2009-03-03
■スマートな運営
展示の入れ替え作業などは、お客さんに見せる仕事じゃない。
できることなら、開館時間外にやりたいのだけど。
開館前は他の作業で手一杯だし、閉館後は早く帰りたいと急かされるし。
「この展示は、館内整理日に」と案を出したものを、なぜ開館中に入れ替えようとするか。この展示を入れ替えるには、エントランスの通路を半分も占拠して、いかにも「作業中です」という状態にしないとならないと言うのに。すぐにでもやらないと時期を逃す展示を、準備ができているにもかかわらず、なぜほったらかすか。わからん。
自分も一時期はそのように考えていたけれど、今はそうでもない。
ルーチン化した事務作業なんかはバックヤードでさっさと処理してしまって構わないんだけど、館内での特別展示などのイベントめいたことは、むしろ事前・事後のあれやこれやにも見せられる部分があるのではないか、コンテンツの一環をなすのではないか、とそんなことをぼんやり考えている。
ユーザーは客にあらず、ライブラリアンは主権者にあらず、というスタンスに今の自分は傾いているんだけども、あまりにもスマート過ぎる運営は利用者と図書館の間に隔たりを生み、ユーザーの主体性の芽を摘んでしまうのではないか、という危惧を抱くんだよね。なので、どうにかして利用者自身の参加意識をかきたてられないもんか、そういう方向性でちょっと知恵を絞りたいわけで。
■ワークフェアにまた一歩
そのうち記事も消えるので全文引用しておきます。
政府・与党は、失業手当の給付期限が切れた失業者に、職業訓練中の生活費を支給する制度の検討を始めた。
昨年から月10万円の貸付制度を始めているが、利用者が少ないため、より使いやすい制度の創設を目指す方針だ。
同制度は長期失業者に対し、国や都道府県が実施する公共職業訓練の受講を条件に、生活費を支援するものだ。不況が長期化する恐れがある中、最長330日の失業手当の給付期間中に仕事が見つからない失業者の生活を、再就職を目指す人に限って支える狙いだ。
職業訓練を条件とした生活支援は、政府が昨年11月に雇用対策の一環として、月10万円の貸付制度を始めている。企業が職業訓練のために支払っている雇用保険の保険料を財源とした3年間の時限措置で、職業訓練を経て就職した場合などは、返還が一部免除される。しかし、「世帯収入200万円以下」など要件が厳しいこともあり、2月24日の時点で利用実績は8件にとどまっている。
新制度について、与党では関係法を整備し、一般会計を財源とした恒久的な制度を創設する案が出ている。欧州では、ドイツなどがこうした制度を設けており、連合(高木剛会長)も制度創設を求めているためだ。
ただ、法案審議に時間がかかることから、政府では当面、現在の貸付制度を変更する形で対応するべきだという声が強い。その場合でも、貸し付けではなく、返済を求めない支給制度とし、倒産した自営業者ら雇用保険に加入していない人も対象とする方向だ。
制度の詳細は今後、与党の「新雇用対策プロジェクトチーム」(座長=川崎二郎・元厚労相)で調整する。
「長期間、生活費が支給されることになれば、結果的に離職者の就労意欲を減退させる可能性もある」(厚労省幹部)という指摘も出ており、支給額や期間は慎重に検討する考えだ。
一方、民主党も、失業手当の受給を終えた失業者に、職業訓練を受けている間、2年間を限度に月10万円程度の手当を支給する「求職者支援法案」を今国会に提出する方針だ。
これはいいですね。以前のエントリで書いたとおり、福祉給付に就労を紐付けるのがワークフェアの骨子なわけですが、ラストリゾートたる生活保護に一気に向かわせないためにも、就労インセンティブを損なわない生活支援策が望まれるところです。記事にもあるように単なる所得給付では就労意欲減退の可能性がついて回りますからね。就労を促し、自立して生活できる人間が増えるほど社会のサステナビリティは高まるわけで、こうして労働政策と社会保障政策が緊密に結ばれるのは大いに歓迎です。
こうして失業者に対するセーフティネットがきちんと準備されればされるほど、労働者が合わない職場にしがみつく必要も少しずつ薄れていくでしょうし、きっといろんな方面に利益があることと思います。むろん、嫌いな人はやっぱり嫌いな政策スキームなんでしょうけど。
2009-02-05
■内定取り消しの顛末
昨年後半に採用予定学生の内定を取り消して話題になった日本綜合地所が、ついに破綻したそうで。
日本綜合地所は93年の設立。主に首都圏で、ファミリー層を狙った「ヴェレーナ」シリーズマンションを分譲。団塊ジュニア世代のマンションブームに乗り、業績を拡大し、01年に東証2部、03年に東証1部上場。08年3月期の連結決算は売上高1189億円、純利益46億円を計上していた。
しかし、一昨年夏のサブプライムローン問題浮上後、拡大路線が裏目に出て、業績が急速に悪化。昨年10月以降は資金繰りが切迫するようになったという。今月3日には、09年3月期の連結業績が305億円の純損失に落ち込むと発表。最後は、今月上旬の建築代金支払いのめどが立たず、行き詰まった。
マンション分譲などを手がける「日本綜合地所」(本社・東京都港区)が大学生53人の内定を取り消した問題で、学生3人が加入し交渉をしていた全国一般東京東部労組(岸本町雄委員長)は2日、同社と協定書を締結し問題が解決したことを明らかにした。
労組によると、協定書で会社側は「精神的負担を含め多大な迷惑をかけることとなり、誠に申し訳ない」と学生に改めて謝罪した。その上で、補償金100万円と解決金の支払いで合意した。補償金は当初42万円が提示されたが、交渉で100万円まで増額され、組合員以外の学生にも同額が支払われた。
日本綜合地所の広報担当者は「ほとんどの学生さんへの補償金支払いは終えた。ご迷惑をおかけしたので、業績回復に全力をあげたい」と話している。
労組によると、組合員の3人は内定が取り消された後、就職活動を再開、1人は新たな内定が取れたが、2人は就職先が決まらず、留年せざるを得ないという。須田光照書記次長は「内定取り消しや非正規労働者の解雇、雇い止めなど、弱い立場へのしわ寄せを許さず、企業の社会的責任を追及していく」と話している。
同社は昨年11月、業績悪化を理由に、学生53人の内定を取り消した。学生3人は労組に入り、12月に会社側と団体交渉をした。補償金は当初の42万円から100万円に増額されたが交渉は決裂。その後も交渉が続いていた。
協定書は1月26日に結ばれ、同労組に支払われた解決金については組合費を除き、3人に分配したという。解決金の額は非公表としている。3人以外の学生らにも昨年12月、100万円の補償金の支払いが提示されており、同社によると全学生が受け入れを決めている。
ということのようです。
昨年末のエントリでも書きましたが、潰れそうな会社に入っても将来は暗いし、入る前に潰れてしまっては学生が泣くことになるだけなので、やはり保険等による金銭的解決のスキームを整備しておくべきなんじゃないですかね。景気がよければ別の就職先を見つけることも容易でしょうが、景気がよくないからこそ騒ぎになってしまう。よくない状況を想定してリスクをヘッジしておくのは、ごくごく常識的なことですからね。
2009-01-18
■こんな時期に正社員の解雇規制緩和を打ち出したら
消費マインドの冷え込み方は生半可なものじゃないでしょうね。少なくとも消費税の増税と同じくらいには。
かつてマスメディアにおいて「リストラ」という言葉が賑わっていたころ、いったいどのように人員削減が行われていたか、覚えている人は多いでしょう。身内や友人知人が当事者だった人も少なくないはず。景気が沈滞している今般の時勢にあって、さらに解雇へのハードルを下げたら、多くの労働者は職にしがみつこうとしてノイズ混じりのアッピールを繰り返したり、あるいは同僚を蹴落とそうとする可能性もあります。生き残るためにはなりふり構っちゃいられません。もしかしたら家族も派遣切りや無い内定に遭っているかもしれませんしね。こぞって局所最適に走る姿が容易に想像できます。
前のエントリでも触れましたが、解雇規制を緩和するなら、それと同時に(あるいは先立って)、潤沢な失業保険の給付と手厚い就労支援が必要なはずです。太陽が現れる期待が無いのに、北風の只中でコートを脱ぐ馬鹿がいるわけもありません。正規雇用と非正規雇用の間の大きな格差はいずれ均衡に近づけるべきという考えを自分は持っているけれど、それを実行するべき時期は、十分な経済成長と各種社会保障の充実がともに成し遂げられてからの話でしょう。財政再建とか構造改革とか、マクロ経済が健康を取り戻してからの話ですよ。これ以上に消費主体たる労働者に痛みを負わせるって、冗談でもそんなプレイは御免です。「経世済民」って言葉はどこに行ったんですかね。
ついでに言っておくと、政府が積極的雇用政策に乗り出さないと、労働者は雇用の質を問うことが出来ずにとにかく就労せざるを得なくなってしまい、劣悪な労働環境が淘汰されずに延命し続けます。その点からも雇用の流動化それ自体にはメリットがあるわけで、だからやっぱり、一刻も早く景気の回復を促すとともに、フレクシキュリティを盛り込んだ積極的雇用政策なわけですよ。
■仕事に打ち込むという「悪徳」
ワークライフバランスの観点からすると、家庭のために割いてしかるべき時間を、家庭に割かずに自分のキャリアアップのために投入すること自体が、批判の対象となるだろう。もちろんキャリアアップによって当人の収入や待遇が向上する可能性はあるだろうが、それを達成する以前に家庭が不和に陥っては何にもなるまいよ。ま、家事を(ある程度)やっていれば仕事に没入することが許される、という発想を、まず変えたほうがいいんじゃないかな。妻のキャリアアップを妨げておきながら「そんなとき、嫁さんって笑顔で応援してくれるもんじゃないのかなあ。」って、いささか自己中心的に過ぎるのでは。旦那の側は主観的には努力しているつもりなのだろうが、努力する方向が大間違いだね。
2009-01-15
■アビスパ福岡2009年シーズン始動
いよいよ今日から、アビスパ福岡も2009年のシーズンを始動させました。今オフは積極的に補強に動き、ジュビロ磐田からは元日本代表の田中誠、ロアッソ熊本からは高橋泰を獲得。またブラジルからはウェリントンを獲得し、退団した北斗の穴を埋めてくれそうです。思えば昨シーズン前は失意の只中にいたような気がしますが、今年はまともにコミュニケーションが取れる監督の下でスタートできますし、ちゃんと昇格争いに絡んでくれるでしょう。
J1昇格へ福岡始動、MF宮原ら移籍組も合流 : Jリーグ : サッカー : 九州スポーツ : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
J2福岡が元代表DF田中誠を獲得 - サッカーニュース : nikkansports.com
なお聞くところによると、ユースから昇格したGKの笠川永太(えいた)に対して吉田が、「おまえはまだ永太じゃない、B太だ!」というギャグをかましたらしい。アホや(笑)。
2009-01-13
■労働政策と社会保障政策を接続する3つのキーワード
はてブで何度も「雇用こそ社会の安定」と叫んでいるんだけど、新年一発目にちょっとキーワード解説的なエントリを書いてみます。素人学問なので全部信じちゃダメだよ。
- フレクシキュリティ
Flexibility(柔軟性)とSecurity(社会保障)を合わせた造語。1990年代から、オランダやデンマークを中心としてヨーロッパで提唱・実施されてきた政策概念。企業にとっては労働市場がフレキシブルであることが望ましいが、ただ単にフレキシブルであるだけでは個々の労働者に不安定さのリスクを押し付けているだけであり、社会の安定は損なわれる。したがって、きちんと労働者を保護する仕組みを合わせて整備しましょうということ。簡単に言うと、「解雇されないから大丈夫」ではなく、「解雇されても大丈夫」という方向で制度設計を行う。デンマークを例に取ると、緩やかな解雇規制・手厚い失業保険・充実した職業訓練の3つを大きな柱としていて、この3つが相互に深く連携しているので「ゴールデン・トライアングル」という別名がついた。これにより、労働者はある企業から解雇されても、失業保険を受けつつ職業訓練に参加することで、生活水準を落とすことなく再就職が可能となる。もちろん、これを実践するのは容易いことではなく、デンマークにおける労働市場プログラムのコストはGDP比で約5%だそうで、国民がこれだけの負担を合意できなければ成り立たないだろう。そういえば3年ほど前に、フランスのドビルパン首相がCPEなんてものを提唱してましたっけ。労働組合の組織率ひとつ取っても、デンマークは90%近くあるはずですが、フランスは確か10%いくかどうかの低水準。CPEはフランス若年層の大反発を喰らって潰れてしまいましたが、ただの規制緩和ではデンマークモデルをなぞることはできないという証左です。(ついでに言うと、デンマークの元首相であるラスムッセンは、CPEはデンマークモデルとは関係ないと言っている。)
- トランポリン型福祉
簡単に言うと、社会から落ちこぼれてきた人を受け止める「セーフティネット」に対して、貧困から脱出させ生活水準を高めるところまで福祉政策のスキームを広げることを、下に落ちてきた人を上に跳ね返す様子を形容して、そう呼ぶ。具体的には、イギリスのブレア政権下で就職支援と職業訓練をセットにして注力した一連の政策が代表例。落伍者を受け止めるばかりでは福祉給付の受給者が増えるばかりで、いずれ負担が重くなりすぎて支え切れなくなる。したがってセーフティネットにかかる負担を減らすには、落ちてきた労働者を再び支える側に戻してやるのが良い、ということも政策趣旨に含まれている。余談だが、安倍晋三政権の「再チャレンジ」政策の中で「正社員と非正規社員の均衡処遇」や「新卒一括採用を見直して複線型の採用」が提唱されたということを聞いて、「惜しい!もうちょっと踏み込んでくれ。」という感想を抱いたことを思い出した。もはや覚えている人もあまりいないと思うが、具体的な制度に落とし込むことができていれば、評価する向きは増えていただろう。話を戻すと、単純労働は人件費の面からどうしても後進国に奪われやすいので、先進国では単に失業給付を手厚くするよりも、しっかりとトレーニングを施したうえで労働市場に戻してやるのが、いたずらに国民負担を増やさないという観点からも妥当だろう。
参考:低所得者の賃金を改善させた英国式「トランポリン型福祉」(1) | 国際 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン
welfare(福祉)とwork(労働)を合わせた言葉で、「勤労福祉」などと訳される。もともとは、アメリカで失業保険などの社会保障給付を受ける際に、一定の労働に就くことを義務とした政策が源流で、1994年にニューヨークでジュリアーニ市長が導入した例が知られている。アメリカにおけるワークフェアは、福祉受給者を就労に追い立てるものという批判があるが、ワークフェアという言葉そのものが現在では多義的に使われるものになってしまっていて、例えばスウェーデンやデンマークのように福祉受給者を積極的に労働市場に参加させるような社会政策を大まかにワークフェアと呼ぶことも多い。というか、社会政策を論じる際にはヨーロッパの動向を参照することが多いので、特に「アメリカ型ワークフェア」と前置きするのでなければ、懲罰・制裁的な意味合いを排して理解してしまってもよいかもしれない。とりあえず、ヨーロッパ型のワークフェアはトランポリン型福祉と重なる部分も多いので、初学者はそれで割り切っていいんじゃなかろうか。
福祉受給者を労働市場に参加させるといっても、給付を切り下げて無理やり労働させるというようなハードな政策ではなく、働かずに福祉に頼るよりは働いた方が得になるように制度設計をしようと言うのがヨーロッパ型ワークフェアの趣旨で、ここでも充実した職業訓練がカギになっている。また、単に就労すればいいというものではなく仕事の品質を問いましょうという観点もワークフェアには盛り込まれている。どういうことかと言うと、仕事を得てもワーキングプアのような質の悪い仕事では生活水準は向上しないし、生活保護を受給していたほうが所得は上になるという「福祉の罠」も生じるので、就職しても給付をすぐに止めるのではなく段階的に縮小しましょうとか、母子家庭には潤沢な児童手当を給付しましょう、というような議論がなされている。深く踏み込んで紹介することはしないが、要は、福祉政策に労働インセンティブを組み込みましょうということ。
説明終わり。自分は今のところ労働中心主義者なので、基本的には上に書いたような制度設計を、つまり労働の枠組みにどんどんと人を組み入れて行く方向を支持している。これの対極にあるのが、労働の枠組みから人を切り離そうとする「ベーシック・インカム」ですね。あまり僕の好みではありませんが。なお、過去エントリを一部引用しておきます。
はたらくとははたをらくにすること、という古い言い回しがあるが、肉体労働にせよ頭脳労働にせよ、社会的動物たる人間は少なからず他人に貢献し承認を得たいという欲望がある。はたをらくにすること、すなわち労務の提供によって、労働者は賃金とともに承認を獲得し、充足を得る。働く日常で得られる心の平安はささやかなものだが、世の中は案外、そんなささやかな充足で慰められる人間が多いのではないか。
経済活動は優秀な人間だけでやった方が効率的だ。時間や手間、様々なコストを小さくすればするほど利益は大きい。しかし、優秀な人間に多く稼いでもらってその余剰でもって優秀でない人間を支える、というありかたを自分は支持しない。世の中の大半を占める平凡な人間が、平凡に働き、生活の糧とささやかな喜びを得る。そのささやかな充足が社会を壊乱させるリスクを軽減してきたと自分は考えている。
福祉による給付は、個人が社会と接続する機会を減少させる。社会との接続はもちろんさまざまなストレスを生むが、一方で社会と断絶することによるデメリットも考えておくべきだろう。1993年にECの社会政策グリーンペーパーにおいて「社会的排除」の問題が提起されたが、いわゆる格差社会においてはそれら排除された人々をどのように社会に包含していくかが論点となっている。はてな界隈では、2007年末のNHKスペシャル「ワーキングプア3」を思い出す向きも多いだろうか。(参考:NHKスペシャル「ワーキングプアIII 解決への道」の感想)
当ダイアリでは労働問題を重ねて取り上げてきたが、ここであらためて表明しておく。自分は、労働を通じて社会の安定を達成すべきと考えている。福祉による救済は限定的なもので、就労へのディスインセンティブとして機能してしまうため、サステナブルな社会を構築する際には、むしろ阻害要因となってしまう。それよりも、日々の生活の基盤となる労働という行為を社会政策の中心に据え、もって人間の尊厳と社会的紐帯を回復し、各人がより能動的に社会に参画する機運を育むこと。現代においては、そのような政策的枠組みが求められているのではないだろうか。
現在でもおおむね当時と同じ見解を保持していて、要するに社会政策の趣旨が「社会的排除から社会的包含への移行」を目指しているのであるから、労働分野においても積極的にインクルージョンしていくのが道理、というスタンスです。共同体において連帯を形成するのに、(アンペイドワークも含めて)労働者という属性によって社会に参画していることをコアとするのか、それとも何か別の属性に立脚して連帯を形成しうるのか。容易に解が出せる問いではありませんが、今のところは実効性あるアイデアは持ち合わせていません。
2008-12-23
■内定取り消しの話
手短に書く。採用内定が通知され応募者がそれを承諾することによって労働契約は成立するのだから、社会通念上相当と認められるような取り消し自由にあたらない場合の内定取り消しは、解約権の濫用であって無効である、というところまではウィキペディアなりJILPTなりの記事を読めば了解できるだろう。(参考:茨城労働局 採用内定は解約権留保付の労働契約が成立していると解される)
もしも内定の取り消しが容易に行えるようになると、企業側は有望そうな学生にはとりあえず内定を出しておいて後から取り消して数を調整する、ということができるようになる。それを見越した学生側は内定を応諾してもそこで就職活動を辞めずに続行して複数の内定を確保しようとし、実際の勤務開始日の直前になって志望順位の低い内定を辞退するようになる。勤務開始の直前に内定を蹴られた企業は、人事計画の混乱を最小限に抑えるため新しい人材を採用するべく急いで募集をかけ、またそこで玉突き事故のごとく内定辞退が発生する可能性もあり、結果として労働市場の規律は大きく乱れてしまうだろう。
学生の側から見ても、内定に応諾した時点で就職活動を辞めて学業に復帰していたところに、いきなり内定が取り消されて「もう一度就職活動やり直してください」などと言われても、今さら新しい就職先を探すのは大変な負担である。そのように過酷な結果を強いるくらいなら、内定そのものの価値はきちんと維持した方が得策ではないかと思う。
とはいえ、実際に経営が危うい状態で若く未熟な人材を登用するのは企業にとって望ましいことでは無いことも確かだし、学生の側だって経営の危うい企業に行くのは嫌だろう。要は、採用内定から実際の勤務開始までにタイムラグがあって、その間に景気の変化などが起こった場合に妥当な落としどころはどこか、ということではないのかしら。
難しい問題に自分のような素人が妙案を思いつくはずもないが、就職協定を復活させて採用時期そのものを遅らせてしまう、というのは一つの方法だ。もともと長い就職活動によって学業に支障が出ていることは大学側から何度となくクレームが出ているところであるし。ただ、現在でも倫理憲章が形骸化していると言われている昨今、協定を復活させることに実際どれほど効力があるかは未知数なところもある。
あるいは、逸失利益の損害賠償請求で揉めるくらいなら一定の金銭支払いによって内定を解消できると事前に取り決めておくのは、マシな解決策かもしれない。半端な額ではなく、内定取り消しを躊躇わせるに足るだけの金銭でだ。もちろん内定取り消しを真剣に検討するような経営状況の企業は支払い能力に欠ける可能性もあるから、保険で賄うのも一考だろう。雇用保険から拠出したって構わない。本当に潰れそうな会社なら無理やり入ってもしょうがないわけで、現実問題としてカネで決着つけるのが妥当な気はする。
ついでに言っておくと、「潰れる会社に就職しようとした奴も問題なんじゃないか」という意見は愚論だと思う。企業内部の活動を読めるはずもない就職活動中の学生が経営の帰趨を判断できるくらいなら、経営危機に陥る前に経営者の方で危機を回避してしまうに決まってるわけで。そんなところまで自己責任を要求するべきではない。
2008-12-20
■図書の会計処理
なんだか問題点がこんがらがっているような気がするので、整理のために書いておく。
「図書館が管理する本を図書という」。これは「図書」という言葉を大学の会計で使うときの定義。
この定義にしたがうと、研究室で管理する本は大学では図書とは言わないことになる。したがって、実質的に研究室などで管理する本は大学の備品ではないはず。
でも、今は、なんでもかんでも、本を図書として扱っていて、自動的に本を備品としている。
本の備品管理に膨大な人手がかかっている。
なぜ、こうなったのだろう。
何とかならないのかと事務方に検討をお願いしている。
まず、大学の研究室にある本のすべてが「研究室で管理する本」ではないことには注意が必要だ。どういうことかというと、配架場所が研究室になってはいても、実際はその予算は図書館から出ていたりするものがあるからだ。図書館の予算で購入した資料は当然に図書館が管理することになるが、資料によっては、専門性が高いとか強いリクエストを受けて購入したものであるなどの理由で、図書館ではなく特定の研究室、ラボ、あるいは学科共同の書庫などに配架することがある。ちょうど、派遣社員が派遣会社に「雇用」されたうえで様々な派遣先企業に「派遣」されていくように、図書も図書館で購入しながら各研究室に配架される場合があるのである。実務的には、図書館スタッフが定期的に研究室配架資料の所蔵確認をすることで「この資料は図書館の管理下にある」とみなすといった、アクロバティックな回避策をとっているんじゃないかと思う。
図書館の図書購入予算で購入された資料は、当然ながら図書原簿に記載され備品として扱うことになるので、管理にいささか手間がかかるのは仕方がないことではある。さらに言えば、図書の場合は他の備品とちがって減価償却をしないので、永久に大学なり研究機関なりの資産として管理し続けなければならない。(参考:「図書の会計処理について(報告)」について(通知))ゆえに、この管理コストを回避したいのであれば、研究者自身のポケットマネーで購入するとか、各研究室などに配分された研究費で消耗品として購入するということになろう。ポケットマネーで購入した本は要するに私物なのであるから、大学や大学図書館が管理するものではないし、消耗品として本を購入したのであれば、備品じゃないのだから手間はかなり軽減される。
なお、図書館の予算ではなく各研究室等の予算で本を購入するのであっても、「○○万円以上の価格の本を購入する場合は原則として備品として処理する」というような内部規定があるんじゃないかと推測されるので、全部の本を消耗品として扱うことはできないだろう。さらに言えば、図書館の予算で購入していない本は図書館のデータベースに載らず、したがって知らないうちに複数の部局で同一の本を購入していたりするケースが発生しうるので、実際のところは重複を避けるために「本は原則として図書館を通して購入すること」というような実務上のルールがあったりするんじゃなかろか。なので、やっぱり手間はかかる。あ、問題が解決してないや(笑)。
最後に余計なことを言っておくと、そういう手間のかかることを研究者自身にさせないために事務方がバックヤードで働くことになっているのに、どうも研究者というのは華々しいサービスばかりに気を取られて管理部門を軽んずる傾向があるので、たまには裏方の働きにも目を配って欲しいものだと、これはリンク先とは関係なく愚痴っておく。数百万点に達する図書館資料の一つ一つを管理するロジスティクス機能と、それら資料を研究教育リソースとして提供するサービス機能を兼備し続けるというのは、それはそれで結構なエネルギーと専門性が必要なのですよ。
2008-12-08
■2008年J2第45節・アビスパ福岡−湘南ベルマーレ
シーズンの最後で、アビスパの良いところを出せました。映像はこちら。→http://4media.tv/soccer/club/avispa/
得点:ハーフナー(36分) 鈴木(48分) 大久保(60分) 坂本(66分)
蜂メンバー
GK22吉田宗弘
DF27丹羽大輝
DF17中島崇典
MF18鈴木惇
MF14中村北斗
FW19大久保哲哉
湘南はよく整えられたいいチームでした。ジャーンは強いしアジエルは巧いし石原は怖いし。菊池も単なる若手という以上に戦力になっていた。それでも、さすがに昇格の可能性がかかった大一番なだけに、見えないプレッシャーや焦りがあったのでしょう。時間が経つごとにプレイに粗さや固さが目立ってきました。もしアビスパが先制してなかったら、これほど差のあるゲームになったかどうか。
先制点は36分。惇のセットプレーからジャンボが折り返してマイクが飛び込みました。マリノスへの返却が濃厚なマイクも、少しは福岡で思い出ができたかな。長身の割に足元を使いたがるマイクですが、このゲームではしっかりとボールを引き出していたほか、フォアチェックもこなしていました。あれでエアバトルが勝てるようになれば、J1でも働き場所があると思うのだけど。
2点目は後半早々、サイドに流れたジャンボからのパスを、惇がミドルレンジから鋭く突き刺して追加点。あのような美しい軌道のミドルシュートを放った惇は本当に素晴らしかったが、湘南としてはなぜあんなにフリーにしてしまったのかと嘆きたいところでしょう。試合全体として、福岡が湘南の守備を完全に崩していたわけではなかったし、局所的な攻撃で勝った場面でうまく点を取れたに過ぎませんからね。
3点目は、山形が右サイドから送ったクロスを、ファーサイドのジャンボがDFと競り合いながらゴール右に流し込んだ。何度もこの形で決めているので、得意な形になってきたのだろう。
攻撃陣もさることながら、この日は守備陣を褒めておきたい。丹羽はいつもどおり守備の要となっていたし、前半の決定機を防いだ吉田は見事だった。そして、90分間集中力を保って攻守に貢献した山形と北斗の2人。相手のサイドアタックを封じるとともに幾度もバイタルケアをこなした山形の守備は効果的だったし、豊富な運動量でボールを拾い、あるいは引き出し、ドリブルを仕掛けた北斗は、シーズン随一の出来でした。2年前の怪我以来ずっと不調だった北斗でしたが、最後の最後で「福岡の一番星」らしい輝きを放ってくれましたね。移籍の噂もあるけれど、ぜひ残って篠田アビスパでシーズンを全うして欲しいところです。
終盤では、退団が決まっているヌノさんと、ヌノさんのために膝の手術を延期した盟友の久藤さんも投入し、ホーム最終試合の締めくくり。ヌノさんは現役続行にこだわってアビスパからのスタッフ就任要請を断ったそうですが、納得いくまでやりきったら、いつかはアビスパに戻ってきて欲しいですね。
今シーズン全体を振り返れば、リティ体制を引きずったおかげでチームがボロボロになったところを、生え抜きの篠田監督が何とか繕った形でした。クラブ運営の癌である都筑社長は相変わらず居座っていますが、せめてサポーターだけは、篠田監督と選手たちを信じていきたいと思います。簡単ですが、これにて。
2008-12-04
■いつか敗北する日のために
図書館の主要な業務の一つに、レファレンスサービスというものがある。ものすごく簡単に言うと、ユーザーの疑問や質問に答えることだ。「○○について知りたい」「××について調べたい」というユーザーが来た時に、求めている情報や資料、あるいはその調べ方を提供する役割である。
ということを踏まえたうえで、以下に引用。
分からないものを検索する
技術力が全くない人間であっても、検索エンジンは、正しく問いさえすれば、あらゆる答えを教えてくれる。
問題になってくるのは「問いかた」で、自分が抱えている問題をどう言語化すればいいのか、 分からない人はたいていの場合これが分からないし、分からないものは、検索できない。
「問題」と「検索」との間に、誰か「人」に入ってもらうと、「何が問題なのか分からない」問題は、 しばしば検索可能な、解答可能な問題に置き換わる。
次世代の検索エンジンは、たぶん「ここではないどこか」みたいな言葉を検索して、 満足のいく解答を返してくれるようになる。
「ちょうどいい暇つぶし」だとか「面白そうな本」みたいな、検索不可能ワードの検索需要は必ずあって、 そんな「次世代」は、たぶん人がたくさん集まる場所から発生する。
疑問を持って、SNS でヒントをいただいて、検索して、Twitter に疑問を投げて、 blog のコメント欄でヒントをいただいて、さらに検索して、解答にたどり着いた。
長いので省略したが、このエントリに記された一連の流れは、図書館に持ってくればそのままレファレンスと呼んでも差し支えないだろう。
ユーザーが図書館を訪れるとき、「わからないこと」の中身が常にきちんと整理されているとは限らない。わからないという思いだけをハッキリと抱え、しかし「何がわからないのか」については曖昧なままで、ユーザーから質問をぶつけられることは珍しくない。そういう時に我々は、ほんの少しだけ検索し、得られた情報をユーザーに示し、知りたいことは何なのかを逆質問によって引き出し、対話を重ねていく。ユーザーが投げかけた言葉、こちらの逆質問に対する応答、解となる情報を求めるに至った事情や動機、ユーザーの身振りや表情に至るまで注意深く観察し、相手の意図を把握するとともに、質問の主題を明確にしていく。「レファレンスインタビュー」とは、そのようにしてユーザーの抱いた疑問を研ぎ澄ましていく対話技術だ。リンク先のエントリは、図書館の代わりに検索エンジンとblogとtwitterが、ユーザーの疑問をうまく編み直して解決に至った一例とも言える。
そのうえで、上記引用部分はライブラリアンとして非常に示唆的だと思う。自分はこのダイアリでたびたび、「ライブラリアンは情報ナビゲータだ」ということを言っているが、人間の頭脳にはもともとナビ機能が備わっているんだから、多少なりとも知的トレーニングを積んでいれば、図書館に頼ることなく検索エンジンとソーシャルメディアを駆使して目的の情報に辿り着くことができたりする。これまで人間が担ってきたレファレンスの全てではないにせよ、結構な部分を代替することが出来るだろう。あるいは、こうして blogなどに疑問と解答と問題意識をセットで書き残しておけば、それは一つのレファレンス事例であり、後で誰かが検索して参考にすることもあるかもしれない。
技術の発展というのは、それまで人間が担ってきたことを人間がやらずに済むようになるということでもあるから、セマンティック技術とやらが従来のレファレンスを代替するようになるのなら、人間はさらに高度な、あるいは広範なレファレンスを心がけるしかないだろう。今どきラッダイト運動でもあるまいし、「テクノロジーによる人間の代替」にビビってもしょうがない。
そもそも専門職というのは、自分の持つスペシャルな技能がコモディティ化すること、単純化すること、あるいは陳腐になることを歓迎するのが当然であって、いつまでもスキルが腐らなかったら、スキルアップに励む必要が無いわけだから、その専門職そのものが沈滞してしまうだろう。専門家の働きによって価値を認められた技能・技術は、それだけ速く世の中に広まっていくはずだから、言い換えれば、専門職とは自分のスキルが不必要になるような世の中を待望している人間ということになる。
自分がスキルを向上させていくスピードが、従来のスキルが陳腐化するスピードに敗れ去るとき、その専門家はキャリアプランの修正を強いられる。それは「引退」かもしれないし、他業種・他職種への「転身」かもしれないが、いずれにせよ、その敗北の瞬間は必ずやってくる。かつて『沈黙の艦隊』という漫画の中で、ジャーナリストのボブ・マッケイが海江田艦長に対し「あなたは自らが敗北する瞬間のために深海にあり続けようというのか!」みたいなセリフを言っていたと記憶しているが、自分が敗北する瞬間に向かって全力疾走するのは、すべてのプロフェッショナルが背負った業のようなものかなと今は考えている。もちろん「やまと」と違って、人間は敗北しても知恵と勇気によって再起を図ることができるのだけれども。
2008-11-23
■福岡第一バスケ部・セネガル人留学生の件
軽くメモ程度に。
19日の衆議院文部科学委員会で市村浩一郎議員(民主)が問題を取り上げた。セネガル当局が日本の外務省の問い合わせに答えた資料によると、03年から福岡第一高校に留学したティエルノ・セイドゥ・ヌロ・ディアン選手は、82年1月4日生まれで当時21歳だったのに、86年10月4日生まれの16歳とするうその身分証を取得、これをもとに発行されたパスポートを手にしていた。
(中略)
疑惑は当時も指摘されていたが、福岡第一高校や全国高体連バスケットボール専門部は、年齢確認はパスポートで行ったなどとして出場可能としていた。福岡第一高校ではもう1人、05年の全国高校選抜に出場した九州のほかの高校でも1人セネガル人留学生が出場しており、「セネガル旋風」と話題になっていた。
ここで問題が生じた。福岡第一が高校総体で優勝した後、写真週刊誌が留学生の「年齢詐称疑惑」を報じた。訴えの主はライバル校、福岡大大濠の田中国明監督。全国高校体育連盟に質問状も出した。これに対し、福岡第一側が名誉棄損で訴訟を起こす騒ぎにもなった。
セネガル旋風って当時も話題になっていたな。福岡第一以外にも、延岡や八王子が上位進出していたと記憶している。確か、福大大濠は留学生を入れずに純日本人チームでやっていたんだっけ?
若年層のスポーツは育成も兼ねているから、例え同じ高校に所属していても年長の選手はまずかろう。たかはし智秋23歳や井上喜久子17歳のようなシャレでは済ませられない。ただし、パスポート詐称は母国でどう発行されたかの問題であるので、受け入れた学校側の責任だけを問うことはできまい。
さて、第一は2004インターハイや2005ウィンターカップを獲っているが、今さら剥奪というわけにもいかないだろうし、どう収拾するのやら。


