日記:歩きながら考える「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」



 明らかに前輪の様子がおかしいので、仕事の帰りにサイクルショップ寄ろうと考え出勤してすぐに、自転車がパンクした。職場に連絡してから、自転車を押して7キロほど強歩。今日は猛暑日で、「残暑が厳しい」というほどの生やさしさでは到底ないほどのギラギラと照りつける日差しをモノともしなかったのは、おそらく常日頃からの鍛えのたまものだ。
 行きつけのサイクルショップで、前輪のタイヤとチューブを交換、どうやら1カ月前に交換したタイヤの初期不良らしい。無償で行ってもらいラッキーだった。作業が済んでから、スタッフの方と少々雑談。自転車乗りなのに自転車について詳しくない。部品の交換のタイミングや自転車のバージョンアップなど、専門家の意見には「目から鱗」で驚いてしまった。
 荷物を積めないクロスバイクでの移動が日常生活の基本だから、「対面販売」を伴う買い物はあまり利用しない。だから、書籍やデジタルガジェットのほか、衣類に関してもネット通販で購入するケースが必然的に高くなる。生協など加えれば「対面販売」を全く利用しなくても事済むという話はまんざらウソでもないだろう。
 買い物全般について、専門の販売員に聞かなくても、ある程度のことは専門書を読んだり、適切な優良サイトで調べれば済むのも事実だ。それでも、サイクルショップでのたかだが3分程度の雑談は、「それが事実だとしても、全てではない」というもう一つの事実を召喚したのだ。
 たしかに、自分で全てを済ませることは不可能ではなく事実だ。しかし、それでも「通じている人に聞いてみる」ということの意義は大きく、自分で調べる以上の意味を持っているのも紛れもない事実である。
 「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」という孔子の言葉がある(『論語』為政第二・一五)。要は「学んで、その学びを自分の考えに落とさなければ、身につくことはない」のだが、同時に「いくら自分で考えても人から学ぼうとしなければ独断専行になって危険である」との意だ。これは学問にだけ限定される話ではない。



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覚え書:「書評:永遠の道は曲りくねる 宮内勝典 著」、『東京新聞』2017年07月23日(日)付。

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永遠の道は曲りくねる 宮内勝典 著

2017年7月23日


◆人の悲惨な営為を見通す
[評者]与那覇恵子=文芸評論家
 私たちが生きている世界は、夥(おびただ)しい殺戮(さつりく)の歴史の産物である。七十カ国を巡り、アメリカ先住民とも暮したことのある宮内は、そんな地球という水惑星の動きを、一神教の神の働きではなく、自然と人の営みとしてとらえようとする。本書には先住民のスピリチュアルな言葉とともに、詩人や宗教者、革命家に物理学者などの残した夥しい言葉がちりばめられており、読者もそれらの言葉との対話を通して思索の旅を味わうことができる。作者の代わりに観察者となって「世界の切っ先まで見切ろう」とするのは、『ぼくは始祖鳥になりたい』や『金色の虎』で世界各地を遍歴してきたジローこと、三十二歳になった有馬次郎である。
 エルサレムで出会った世界的新興教団のブレーンだった田島の誘いを受け、沖縄の精神科病院で働く有馬はユニークな経歴の者たちと出会う。元全学連のリーダーで院長の霧山、霊的力で心の病を癒(いや)すユタ(民間霊能者)の乙姫さま、アメラジアンの七海とアタル、アフガンで捕まり米軍基地に軟禁されている四つの名前を持つジェーン。
 生き辛(づら)さを抱えている個の背後に存在する、侵略された琉球や沖縄の歴史だけでなく、大国に翻弄(ほんろう)されてきた北米、メキシコ、アフリカ、中東などの少数民族の傷ついた土地の歴史も織り込まれる。さらに世界の聖地で平和の祈りを捧(ささ)げる祝祭を開いてきた十三人のグランマザーと呼ばれるシャーマンたちが、沖縄のガマ(洞窟)で語る自らの悲惨な歴史は、土地に根ざした霊的パワーの喪失を浮かび上がらせる。
 しかし、一つの希望もみえる。有馬に連れられ米軍の追跡を逃れたジェーンは、水爆に汚染されたマーシャル諸島で出産を決意する。そのことを寿(ことほ)ぐかのように死の海に一瞬現れた海亀。一つの国や民族に帰属しない「雑種」のジェーンは、自らはイヴのアラビア語名ハワァを名乗っている。
 新しい人類の始祖、つまりミトコンドリア・イヴの誕生を予感させる。
河出書房新社・1998円)
<みやうち・かつすけ> 1944年生まれ。作家。著書『焼身』『魔王の愛』など。
◆もう1冊 
 崎山多美著『うんじゅが、ナサキ』(花書院)。夢と現実の間を行き来しながら、独特の言語感覚で沖縄の厳しい現実を描く連作集。
    −−「書評:永遠の道は曲りくねる 宮内勝典 著」、『東京新聞』2017年07月23日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2017072302000177.html



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覚え書:「【書く人】つらい体験描く使命 『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』漫画家・田中圭一さん(55)」、『東京新聞』2017年07月30日(日)付。

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【書く人】

つらい体験描く使命 『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』漫画家・田中圭一さん(55)

2017年7月30日
 
 名刺に記した肩書は「最低シモネタお下劣パロディー漫画家」。手塚治虫さんタッチの絵柄で、ちょっと不謹慎なギャグを描く名手だ。多くの笑いを生み出してきた陰で、最近まで十年近くうつに苦しんできた。その過程を振り返り、同じく経験者の、大槻ケンヂさん、宮内悠介さん、内田樹さんら十七人へのインタビューをコミックエッセーとして描いた。
 長く会社員との兼業漫画家だった。発病のきっかけは転職。畑違いの仕事を任され、上がらない営業成績に社内の冷ややかな視線が心身をさいなんだ。「あと三、四年で自殺してやるからそれまでは頑張ってくれ」。自分の体にそう言い聞かせるほど思い詰めた。
 回復のきっかけは精神科医うつ病体験記を読んだこと。長く苦しいうつトンネルを抜けた時、ある漫画が頭に浮かんだ。ギャグ漫画家の上野顕太郎さんが妻との死別を真っ正面から描いた『さよならもいわずに』。初めて読んだ時、喫茶店の椅子から立ち上がれなくなるほど衝撃を受けた。「物書きたる者、死ぬほどつらい経験でも人に伝えるための努力をするのが使命なんだと思いました」
 本書は、そんな真摯(しんし)な思いに貫かれている。「僕は十年しんどい思いをしました。でも、今なおしんどい思いをしてうつトンネルの出口を見つけられない人がいる。出口があることを信じられない人すらいる。自分の体験を描けば、そういう人の何人かは救えるんじゃないか」
 体験者へのインタビューを通じ「心の風邪なんてなまやさしいもんじゃない。うつは心のがんだ。ほうっておくと死に至る病だ」など読む人の心に刺さるメッセージを拾い出し、真っ黒なスライムに追い詰められる様子を描いてうつの人の不安な気持ちを表現した。ギャグマンガ家らしい軽い読み味を生かしながら、言葉と絵で正体の見えにくいうつを可視化してみせた。
 発行部数は一月の発売以来、電子版も含め計三十三万部に。五十五歳にして著者最大のヒット作になった。ただ、本人は「『うつヌケ』の田中さん」と呼ばれるのはどうもきまり悪いらしい。「やっぱり僕のメインストリームはお下劣パロディーですからね」
 そう笑いながら差し出してくれたのは表紙に「訴えないでください!」と入った超有名アニメの自作同人誌。病を乗り越えて創作への意気はますます盛んだ。
 KADOKAWA・一〇八〇円。 (森本智之)
    −−「【書く人】つらい体験描く使命 『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』漫画家・田中圭一さん(55)」、『東京新聞』2017年07月30日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/kakuhito/list/CK2017073002000189.html








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うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち
田中 圭一
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覚え書:「【東京エンタメ堂書店】亡き人を偲ぶ 幽霊の話」、『東京新聞』2017年08月14日(月)付。

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【東京エンタメ堂書店】

亡き人を偲ぶ 幽霊の話

2017年8月14日


 今日は旧盆の中日。亡き人を偲(しの)ぶ季節です。「シックス・センス」や「ゴースト ニューヨークの幻」など、幽霊が出てくる映画は多いですが、もちろん幽霊譚(たん)は古今東西、数知れず。なぜ人は、霊の話を求めるのでしょうか。 (文化部・出田阿生)
◆愛しい霊との再会

 東日本大震災の年、宮城県石巻市の市街地を車で走っていたときのこと。「あそこの歩道橋だけどね」と運転手さんが切り出しました。「夕方になると、亡くなった人がたくさん立ってるんだって。見た人が大勢いる。あっという間だったから、死んだことに気付いていないのかね…」
 冗談のような顔ではありませんでした。津波で多くの人が亡くなったところです。別の地元の人に聞いたら、やはり同じ話をしていました。
 亡くなった愛(いと)しい人と再会する。そんな被災地での不思議なできごとを3年かけて聞き取ったノンフィクション作品が、<1>奥野修司著『魂でもいいから、そばにいて−3・11後の霊体験を聞く−』(新潮社、1512円)。著者はインタビューで、霊体験について「悲しみを受け入れるためのものではありません。むしろ別れを認めず、その存在を感じながら、忘れることを拒否しているように思うのです」と語ります(婦人公論8月22日号)。
 死ぬまで続く喪失感。大事な人を失っても生きなければならない日々と、どう折り合いをつければいいのか−。
◆死者は語りかける

 <2>いとうせいこう著『想像ラジオ』(河出文庫、486円)は、津波で杉の木に引っ掛かった死者が、DJとなって「想像」の電波で語りかけます。そこで語られるのは「死者を抱きしめて」生きること。東京大空襲や広島・長崎の原爆でも同じで、「亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に」と指摘します。
◆母の抱える秘密は

 娯楽小説も見逃せません。北欧の女性作家カミラ・レックバリの人気シリーズ「エリカ&パトリック事件簿」に<3>『霊の棲(す)む島』(集英社文庫、1188円)という作品があります。「幽霊島」で幼い息子を育てる母親が抱える秘密とは−。哀切な結末が胸をえぐります。
◆無執着に生きた娘

 最近の日本の小説では、<4>井上荒野著『虫娘』(小学館文庫、616円)はいかがでしょう。この作家特有の皮肉な味わいが効いた幽霊小説です。語り手の1人は、死んだ娘。他人に心を奪われず、執着せず、関心がないから「虫のよう」。生前、それは自由で強いことでした。それがラストでは−。
 どの幽霊本でも共通するのは、「死」が照らし出す「生」の姿です。亡くなった人、今も生きる人、そのどちらにも「生」があります。あなたに、会いたい。霊の話とは、大事な人をいとおしく思う心そのものかもしれません。
    −−「【東京エンタメ堂書店】亡き人を偲ぶ 幽霊の話」、『東京新聞』2017年08月14日(月)付。

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覚え書:「文化の扉 歴史編 異説あり 応仁の乱の原因 「陰謀家」富子説、軍記の記述定着か」、『朝日新聞』2017年05月07日(日)付。

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文化の扉 歴史編 異説あり 応仁の乱の原因 「陰謀家」富子説、軍記の記述定着か
2017年5月7日 



グラフィック・竹内修一
 発生から今年で550年の応仁の乱。乱を研究した本が異例のヒットとなり、注目を集める。足利義政の妻が息子を将軍にしようとしたのが元凶とされ、戦国時代の始まりとも言われるが、最近の研究でこれらの通説は見直されつつある。

 応仁の乱は、室町時代後期の応仁元(1467)年に発生し、全国の守護大名らが東軍、西軍に分かれて対決。計約27万人もの兵士たちが、京都の市街地を主戦場に約11年にわたって争いを続けたとされる、日本史上最大級の戦乱だ。

 だが、なぜ起きたのかはっきりしない。有力な守護大名だった細川勝元(かつもと)、山名宗全(そうぜん)による幕府の主導権争い、畠山(はたけやま)、斯波(しば)両氏の後継ぎ争いなど、様々な要因が複雑に絡み合った結果とみられるが、一般的によく言われるのは将軍家の家督争いだ。

 1464年、息子がいなかった8代将軍、足利義政は弟の義視(よしみ)を後継者に指名する。ところが、翌年に正室日野富子男児(のちの9代将軍義尚〈よしひさ〉)を産み、息子を将軍にしようと山名宗全に助けを求めたため、義視を支えていた細川勝元と対立し、乱が勃発する。

     *

 だが、戦乱の原因は日野富子が息子を溺愛(できあい)したことだった、とする通説に対し、学習院大の家永遵嗣(じゅんじ)教授は「富子が戦乱の原因というのは、『応仁記』がつくったデマだった可能性が高い」と指摘する。

 『応仁記』は作者不詳の軍記で、乱から数十年たった16世紀に作られたとされる。富子が紙が真っ黒に見えるほどの文字で埋め尽くした書状を宗全に送り、息子を助けて欲しいと求めたと記される。ところが、応仁記以外の貴族や僧侶の日記に同様の記述は一切ないという。

 「もし本当に富子が次期将軍を陥れようとしたのなら、大スキャンダル。手紙の中身までわかっていたのなら、世の中に広まらないはずがない」

 家永さんは、中世は自分の子どもが第一ではなく、家の存続が重視された時代だった、と指摘。富子の妹が義視の妻となり、のちの10代将軍義材(よしき)を産んだことからも、「富子はむしろ義視に接近していた」とする。

 では、なぜ応仁記はそのように書いたのか。

 『応仁の乱』(中公新書)を書いた国際日本文化研究センターの呉座(ござ)勇一助教は「大乱が始まった納得できる理由を、みんなが欲した結果だったのでは」。スケールの大きな戦乱にはそれに見合った理由が求められた。

 「最高権力者の後継ぎをめぐる争いならわかりやすいし、面白い。だから現代まで引き継がれてきたのだろう」

 富子はのちに将軍義材の追放に加担し、陰謀家のイメージがあったのも、富子原因説が広まった理由とみる。

     *

 応仁の乱の結果、室町幕府の権威は失墜し、全国各地で有力者が群雄割拠する戦国時代が始まったとされる。

 しかし、最近の研究で、乱の終結後、しばらくは幕府が権威の回復に努めたことがわかっている。9代将軍義尚は1487年、近江の守護大名、六角氏が寺社などの荘園を勝手に占拠し、返還命令にも従わないとして、将軍自ら守護大名らを動員して近江に進軍。義尚は陣中で病死するが、1491年には10代将軍義材が再び近江攻めを実施する。

 ところが、1493年、義材が河内の畠山氏攻めに向かったところ、細川勝元の息子、政元が日野富子らと示し合わせてクーデターを起こし、将軍の首をすげ替える事件が起きる。この「明応の政変」で幕府の権威は完全に失墜し、統治体制が崩壊したことから、ここを戦国時代の起点とする説が研究者の間では有力になっているという。

 呉座さんは、明応の政変が支配者層の権力闘争だったのに対し、応仁の乱は民衆を巻き込み、下克上が広がるなど、社会構造を変えるきっかけになったとみる。「日本社会全体への影響をみれば、やはり応仁の乱が画期となる戦いだったと言えるのでは」

 (渡義人)

 ■乱の研究書、異例のヒット

 室町時代は不人気とされるが、呉座さんの『応仁の乱』は30万部超の大ヒット。なぜ売れたのか。複雑な社会情勢が現代に似ている、SNSで面白さが広がったなどと言われるが、はっきりしない。担当編集者は「最近、中世研究者に若く、優秀な書き手が増えた」と話す。研究範囲が広がって新見解が生み出され、この時代の魅力が増しているのでは。購入者も通常より若い30〜40代が目立つといい、今後も注目されそうだ。

 <読む> 最近まで、応仁の乱についてわかりやすくまとめた本は少なかったが、呉座さんが書いた『応仁の乱』のヒットで、雑誌などの出版が相次ぐ。『新説 応仁の乱』(別冊宝島)は、家永さんらによる最新の研究成果を多く紹介する。
    −−「文化の扉 歴史編 異説あり 応仁の乱の原因 「陰謀家」富子説、軍記の記述定着か」、『朝日新聞』2017年05月07日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12925967.html





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