書評:大江健三郎ほか『いま、憲法の魂を選びとる』岩波ブックレット、2013年。

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あの方は、本当に、姿かたちがそれは素敵な方でしたよ。背がすらりとして本当に素敵な人でしたけれども、姿かたち以上に、言動が本当に立派だと思いました。いいことをおっしゃる人でした。そして、決しておごることなく、毎日、足を棒にして日本中に平和を説いたのです。いまのこの戦争は、本当に日本のとるべき戦争ではないのだと、もっと平和でなければならないのだということを、一所懸命説いていらした安倍さんの姿を、私は思い起こします。
 三木も一緒に、一所懸命働いていたには違いないのですけれども、早く世を去られた安倍さんのことを考えますと、本当に残念に思われます。安倍さんのお子さん(安倍晋太郎元外相)も亡くなり、お孫さんは天下を取って総理大臣になっていらっしゃるのに、おじいさまのことをご存じないのですね。(二〇〇七年六月九日、「九条の会」学習会での挨拶より)
    −−三木睦子「あなたのおじいちゃまはねぇ」、大江健三郎ほか『いま、憲法の魂を選びとる』岩波ブックレット、2013年、6−7頁。

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大江健三郎ほか『いま、憲法の魂を選びとる』岩波ブックレット、読了。12年9月の「九条の会」講演会をもとに奥平康弘・小森陽一両氏の対談を加えた一冊。96条改正提案が意味すること・目指すものを、生活の視座から浮き彫りにする。権力を制限し国民主権(財産)を守る意義考えるきっかけになる一冊。

本書の冒頭は三木元首相夫人睦子が安倍晋三さんに贈る「あなたのおじいちゃまはねぇ」(07年9条の会勉強会)。祖父の岸信介のみ脚光浴びる中で、埋もれたもう一人の祖父安倍寛の軌跡(自由と平和の闘士)から軽挙妄動を窘める。

続く大江さ「この国は民主主義の国か」では「私らの記憶のうちに生きる三木睦子さんにも聞いていただくつもりで」、「国民が少なくと本当に平和で手をつなぎ合って暮らせるならば、大国じゃなくたっていいじゃないか」と言葉を紹介。

三木元首相は防衛費1%決定で有名だが、睦子女史は「あなたはなぜ自民党議員なんだ」と誰何、「自分が辞めてしまったら、この国は憲法を変えて、戦争をする国になるよ」と元首相は答えた(澤地久枝「意志と勇気が試されるとき」)。

看板としての「保守」=絶対悪の如き脊髄反射は論外だが、保守に脈打つ多様な自由と平和への希求(それは戦争経験者だから)の存在には、兎に角外交対立に便乗する現在の痩せ細った自称「保守」の怯懦と怠慢を感じられずにはいられない。

奥平康弘・小森陽一対談「国民主権を守る思想としての憲法」も秀逸。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は権利保障されても人は生きていけない。だから二項で責任主体を「国」と規定する。平和主義の内実も示唆する。昨今の生活保護抑制議論や新自由主義的「自己責任論」の高踏が反平和主義と親和的であることは意義深い。




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奥平 例えば、憲法二十五条についてはあまり議論したことがないけれども、あれがあるということは、考えてみればすごい潜在的能力を持つもの、有効に闘っていくことができるものの一つなんです。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」があなたにあるんだよと、これをどうプログラムしていくかということなんですから。
小森 二十五条には、権利だけを保障されても生きていけないのであって、責任を取るのは誰かということで二項に「国は」という主体が明記されている。だからこそ、二〇〇八年のリーマンブラザーズ・ショック以降、とことん国の責任が求められていきました。小泉政権の時に製造業にまで労働者派遣ができるように法律を改めたことによって、派遣切りが増えた。それに対して、二十五条を掲げて厚生労働省に直接交渉したのが、二〇〇八年の年末から二〇〇九年年始への年越し派遣村でした。あの運動には一瞬ですが、分裂していた全ての労働組合が後押しをしました。これが二〇〇九年の政権交代の大きな力につながったけれど、それを民主党という政党が公約を裏切って滅茶苦茶に踏みしだいたという帰結に今、あるわけです。そういう意味では、もう一回民主主義的な主体をそれぞれが選び取ってどうするのかということも、現段階の憲法の思想として捉えていかなければならないですね。
奥平 それがまさに、「生きた憲法=living constitution」あるいは「憲法を生きる」ということです。(二〇一三年二月七日、岩波書店にて)
    −−奥平康弘・小森陽一「対談 国民主権を守る思想としての憲法」、大江健三郎ほか『いま、憲法の魂を選びとる』岩波ブックレット、2013年、60−61頁。

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いま、憲法の魂を選びとる (岩波ブックレット)
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岩波書店
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覚え書:「書評:「グローバリズム」の歴史社会学 フラット化しない世界 [著]木村雅昭 [評者]萱野稔人」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。




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グローバリズム」の歴史社会学 フラット化しない世界 [著]木村雅昭
[評者]萱野稔人(津田塾大学准教授・哲学)  [掲載]2013年05月19日   [ジャンル]社会 


■今なお基底的、国民国家の論理

 グローバル経済の進展によって国家は衰退するだろう。これまで幾度となく表明されてきた見解だ。国家は市場経済にできるだけ干渉してはならず、規制緩和こそがあらゆる国家がめざすべき共通の課題である、という主張もその一つである。経済の領域だけではない。私の専門である人文思想の世界でも同じような見解がさんざん繰り広げられてきた。
 本書はしかし、こうした見方に対して批判的な立場をとる。はたしてグローバル経済の進展は実際に国家を後退させ、フラットな世界を実現しつつあるのだろうか。決してそうなってはいないことが、さまざまな事例の分析を通じて本書で示されている。その論証は十分に説得的だ。
 たとえば欧州連合(EU)はしばしば、グローバル経済の進展に近代国民国家が対応しきれなくなったことで生まれた地域共同体であると位置づけられる。しかし、国民国家の境界でコントロールできなくなったグローバル経済の流れを地域共同体の境界でならうまくコントロールできると想定すること自体、無理がある。債務危機におちいったギリシャの救済策においてEU各国の思惑が入り乱れたのも、国民国家の論理のほうがいまだ基底的でありつづけていることを示している。
 グローバル経済が進展しても国家は決して後退しないことを理解するためには、資本主義経済において国家がはたしている根本的な役割を考察しなくてはならない。なぜ2008年の世界金融危機のとき、あれほど「政府は市場から出ていけ」と主張していた金融機関に、公的資金の注入がなされたのか。歴史的な事実として資本主義が国民国家のもとで発展してきた理由についても説明を試みている本書は、そうした国家の役割を考えるうえで極めて重要な論点を提供している。通俗的グローバリズム論から脱却するための必読の書である。
    ◇
 ミネルヴァ書房・3675円/きむら・まさあき 42年生まれ。京都大学名誉教授。『帝国・国家・ナショナリズム
    −−「書評:「グローバリズム」の歴史社会学 フラット化しない世界 [著]木村雅昭 [評者]萱野稔人」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。



今なお基底的、国民国家の論理|好書好日




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覚え書:「書評:不浄の血 [著]アイザック・バシェヴィス・シンガー [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。




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不浄の血 [著]アイザック・バシェヴィス・シンガー
[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)  [掲載]2013年05月19日   [ジャンル]文芸 


■民話、呪い、魔物が入り交じる異物

 アイザック・B・シンガーは1978年に米国人作家としてノーベル文学賞を受賞した。英語作家としてではなく、多くの地に散るユダヤ人の共同体が守り伝えてきたイディッシュ語作家として。
 短編を1、2本、私も大学生の頃に読んだ記憶がある。だが当時私はアイザック・B・シンガーの持つ言語的な事情をうまく想像出来なかった。だから、少し風変わりな話だったという印象しかない。
 ところが、今回出版された『不浄の血』は風変わりどころではない。民話と呪いと旧約聖書の言葉と多くの魔物たちと超人と村人が入り交じった異物としての文学である。
 著者はポーランドから米国に移住し、イディッシュ語で書き、それが英語に訳されて流布するうち、自らも英訳に参加するようになる。
 例えばその際、「訳しづらい部分」が削除されることがあった、と「解題」では述べられている。つまり、ユダヤ共同体の特殊な儀式や言い回しなどが、作者自らが参加した翻訳からも消えたのだ。
 大学生の私は、他国の人間でもわかりやすいバージョンの日本語訳を読んだわけだ。
 もしもあの時、イディッシュ語のオリジナル版にこだわった今回の試みに出会っていたら、私の文学観は今とはかなり違っていただろう。少なくとも近代文学の理性といったものが決して常識的なものではない、と若い私は揺さぶられる思いをしたはずだ。
 今はむしろ、カリブ海やアフリカからの移民たちの小説、米国の中のスペイン語での文学などが多数存在している。時代がアイザック・B・シンガーに近づいているのだ。
 読者市場に受け入れられるために特殊性を自ら排除した英語版の様々な既訳と共に、今回の短編集を読んで欲しい。最近、世界文学が身近になって喜ばしい分、他文化間の「わかりやすさ(グローバリズム)」が作家、翻訳家への圧力になっている可能性に思いをはせて。
    ◇
 西成彦訳、河出書房新社・2940円/Isaac Bashevis Singer 1904−91年。16の短編を収めた傑作選。
    −−「書評:不浄の血 [著]アイザック・バシェヴィス・シンガー [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。

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民話、呪い、魔物が入り交じる異物|好書好日





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覚え書:「発信箱:原発輸出と共感力=青野由利(専門編集委員)」、『毎日新聞』2013年05月24日(金)付。


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発信箱:原発輸出と共感力=青野由利(専門編集委員
毎日新聞 2013年05月24日

 女性からは総スカンだが、男性はどうだろう。ちょっとした疑いを抱いていたが、偏見だったようだ。「従軍慰安婦制度は必要だった」という橋下徹氏の発言をどう思うか。毎日新聞が今週まとめた世論調査では、男女ともに「妥当でない」が約7割で、性差はない。

 むしろ、驚くほど男女差が見られたのは「原発輸出」に対する考えだ。男性は「賛成」と「反対」が半々。一方、女性は「賛成」2割、「反対」7割で、圧倒的に否定的だ。過去の調査を見ると、「原発再稼働」についても女性の反対が多いが、これほどの違いではない。

 「一般的に女性は危険なことを嫌い、行動が慎重」「健康、安全、子どもの将来など、原発は女性の関心が高いことに影を投げかけるので反対は当然」。専門家から聞いた話はその通りだと思うが、プラスアルファがあるのではないか。

 ひとつ、思いつくのは「共感力」だ。輸出先の途上国や新興国が被るリスクを我が事のように感じられるか。そういえば、途上国支援に尽力してきた緒方貞子さんも原発輸出には疑問を呈していた。一方で輸出推進派は、別の「共感力」を主張するかもしれない。「途上国にも原発の電力で発展する権利がある」という見方だが、なんだかだまされている気がする。

 世論調査の担当部署によると、男女差があるのは国民の合意が固まっていない証拠。だとすれば、巻き返しのチャンスはある。自国の経済のために他国をリスクにさらさない。事故原因さえわかっていないのに、「世界一安全な原発」とにこやかに売り込む安倍晋三首相には、こうした共感力こそ期待したい。
    −−「発信箱:原発輸出と共感力=青野由利(専門編集委員)」、『毎日新聞』2013年05月24日(金)付。

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http://mainichi.jp/opinion/news/20130524k0000m070164000c.html



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