ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

凄いとは聞いていたけれど

 今更の話で恐縮だけれどLehman BrothersのCEO, Richard S Fuld, Jr.が9月6日、下院監視・政府改革委員会での公聴会に出席して追求を受けたのをテレビや新聞で見た。彼が出てくるところを人々が口々に「Be shame on you !」と叫ぶ中を鼻を上に向けて歩くのが印象的だった。前々から米国のこうした企業のトップはとんでもない金額の報酬を貰っているものなんだとは聞いていた。彼はその多くは現金ではなくて株で貰ったんだとはいっているけれど、2000年以降、総額で4.8億ドルにもなるというのだ。目の玉が飛び出るとはこのことだ。常軌を逸している。未だにLehman Brothersのホームページに掲載されたままの彼の得意そうな写真と何とも薄ら寒い文章をご覧になりたい方はこちらをご参照あれ。ま、いつまでそのままかどうか分からんけれど。

 日本法人のCEOの桂木明夫という人物は「東大法から日本興業銀行の国際金融部門、米バンカーズ・トラスト、ゴールドマン・サックス東京支店、モルガン・スタンレー・ジャパンを渡り歩いた55歳。3兆円もの負債を抱えても罪に問われることはなく、すでにン億円、ン十億円と稼いでいるから、今後も悠々自適。(ライブドアニュース 提供:ゲンダイネット 2008年09月21日10時00分」と書かれているのを見つけた。

 ね、なんだかんだといっても金を持っている奴はきっと何かやっている。

 一方リーマン・アジア/欧州を入手する野村は人材の流出を阻止するためにそれまでのリーマンでの報酬を2009年まで保証するという方針を打ち出しているらしい。なにしろ駆け出しだって年収が600万円はあったというし、平均報酬で2-3000万円はあったらしいから普通の野村の報酬だったらとっととどっかほかに行っちゃうということらしい。一体全体、こんな状況下でそんなところがあるというのも不思議だけれど、こんな仕組みはやっぱりおかしい。金で金を生むなんて仕組みに奔走している奴らが良い目を見るのは狂っている。メーカーだって一番めんどくさいところを他に押しつけて儲けるやり方はやっぱりずるいね。それで景気が低迷すると国が国民を犠牲にして助けるんだからこんなシステムが人間的かといえば当然そんなことはない。
 こうして銀行があっちにもこっちにも公的資金が投入されたり国有化されてくるとこれはもう資本主義社会じゃないじゃないか。それじゃ経営手腕を買われて高い報酬を得ているというのは嘘になっちゃうわけで、公的資金をどっと注入して貰った企業の元役員は私的財産を全て投げ出す必要がある。それをしなくて良い法体系はやっぱり間違っているよ。納得いかないなぁ。

これじゃ文句いえない

中川財務・金融相と与謝野経済財政相が3日午前の参院本会議場の閣僚席で、携帯電話で地上デジタル放送(ワンセグ放送)を見ている様子が週刊誌に報じられ、両氏は8日、参院の江田議長、山東昭子副議長らに陳謝した。(2008年10月8日23時41分 読売新聞)

 通り一遍ないい方で、芸も何にもなくて恥ずかしいけれど、これじゃ、学校の教室で教壇からは見えないだろうと思ってか、あるいは見えたってなんてこっちゃねぇよと思っているのか、机の影で携帯かざしている学生達には、なぁんもいえねぇじゃねぇかというものである。品も何にもない。見ていた内容は国会中継だったからかまわないという問題じゃないよ。「これくらいガミガミいわなくたって良いじゃねぇか」と必ずいう奴はいるよ。そういう責任感のない奴は相手にしない。

どうささやかれているんだ?

小沢氏、健康不安否定に躍起 マスク、マフラー姿で国会出席 東京新聞2008年10月9日 朝刊
風邪をこじらせて入院している民主党小沢一郎代表が8日夕の衆院本会議に出席した。党側は、ささやかれる健康不安説の打ち消しに躍起だ。小沢氏は、本会議場で隣席の菅直人代表代行や鳩山由紀夫幹事長らと言葉を交わし、笑顔も見せるなど普段通りの様子。ただ、本会議後は、マスクとマフラー姿で国会内の党役員室に入った。

 あ、やっぱり健康不安をささやかれているわけだ。どんな具合にささやかれているのかを知りたいものだなぁ。もし彼が健康上の理由で今引退したら民主党としてはやっぱり打撃になるというのだろうか。私は彼が民主党の不安材料だと思っているので、印象が随分違うんだけれど。

カーチス・ルメイ

 (写真:いつもながら新宿紀伊国屋ビル地下の「水山」のチャンポンうどん) 
 昨日喉が痛くて仕方がなく、うがい薬を使って何回もうがいをし、めしを食べては風邪薬を飲んでガッと寝るが3-4時間で目が覚める。そこからまた起き出しては何かをしてまた寝るという具合に、家から一歩も出ずに過ごしたおかげで朝になるとどうにか出かけられるような案配に辿り着いたから、今日からまた始まる月に二回のレクチャーに出かける。今月から電車のダイヤが変わったのか、乗り換えの接続が余り良くなくてぎりぎりに飛び込むと、部屋の一番後ろにこれまでに随分お世話になった方が久しぶりにご参加のようで座っておられ、簡単な挨拶しかできなかったのが心残りであった。
 無差別爆撃の話になるとカーチス・ルメイ勲一等旭日大綬章の話が出た。カーチス・ルメイというのは日本の都市の無差別戦略爆撃を立案した米国空軍の将校で後にキューバ空爆を企画してJFKから却下されたが、ベトナムでは北爆を推進した。彼が航空自衛隊の創立10周年の招待で来日した際に時の総理大臣佐藤栄作官房長官橋本登美三郎、防衛庁長官小泉純也はかつての海軍航空参謀であった時の参議院議員源田実の働きかけによって1964年12月4日の閣議で決定して7日に授与している。主に源田と小泉が強力に推進したと伝えられている。どうしてもこの男に勲章を渡すという論理、その精神構造が理解できない。
 その後の12月15日の衆議院外務委員会で社会党の帆足計が質問に立つ。ちょっと長いが引用する。

帆足委員:先日アメリカのルメー米空軍参謀長に勲一等旭日大綬章を差し上げたそうです。私どもといたしましては、この方は長崎、広島に原爆を投下した張本人であるとかねて伺っておりましたが、こういう人に旭日何とかというような勲章を上げることは、ちょっと原爆の犠性者に対して礼を失することになろうと思います。武勲かくかくたる将軍であろうとも、悪縁あってこのような関係になりました者に対して勲章を与えたということは、与えたものを取り戻すわけにもまいりませんでしょうけれども、片手落ちでなかったかという疑問を持ちます。したがいまして、賞勲局からお見えになっておりますでしょうが、その問題について一言事情をお聞かせ願いたい。別にかれこれ言うわけではありませんけれども、事情だけは知っておきたいと思っております。


岩倉政府委員 お答えいたします。
 ルメー海軍(ママ)大将は、現在アメリカの空軍の参謀長でございます。戦後アメリカの空軍の参謀副長、参謀長を歴任されておりまして、戦後におけるわが国の航空自衛隊の発達にお尽くしになった。そういう方に対しまして、儀礼的に相互に勲章を交換し合うという国際慣例に基づきまして、叙勲せられたものでございます。なお、勲一等旭日章というのは、大将という軍隊の階級と申しますか、たとえば特命全権大使は勲一等旭日章特命全権公使は勲一等瑞宝章というような慣例に基づきまして叙勲せられたものでございます。


帆足委員 ちょっとお尋ねしますが、そのルメーなる職業軍人が広島、長崎の原爆の戦犯であるということは、間違っておりますか。


岩倉政府委員 ルメー大将は、戦争中にB29の爆撃隊の隊長をせられておりましたけれども、防衛庁からの御説明によりますと、原子爆弾の投下の直接責任者ではないというふうに伺っております。


帆足委員 私は、この問題につきまして、広島の人からその嘆きを聞いたのですが、もっともだと思うのです。したがいまして、身元調査を私のほうでもしておりますから、あなたのほうも、失敗したことは失敗したこととして、この戦犯に勲章を渡した——戦犯であるからといって、自衛隊との関係もあって、十周年記念で来るというのに勲章を渡さないということも、賞勲局としてはできにくい事情もあったと思うのです。これをジレンマと言うものでしょう。しかし、広島の皆さんからのこの嘆きを聞きましたときに、私は一種異様の気持ちがいたしました。廣田外務大臣が罪もなくして戦犯になられて絞首刑に処せられた日のことなどを思いますと、この何とかという職業軍人に旭日何とかというような勲章は、まことに歴史の皮肉ではあるまいか。私どもにどういう勲章を下さるか知りませんけれども、それに劣らぬ勲章をかくのごとき戦犯にあやまって与えておるということに対して、一人の良心的議員が、国民的感情から人生の悲劇を嘆いていたということを記録にとどめていただきたいと思います。

 やりとりはたったこれだけで終わりだ。何とも歯がゆいやりとりだし、全く不正確な答弁で、もし今こんなことがあったらそのままではすまされないだろう。
 ましてや源田実は戦時中に海軍戦闘機の装甲の改善要望に対して、根性で乗り切れという程度の人間なのだからこうした時代錯誤、善悪の見境がつかない、行動、言動は推して知るべきなのかも知れない。そうして考えるとこんな男を国会議員として認めるに至った国民の責任にまた戻ってきてしまうのだろうか。
 時の総理大臣佐藤栄作は、A級戦犯だったけれど時間がかかりすぎてCIAから吹き込まれて釈放された岸信介の弟だが、なんとノーベル平和賞を受賞していて、平和賞はノルウェー国会が選考するのだというからどこかから手を回したに決まっている。それもまた恥ずかしい。
 「儀礼的に相互に勲章を交換」しているんだったらこっちは誰が何を貰ったというのだろうか。尤もそんなことはどうでも良いのであって、絶対的に想像ができない。
 さすがにカーチス・ルメイも気が引けるのか、あるいは外国から貰った勲章なんてとっ恥ずかしいのかこの勲一等旭日大綬章を身につけて人前に出ることはなかったという。
 保阪正康はこんな具合に書いている。

 内心では、「私はあなたの国からこの様な賞をもらうわけにはいかない」とルメイに辞退してほしかったと思う。実際に、ルメイは自らの経歴を語るときには、日本から最高位の勲章をもらったとは決して口にしなかったという。その程度の慎みは持っていたのである。詰まるところ、問題は日本の側にある。(「昭和史の大河を往く 第四集 東京が震えた日 二・二六事件東京大空襲」 毎日新聞社 2008)

 上目遣いをしながら両の掌をこすりこすりおずおずと為政者に貢ぎ物を差し出す小悪人がそこにいる。
 紀伊国屋によって地下で「水山」のチャンポンうどんを食べた。上にあがるとこれまで気がつかなかった本を見つける。しかし、5,300円という価格に手が縮む。

東京裁判―第二次大戦後の法と正義の追求

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