新たな付加価値

 

 そして、妻の誕生日から5日経ち、私の誕生日がやってきた。

 5月17日。

 57歳になりました。

 毎年同じことを書いているが、そしてもちろん今年も同じことを書くが、5月17日は私の誕生日であると同時にノルウェーの最も重要な祝日=「憲法記念日」でもある。事実上の国の誕生日だ。ノルウェーの人々が国を挙げて私の誕生日をお祝いしてくれる、実に素晴らしい日なのである(これももちろん毎年のお約束。笑)。

 さらにこれも毎年のお約束だが、5月17日は超個人的認定の「晴れの特異日」。もちろん私の人徳のおかげだが、一昨年とその前年はイマイチすっきりと晴れなかったので特異日認定が少々危ぶまれた。それでも素晴らしく晴れた昨年(2020年5月17日の日記参照)に続き、今年も5月17日はすっきりと青空が広がり、気温は高めでも湿度が低く実に爽やか。家の中で陽射しを避けて寛ぎ、窓から吹き抜ける風を頬に感じていると、実に佳き日の只中にいることのこの上ない幸せを噛みしめる。理想的な初夏の一日だった。「晴れの特異日」完全復活である。

 

 と、毎年お約束の同じことを書いたが、「5月17日に57歳になりました。51757ね」と数字が綺麗に並んで語呂のいい表現ができるのは後にも先にも今年のこの日、今日だけだ。巡りくる同じことの繰り返しが続くように見えても、全く同じ日は一日たりと存在しない。毎日が新しい一日なのだ。

 5月17日の祝日には、ノルウェーの人たちはラズベリーやストロベリーとブルーベリーにクリームを使って、赤・白・青のノルウェー国旗をかたどったケーキを作ってお祝いすることが多いと聞く。

 対して私の誕生日としては、妻が作ってくれる苺のショートケーキがここ数年定番になりつつある。最初に作ったのが2020年だった(2020年5月17日の日記参照)ので、もう5回目だ。今年は事情により私もケーキ作りにかなり参加して、生地をハンドミキサーでしっかり混ぜ込んだ。高速モードだけでなく中速モードも使って、時間をかけてじっくりと。それがよかったのか、今年のスポンジケーキは今まで気になっていた生地の表面の凹みがほとんど出ず、平らな表面を初めて作れたのが大きい。

 クリームの乗りもとてもよく、苺のシンプルな飾り付けも例年通り。見た目も味も上出来のケーキが、今年も無事に完成した(冒頭の写真と下の写真)。

 

 そうそう、ロサンゼルス市が私の誕生日である5月17日を「大谷翔平の日」と制定したとのこと。びっくりである。

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 日本のプロ野球にも大リーグにもまっっっったく興味がない私でも、日米で人気沸騰中の大谷翔平さんのことはさすがに少しは知っている。それほどの有名人とはいえ、ロサンゼルス市もすごいなー。大谷さんがドジャースから移籍したらどうするのだろう、とか要らんことを考えて心配になる私であった(笑)。

 なんにせよ、私の誕生日に新たな「付加価値」が加わったのは喜ばしい。ノルウェー国民のみならず、これからはロサンゼルス市民もこぞって私の誕生日を祝ってくれるようだ。ありがたいことである(笑)。

 

(写真は全て2024年5月17日撮影)

 

パディントンがやってきた

 

 そして、この上ない幸せに満ちた季節=5月の訪れである、と書くつもりがあっという間に10日以上経ち、早くも私の妻の誕生日。5月12日である。

 例年通りに同じことを書いて恐縮だが(これは書くべきお約束)、この日から私の誕生日5月17日までの5日間だけ、私たち夫婦は同い年になる。

 英国好きでは人後に落ちない旧友のGekoさまから、ロンドン土産のとても立派な「くまのパディントン」Paddinton Bearのぬいぐるみを、妻の誕生日(と私の誕生日)の贈り物にいただいた(上の写真)。

 ダッフルコートと長靴がちゃんと着脱できる、すごく丁寧な作りのぬいぐるみ。嬉しいサプライズ、本当にありがとうございます。さっそく我が家の気のいい連中と仲良くしています(笑)。

 改めてじっくり見ると、赤い帽子&長靴と青いダッフルコートの組み合わせがハッとするほど鮮やかだ。赤と青という原色の組み合わせは、子供も含めたすべての人々に訴えかけるとても強い配色なのだと再認識する。

 最近のパディントンベアの思い出で最も印象に残っているのは、やはり2022年のエリザベス女王の在位70周年記念映像だ。

 

youtu.be

 

 エリザベス女王パディントンとのちょっとズレたやり取りは、何度観てもほっこりと温かい気持ちになる。一国の元首が、このようなユーモア溢れる動画を作ってしまうことに、かの国の度量と懐の大きさを感じるのだが、いかがであろうか。

 

観ると元気になる映画。

 

 先日、久しぶりに手持ちのDVDで映画「プラダを着た悪魔」"The Devil Wears Prada"を観た。

 

 以前の日記にも書いたが、ただでさえ画面に目を凝らすと目がゴリゴリに疲れてばっかりだったのに、今年1月に緊急で受けた網膜剥離手術の影響で右目の視界が歪んでしまっている(2024年2月13日の日記参照)。それが気になって、特に自宅のテレビ画面で映画を観るのを躊躇ってしまう日々なのだが、映画を観たい気持ちは消えることがなくむしろ強まるばかり。

 先日、時間が空いて珍しく目の調子が良いタイミングがあったので、何度も観てお馴染み、かつ直線の少なそうな(笑)この映画なら大丈夫かもと思い切って観てみた。幸いにも目がゴリゴリすることもなく、やっと家のテレビで映画を観られた〜という喜びに包まれている。徐々に目の状態が良くなってきているのだといいが。これでようやく家のテレビで手持ちのDVDやブルーレイを再生して、大好きな映画を観ることができるかな。そう思えるだけでものすごくわくわくする。目が疲れにくいように、と一昨年末に大きい画面のテレビにせっかく買い替えたのに、なかなかその大画面を愉しむ機会がなかったのですよ。

 

 

 それもしても「プラダを着た悪魔」。めっちゃ大好きな映画です。もう何回このDVDで繰り返し観たことか。以前勤め仕事をしていた頃はよく日曜日の夜にこれを観て、その度に明日から頑張れる活力をもらって前向きな気持ちになったものだった。とにかくこの映画は、私がすごく重視する「後味の良さ」がピカイチ。今回もものすごく久々に観て、改めてそれを実感した。翌日に何もすることがなくても、すごく元気にポジティヴに、「明日からなんでもできる」ような気分にさせてくれる。何度この映画に「元気をもらった」ことか。あの、私が30代〜40代半ばだった頃はもちろん、今でも「観ると元気になる映画」を教えてほしい、と訊かれたら、私は迷わずこの「プラダを着た悪魔」と「ツイスター」"Twister"を筆頭に挙げるだろう。

 映画の公開は2006年。私たち夫婦が初めて下高井戸シネマで観たのが2007年3月なので(2007年3月31日の日記参照)、それから数えてももう17年!も経ったのか。びっくり。というより、この映画が18年前のものになってしまったことの方が驚きだ。どうりで私もその間に二つ三つ歳をとったわけだ。公開当時24歳だったアンドレア(アンディ)役のアン・ハサウェイさんAnne Hathawayも、現在41歳。

 確かに(まだスマホが影も形もない頃なので)この映画の出演者たちは皆ガラケーを使っているし、画面に映し出されるいろいろなものがゼロ年代のニューヨークの風物であるのは間違いない。きっと現在とは大きく異なるだろう。何よりこの映画で華やかに描かれているジャーナリズムや出版産業が、今では大きく変貌してしまっている。それでも、この映画は私には全く古さを感じさせない。定番の場面は何度でも楽しめる一方で、観るたびに新しい気づきを得る。

 冒頭の、メリル・ストリープさんMeryl Streep演じる鬼編集長ミランダの登場シーンは、何度観ても感心する定番シーンのひとつ。なかなか本人の顔を映さず、部分的なカットとコミカルなほどに慌てふためく人々のカットを素早く積み上げて、じわじわと「タメ」と「焦らし」の効果を高めてゆき、ミランダの「大物感」を演出する。セオドア・シャピロ氏Theodore Shapiroの疾走感溢れる劇伴音楽がその効果をさらに盛り上げて素晴らしい。映画で重要人物が登場する場面の「教科書」にしたいほどの名場面だ。

 


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 一方で、中盤の編集会議のシーンで、ミランダはスタッフのプランをことごとく退けるが、スタンリー・トゥッチさんStanley Tucci演じるナイジェルのプランだけは「パーフェクト!」と称賛する。これは別にミランダがナイジェルをえこひいきしているのではなくて、他の人のプランが漠然とふわふわした言い方ばかりで曖昧なイメージしか感じないものであるのに対して、ナイジェルの提案は具体的でイメージが明確なのだと、今回初めて気づいた。プランに関わる固有名詞(撮影する服のデザイナー「ザック・ポーセン」やロケーション予定地の「ノグチ・ガーデン」など)を挙げることで、その名前が喚起するイメージをミランダをはじめ全員と共有し、彼が実行しようとしているプロジェクトの具体的なイメージが伝わるのだ。仕事の進め方のヒントにもなる場面だ。

 

 

 また、今回初めての気づきではないが、後半の、アンディがボーイフレンドのネイトから別れを告げられる場面では、ネイトはアンディの仕事そのものではなく、彼女が「自分が変わったこと」に気づいていないことに怒っているのを改めて確認した。彼は、アンディ自身が自分の進むべき道を選択しているのに、それを「仕方ない」と人のせいにしていることを批判しているのだ。実は、アンディは同じことを終盤にミランダからも言われている。そのつながりには今回初めて気づいた。アンディはミランダの鏡像になりかかっていたのだ。あの場面で既にネイトからそのことを言われていたのに、ミランダ自身からの言葉でようやく気づいたアンディ。彼女はミランダとは違う道を歩む決意をする。なるほど〜でした。

 手持ちのDVDでは、この場面でのネイトの台詞に「俺は朝から晩までワインを煮詰める仕事をしてる」と字幕が出てくる。最初に観た時は「はて? ネイトは飲食店に勤める料理人では?」と不思議に思った。それからずいぶん経って、数年前にスクリーンプレイ・シリーズ『プラダを着た悪魔 再改訂版』を読んでここの疑問が解消。同書から引用すると、この場面でのネイトの正確な台詞は以下の通り。

Andy, I make port-wine reduction all day. I'm not exactly in the Peace Corps. 

(対訳)アンディ、オレだって一日中ポートワインを煮詰めてるんだ。平和部隊にいるわけじゃない。

(154〜155ページ)

 同書の、この台詞の解説には、以下のように書かれている。

「ポートワインを煮詰めているのであって平和部隊で働いているわけではない」とは、飢えている人のために料理を作るというような崇高な目的のために働いているのではなく、ポートワインのソースを使うような、高価なグルメ料理作りを仕事にしているのだということ。だから、アンディの仕事そのものを見下しているのではないのだと説明している。

(同書155ページ)

 つまり、このポートワイン云々は高級な料理作りの比喩だったのである。字幕は後半の「平和部隊」をまるまる省略してしまったので、元のセリフの主要なニュアンスが全く出ていないのだ。もちろん字幕には字数の制限があるので逐語翻訳などできず「意訳」が主になるのは重々承知だが、ここはポートワインの部分だけを直訳するのは台詞全体の意味としては的外れになってしまう。むしろ元の台詞の言葉から離れて「崇高な仕事をしてるわけじゃない」の主旨を強調した字幕にすべきだった、ということがよく分かる。この本のおかげである。

 

 

 スクリーンプレイ・シリーズの他の映画の本は読んだことがないので分からないが、この『プラダを着た悪魔 再改訂版』は超オススメだ。上述のように映画から直接書き起こした台詞やその正確な対訳が完璧に収録されており、その全てに英語表現やイディオム、言い回しなどの詳細な解説が付随していて、映画を通じて「生きた」英語を学ぶのにとても役立つ一冊。というより「役立つ」以前にとにかく読んでいて面白いのだ。何しろこの解説がものすごく豊富。先述の英語関係の説明にとどまらず、台詞の中に山のように出てくる実在のファッションデザイナーやフォトグラファー、店名や固有名詞の説明、さらにはカメオ出演しているモデルや有名人やこの映画にまつわる小ネタや豆知識まで、多岐に渡って徹底的に扱っている。これを読めばとことん「プラダを着た悪魔」を理解できるのは間違いない。ネット検索で内容の薄いこたつ記事を何本も渡り歩いて大した知識も得られず時間を無駄にするくらいなら、この一冊を読むほうが百倍お得だ。最近の言葉でいえば、圧倒的に「タイパ」がいい(笑)。

 もっとも、効率の面だけでしか時間の価値を語れないような人間に、ロクな輩はいないけれども。

 

(写真は2024年4月14日に、東京・上野公園にて撮影)

 

引き返せない一線

 

 人が生きてゆくということは、実にたくさんの「引き返せない一線」を越えてゆくことなのだなあ、と最近とみに実感している。

 私の右目の網膜剥離の緊急手術から2か月半が経過した(2024年2月13日の日記参照)。幸いにして術後の経過は順調だが、右目の視界はまだかなり歪んでいる。しかしこの頃は、それを日々の暮らしの中で意識する頻度が少なくなった気もする。歪んで見えることに身体が慣れてしまったのかもしれない。あるいは時間の経過とともに多少は直ってきたのかもしれない。それでも、直線を見ちゃうとヤバい。家の中だと、テレビ画面とか相当ヤバい。左目だけで見るとシャキッと四角いのに、右目だけだと縁のラインがふにゃふにゃ波打って、画面が生乾きの布巾のような形に見える。外だと電柱とかビルとか、面白いくらいに直線がフニャらけて見える(笑)。この歪みは半年ぐらいかけて徐々に解消してゆくらしいのだが、先述の通り私の網膜剥離が中心の黄斑部まで及んでいたので、歪みが一生残る可能性もあるという。現状ではまだ不明だが、引き返せない一線を越えてしまったのかもしれない。

 引き返せない一線といえば、網膜剥離の手術と同時にいわゆる白内障手術、つまり瞳の水晶体を取り替える手術も受けている。これは、網膜剥離の手術をするとほぼ確実に白内障を悪化させて手術が必要になるので、二度手間にならないよう一度に両方を済ませてしまおうということだったらしい。網膜剥離の手術では、よくあることのようだ。

 そんなわけで私の右目の水晶体は、白内障の手術で人工のものに取り替えられてしまった。まあ白内障にかかる割合は50代でも半数近く、80代でほぼ100%だそうなので、実に多くの人が白内障の手術を受けて人工の水晶体を持つことになる。そう珍しいことではないらしい。むしろ生来のものより「良い」目が得られるいい機会と捉える人も多いとか。目で散々苦労してきた私なので、その気持ちは痛いほど分かる。とはいえ、それは残りの人生を生き抜くのに必要なある種の「代替品」であるのは間違いない。自分もそういう身になったのだなあ、という感慨はどうしても感じてしまう。知らず「引き返せない一線」を越えていたことに気づくのだ。

 右目の度数が変わってしまったこともあり、私の眼鏡のレンズも新しく作り変えねばならなかった。だが、ひとつ問題が。網膜剥離を扱う手術では人工の水晶体は単焦点のものしか使えないので、元々の水晶体のように厚みを変えて近くにも遠くにもピントを合わせることができる、なんていう器用な芸当ができない。ピントの合う距離が限られてしまうのだ。だからどんなに目を凝らしても、手元の文字とかがはっきり見えない。そこで遠近両用レンズの登場である。これまで強度の近視と乱視と斜視を抱えながらなんとか使わずにやってきた遠近両用レンズの眼鏡を、生まれて初めてかけることになった。当然ながらものの見え方が、今までの単焦点のレンズとかなり異なる。周囲をぐるりと見回すと、世界全体がゆらゆらと揺らぐ。かけ始めてひと月近くたつが、まだなかなか慣れない。もう少しかかりそうだ。

 というわけで私の目にまつわる日々の苦労はかなりしんどいものがあるが、それでも慣れもあって多少は落ち着いてきたかな、と感じ始めた2月の下旬。追い討ちをかけるように、すごく身近に大変な事態が起こってしまった。それ以来もうバタバタ。日常の生活を回すだけで精一杯の日々が続いている。さすが故・寂聴尼が「凶の月」と呼んだ2月である(2020年2月13日の日記参照)。難題ひとつでは足りないと思ったのか、ご丁寧なことにもうひとつ背負わせてくれたらしい。やれやれ。

 そこからもさらにひと月が経ったので、多少はバタバタのルーティーンにも慣れてきたのか、ようやくこの日記を更新できるくらいにはなった。とはいえ、この一本を書くのに1週間近くかかっていますが(汗)。

 

 

 バタバタの日々の連続では、なかなか世の中の動きに気を廻す余裕が持てない。だが、ふと立ち止まって外の世界に目を向けると、今年に入ってから日本でも世界でも騒然とした状態が続いているのに呆然としてしまう。元日の能登半島の大地震による惨禍はいうまでもない。それを含め、今年に入ってから全国各地で地震が続いていることを重く見る人がいる。それもさることながら、私はむしろ2月の異常な気温の高さと2月〜3月に頻発した強風のことを特筆しておきたい。2月なのに東京の最高気温が20度を超えるとか、一体地球はどうなっているの? 頻発する強風にしても、この季節特有の自然現象なのは承知だが、今年はその規模を台風並みの桁外れの激しさに押し上げたのは、2月の異常な気温の高さが寄与しているのは確かだろう。いよいよ「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来したのです」と国連事務総長グテーレス氏が語った通りになったのか。人類全体が、知らないうちに「引き返せない一線」を越えているのではないか(2019年12月31日の日記および2023年8月5日の日記参照)。

www.unic.or.jp

 


 歪んだ視界とバタバタの日々のせいで、この日記はおろか、それまで頻繁に投稿したり閲覧していたインスタグラムのアプリもひと月以上まったく開いていない。最近とんとご無沙汰していたツイッター(あ、今は「X」というのか)は完全放置だ。読書もなかなか進まない。浴びるように本を読みたいのに。そして、視界の歪みと目の疲れが気になって、大好きな映画を観る気になれないのがとても残念。「デューン 砂の惑星 PART2」と「オッペンハイマー」をすごく観たいんだけどなあ。

 せめて画面が小さめで歪みが気になりにくいテレビドラマなら、と合間をみて少しずつ録画したテレビドラマを観ている。とはいっても生来ほとんどドラマを観ないので、ほんの少しだけ。昨年の終わりに録画しておいた連続ドラマ「いちばんすきな花」全11話を観終わってから、今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」を観ている。

 昨年9月から12月にかけて放送した「いちばんすきな花」は、社会現象になった「silent」(サイレント)が思いがけず秀逸な内容だった(2022年11月14日の日記参照)ので、その脚本の生方美久氏とプロデュースの村瀬健氏によるドラマというのでけっこう期待して、珍しく初回から全て録画しておいたもの。前作以上のクオリティの高さ、深い人間洞察が期待通りで嬉しかった。

 

 そして「光る君へ」が今のところめっちゃ面白い。平安中期という大河ドラマ史上初めての時代を背景に、スレ違いまくりでもどかしさ満点の王道ラブストーリーと「ゴッドファーザー」の如き宮廷権力闘争劇とのハイブリッドフィクション。それをいい意味で庶民が楽しめるテレビドラマのフォーマットに落とし込みつつ、画面にぎっしりと詰め込まれた情報量の多さがいくらでも深堀りできる。平安カルチャーが忠実に再現されているのも素晴らしい。ドラマやこの時代にまつわる本を読みつつ1、2週遅れくらいで楽しく観ています。

 自分の周りも世の中も大変なことばかり続いている2024年だけれども、せめて「をかしきものこそ、めでたけれ」。今年の生きがいのひとつは間違いなく「光る君へ」だな。序盤のこの面白さが、ぜひ通年で続いてほしいなあ、と。

 

 それにしても、大河ドラマこそは、毎年繰り返される「引き返せない一線を越えてゆく」人々の物語であることよ。

 

(写真は2024年3月27日〜30日に、都内各所にて撮影)

 

網膜剥離と七回忌

 

 近況報告、もしくは生存報告といいますか。

 昨年後半もいろいろ不調があったのですが。

 年が明けてまもないうちに、それらを吹っ飛ばしてしまう大変な事態が。

 私の右目に深刻な網膜剥離が見つかりました。

 直ちに緊急入院、緊急手術。

 そのおかげで、危ういところで右目の失明を免れました。

 56歳にして初めての入院に、初めての手術(しかも局部麻酔の)。初点滴に初車椅子。

 すごい体験だった。一度死んで生まれ変わったような心地がしました(大げさ)。機会を改めてこのことを書ければなあと思います。

 本日でちょうど術後一か月が経ちました。手術の際に右目の眼窩内に充填したガスは3週目でほぼ抜けて、右目の視界はようやく開けたところ。ただまだまだ全てが歪んで見えてしまい、視力も安定していないので右目は使い物にならず。ほぼ片目生活がまだ続いております。

 といっても右目をつぶり続けるわけにもいかないので、結局両目で見てしまう。それゆえに何もかもが変な見え方で、違和感抱えまくりの日々。特に、物を取り上げたり作業をしたりするときに、うまく距離感がつかめずに困ることが多い。この文章も病前はなかったキーの打ち間違いを量産しつつ書いております。いやあ、いかに二つの目が揃って見ることが、我々が物を立体的に捉えるのに大きな役割を果たしていることか。ひしひしと実感しております。

 手術自体は上手くいって術後の経過も順調なのですが、網膜剥離が右目の真ん中付近のヤバい範囲にまで及んでいたので、視界の歪みは一生残るかもしれないそうです。半年くらい経過を見ないと分からないそうですが。

 

 

 そして、今日は私の亡き父の命日。あれから6年経ちました。「七回忌」です。

 先日気づいたのですが、今年は6年前のあの年と同じ曜日の並び。曜日もひと回りしました。

 私の父が亡くなったのは胆管がんだったのですが、胆管を含む胆道のがんは非常に見つかりにくく、すい臓がんに次いで亡くなる方の割合が高いがんだそうです。

 寡聞にして昨日の新聞の広告で初めて知ったのですが、2月は「胆道がん啓発月間」だそうです。

oncolo.jp

www.az-oncology.jp

medg.jp

 

 「世界胆管がんデー」が父の命日の前日という奇遇も、何かのご縁でしょうか。この難治性がんのことに、もっと多くの人々が関心を寄せてくれればと願います。

 手遅れの涙を流す人が、ひとりでも少なくなればと。

(冒頭の写真は2024年1月5日撮影)

大根おろしは「ぶんぶんチョッパー」で作る

 

 以前の日記に、今年の夏は突然大のみょうが好きになったと書いた(2023年8月9日の日記参照)。

 今年の夏の酷暑をどうにか乗り切ることができたのも、ひとえにみょうがのおかげです。みょうがLOVE。

 そのときの日記にも書いたが、今年の夏に我が家でみょうがが活躍した料理は、肉や厚揚げなど、様々な焼きものの上にのせる「香味おろし」だ。

 この香味おろし、みょうがと紫蘇はもちろん欠かせないが、それ以上に主役を張っているのは勿論大根である。

 一般的にいって大根は冬の野菜。夏は店頭で値段が張ることもあって、あまり出番がないイメージだ。だが、今年の夏は大根がけっこう安かった。かなり大ぶりの大根まるまる一本が98円、なんていう冬でもあまり見かけない安値で売っていることもあった(もちろん買いました)。今年の夏の猛烈な暑さで野菜がよく育った、いや育ちすぎたのだろうか。そうであれば、この酷暑もひとつくらいはいいことがあったということになるか。ただ、安かったのは7月〜8月までで、今はとても高い。野菜全般がすごく高い。さっさと終わってほしい酷暑のほうはしつこく続いているというのに、だ。やれやれ。

 話がやや逸れたが、そんな安さのおかげもあって、今年はみょうがとともに、大根もまた我が家の夏の食卓の主役であった。香味おろしに使うので、当然ながら大根おろしにしていただくことになる。

 この大根おろしだが、今年の夏の我が家では、もっぱら「ぶんぶんチョッパー」を使って作っている。これがとても便利、簡単かつあっという間に出来上がるのだ。

 

 

 ご存知の方も多いと思うが、「ぶんぶんチョッパー」は手軽かつ簡単にみじん切りを作ることができる優れものアイテム。私がここ数年来頻繁にスパイスカレーを作っていることは以前の日記に書いたが(2021年8月28日の日記など参照)、そもそも私がスパイスカレーを作り始めることができたのも、この「ぶんぶんチョッパー」の存在があったからだ。カレー作りに不可欠な玉葱・ニンニク・生姜を放り込んでレバーを20回ほど引っ張ると、あっという間にみじん切りを作ってくれる。それも包丁ではよほどの熟練者でないと作れないような、かなり細かいみじん切りを。ハンバーグなどに使う粗めのみじん切りなら、5、6回もレバーを引っ張れば十分だ。

 元々は私がスパイスカレーを作り始めるに際して購入したのだが、あまりの簡便さに私の妻もみじん切りにこれを使うようになって、夫婦ともども愛用している。以来我が家のみじん切りは、ごく少量の場合を除きほぼ全て「ぶんぶんチョッパー」一本鎗だ。

 そこから、もしかしたら大根おろしも「ぶんぶんチョッパー」で作れるのでは、と気づくまでにはさほど時間がかからなかった。そして実際に大根を投入して試したら、なんとも簡単に大根おろしが出来上がったのである。レバーを30回も引っ張れば、十分におろし状態。40回くらいでほぼ完璧な大根おろし。おろし金を使うより早い気がする。実のところ、我が家にはおろし金がないので、実際に比べたわけでないのだが。そしておろし金を使う際のあのお決まりの不都合=おろし切れず最後に小さく残った大根、を無駄にすることがない。最後まできっちり使い切れる。指先をおろし金で擦って傷をこしらえることも、勿論ない。

 「ぶんぶんチョッパー」で作った大根おろしを実際に食べてみると、ごく小さな粒々感が舌先に残る。これが気になる人はいるかもしれないが、私たち夫婦は全然構わないし、むしろこの粒々の食感が心地よい。粒々が残ることで、水分を出し切らずある程度閉じ込めた大根おろしになるわけで、きちんとキープされた大根の水分を摂れる。大根おろし全体の瑞々しさがより保たれるので、この方が好みなくらいだ。好みは個人差なので、どうしてもふわふわの大根おろしでないと我慢ならない人には、あまり向かない作り方ではあるが(笑)。

 何はともあれ、今年の夏は「ぶんぶんチョッパー」で作った大根おろしが、幾度となく我が家の食卓を彩ったのであった。勿論、大根おろしの活躍はむしろ秋冬こそが本番。これからの季節もまた、楽しい食卓が続く。

 

(写真は2023年7月27日と28日に自宅にて撮影)

 

にんにくと生姜は最高のコンビ

 

 この日の夕食の主菜に私の妻が作った料理は、豚肉とゴーヤの味噌炒め(上の写真)。

 元は高山なおみさんの『野菜だより』掲載のレシピだ。

 


 南西諸島などで多く栽培されている苦瓜ことゴーヤは、もちろん夏に多く出回る野菜だが、我が家でもお馴染みのゴーヤチャンプルー以外ではなかなかお目にかからない気がする。それ以外でゴーヤを使った料理を、と妻が上記の本で目をつけたのがこの料理。以来、我が家の夏の定番料理のひとつになっている。

 私が思うに、この料理の美味しさのキモは、なんといっても味付けの段階で味噌と混ぜ合わせる二つの香味野菜、おろしにんにくとおろし生姜の組み合わせだ。にんにくの甘みのこもった味と深みのある香りに、生姜のピリッと爽やかな辛みと風味が合わさると、本当にえもいわれぬ奥行きの深い味わいと香りが醸し出される。

 実に、にんにくと生姜というのは、料理においてこれ以上ないくらい息の合ったコンビネーションだと、つくづく思う。私がここ数年よく作るスパイスカレーでも(2021年8月28日の日記参照)、基本の炒めの過程で玉葱ににんにくと生姜が加わることで、あのカレーらしい味わいの基礎作りの役目を果たしている。だからどのスパイスを使うかと問う以前に、そもそもこの二つの香味野菜を絶対に欠かすことはできない。麻婆豆腐にしてもそうだ。にんにくと生姜が味の下支えの決め手になっているといっても過言でない。

 ひとつひとつは何気ない日常の香味野菜が、二つ合わさることで倍以上の力を発揮する。こういうところに、料理を作る面白さの妙がひそんでいるのかもしれない。

(2023年9月23日投稿)