登 大遊@筑波大学大学院コンピュータサイエンス専攻の SoftEther VPN 日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

Daiyuu Nobori's SoftEther VPN Diary since 2004

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日記でよく出てくる「AC」(もともとは筑波大学用語) について詳しくは ここここ をお読みください。

 

2016年1月25日 (月)

OPEN シューティング・ゲーム  OPEN シューティング・ゲームを含むブックマーク  OPEN シューティング・ゲームのブックマークコメント

現在構築中の秘密の大規模中継通信網「OPEN ネットワーク」 (http://www.open.ad.jp/) の大公開まであとわずか!

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OPEN シューティング・ゲームを先行公開!


http://uploader.sehosts.com/open-shooting/

電話設備に迫り来る巨大帝国軍の恐い恐い「電話モンスター鳥」を、我らがアヒル・ボートから弾を十分に発射して撃退!!

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OPEN シューティング・ゲーム

http://uploader.sehosts.com/open-shooting/

JavaScript で動作します。マウス操作だけです。Chrome がお勧めです。IE、Firefox だと遅いです。

※ 私が作った訳ではないのでよくわからないのですが、「Type Script」という JavaScript の拡張言語のようなものを使って書いてあるそうです。

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2015年8月8日 (土) このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

OPEN.AD.JP (オウプン) - 大変新しい広域ネットワーク構築学術実験

http://www.open.ad.jp/


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2013年11月25日 (月)

AC とは何ぞや  AC とは何ぞやを含むブックマーク  AC とは何ぞやのブックマークコメント

AC が「うちのアパートは電気代がかかるが、水道は使い放題だから、水力発電をして電気を賄おうと思う」といった類のおかしな事を言い出すのはなぜか? 最近 AC 懇親会に行ったので、AC についてよく考えてみた。AC とは何ぞや?「問題解決能力がある人」というのが筑波大学の公式の定義であるが、それではわかりにくい。AC の性質について考えると、AC は次の 2 つの条件を満たす場合が多い。条件とは、まず「自分の考えが正しいに決まっている」と信じていること、次にそれを実現するための技術力等の能力を無駄にたくさん持っていること、である。客観的に考えが間違っている場合でも、AC は正しいと信じて無駄に繰り返すので、副産物として異様に高度な経験やノウハウがたくさん貯まり、実装力をさらに身に付けることになるのである。AC とは、このようにして特定分野についての能力が異様に突出したおかしな人のことである。

普通の日本人は、たいていの場合、自分の考えにそれほど自信を持っていない。特にそれが周囲の人の考えと異なるとき、「自分の考えが間違っているのではないか」と自然に考える。ある程度自信があると思っている考えについても、せいぜい、「自分の考えが (たぶん) 正しいのではないか」という程度の強さである。この状態で周囲が反対意見を述べれば、すぐさま内省して「ああ残念、やっぱり間違いのようだ」というフラグに変わってしまう。そして、普通の人はたいていほとんどの物事について「若干の興味」がある。

一方、AC な人は、常に、頭の中ですべての物事を 2 分している。「興味が全くない物事」と、「大変興味があり、それに対して自分の考えが最初から正しいに決まっている物事」である。AC は自分が興味がない物事については特に意見をもたず、こだわることもしない。

一方、興味がある物事については、たいてい、何か確固たる考えがあり、それについて「自分の考えが正しいに *決まっている*」という異常に強い自信がある。何せ最初から「正しいに *決まっている*」のであるから、周囲が反対意見を述べたり、過去の慣習 (常識) を調査した結果自分のほうが非常識であることが分かったとしても、それは自説の修正の原因にはならない。「自分の考えが正しいに決まっている」から、必然的に、周囲の反対意見はすべて「間違っているに決まっている」ということになる。この点をみると、AC は周囲の意見や空気になじまない社会不適合者である。

なお、AC は、「自分の考えが正しいに決まっている」という考え方にはたいてい何らかの根拠があるが、場合によっては全く根拠の自覚なしに「正しいに決まっている」と決める場合もある。ただし実はそれは意識的には本人にとっても無根拠のように感じられるけれども、無意識的に、つまり過去に得た膨大な情報を脳で高速に処理した結果として出た結論として出た結論であることも多く、この場合は確かに根拠を言語化することはできないが、それでも本人にとっては「正しいに決まっている」と決めている。

そもそも AC が「自分の考えが正しいに決まっている」と考えるとき、人と議論するとき以外では、その正しさの根拠を内省して一々考えたりすることはあまりない。最初から「正しいに決まっている」のだから、内省する必要もないのである。

したがって、AC は過去の慣習や周囲の意見がいくらあっても、「自分の考えが正しいに決まっている」と考える状態を変えることはない。そして、AC が「自分の考えが正しいに決まっている」と考えることは、たいていは「厳密に考えれば間違いであるという訳ではないかも知れないけど、やっぱり常識的にはその考えはあり得ないよ」というようなことであることが多い。だから、常識的には間違いであっても、AC の言い分である「自分の考えが正しいに決まっている」は厳密に考えると大抵正しい。

AC としては「正しいに決まっている」と信じていても、落ち着いてどのように厳密に考えても客観的事実から見ると「正しくない」という結果になるような物事も存在する。このような場合、AC は実験結果などの客観的事実を見ると考えが変わり、「やはり間違っている可能性がある」と思うようになる場合もある。ただしこの場合も、一般の人は少しの客観的事実を見るだけですぐに考えが変わるが、AC は自説について大変強い考えを持っているので、いくらかの数の客観的事実を見ただけでは納得することはない。まず、必ず「そもそも、私のほうの考えが正しいに決まっているのだから、これらの実験結果はすべて間違っているに決まっている。」と考える。特に人が実験した結果は信用ならないので、自分で実験をしなければ気が済まない。自分で実験をして結果が自分に対して不利となった場合は、「実験に用いた部品が偶然不良品であったに決まっている」と考え、多数の部品を 10 個くらい買ってくる。それらすべてで自分に不利な結果になった場合は、「不良部品をまとめて 10 個買ったのではないか。別々の工場で製造された別の 10 ロットを買わなければならない」と疑うことになる。このプロセスを無駄に多数回繰り返して、ようやく、「やはり間違っていた可能性がある」と納得するのである。このような流れにかかる時間やコストは、常識から考えると、とても非合理的である。

上記だけでは、「自分の考えが正しいに決まっている」と無根拠に考える人は、単なる社会不適合者であるということになる。しかし AC には強力な武器がある。それは「目的を実現するための技術力等の能力を無駄にたくさん持っていること」である。これが、単なる社会不適合者と AC との違いである。単なる社会不適合者は、いわゆる「意識の高い人」である。「意識が高い」というのは、「相対的に、持っている能力に対して言っていることの意識が高い」という意味であり、意識だけが高くても能力がないか、能力を身につける努力が足らないかで留まれば、それは単なる社会不適合者である。

一方、AC は関心がある物事については極めて膨大な量の情報や経験を持っているので (そして不足している部分は何とかして補おうとするので)、その分野だけ、無駄に能力が高い。ただし人の過ごす時間は全員平等であるので、AC はたいていの場合、それ以外の無関心な分野についてはほとんど知識がないということになる。これは仕方がないことである。しかし、とにかく関心がある分野に関する実行力は並大抵のものではないから、「自分の考えが正しいに決まっている」という自説を証明するために、その実現能力を用いて、一般的な手法と比較すると 100 倍程度の労力を必要とするおかしな方法を用いてでも何とか作り上げてしまうのである。そのため、AC が「自分の考えが正しいに決まっている」と考えている説で、かつその説が「常識的には間違いまたはどう考えても非合理的だが、厳密に考えれば確かに正しいといえなくもない」場合は、AC は最終的には必ずそれを実現してしまう。AC にとって一番の喜びは、その結果を見て周囲の人が「これは頭がおかしい。確かにこのような非合理的なやり方であれば厳密にはできなくはないけど、普通の人は実装能力がないからこのやり方はまずあり得ない。」と驚いたり呆れたりする結果を見る瞬間である。

ごく稀に、どのように厳密に考えても客観的に間違い (不可能) であることを AC が正しいと信じて無駄に実装能力を発揮して実現しようと試みる場合もある。この場合は確かにどれだけ時間・コストをかけてもその物事は実現しない。ただし、もし普通の人が同じことをすればある程度の時間が経過したところで諦めるのであるが、AC は、「自分の考えが正しいに決まっている」と考えているので、成功するまで何度も反復的に繰り返す。この結果、たいていは意外な有益な副産物が生じる。何せ、絶対に成功しないことを何度も試みるのであるから、少しずつ違った手法を試していくうちに、まったく本来の目的とは無関係な有益な副産物やノウハウが手に入るのである。その副産物の蓄積量は、当然、無駄に試行した時間に応じて増えていく。本人にとって、副産物の蓄積量が、本来の目的の価値よりも高くなった場合は、AC は本来の目的はひとまず棚に上げて、得られた有益な副産物のほうを享受することになる。(なお、本来の目的はひとまず棚に上げているだけであり、「間違っていた」と考えている訳ではない。単に、「自分の考えが正しいに決まっているのだが、興味の対象を外れたので棚に上げておこう」と考えるのである。)

結論として、AC が何か変なことを言っていて、しかも「自分の考えが正しいに決まっている」と考えている時は、何を言っても無駄である。そしてたいていはその考えは厳密に考えると本当に正しい (ただし常識的に考えると非合理的であり無駄である) のだから、より AC 度の低い周囲の人がこれに反論して制止させることはできない。制止させようとする代わりに、適当に面白がって見ていれば、その AC は無駄に強力な実装力を用いて物事を実現させてしまうか、または途中で産出される副産物がもともとの目的を超えた時点でその副産物のほうに興味が移ることになる。いずれにせよ AC が AC な行動をすることは大変良い結果につながるので面白がって見ているのがよい。

2013年11月15日 (金)

Amazon Kindle Paperwhite には温度センサーが入っており、外気温によって画面全体のリフレッシュ間隔を調整している  Amazon Kindle Paperwhite には温度センサーが入っており、外気温によって画面全体のリフレッシュ間隔を調整しているを含むブックマーク  Amazon Kindle Paperwhite には温度センサーが入っており、外気温によって画面全体のリフレッシュ間隔を調整しているのブックマークコメント

Amazon Kindle Paperwhite を車の中などの低温環境にしばらく置いておいてから使用しようとすると、ページめくりの度に画面全体がリフレッシュされることに気付いた。

通常、Paperwhite ではページめくり 8 回程度に 1 回しか画面をリフレッシュ (すべての領域を黒で塗りつぶしてから消去すること) しない。しかし、低温環境の場合は毎回リフレッシュが発生するようだ。しばらく暖かい場所で使っていると元に戻るので、中に温度センサーか何かが入っていて温度をチェックし、リフレッシュ間隔を調整しているのかも知れない。

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2013年11月13日 (水)

Amazon Kindle Paperwhite 2013 年モデルは大変快適  Amazon Kindle Paperwhite 2013 年モデルは大変快適を含むブックマーク  Amazon Kindle Paperwhite 2013 年モデルは大変快適のブックマークコメント

Amazon Kindle Paperwhite 2013 年モデル (3G 版) が届いた。

昨年発売された Amazon Kindle Paperwhite 2012 年モデルと比較して、2013 年モデルでは、体感速度ではページめくりが高速になっている。

特に、Amazon で中古書籍をスキャン代行業者に送付して PDF 化してもらい Kindle で読む方法とツール の方法を用いた場合、スキャンした書籍のデータを電子書籍データフォーマット (Mobi 形式) に変換して Kindle にアップロードした場合、Paperwhite 2012 版では、ページめくりがとても遅かった。そのため、快適にページめくりをするためには、ページを読み終わる少し (数秒) 前にページめくり操作をするというような高度なテクニックが必要であった。

しかし Paperwhite 2013 年版では、テキストデータ版の電子書籍をめくるのと同じくらいのスピードでスキャンデータの Mobi 形式をめくることができる。

また、Kindle Paperwhite の良い点は、3G 版であれば通信料無料でドコモの回線を使用して Amazon のサーバとの間で通信ができる点にある。同一の Mobi ファイルを複数の Kindle Paperwhite 端末にアップロードしておけば、どのページまで読んだかという情報が常に Amazon のサーバにアップロードされ、各端末間で同期される。現在 3G 版を 3 台購入し、職場、自宅、車の中の 3 箇所に置いてある。外出したときは、車の中に置いてある端末を持って出ることにしている。車の中では走行中は常に USB で充電されるようにしているので、電池切れの心配がない。そして、車の中の端末は自宅に帰ると車の中から降ろさなくてもガレージの中にあるだけで自動的に自宅にある Wi-Fi につながるので、その間に新しい Mobi ファイルを Amazon のサーバー経由でダウンロードすることができる (send to kindle を使用すればダウンロードは自動で行われる)。


iPad miniKindleAndroid 版などは多機能かつカラーであるが、出先で使用するには 3G 契約が別途必要であり、すべて 3G の契約を締結した複数台を所有するとかなりのお金がかかる。その点 Paperwhite 3G であれば無料である。怠け者で、端末を持ち歩くのが面倒だというときは、多数購入して色々な場所に置いておくというのがよい。

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2013年11月10日 (日)

市民による筑波大学の松美池でのボート遊びについて  市民による筑波大学の松美池でのボート遊びについてを含むブックマーク  市民による筑波大学の松美池でのボート遊びについてのブックマークコメント

一般市民が筑波大学の公園に立ち入り、公園内の池でボート遊びをすることは、法律的にも慣習 (常識) 的にも差し支え無い。むしろ、それはもともと筑波大学の池の利用目的として想定されていたボート遊びを実施することで池の効用を引き出そうとする、素晴らしい行為である。

筑波大学公園は、国の負担で建設され、供用開始後 40 年間公園として行政主体によって開放されてきた、誰もが利用することができる公共の財産である。この公共の財産の管理を市民によって委託された行政主体である筑波大学は、一般市民がボート遊びをすることを、好き勝手に禁止することはできない。議会によって制定された法令の根拠によらない、そのような好き勝手な規制は、公物管理権・公物警察権の濫用であり、もしそのような規制により、行政主体がボート遊びをする人を強制的に排除・妨害したとしたら、それは憲法違反となる可能性もある。


前回の11 月 9 日の日記では、このような考え方を、いくつかの大学発行の正式な資料等を根拠として述べたが、非常に長くわかりにくい文章となってしまっていたので、改めて再構成し、図を用いて簡潔に説明したい。

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上図は、筑波大学公園の特殊事情を示し、それによって発生する、キャンパスに立ち入っている人たちの関係を図式化したものである。この図を見ながら、考えを整理していく。なお、本文中の ① から ⑲ までの番号は、図の中の番号に対応している。


1. 筑波大学キャンパスは、1970 年代から供用されている公共公園であり、誰でも立ち入って一般使用できる。

「①筑波大学のキャンパスの敷地」は、「④建造物及び囲繞地」(以下「建造物部分」という) と「③公園部分」とに分割できる。

「①筑波大学のキャンパスの敷地」は、「②県道・市道」と分離するための柵や門扉で囲まれていない。

「③公園部分」は、筑波大学施設部 1982年4月 P.86筑波大学学生生活課 2011年6月 P.2筑波大学ホームページ などから、1970 年代の開学時から現在まで誰でも自由に立入り利用することができる公園として供用されている。

「③公園部分」には、「⑥車道・歩道 (ペデストリアン)」がある。筑波大学内の「⑥車道・歩道」について、国家公安委員会 2012年1月により警察庁は道路交通法上の道路として認めている。筑波大学交通安全会 2008年2月 においては、一般車両が学外から自由に入構できることを大学自ら認めている。

なお、公園部分と異なり、「④建造物及び囲繞地」は、原則として職員や学生のみが立入ることができる。部外者が立入るには、正当理由がなければならない (刑法 第130条)。建造物の管理者は、「④建造物及び囲繞地」の内側にいる人に対して、いつでも、自由に退去を命じることができる。退去命令が出された人は、退去しなければ不退去罪に問われるためである (同条)。


2. 筑波大学公園内の松美池は、ボートやヨット、魚釣りや水遊びなど多角的な利用を目的に設置された池である。

「③公園部分」には、いくつかの池がある。代表例として、「⑪松美池」がある。これらの池は、筑波大学施設部 1982年4月 P.205 により、「ボートやヨット、魚釣りや水遊びなど多角的な利用」を目的として設置された。また、同資料 P.149 によれば、松美池は「人工池」であり、湖畔にあるコンクリートの階段状の構造物は水への接近性を高めるための「池中まで連続するステップ」である旨が記載されている。

したがって、「⑪松美池」は水遊びやボート遊びをするために意図して計画された池であることに間違いはない。


3. 現時点では、筑波大学公園でのボート遊びに際して、事前の許可は不要である。

筑波大学法科大学院講義資料 2013年5月 によれば、国立大学法人は行政主体の一つである。同様の記述が、立命館大学法学部講義資料流通経済大学講義資料 などにみられる。そして、筑波大学国立大学法人である (国立大学法人法)。したがって、筑波大学が一般市民に対して開放している公園部分を管理する際は、行政主体としてその権限を行使する。

筑波大学が行政主体として一般公衆への供用を開始した後の「③筑波大学公園」は、慣習法にいう公共用物である (立命館大学法学部講義資料東北学院大学講義資料)。公共用物には、「一般使用」、「許可使用」、「特許使用」の 3 種類の利用形態がある。「一般使用」は許可を必要としない利用方法で、「道路の通行や河川の就航、公園の散策など」が含まれる。公共用物はその種類によって一般使用の用途が異なる。公共用物法理論の再構成 早稲田大学大学院法学研究科 権奇法によれば、「道路の通行や河川の就航、公園の散策など」が一般使用の一例である。

「③筑波大学公園」のうち「⑥車道・歩道」を「⑨徒歩」・「⑩自転車」・「⑦自動車」等で通行することは、一般使用である。道路部分以外を徒歩で「⑨散歩」すること、および、池で「⑫水遊び」、「⑬ボート遊び」、「⑭魚釣り」をすることも、一般使用である。これらは常識的に正しいだけではなく、大学自らが池について、筑波大学施設部 1982年4月 P.205 により「ボートやヨット、魚釣りや水遊びなど多角的な利用」を目的として設置されたと説明していることからみても、妥当であるといえる。

公共用物法理により、一般使用においては許可が必要ない。ボート遊びは、池の中に構造物を立てたり、ボートを一箇所に固定して動かせなくしたりしない限り、占用にはあたらないため、許可が不要である。

現時点では、筑波大学は公物管理権によって池の利用形態のうち「⑫水遊び」、「⑬ボート遊び」、「⑭魚釣り」などを禁止していない。

よって、現在、筑波大学公園でのボート遊びに際しては、事前の許可は不要である。


4. 松美池でボート遊びを行うときには、他の船舶に注意しなければならない。

軽犯罪法によると、「みだりに船又はいかだを水路に放置し、その他水路の交通を妨げるような行為」、「川、みぞその他の水路の流通を妨げるような行為をした者」は禁止されている。ある人が松美池で「⑬ボート遊び」をするとき、松美池を水路として利用する「⑮他のボートや船舶」の運行を妨害してはならない。

公園の池の無許可利用は一般使用のみに限定されるから、当然、他の利用者の利用を妨げない範囲でのみ利用しなければならない。松美池でボート遊びをするとき、「⑮他のボートや船舶」がなく、また池で「⑫水遊び」や「⑭魚釣り」などをしている人がいない場合は、他者の池の利用を妨害するおそれはない。もし松美池に他にも利用者がいれば、「⑮ゆずり合い」を行ってお互いに円滑に利用することが大切である。

将来、松美池に多数の船舶が跋扈しひしめくようになった場合は、使用者同士で「松美池湾岸管理組合」などの任意団体を設立して、ルールを話し合うことが望ましい。

または、「⑤筑波大学公園の管理者」と相談し、港湾法 によって国か地方公共団体 (つくば市または茨城県) に対して「港湾局の設立」を求める方法もある。定款を定め、港務局が設立された場合は、港湾の管理権は港務局に移動するため、すべての船舶はこれに従って松美池を利用する義務が生じる。


5. 筑波大学が、将来、好き勝手に公園の池の本来の利用目的の一部を規制すれば、それは憲法違反である。

日本は、自由民主政体であるため、行政主体が市民に義務を課し、または権利を制限するには、法律や地方条例の規定が必要である (憲法第 13 条、第 21 条、第 41 条他)。

もともと、行政主体でない私人が、自己の土地を通行・利用しようとする人に対して規制を行うことは自由である。これは施設管理権と呼ばれる。施設管理権は土地の所有・占有に基づく権利で、自分の土地に対して自由に行使できるのは当然のことである。

同様に、行政主体は公共用物に対しての施設管理権である「公物管理権」・「公物警察権」を行使することができる。ただし、この際には、本来の公共用物の想定されている用途での利用を損なわない範囲でこれを行使しなければならない (公共用物法理論の再構成)。行政主体が自己の土地を管理する場合、普段立入りを制限している建造物に対する施設管理権は一般私人と同様に行使できる。しかし、公園として一般使用目的で供用されている囲繞地でない開放された土地を日常的に通行・利用する市民の行為を、本来の一般使用目的を阻害するような形で、私有地と同様に施設管理権を持ち出して好き勝手に規制することは、行政主体の独断では許されない。日本では、行政主体がそのような勇み足をすることを規制するために、国会議員のみが立法権を有している。

たとえば、茨城県は県道を所有管理しているが、何らかの理由で県道の一部を通行規制しようとする時は、勝手に規制を行ってはならない。道路交通法に基づく警察署長からの許可が必要である。これは、有権者が選出した国会議員が成立させた道路交通法によって市民の権利を制限するというプロセスを踏んでいる。

一般の国立大学 (東京大学など) について考えてみると、これらのキャンパスは囲繞地であり、最初から一般市民の使用を制限している。したがって、キャンパスの屋外部分であってもそれらは「公共用物」にはあたらない。私有地と同じように管理者が好き勝手にコントロールすることができる。一般の国立大学が自己のキャンパス内での利用行為を規制する際には、その大学の制定する学則などのローカル・ルールで足りる。法律や地方条例を制定する必要はない。

一方、筑波大学は、これまで述べた特殊事情 (キャンパスが公園として 40 年前から供用されていること) から、「⑤公共用物である大学公園の管理者」の立場としては、「行政主体」とみなされ、一般の道路や公園などの管理者と同様に取り扱われる。行政主体は、法律の根拠なく、一般市民の行為を規制することはできない (憲法第 13 条、第 21 条、第 41 条他)。たとえ筑波大学自身が所有管理している土地であっても、「③公園部分」はいったん公共用物として一般公衆への供与が開始されている場所であるから、この部分を通行したり一般使用したりする市民の行為を制限することは、何らかの法律上の根拠を必要とする。

筑波大学公園のうち道路部分 (ループ道路、ペデストリアン) は、行政主体が 道路交通法 によって規制することができる (国家公安委員会 2012年1月付け文書)。したがって、一般市民が筑波大学内にある道路を通行以外の目的で使用する場合は、警察署長からの「⑲道路使用許可」が必要である。たとえば、道路部分で「⑧集会やデモ行進」を行う場合には、警察署長による「⑲道路使用許可」が必要である。無許可集会利用が禁止されていることについては、我々が選出した議員が可決した道路交通法の規定で、我々市民の権利に対して公共の福祉のために最低限の規制を課しているのだから、これは正当な規制であり、憲法違反ではない。

これと異なり、「松美池」は明らかに道路ではない。ペデストリアンで自転車を漕ぐときには道路交通法の規制を受けるが、松美池でボートを漕ぐときには道路交通法は無関係である。だから、行政主体は「松美池」を道路交通法で規制することはできない。

松美池を水路であると考えることもできるかも知れない。一般に、河川や大きな湖 (霞ヶ浦など) などの水路は、河川法 の適用を受ける場合がある。この場合、市民が水路を利用する際には、水路管理者である行政主体が管理権を行使して市民の権利を制限することが認められている。しかし、「松美池」は河川法の河川に該当しないので、河川法による規制を行うことはできない。

松美池を都市公園法による「都市公園」として規制することはできるか。もし筑波大学公園が都市公園であるならば、第 11 条 (禁止行為)、都市公園法施行令 第 18 条 (禁止行為) により、「公園管理者が指定した立入禁止区域内に立ち入ること」を規制できる。この規定を利用すれば、筑波大学は松美池を「立入禁止区域」として指定することでボート遊びを禁止することができることになる。しかし、そもそも都市公園の範囲は、同法第 2 条で規定されている。残念ながら、筑波大学公園はこの定義にあてはまらないから、都市公園法による規制をすることはできない。

上記のように、筑波大学公園のうち池の部分は、公園であるけれども都市公園法による規制をすることができず、水路であるとしても河川法による規制をすることができない。その他に、池の利用方法について規制を行う法的根拠はない。

したがって、「⑤行政主体としての筑波大学」は、一般に供用されている筑波大学公園のうち「⑪池」の利用行為について、好き勝手に規制することはできない。また、ボート遊びをする人に対して、「⑰禁止命令」のような命令を出すこともできない。「公共用の施設については、その施設や趣旨や憲法の人権尊重や平等原則の要請から、利用者の基本的な利用の自由を害し、公正な利用の自由を妨げるような管理権の行使が許されないことはいうまでもない」(公共用物法理論の再構成 P.268 より)。そのような規制や禁止命令を、国の行政主体である筑波大学が議会を通さずに行い、よって一般市民の公共用物に対する本来の利用を排除することは、勇み足であり、権限を逸脱している。これは行政主体が暴走して勝手なルールを作り市民の行動を規制していることに該当し、自由民主政体においては最も恥じるべき憲法違反 (憲法第 13 条、第 21 条、第 41 条) 行為となる。

このことは、皇居外苑使用不許可事件最高裁判決でも、

公共福祉用財産をいかなる態様及び程度において国民に利用せしめるかは右管理権の内容であるが、勿論その利用の許否は、その利用が公共福祉用財産の、公共の用に供せられる目的に副うものである限り、管理権者の単なる自由裁量に属するものではなく、管理権者は、当該公共福祉用財産の種類に応じ、また、その規模、施設を勘案し、その公共福祉用財産としての使命を十分達成せしめるよう適正にその管理権を行使すべきであり、若しその行使を誤り、国民の利用を妨げるにおいては、違法たるを免れないと解さなければならない。

と述べられ、また、

管理権に名を藉り、実質上表現の自由又は団体行動権を制限するの目的に出でた場合は勿論、管理権の適正な行使を誤り、ために実質上これらの基本的人権を侵害したと認められうるに至つた場合には、違憲の問題が生じうる

と述べられている。

行政主体としての筑波大学は、公共用物である公園や池の本来の目的であるボートやヨット、魚釣りや水遊びなど多角的な利用 (大学自らが池について筑波大学施設部 1982年4月 P.205 により「ボートやヨット、魚釣りや水遊びなど多角的な利用」を目的として設置されたと説明している) での利用が可能な状態に維持する責任を負っている。これとは逆に、筑波大学がそのような多角的な利用のうち、一部分を制限するような方法で、公物管理権を濫用することは、国民によって筑波大学に与えられている公物管理権の目的に真っ向から反することになり、「違憲の問題が生じうる」。

もし、どうしても池でのボート遊びを規制をしたいのであれば、正しい手続きとしては、筑波大学公園の地位を「都市公園」に移行してから松美池を「立入禁止区域」として指定するべきである。ただし、筑波大学公園を「都市公園」にした場合は、逆に筑波大学側の義務が増えたり、権限が減ったりする問題がある (たとえば、国が設置する都市公園ということにした場合は、公園部分の管理権は筑波大学から離れ、自動的に国土交通大臣が管理者となってしまう。同法第 2 条の 3)。なお、たとえ筑波大学公園を「都市公園」として規制しようとしても、池におけるボート遊びを規制するためには、正当な理由が必要である。池でボート遊びを規制するために立入禁止区域を設定する行為は、行政処分であるから、処分取消しのための異議申立て、不服審査、訴訟の対象となる (皇居外苑使用不許可事件最高裁判決)。

または、筑波大学公園のうち池の部分の公園機能を廃止することもできる。たとえば、柵で池を取り囲んで「ここは公園ではないので立入りできない」という看板を取付けることで廃止できる。公園機能が廃止された場合は、当然、池にボートを浮かべるにはいちいち大学の許可を得る必要が生じる。ただし、国有財産法の第 13 条によると、いったん公園として供用している国有財産の公園機能を廃止する場合には、国会の議決を経なければならない (財産の価格が 1.5 億円以下で、かつ年間に国全体で 15 億円に達する分までは国会の決議は不要) こととなっている。国立大学法人化する前の筑波大学の公園は国有財産であったので、この規制が適用され、大学は勝手に公園を廃止することができなかった。国立大学法人化された後にこの規定が適用されるべきであるかどうかは、要調査である。


6. 筑波大学がローカル・ルールで大学建物中の行為を規制することは、違法ではない。

最後に、5 で述べた理論は、あくまでも、大学キャンパスの中の「③公園部分」にのみ通用する理論であるので、注意しなければならない。筑波大学の公園部分は、一般供用されている公共用物であるため、大学自身といえどもこの公園部分を好き勝手に規制することはできないというものである。

一方、大学キャンパス内の「④建造物及び囲繞地」では 5 で述べた理論は通用しない。たとえば、筑波大学は自由に 法人規則 を設けて建物内における学生や職員の行為を規制することができる。「④建造物及び囲繞地」は一般使用を目的に供用されている公共用物ではないから、建物を利用している学生や職員と大学との関係は、私人同士の契約関係 (教育役務提供契約、雇用契約) であり、行政主体としての筑波大学の立場は登場しない。また、刑法 第130条 によって建造物及び囲繞地においては、いつでも管理者が内部の人間に対して退去命令を出すことができる。大学は自分の敷地内にある建物を好き勝手に管理することができ、命令に従わない学生や職員を退出させたり、懲戒や解雇をしたりすることもできる。これらのローカル・ルールは、もともと建物に立入ることができない一般市民の行動を規制することにはならないため、憲法違反にはあたらない。

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