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古書よかばい堂の古本買い取りコラム 福岡の経済誌「月刊フォーNET」連載中!

2017-12-15

よかばい堂、イギリスの古本の村を探訪するの巻 (その2)2017年12月号

よかばい堂、イギリスの古本の村を探訪するの巻 (その2)

 今月も先月に続き、英国の古本の町ヘイオンワイのレポート。
 まずは町を歩いた印象。こじんまりして観光客にとっても散策しやすい。いたるところにカフェやパブレストランなどの開放的な店舗があり、本や巡りの合間に適当に休みながら散策ができる。
 観光案内パンフによると23の古本屋がある。
 神田神保町の140軒は別格として早稲田界隈でも40軒というから、小さな町に23軒だと非常に目立ち、「古本の町」という印象がはっきりとする。ふつうなら大学が集まる大都市自然発生的にできる古書店街が、辺鄙な田舎にあるというのはちょっと不思議な光景だ。
 古美術アンティークの店も多い。本好きにとってはロンドンから1泊で遊びに行くには手ごろなのだろう。大学の町オックスフォードからは2時間、ロンドンからでも3時間ぐらいだ。
 イギリスの田舎道は今回初めて走ったが、看板がほぼ皆無つまり文字を目にしないのできわめて走りやすかった。ラウンドアバウトも慣れてしまえば問題なく、信号待ちがないだけストレスも少ないぐらいだ。慣れないレンタカーでも楽しく運転できた。これがお気に入りのスポーツカーならもっと楽しかろう。 
 東京なら那須高原軽井沢あたりの小さな村に古本屋が20数軒密集している感じだろうか。福岡で考えるなら九重か阿蘇あたりよりももう少し距離があるだろう。
 いくつかの店に入ってみた印象は、どの本もきっちり値付けがされていて、日本に買ってきて大化けするようなものは見当たらかったということ。これはある意味予想通りだ。ネットが都会と田舎に情報の格差なくしてしまったから、田舎だからといって安い値付けをしている理由はないのだ。
 数日後にロンドン古本屋を数軒のぞいてみたときの比較で言うと、当然ながらヘイオンワイの店は面積が広くゆったりとしている。特に一番大きいリチャード・ブース(この町にを古書店を最初に開いた男)の店には大きなソファがいくつも置いてあり、カフェも併設されていてゆったりしたつくりが特徴的だ。
 本にはさして興味のないカミさんも退屈することなく散策しては買い物を楽しんでいた。朝市や食料品店が楽しかったようで、本好き以外の人も楽しめる開放的な雰囲気が観光地として長続きしている理由かもしれない。
 宿はいわゆるB&Bと呼ばれる簡易なもので二人で90ポンドほどだからロンドンの半額ぐらいだろうか。
 小さな町だから2日もいたら時間を持てあますと思い1泊しかしなかったが、もう少しゆっくりしてもよかったかもしれない。
 数日後はロンドンへ行きレコード屋を数軒回ってみた。
 ソーホー地区で面白い店を見つけて3日間通ったのだが、初日にみつけた藤圭子のLPが翌日には売れていたのには驚いた。この店には日本人の店員がいたので、そのせいで日本のレコードが置いてあったのかもしれないが、それにしてもロンドン藤圭子を買う人がいることがわかったのは興味深い。
 たしかに動画サイトを見ていると、歌謡曲に興味を持っている人が世界中にいて、藤圭子の曲をアップしているアルゼンチン人がいたりするから、レコードが売れても不思議ではないのだ。
 ビートルズレコードを数枚買ってカフェに入り一休みしてふと気づいた。今やロンドンやパリで圧倒的に多い中国人韓国人の観光客も、ついぞレコード屋では見かけなかった。 そりゃそうだ。当時中国文化大革命の真最中、「資本主義の退廃した音楽」など聞けるはずもない。
 韓国朴正煕政権下の夜間外出禁止令の頃だ。日本ではいまの70歳前後がビートルズ世代と呼ばれるが、中韓両国ともその世代で青春期にビートルズを聞いた人はほとんどいないはずだ、ということに思い至ったのである。
 
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2017-11-03

よかばい堂、イギリスの古本の村を探訪するの巻 (その1)2017年11月号

 古本の買い取りをしていると、町から古本屋がなくなって淋しいという声を耳にすることがある。本好きにとって古本屋めぐりで時間をつぶし、買った本を手に喫茶店に入るというのは大きな楽しみなのだ。
 ネットだけで本を売り実店舗を持たないよかばい堂店主としてはちょっと申し訳ない気分になる。店舗を持ってみたいとは思うのだが、家賃を払い在庫を抱え、店員を配置して経営をしていくのはそう簡単なことではない。
 よかばい堂としても店舗イメージは3つほど持っている。
1)街中の店舗。駅の近くなどで交通量もあり看板効果が期待できる立地。
2)郊外のロードサイドタイプ。ネット古書店の在庫置き場と実店舗の併用というイメージ。
3)寒村・限界集落など移住者を募集するようなへき地。家賃が極めて安いか条件付き(「一定の雇用を創出すること」など)で無料の建物を想定。
 それぞれ一長一短なのだが、現実的に考えると2)が最も現実的かと思う。スタッフの通勤などを考えると3)はむずかしい。
 しかし、夢が広がるという点では3)が一番だ。なにしろ町おこしを想像するのだからわくわくするではないか。温泉があり、うまい食べ物があり、小さな宿が数件ある村に古本屋中古レコードショップが立ち並ぶという光景は魅力的だ。マンガや歌謡曲などのサブカルにもウェイトを置いた店もあれば海外からの旅行者も来るかもしれない、などと考えるだけで楽しい。
 というわけでそういう妄想癖のある古書店主が、現実にできてしまった本の町を見に行ったとお考え下さい。
 場所は英国ウェールズ地方にあるヘイオンワイという小さな町。ヒースロー空港から車で3時間ぐらいだ。途中で風光明媚コッツウォルズ地方の町で昼食をとったが夕方前には着いた。
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本屋のある街並み

 イギリスの典型的農村風景の中を数時間走りつづけ、そのうちだんだん道が細くなり、牛馬の臭いに満ちた集落を通り抜け、狭い道を80キロぐらいですれ違うどでかいトラックたちと(そう、英国のクルマはみんな飛ばす!)すれ違ったりしながらやっと着いた。
 宿にチェックインし車を置いて徒歩で街中を散策。いきなりホテルの横に数件の古本屋があり、おおさすが名にし負う古本の町であるなあ感がうち寄せる。しかしその向こうはもう村はずれ。なんとも小さな村なのだ。気を取り直し逆向きに町の中心に向かう。
 さて町そのものはよくあるヨーロッパの田舎町で、教会とその前に広場があり小さな城があり周囲に店舗が密集している。町中に多少の起伏があり坂道が多いのが特徴か。辺鄙な田舎町にしては店舗や飲食店・宿泊施設の数が多いのは観光客が多いからだろう。一目で外国人とわかるのは我々以外には一組の韓国人の若い女性二人連れだけだった。あとは英国内からの観光客か欧州諸国などからの客がほとんどか。
 最も高い場所にある古城は、古本での町おこし張本人であるリチャード・ブースが所有してい古書店としているらしい。残念ながら今回は修復のため閉鎖中だった。
 このブース氏はこの地出身で、オックスフォード大学を卒業後、さびれゆく故郷を救済するための産業を考えた挙句古本を扱うことを思いついた。1962年に最初の店舗を開いて以来、彼のエキセントリックなキャラクターが引き起こす騒動をメディアで取りざたされるたびに町の知名度が上がっていき、結果としてそれが観光客を呼び込む誘因となった。
 というわけで、特異なキャラクターのリチャード・ブースあってのヘイオンワイなのだ。町おこしで真似しようと思ってもそう簡単にはいくものではなさそうだ。(この項来月に続く) 





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ある書店のショーウィンドーに飾られた店舗内部のミニチュア
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これが地名のもとになったヘイ川

2017-10-05

よかばい堂 大阪出張の巻  2017年10月号掲載


 つきあいのある広告代理店から、全国紙の関西都市圏版に急遽空きが出たのでなんとか出稿してくれないかと泣きつかれた。困ったときはお互い様だし広告料は格安にしてくれるというので試してみた。
 とは言うものの関西である。買い取りに行くには遠すぎるから、宅配便で本を送ってもらう「宅配買取」の広告にした。
 関西版だけあって当然のことだが福岡よりも発行部数も多く、九州古本屋の広告だというのに予想の反応があった。
 京都の年配の方からは70年代のアイドルレコードをたくさん送っていただき、買い取りが成立。
 宝塚の方から中原淳一のイラストで人気の高い雑誌のバックナンバーを売りたいという話が入ったが、長年大事にされた方には申し訳ないような金額になりそうだったので「無理してお売りにならずにお手元に置いておかれてはどうでしょうか」と申し上げた。
 ここでちょっと補足すると、大事なコレクションを本人が売りたいという場合、商談が成立しないことが多い。いくら大事なコレクションでも古本相場が安いことはよくある。その場合冷徹な市場価格に基づいた査定を受け入れることができず、感情的な反応を示されてしまうのだ。それが予想される場合は査定額そのものを伝えずに、残念ながら今では古本の値段が下がってしまったので無理に売ることはないと思いますよ、などと伝えてやんわりとお断りしてしまう。このテクニックは最近になってやっと会得した。今回の場合は雑誌の復刻版が数年間に出たので、全体的に価格が下がってしまったということも伝えて納得していただいた。
 さてもう一件は、亡くなったご主人が経営していた学習塾の本を見てほしいというご希望。大した本はないかもしれないけれど、捨てるには忍びないので使える本は必要な人の手に渡してほしいという趣旨の電話である。こういう場合は話は成立しやすい。
 本を売る人には2種類ある。ひとつは少しでも高く売りたい人。もうひとつは本を処分したい人。前者は少しでも高く買ってくれる古本屋を選ぶ。だから電話の段階で慎重な判断が必要だ。出張先まで出向いて話が成立しないと一日棒に振ることになるからだ。
 一方後者は処分が目的なので、自分で処分のコストを負担してもよいと思っている人もいる。ときおり正直に「処分までしていただいてお金までいただけるなんてありがたいです〜♡」などと言われることもあるぐらいだ。
 さいわい大阪のご婦人は後者のだったので、電話だけで即断して大阪出張を決めた。最悪でも大コケだけはしないだろうという勝算があった。その目論見を支えていたのは学習参考書という特殊な分野の本が買えそうだから。後の詳述する。
 さすがに大阪まではクルマで行くとしんどいので新幹線にした。そうなると本の梱包・運搬の準備がいる。まずは事前にグーグルマップで段ボールの調達できそうなホームセンター郵便局をチェック。配送ヤマト運輸の「ヤマト便」が安くて便利。その伝票の準備などもする。この辺、現地であたふたするのは避けたいものだ。
 さて朝博多を発ち昼前に現地到着。古びてはいるが住宅地には稀な鉄筋コンクリート造の建物。品の良い奥様にご案内いただくと、予想通り学習参考書の山。実はこの分野、時折高額なものがあるのだ。なぜ古い参考書や問題集に高値が付くのか? これは推測だが予備校講師たちが模擬試験の作成や授業のネタとして古い情報を探しているからではなかろうか。温故知新ですね。推測の当否はどうであれ、高値で売れる本が幾ばくか混じっていれば出張経費は回収できる。
 さて、無事買い取りは終わり見積額を申し上げると上品な奥様は「そんなにい要りません。半分でいいです」とおっしゃる。なんとひさしぶりの「逆値切り」だ。
 つくづく思うがこれって経済合理性だけでは説明がつかない。本を高く売るより「捨てたくない」という動機の方が強いのだ。
 紙面はここで尽きたけど、こんどはこの辺りについてもう少し掘り下げて書いてみたいと思っている。


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2017-09-05

よかばい堂、レコードの歴史に思いをはせるの巻 2017年9月号




 オードリー・ヘプバーン主演の映画「昼下がりの情事」はパリが舞台だ。彼女と恋をするアメリカ大富豪役のゲイリー・クーパーはデートの際にはいつも、BGMを奏でる楽団を引き連れるという設定になっている。食事の際はもちろん水上をたゆたう舟の上で二人きりになる場面でもテーマ曲「魅惑のワルツ」が鳴り響くと、実は楽団が後ろからもう一艘の舟で画面にフレームインしてきて笑いを誘うという、ビリーワイルダーらしい演出だったと記憶している。
 1957年の映画だから当時はすでにレコード全盛の時代。すなわち音楽は生演奏だけでなく複製品が工業製品として作られる産業となっていた。
 それ以前、つまりレコードというかたちで音楽の複製品が工業製品化される前は、音楽を楽しむには生演奏しかなかった。だから楽団を引き連れてデートをしている大富豪の図は、金持ちであると同時に時代遅れであることも表していたのかもしれない。
 じつはその頃のアメリカのヒットチャートではエルビス・プレスリーという歌手がヒットチャートを席巻していた。白人なのに黒人のような節回しで、しかも「下品」に腰を振りながら歌う、と大人たちから顰蹙を買っていた。
 ゲイリー・クーパー大富豪戯画的に描かれてはいるが、その頃のエスタブリッシュメントを表していることは間違いない。エルビスに眉を顰める側だ。だって「魅惑のワルツ」ですよ、「ハートブレイクホテル」の時代に。
 このころはちょうどSPレコードからLP・EPの時代への転換期だった。SPレコードは手回しの蓄音機の時代から使われていた種類のレコード。割れやすく大きさの割には録音時間が短い。
 一方LP・EPになり割れにくい材質が使われ録音時間ものびた。これで好きな音楽をいつでも聴ける自由を大衆が手に入れるようになっていく。ロックンロールの台頭もこの動きに歩調を合わせている。
 参考までに書くとエルビス・プレスリー1935年生まれ、オードリー・ヘプバーン1929年生まれ。ちなみにジョン・レノン1940年生まれ。 
 このころ日本でも小遣いをためた少年少女がレコードを買いだしたころでもある。時あたかも日本ではロカビリー旋風の頃。平尾昌晃も当時はSPレコードを出していた。
 戦後生まれでこの頃シングル盤を買っていた少年たちに細野晴臣大瀧詠一がいた。
 数年後大瀧が上京してこの二人が始めて出会う場面でもレコードが介在している。有名なエピソードだが、大瀧が細野の部屋を初めて訪れるという日、細野はヤングブラッズの「ゲットトゥゲザー」というシングル盤をこれ見よがしに部屋に置いていた。大瀧という男がこのシングル盤にどういう反応を示すかを見たかったのだ。
 部屋に入るなり挨拶もそこそこ「おっ、ゲットトゥゲザー!」といった大瀧は首実検に通り、ふたりは松本隆鈴木茂とともに「はっぴんえんど」を結成、その後もいまに至るまで日本のポップスと歌謡曲に大きな影響を及ぼしていく。
 大瀧は自分のスタジオを”FUSSA45”と名付けるほどシングル盤を愛好していた(45はシングル盤の回転数からとっている)。その彼がメディアとしてのレコードの歴史はCDに取って代わられるまでのたしか30年だったとどこかで言っていた(参照先を探したが見つからない。ラジオ番組での発言かもしれない)。
 さてその30年間の歴史を彩ってきたレコードのごく一部ではあるが数千枚が現在よかばい堂の事務所にある。
 これだけの量を一度に眺めると、古くは1950年代レイ・チャールズから新しいのもではTMネットワークまでの30年のレコードの歴史が展開されていて壮観だ。
 大富豪の楽隊から始まる(もっと前は王侯貴族によるパトロネージか)音楽の所有の歴史は、レコードやCDを経ていまやデジタルデータという究極の姿となり果ててしまった。
 レコードが復活していると言われだして数年経つが、その意味が一体何なのか私はまだよくわからないでいる。

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左:TMネットワークのシングル(1988年) 右:レイ・チャールズ1959年
TMネットワークの時代はCDが主流になっており同タイトルのレコードは終末期でレア。
 

2017-08-05

よかばい堂、マリリン・モンローの逸話を知るの巻 2017年8月号掲載


 ご存知の方も多いと思うが、かの二十世紀を代表するアイコンの一人マリリン・モンロー福岡に来たことがある。アイコンなどと大仰な言い方で恐縮だが、一女優というだけでは語れない存在であることは間違いないだろう。
 当時彼女はニューヨーク・ヤンキースのスター選手ジョー・ディマジオと結婚したばかり。すなわちこの訪日はハネムーンだった。といっても新婚旅行でわざわざ日本を選んだわけではない。夫のディマジオ読売新聞社等に招かれ日本人に野球を指導するという目的があった。
 一九五四年二月のことだ。敗戦から九年も経っておらず、朝鮮戦争のただ中で板付や雁ノ巣米軍基地には朝鮮半島へ向かう米兵たちがいた。
 モンローはまだ駆け出しの女優に過ぎなかった。じつのところ日本人があれほど彼女を熱狂的に歓迎したのがなぜなのかよくわからない。だって「七年目の浮気」も「お熱いのがお好き」もずっと後年になっての出演作で、「ナイアガラ」「紳士は金髪がお好き」といった初期の作品ですらこの訪日の翌年以降だ。(注)
 つまり当時の彼女はわれわれが知る彼女の代表作のどれひとつ持っていない駆け出しの女優に過ぎなかったはずなのだが、日本ではなぜか行く先々で熱狂的な歓迎を受けた。
 さて、モンローはディマジオが日本人に野球を指導しているあいだ暇でしょうがない。売り出し中の新進女優とはいえハリウッドスターが時間をつぶす場所は、当時の福博にはあろうはずもなかった。この辺は推測を交えた書き方になるが、宿泊先の博多日活ホテルの部屋でじっとしているのも辛かろうし、お気に入りだったと言われているレストランの「ロイヤル花の木」でオニオングラタンスープを口にしてもまだ時間はたっぷりあったはずだ。
 で、結局福岡における最大のアメリカ人コミュニティーすなわち米軍に顔を出すことになるのは当然のなりゆきだったろう。
 ところで「国営海の中道海浜公園」がその昔米軍基地だったことは、ある年齢以上の人ならご存じだろう。子供のころ海水浴で志賀島に行く途中米軍基地や教会の横を通って行ったことを覚えている。おおかたの施設はなくなってしまったが、今でも公園の中の砂浜海岸を一望に見渡せる絶好の場所にシオヤヒルズという建物が残っている。じつはこれ米軍が作った将校用のゲストハウスだったらしい(地元の不動産屋から聞いた未確認情報)。
 ひょっとしてこのゲストハウスにモンローは招待されて(なんせ将校用のゲストハウスなんだからこんな時のためにあるようなもんだろう)あの海の中道の絶景をみたのではないか。でもってなにか一言ぐらいは感想を述べたはずだ、marvelous!とかfantastic!とか。
 まあ、こんな妄想を掻き立ててくれるのもモンローだからだろう。この辺の事実関係を調べたら面白かろうと思っている。
 とまあ長い前置きになった。先日売れたのはディマジオ夫妻が泊まったホテル「博多日活ホテル」のパンフレットほか資料一式。いずれ時間ができたら福岡におけるモンローの足跡をたどりたいと思っている私はこの資料を手放す前に写真を撮った。さらにその写真をSNSにアップしておいたのだった。その写真がこれ。
 
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 数日後フェイスブックでそれを見た同級生から書き込みがあり、そのパンフレットを売ってくれないかという。最近亡くなった彼女の父上がこのホテルを設計したらしく、パンフで使われた完成予想図(パース)も彼の手になるものだという。残念ながら売れた後だったので写真のデータをお送りすることにした。
 彼女から聞いたエピソード。御父上はホテル以外にもロイヤル花の木も設計を担当したそうで、モンローをそのどちらかで直に見かける機会があったらしい。その際にモンローが彼(または彼を含む一団かもしれない)に投げキッスをしてくれたことを、嬉しそうに娘である彼女に話していたという。
 そうか。モンローはやっぱり福岡でも投げキッスしたんだ。米軍以外の巷でも。
 しかしその建物は今やどちらも無い。博多日活ホテルはその後城山ホテルとなり今はさらに別の施設になった。ロイヤル花の木は大濠公園に移転し、モンローが来店した場所には博多エクセルホテル東急が建っている。

(注)雑誌掲載時の原稿のままに転載したが、この段落には事実誤認がある。モンロー来日の一九五四年以前にも彼女の主演作は3本ある。前年の一九五三年「ナイアガラ」「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」に製作され、うち前の2本は来日前に日本でも公開されている。
 したがって日本人が彼女に熱狂したのも故無しとは言えない。申し訳ありません。

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