほど厳しくなかった面もあった。この手紙では場所や日時以外は認められたかもしれない。兵士も届くと思って書いたのではないか。

ガダルカナル島を巡る戦い> 1942年8月、日本軍が建設した飛行場を奪うため、米軍はソロモン諸島ガダルカナル島に上陸。日本軍は、奪回を目指して部隊を逐次投入したが、敗退を繰り返した。ジャングル内に追い詰められた兵士は、飢餓とマラリアに苦しみ「餓島(がとう)」とさえ呼ばれた。約半年に及ぶ戦闘の後、大本営は撤退を決定、兵士約1万1000人を撤収した。餓死者も多く陸軍兵士計約2万800人が戦没、上陸兵士の66%が亡くなった。米軍の本格的反攻の第一歩で太平洋戦争の転換点となった。

週のはじめに考える 無神経が阻む核軍縮 - 東京新聞(2018年8月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018081902000160.html
https://megalodon.jp/2018-0819-1007-15/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018081902000160.html

互いが刺激的な行動を繰り返して事態を複雑にする。米中の貿易戦争だけではありません。米ロの核軍縮問題もそうです。軍縮の阻害要因を考えます。
「軍拡競争をやる気なら受けて立つ。でも勝つのは私だからな」
米NBCテレビによると、三月に再選を果たしたプーチン大統領に、電話で祝意を伝えたトランプ大統領はこう警告しました。
プーチン氏はこれに先立って行った年次教書演説で、数々の新兵器開発を公表しました。映像やCGを活用して新型ミサイルが米本土を狙うような挑発的な内容でした。これがトランプ氏の神経を逆なでしたというのです。

◆下がった核使用の敷居
年次教書演説で新兵器が公開されるのは異例です。米国が二月に発表した「核体制の見直し(NPR)」で示した新しい核戦略に張り合う姿勢を見せる狙いもあったようです。
NPRは核兵器の役割を拡大し、使用の敷居を低くすることを打ち出しました。爆発力が低い「使いやすい小型の核兵器」を開発するというのです。ロシアが地域紛争に用いる戦術核を重視していることへの対抗策です。
では、なぜロシアはそうした姿勢をとるのでしょうか。
ロシアは一九九三年、ソ連崩壊後では初めてとなる軍事ドクトリンをまとめました。ドクトリンは核兵器保有は抑止力が目的で、その使用は限定的であっても「破局的結果を生じる」として否定しました。
しかし核兵器は米国と比肩し得る数少ない戦力。ロシアは核依存を高めていきます。
九〇年代後半には、欧州戦域での限定的な核使用を想定すべきだとする意見が軍に台頭、二〇〇〇年に改訂された軍事ドクトリンは限定使用の可能性を示しました。
限定使用は敵の侵略を思いとどまらせるために、核兵器で威嚇したり実際に用いることを想定しています。核によって紛争がエスカレートするのを緩和する、という概念が生まれました。
しかし、核の限定使用がむしろ全面的な核戦争の引き金になる可能性は否定できません。「エスカレーション緩和」という考え方は危険で、倒錯している印象すら覚えます。
ロシアの安全保障政策に詳しい小泉直美防衛大准教授によると、この概念を後押ししたのは、九八年に激化したコソボ紛争でした。

コソボ紛争が後押し
ユーゴスラビア連邦セルビア共和国コソボ自治州アルバニア系住民が多く、セルビアからの分離・独立に走りだし、セルビア側と武力衝突に発展しました。
北大西洋条約機構NATO)がアルバニア系住民の保護を理由にユーゴ空爆へ動きだすと、ロシアは同じスラブ系民族のセルビア側に立ち、これに反対しました。
結局、NATOは国連決議のお墨付きのないまま空爆に踏み切り、ロシアは米国への反発と警戒心を強めました。
米国が旧ソ連の衛星国だった東欧諸国をNATOに加盟させる東方拡大を進めたことも、ロシアの不信感を増大させました。
自分の行動が相手にどんな作用を及ぼすのか、米ロともに無神経です。相手を刺激したことで対抗策を突きつけられる。その繰り返しによって双方の核使用の敷居は低くなりました。
もっとも、ロシアによる核の限定使用は杞憂(きゆう)かもしれません。小泉氏は「敷居を越える際の明確な指標をつくるべきだ、という議論がロシア軍内にある」と指摘し「実際には限定使用の判断はつかないだろう」とみています。
七月にヘルシンキで行われた米ロ首脳会談では、二〇二一年に期限切れを迎える新戦略兵器削減条約(新START)の延長をプーチン大統領が提案したが、合意には至りませんでした。よほど残念だったのでしょう。プーチン氏は延長の重要性をたびたび訴えています。
新STARTは戦略核弾頭の配備数を双方が千五百五十発まで削減するもので、一〇年に調印されました。以来、軍縮の動きは停滞し、軍拡へ逆流しています。

◆負の連鎖を断ち切る
それでもロシアにとって米国と核の均衡を保つことは死活的に重要です。条約に基づく情報交換によって米国の手の内もある程度は推量できるのもプラスです。ロシアは米国と歩調を合わせて軍備管理を進めたいのが本音です。
米ロはそれぞれ七千発近くを保持し、トランプ氏も「世界の90%の核戦力を米ロが保有するのはばかげている」と言います。ならば両国は率先して軍縮を進めるべきです。まずは無神経による負の連鎖を断ち切り、相互不信を克服する必要を自覚してほしいものです。

(筆洗)当時のコフィ・アナン国連事務総長 - 東京新聞(2018年8月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018081902000139.html
https://megalodon.jp/2018-0819-1008-32/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018081902000139.html

誰が最初に「ABCの歌」を歌うかでマペット(人形)たちがもめている。「あたしが一番に」「あんたはこの間、歌ったでしょ」「わたしの歌はかわいいわ」。収まらない中、ある人物がやって来る。「何か問題でも」。マペットたちが一斉に訴える。私が最初に歌いたい。
この人物はわけないさという顔で提案する。「どうしてみんなで一緒にうたわないのさ」。みんな、納得し、ともに歌いだす。
二〇〇一年放映の米国幼児向け番組の「セサミストリート」の一場面。その人物とは、当時のコフィ・アナン国連事務総長
その人の訃報に触れて、子ども番組を思い出すのは少々場違いか。されど、その人が呼びかけた、「トゥゲザー(一緒に)」の声が耳に残る。そして、その言葉こそこのノーベル平和賞受賞者が一生をかけて訴え続けたことだったのではなかったのかと思える。
事務総長だった一九九七年から〇六年といえば難しい十年間だった。地域紛争、イラク戦争エイズ後天性免疫不全症候群)などの感染症の拡大、貧困。イラク戦争を止められなかったことを最後まで悔いていたが、いずれの難問にも粘り強く挑み続け、成果を残した。
粘り強さの理由を語ったことがある。青年期の五七年。母国ガーナの独立を目撃した。「不可能なことなどない」。自国優先の風潮の中で、「一緒に」の人の逝去が心もとない。

木村草太の憲法の新手(86)共同親権 親権の概念、正しく理解を 推進派の主張は不適切 - 沖縄タイムズ(2018年8月19日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/300636
http://archive.today/2018.08.19-011139/http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/300636

上川陽子法務大臣は、7月17日の記者会見で、「親子法制の諸課題について、離婚後単独親権制度の見直しも含めて、広く検討していきたいと考えています」と述べ、共同親権制度導入を検討する方針を示した。これについて、どう考えるべきか。
そもそも、「親権」とは何か。民法では、子と同居し保護する監護権(820条)と、教育・居所・職業選択・財産管理などの重要事項決定権(820〜824条)の二つが親権の内容とされる。現行法では、離婚した父母のどちらかが親権を持つ単独親権制度が採用されており、共同親権は選択できない。
これに対し、制度の導入を求める人は、共同親権が選択できるようになれば(1)扶養義務の履行確保(2)面会交流の促進(3)同居親による虐待防止につながる−と主張する。まず、こうした主張が、法制度を正しく踏まえたものかを検討しよう。
まず、(1)扶養義務について。そもそも、親権がなくなっても、扶養義務は継続する。親権がないと別居親が扶養義務を果たさないという議論もあるが、扶養義務の履行確保は、別居親に権利を与えることではなく、養育費不払いへの罰則や、国が養育費を立て替え払いし、別居親への取り立てを行う制度の導入で実現すべきだ。
次に、(2)面会交流について。親権は、別居親や子に対する面会交流強制権ではない。現行法は、離婚・別居後も、「子の利益」のために、親権を持たない親との面会交流の取り決めを行うべきとしており(民法766条1項、771条)、家庭裁判所が面会のための処分を出すこともできる(同3項、771条)。同居親が子との面会を不当に拒む場合には、別居親が家裁に「自分との面会が子の最善の利益になること」を説明し、処分を求めればよい。
こうした説明に対して、現状の家裁は、適切な処分を出してくれないと主張する人もいる。しかし、仮にそうだとしても、共同親権は面会強制権ではないので、共同親権を導入しても状況は変わらない。家裁の機能不全は、家裁の人員拡充、家裁利用コストの軽減、安全な面会交流施設の増加などにより解決すべき問題だ。
また、別居親が、主観的に「自分との交流は子の利益になる」と思っていても、DV・虐待・ハラスメントなどの要因で客観的にはそう認定できないことがある。そうした場合には、面会交流は避けるべきだし、ましてや親権を与えるべきではない。面会交流の不全は、裁判所か、別居親の問題であり、親権制度とは関係がない。
最後に、(3)共同親権は同居親による虐待の発見に有効とする意見について。そもそも、親権に基づく転居や進学への同意権などが虐待防止になる理由は判然としない。もちろん、別居親と子が頻繁に面会交流すれば、虐待防止になることもあろうが、それは親権の機能ではなく、面会交流の充実の結果である。また、虐待があるなら親権を移動させるべきであり、共同親権を認めれば、虐待親にも親権が残ってしまう。
そうすると、推進派の主張は、いずれも親権の概念を正しく理解したものとは言い難く、共同親権を導入する理由としては不適切だ。(首都大学東京教授、憲法学者

=第1、第3日曜日に掲載します