阪堺・南海その2

浜寺公園駅まで来ました。
浜寺といえば、かつては白砂青松として名高かった海水浴場でした。
いまは埋め立てられ、海岸の沖もまたさらに埋め立てられ工業地帯があるため、もはや海水浴は不可能になりました。
往時を偲ぶものは青松だけでしょうか。
私が浜寺公園に来た事と言えば、約15年前、大学のゼミで浜寺公園内にあるユースホステルに泊まって卒業研究を行なった事がありました。


さて、そんな昔語りはさておき、浜寺公園駅といえば、東京駅を設計したことで知られる辰野金吾博士が当駅の駅舎を設計されており、その特徴ある洋風の近代建築は登録有形文化財にも指定され、近畿の駅100選にも選ばれています。

もうひとつ、この駅ならではの特異な事として、上り線のホームが島式でなく、1本の長いホームを切り欠いて、その部分に待避線が設置されている事ですね。*1

待避の有無により、当駅を利用する乗客はホームの南側へ行く事があれば*2、北側へ行く事もあるのです*3
そんなややこしい駅ですから、旅客への案内表示もわかりやすいようになされています。
切欠きホームの4番線に停車する電車の場合、下の画像の矢印部分が↓に、番線の表示も4に変わります。

こんな風変わりなホームですから、ぜひ4番線に発着する電車に乗ってみたいところですが、休日ダイヤのデータイムの上り列車には当駅での追い越しがないようで、あいにく体験できませんでした。


浜寺公園からひと駅だけ電車に乗り北上。
諏訪ノ森駅で下車しました。
ここにも名物駅舎が残されています。
ここも、有形登録文化財に指定され、また、近畿の駅100選に選ばれています。

駅舎の入り口の上には、海のかなたに淡路島が描かれた5枚のステンドグラスがはめ込まれており、瀟洒ですね。
高師浜駅にも同様にステンドグラスがありました。
この付近の駅には、明治時代に流行した建築や意匠が今も残されている事が素晴らしいと思います。
そんな貴重な文化財ですから、浜寺公園、諏訪ノ森の両駅とも、高架化工事が予定されていますが、この駅舎は残すとの事です。
そうなると、存廃の問題提起がなされている高師浜駅の駅舎が心配になりますね。


浜寺公園駅まで戻り、駅から海岸へ向けて若干歩くと、阪堺電気軌道浜寺駅前電停があります。

阪堺から道路を挟んだ反対側には浜寺公園があり、住吉さん*4と同様に、南海よりも阪堺のほうが至近距離にありますね。
ここから恵美須町まで北上します。


上町線でもそうでしたが、阪堺線は自前の専用軌道が多く、また堺市内の併用軌道区間では、道路の中央に、交差点以外自動車の進入ができないように植込みでガードされた軌道がありますから、ほぼ、自前の軌道と言ってもよいぐらいです。

なので、路面電車の走行もかなりスムーズで*5、昭和30〜40年代のモータリゼーションの爆発的進展の時にも、路面電車廃止ブームに乗る事なく存続しました。*6
ここまで自前の路線が多いのならば、なぜ阪神電鉄のように本格的な鉄道に発展しなかったのか不思議なぐらい。
しかし、堺市内でも現在発展著しいエリアを通っていないのが、阪堺のいちばんつらいところ。
実際、利用はあまり奮わない様子で、私が今回乗車していても我孫子道まではさほど利用が多いとは思えませんでした。
堺市でにぎやかなエリアといえば、南海高野線堺東駅周辺なのです。
阪堺の現行路線から、南海本線堺駅高野線堺東駅へとアクセスできる軌道を敷設してLRTを走らせようという構想もありましたが、政争に振り回されてLRT構想は先行きは極めて不透明です。
阪堺としては、期待していたLRT構想もほぼ頓挫した今、お荷物区間である堺市内の区間を持て余している様子で、とりあえず堺市による補助でとりあえず存続させています*7が、これとてこの先の政治の情勢によりどうなる事かよく分かりません。
そんな大きなジレンマを抱えた堺市内を北上しますと、大和川を渡り、我孫子道に到着。

いままで乗車していた電車は天王寺駅前行きなので、乗換指定駅でもある当所で乗換えます。


我孫子道は、当駅どまりの電車が多く、車庫を経由した折り返し作業が見ていて飽きません。
1両単行の路面電車の機動性を生かし、きびきびと入れ換えされています。
この作業が大阪方面行きのホーム上からよく見えるのです。
その入れ換えされた車両が恵美須町行きとして到着しました。

こんどの車両は501形。
カルダン駆動の電車ではありますものの、かなり古い車両のようですね。
それでも冷房改造されているのは大したものです。
これに乗り一路、恵美須町に向け北上。
粉浜・塚西付近では線路の向こうに通天閣がうっすら見えます。

さらに北上しますと再び専用軌道となり、盛り土による高架に上がるとかつての南海天王寺支線だった空間を乗り越え今池町電停。
かつて南海だった跡地は、西側は何やら利用されているようですが、東側は今もぽっかりと空間がカーブを描きながら残っています。
単線の線路跡では跡地利用も難しいのでしょう。
この付近は軌道の左右には、実に物々しく高い金網と、さらにその上には有刺鉄線まで張り巡らせられています。
場所が場所ですから、鉄道関係者以外の侵入を防止するべく、このようなフェンスを取り付けているのでしょう。*8
そんなナーバスな地域を北上しながら地平に降りると、南霞町電停。
JR・南海新今宮駅、地下鉄動物園前駅との乗換駅です。
JRのガード脇にあって、なおかつ左右をビルに挟まれて、うす暗いですね。
いかにもナーバスなエリアな雰囲気を醸し出しています。
照明を増やしたり明るい塗装にするなどで改善できんのかいな、と思います。*9


南霞町を出るとすぐに終点恵美須町に到着しました。

上町線のターミナルである天王寺駅前とは異なり、人が少なく活気に乏しいですね。
私が乗っていた電車は、乗換駅である南霞町で3分の2は下車しました。
降りる人が少なければ、乗る人も多くない様子。
恵美須町は電気街が近いとはいえ、核となる地域ではないからでしょう。*10

そのかわり、恵美須町といえば、新世界の最寄駅。
通天閣のおひざ元です。
ネオンが工事中との事で、その上に垂れ幕が掛けられています。

10年ほど前に登って以来、登っていません。
また機会があれば行こう。


阪堺は以上で全線乗り潰しました。
さて、恵美須町から地下鉄に乗って千日前線の桜川駅まで移動です。
ここには、関西私鉄の中でも特に「トワイライトゾーン」的な営業路線があります。
勘のいい方はもうお気づきかとは思います。
そう、「南海汐見橋線」です。
桜川には、地下鉄と、今をときめく阪神なんば線の桜川駅、そして阪神の入り口の横には南海の汐見橋駅がひっそりと存在しているのです。
南海も桜川と改称すれば乗客には分かりやすいだろうに、同じ位置にありながらも、南海だけは名前を変えず突っ張っているのです。
大阪と梅田、天王寺とあべの、湊町*11と難波、そして桜川と汐見橋
関西私鉄のプライドが改称を許さないのかも知れません。
しかも南海といえば、全国にある現存する私鉄の中でも最も古い老舗ですしね。
(左:阪神桜川駅 右:南海汐見橋駅

そして、汐見橋駅の名物といえば、昭和30年代の路線図。
南海電鉄沿線はもちろん、南紀、淡路島、そして四国徳島までもが描かれている大時代的なものです。

淡路島の洲本−福良間で当時営業していた鉄道路線である淡路交通までもが描かれているのです。
これは一見の価値有りです。
…が、良く見れば、路線図の真ん中が破れて下に垂れかけています。
2004年に当駅に来た時も、少し破れていましたが、状態が悪化している様子。
(↓参考:2004年当時の路線図)

南海電鉄さん、お願いですからぜひ修復して下さい。
もはや文化財ですよ。
手に余るのだったら交通科学博物館にでも寄贈してはどうでしょうか。*12


ホームに上がります。
ホームの手前には小さな池があります。
金魚、大きくなりましたね。もはや小さな鯉といってもよさそうなサイズ。
(ネットが邪魔で撮影しにくい。2004年当時、こんな無粋なネットはありませんでした。鳥にでも狙われるのかな?)

汐見橋線でも南海支線系統のアイドル?こと2200系が使用されています。

ダイヤは平日休日関係なく1時間に2本の運転。
2004年当時はラッシュ時は1時間に3本の運転ですから減便されています。
阪神なんば線の開通は、汐見橋線起爆剤とはならなかったようです。
確かラッシュ時は2編成使用だったはずなのですが、さては、天空に2200系が抜擢された分が編成減→減便とでもなったのでしょうか。


17時40分、汐見橋を発車しました。
乗客は、鉄分過多と思われる乗客が私を含め2名。他には2〜3名だけと、実にさびしい限り。
しかし、途中の芦原町でおばあさん一人が乗車し津守で下車しました。
結局、5〜6名の乗客で岸里玉出に到着しました。
また、途中には木津川駅というかつての貨物取扱駅があるのですが、この汐見橋線の中でも一番のトワイライトゾーンと言ってもいいでしょう。

貨物用側線は使われなくなったまま草むして、改札口にある「木津川駅」のプレートは真っ赤に錆びついて判読が難しく、駅舎の向こうに建っている工場は使われている様子もない。
現在における木津川駅の存在意義とは一体何なのだろう?と首をかしげざるを得ません。
なんとも不思議な感覚のまま、わずか9分の運転で岸里玉出に到着しました。

汐見橋線用ホームの向こう側に見える南海本線の電車は、多数の乗客を乗せて6〜8両の電車がひっきりなしに行き交っています。
高師浜線の窮乏を訴える掲示が貼られているいっぽう、高師浜線の比ではなさそうなぐらいに空気輸送の汐見橋線
単線1.5kmの高師浜線と、複線4.6kmの汐見橋線
どう見ても汐見橋線のほうが営業係数が悪そう。
ところが汐見橋線の窮乏を訴えるような掲示は、どこにも見当たりませんでした。
そんな汐見橋線を存続させている唯一の理由が「なにわ筋線」との接続を考えているからだそうですが…
難波を経由しないでなにわ筋線と接続するのは営業的によろしくないとの考えも南海電鉄にはあるようで、汐見橋線の先行きが読めない状況です。
将来、汐見橋線なにわ筋線を経由してラピートが新大阪まで走るようになるかもしれないのですが、そんな姿がいまいちイメージしにくい限り。
廃墟に近い状況の木津川駅をラピートが100km/hで通過するなんて、何だかウソ電の世界のような…


そんな複雑な思いを抱きながら汐見橋線を後にしました。
高野線ホームに行き、住吉東まで乗車。
住吉東に隣接する神ノ木からまたもや阪堺に乗り天王寺駅前まで乗車し、あべの橋から近鉄で帰宅しました。
神ノ木から乗る前にしつこく狙ってみました。

かろうじてこんなのが撮影できたのが精一杯。
いちおう、南海・阪堺とも写っています。


今回使用した切符。

「堺・住吉まん福チケット」
・1000円で、以下の区間が1日乗り放題。
・南海:難波〜浜寺公園汐見橋〜中百舌鳥
阪堺:全線
南海バス堺市内の指定エリア
・かつ、併せてもらえるパンフレットの飲食店で割引サービスあり。
バスには乗車しなかったものの、南海と阪堺は乗り降りを繰り返したので、1000円で十分に価値があったと思います。*13

*1:下り線は一般的な島式ホームの両側に本線と待避線。

*2:待避なしの場合

*3:待避ある場合

*4:住吉大社の事

*5:スムーズでないのは天王寺駅前阿倍野−松虫間ぐらい

*6:平野線は廃止されていまいましたが、地下鉄谷町線の延伸が原因であって、モータリゼーション進展が直接の原因ではありません。

*7:公費補助により、大阪市内−堺市内直通運賃290円を、全線200円に値下げ試行中。

*8:鉄道の線路敷きにあるバラストは投石に使われるそうで、新宿騒乱だったか首都圏国電暴動っだったかで投石に懲りた国鉄は、バラスト敷きの軌道をバラスト不要の直結軌道に取り換えたそうです。なお、阪堺の当所はバラスト敷きのままでした。

*9:…が、きっとそんな簡単な問題ではないんでしょうけど。

*10:片町線の、かつての片町駅と京橋駅の関係とよく似ています。

*11:これはJR側が有名な難波に迎合して「JR難波」に改称されましたが。

*12:…って、南海電鉄の関係者がこのブログを見ているとも思えないのですが(-_-;)

*13:浜寺公園高師浜間は区間外に付き別に運賃を支払い。