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古書よかばい堂の古本買い取りコラム 福岡の経済誌「月刊フォーNET」連載中!

2018-02-15  古本の出張買取はどうやるのか? このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

  よかばい堂はネット販売専門で、今のところ店舗を持っていない。「今のところ」というのは、いずれは店舗を持ちたいとひそかに思っているからだが、家賃を払い店員を置き優良な在庫を揃えて棚の手入れをするとなると、大きな負担増になるのは間違いなく、現在は夢想するのみ。
 店があれば古本を買いたい人も売りたい人も来店してくれるので、非常に便利だ。ネット販売の最大の課題はどうやって買取りをするか、ということだ。ホームページを見て電話くれる人もいるが、ネットをしない年齢層の人にも広告を見てほしい。そう考えてよかばい堂では新聞広告を出稿している。
 今までに朝日毎日読売全国紙西日本に出稿してきた。経験から言うと、古本屋全国紙は相性がよい。
 理由はふたつある。ひとつは広告費が安いこと。西日本新聞など地元紙は発行部数が多いので広告費も高い。
 もうひとつは、全国紙を読む人は地方紙よりも読書人が多いこと。データに基づいているわけではないが、実感に即して言うと全国紙に出稿すると電話の本数も多く、本の質も高い。
 遠方からの電話もかかってくる。全国紙のばあい広告が九州全域(山口を含む)に掲載されることがあるので、対馬を含む九州各県から電話が入る。
 もちろんそのすべてで出張買い取りをするわけではない。遠方へ行くのは最低でも数万円程度、できれば数十万円の買取りが見込める場合に限っている。
 福岡市内ならあまり詳しく聞かなくても出かけていく場合もある。ほんの近場なら詳しく聞かずに直行することもある。現物を見た方が早いからだ。
 さて、電話を受けると会話だけでどんな本やレコードを売りたいのかを把握しなければならない。百科事典文学全集・美術全集あるいは小説・自己啓発本・ビジネス本などしかなければ買取はできない。これを聞き出すのは思いのほかむずかしい。
 「どんな本が多いですか?」と尋ねてもそう簡単には蔵書内容を把握できない。文庫のことを単行本と言ったり、新刊書のことを新書と言う人は思いのほか多い。 
 説明できないのは、自分が買った本じゃないから。そんなときは、集めた人の職業を尋ねるのが手っ取り早い。ただ、いきなりどんな職業ですかと聞くとぶしつけなので、「失礼ですがお父様は学校の先生をなさっていたのですか?」などと聞くようにしている。先生と言われて気分を害する人はまずいないし、間違っていても向こうから「いえ教師ではなくて銀行員だったんですが漱石が好きでした」などと言ってくれることも多く、こうなればしめたもので、「じゃあ金融関係の本もありますか?」などと聞きやすくなる。
 あとはいつ頃の本なのかを知りたいのだが、そのためには本を集めた人の生年を聞くのが一番だ。「生きていれば90歳」などとわかれば、その人の壮年期がいつごろかを計算していつ頃の本が多いか察しが付く。
 たとえば、「高校で日本史を教えていた父が3年前85歳で他界したのですが、その蔵書を処分しようと思います」というように聞くと、買える本がどれくらいあるかはおよそ見当がつく。福岡市内やその近郊ならこれだけで出張してもいいぐらいだ。
 「国史大系」「岩波講座日本歴史」「日本史大事典」「フロイス日本史」や年表類などが目に浮かぶ。
 先日まさに高校で日本史を教えていた人の蔵書を平戸まで行って買わせていただいた。
 「歴史の本がたくさんあります」と電話で言われてよろこび勇んで出かけたら、何のことはない時代小説の山でほとんど買取りができなかった、などということがないように詳しくお聞きするのである。



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2018-01-15 よかばい堂、バーのマダムの手紙を発見するの巻 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント


 古書の間からは色んなものが出てくる。ヘソクリが挟んであることもあるが、ハガキや手紙も頻繁に出てくる。
 先日は私信の便箋が3通出てきた。封筒はなく便箋のみ。差出人はいずれも同一人物中洲あたりの飲み屋の女主人と思しき人物。当時の言葉ではバーのマダムとでもいうところか。この「バーのマダム」というコトバにはちょっと説明が必要だろう。
 今のバーと違うのは昭和期にのバーにはホステスがいたこと。『観光福岡とその周辺』という本に中洲の飲み屋がホステスの写真入りで紹介されているが、「クラブ薊」と並んで「バー白い森」の5人のホステスが紹介されている。バーとはホステスがいてそれを口説く楽しみで通う客もいたに違いない。
 ついでに言うと植木等が歌ってるクレイジーキャッツの「ショボクレ人生」は「〽バーや〜キャバレーじゃ灰皿盗みぃ〜」で始まる。これも女がいる酒場としてのバーだろう。同じくクレイジーキャッツの「やせがまん節」では「たまに一人で飲んでりゃ マダムにくどかれる」とあるが、もちろんこのマダムは既婚女性という意味ではなく、飲み屋のママさんという意味だ。映画では草笛光子なんかがはまり役のイメージだ。
 ところでスナックとは今と昔はどう違っていたのだろう。今どきはホステスがおらず、カウンター越しに客対応をし、多くの場合カラオケが置いてある店をスナックというが、昭和40年代はカラオケはなかったはずだ。
 パープルシャドウズの「ちいさなスナック」(1968年)という曲がある。歌詞をみると、どうやらホステスはいない。いるのは「ギターをつま弾く」「君」だけ。その「君」も客のひとりらしい。「ひとりぼっちのうしろ姿」を見せているところからして一人で来店か。
 ということはスナックは客同士の出会いの場でもあったのかもしれない。少なくともこの歌はそういう幻想を抱かせる。いずれにせよスナックには今も昔もホステスはいなかったようだ。
 話を便箋に戻そう。受け取った側(故人。昭和ひとけた生まれ。福岡を代表する企業のエリートサラリーマンを想像してください)が消印だか受取日だかの日付を書いている。
 その日付を手掛かりに書かれた順番をつけ、ご紹介しよう。
 まずは1通目の白眉の部分。「この手紙、酔って読んで下さるのだったら書きたい事が有るのですが、お昼ですのでもちろん素面でしょう。酔って読んで下さる時に書きましょう」とある。いやまいった。素晴らしい。あからさまに思わせぶりな文句だが、こんなことを言われたらフラフラ来るのが男というものだと、きっと職業的に知悉しているに違いない。じっさい受け取った男も死ぬまで手紙を捨てきれなかったのだからうれしかったのだろう。
 2通目。どうやら非番もしくは遅番で女が店にいないときに男が店を訪れたらしい。「もう来て下さらないのではないかと気をもんでおりました。TELして下さればすぐ来るのに逢えなくて残念でした」「チーフが(中略)マッチを持っておかえりに成られましたと聞いたので待ちました。待ちぼうけでしたが店に来て下さっただけでもうれしいでした」
 3通目。「貴男さまはやさしいので店にいて下さるだけで気持ちが休まります」「何時も酔ってる時だけですので今度素面で逢ってみたいです」。
 というところで紙面も尽きそうだ。あとは写真でお楽しみください。
 


 
 
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2017-12-15

よかばい堂、イギリスの古本の村を探訪するの巻 (その2)2017年12月号

よかばい堂、イギリスの古本の村を探訪するの巻 (その2)

 今月も先月に続き、英国の古本の町ヘイオンワイのレポート。
 まずは町を歩いた印象。こじんまりして観光客にとっても散策しやすい。いたるところにカフェパブレストランなどの開放的な店舗があり、本や巡りの合間に適当に休みながら散策ができる。
 観光案内パンフによると23の古本屋がある。
 神田神保町の140軒は別格として早稲田界隈でも40軒というから、小さな町に23軒だと非常に目立ち、「古本の町」という印象がはっきりとする。ふつうなら大学が集まる大都市自然発生的にできる古書店街が、辺鄙な田舎にあるというのはちょっと不思議な光景だ。
 古美術アンティークの店も多い。本好きにとってはロンドンから1泊で遊びに行くには手ごろなのだろう。大学の町オックスフォードからは2時間、ロンドンからでも3時間ぐらいだ。
 イギリスの田舎道は今回初めて走ったが、看板がほぼ皆無つまり文字を目にしないのできわめて走りやすかった。ラウンドアバウトも慣れてしまえば問題なく、信号待ちがないだけストレスも少ないぐらいだ。慣れないレンタカーでも楽しく運転できた。これがお気に入りのスポーツカーならもっと楽しかろう。 
 東京なら那須高原軽井沢あたりの小さな村に古本屋が20数軒密集している感じだろうか。福岡で考えるなら九重か阿蘇あたりよりももう少し距離があるだろう。
 いくつかの店に入ってみた印象は、どの本もきっちり値付けがされていて、日本に買ってきて大化けするようなものは見当たらかったということ。これはある意味予想通りだ。ネットが都会と田舎に情報の格差なくしてしまったから、田舎だからといって安い値付けをしている理由はないのだ。
 数日後にロンドン古本屋を数軒のぞいてみたときの比較で言うと、当然ながらヘイオンワイの店は面積が広くゆったりとしている。特に一番大きいリチャード・ブース(この町にを古書店を最初に開いた男)の店には大きなソファがいくつも置いてあり、カフェも併設されていてゆったりしたつくりが特徴的だ。
 本にはさして興味のないカミさんも退屈することなく散策しては買い物を楽しんでいた。朝市や食料品店が楽しかったようで、本好き以外の人も楽しめる開放的な雰囲気が観光地として長続きしている理由かもしれない。
 宿はいわゆるB&Bと呼ばれる簡易なもので二人で90ポンドほどだからロンドンの半額ぐらいだろうか。
 小さな町だから2日もいたら時間を持てあますと思い1泊しかしなかったが、もう少しゆっくりしてもよかったかもしれない。
 数日後はロンドンへ行きレコード屋を数軒回ってみた。
 ソーホー地区で面白い店を見つけて3日間通ったのだが、初日にみつけた藤圭子のLPが翌日には売れていたのには驚いた。この店には日本人の店員がいたので、そのせいで日本のレコードが置いてあったのかもしれないが、それにしてもロンドン藤圭子を買う人がいることがわかったのは興味深い。
 たしかに動画サイトを見ていると、歌謡曲に興味を持っている人が世界中にいて、藤圭子の曲をアップしているアルゼンチン人がいたりするから、レコードが売れても不思議ではないのだ。
 ビートルズレコードを数枚買ってカフェに入り一休みしてふと気づいた。今やロンドンやパリで圧倒的に多い中国人韓国人の観光客も、ついぞレコード屋では見かけなかった。 そりゃそうだ。当時中国文化大革命の真最中、「資本主義の退廃した音楽」など聞けるはずもない。
 韓国朴正煕政権下の夜間外出禁止令の頃だ。日本ではいまの70歳前後がビートルズ世代と呼ばれるが、中韓両国ともその世代で青春期にビートルズを聞いた人はほとんどいないはずだ、ということに思い至ったのである。
 
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2017-11-03

よかばい堂、イギリスの古本の村を探訪するの巻 (その1)2017年11月号

 古本の買い取りをしていると、町から古本屋がなくなって淋しいという声を耳にすることがある。本好きにとって古本屋めぐりで時間をつぶし、買った本を手に喫茶店に入るというのは大きな楽しみなのだ。
 ネットだけで本を売り実店舗を持たないよかばい堂店主としてはちょっと申し訳ない気分になる。店舗を持ってみたいとは思うのだが、家賃を払い在庫を抱え、店員を配置して経営をしていくのはそう簡単なことではない。
 よかばい堂としても店舗イメージは3つほど持っている。
1)街中の店舗。駅の近くなどで交通量もあり看板効果が期待できる立地。
2)郊外のロードサイドタイプ。ネット古書店の在庫置き場と実店舗の併用というイメージ。
3)寒村・限界集落など移住者を募集するようなへき地。家賃が極めて安いか条件付き(「一定の雇用を創出すること」など)で無料の建物を想定。
 それぞれ一長一短なのだが、現実的に考えると2)が最も現実的かと思う。スタッフの通勤などを考えると3)はむずかしい。
 しかし、夢が広がるという点では3)が一番だ。なにしろ町おこしを想像するのだからわくわくするではないか。温泉があり、うまい食べ物があり、小さな宿が数件ある村に古本屋中古レコードショップが立ち並ぶという光景は魅力的だ。マンガや歌謡曲などのサブカルにもウェイトを置いた店もあれば海外からの旅行者も来るかもしれない、などと考えるだけで楽しい。
 というわけでそういう妄想癖のある古書店主が、現実にできてしまった本の町を見に行ったとお考え下さい。
 場所は英国ウェールズ地方にあるヘイオンワイという小さな町。ヒースロー空港から車で3時間ぐらいだ。途中で風光明媚コッツウォルズ地方の町で昼食をとったが夕方前には着いた。
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本屋のある街並み

 イギリスの典型的農村風景の中を数時間走りつづけ、そのうちだんだん道が細くなり、牛馬の臭いに満ちた集落を通り抜け、狭い道を80キロぐらいですれ違うどでかいトラックたちと(そう、英国のクルマはみんな飛ばす!)すれ違ったりしながらやっと着いた。
 宿にチェックインし車を置いて徒歩で街中を散策。いきなりホテルの横に数件の古本屋があり、おおさすが名にし負う古本の町であるなあ感がうち寄せる。しかしその向こうはもう村はずれ。なんとも小さな村なのだ。気を取り直し逆向きに町の中心に向かう。
 さて町そのものはよくあるヨーロッパの田舎町で、教会とその前に広場があり小さな城があり周囲に店舗が密集している。町中に多少の起伏があり坂道が多いのが特徴か。辺鄙な田舎町にしては店舗や飲食店・宿泊施設の数が多いのは観光客が多いからだろう。一目で外国人とわかるのは我々以外には一組の韓国人の若い女性二人連れだけだった。あとは英国内からの観光客か欧州諸国などからの客がほとんどか。
 最も高い場所にある古城は、古本での町おこし張本人であるリチャード・ブースが所有してい古書店としているらしい。残念ながら今回は修復のため閉鎖中だった。
 このブース氏はこの地出身で、オックスフォード大学を卒業後、さびれゆく故郷を救済するための産業を考えた挙句古本を扱うことを思いついた。1962年に最初の店舗を開いて以来、彼のエキセントリックなキャラクターが引き起こす騒動をメディアで取りざたされるたびに町の知名度が上がっていき、結果としてそれが観光客を呼び込む誘因となった。
 というわけで、特異なキャラクターのリチャード・ブースあってのヘイオンワイなのだ。町おこしで真似しようと思ってもそう簡単にはいくものではなさそうだ。(この項来月に続く) 





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ある書店のショーウィンドーに飾られた店舗内部のミニチュア
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これが地名のもとになったヘイ川

2017-10-05

よかばい堂 大阪出張の巻  2017年10月号掲載


 つきあいのある広告代理店から、全国紙の関西都市圏版に急遽空きが出たのでなんとか出稿してくれないかと泣きつかれた。困ったときはお互い様だし広告料は格安にしてくれるというので試してみた。
 とは言うものの関西である。買い取りに行くには遠すぎるから、宅配便で本を送ってもらう「宅配買取」の広告にした。
 関西版だけあって当然のことだが福岡よりも発行部数も多く、九州古本屋の広告だというのに予想の反応があった。
 京都の年配の方からは70年代のアイドルレコードをたくさん送っていただき、買い取りが成立。
 宝塚の方から中原淳一のイラストで人気の高い雑誌のバックナンバーを売りたいという話が入ったが、長年大事にされた方には申し訳ないような金額になりそうだったので「無理してお売りにならずにお手元に置いておかれてはどうでしょうか」と申し上げた。
 ここでちょっと補足すると、大事なコレクションを本人が売りたいという場合、商談が成立しないことが多い。いくら大事なコレクションでも古本相場が安いことはよくある。その場合冷徹な市場価格に基づいた査定を受け入れることができず、感情的な反応を示されてしまうのだ。それが予想される場合は査定額そのものを伝えずに、残念ながら今では古本の値段が下がってしまったので無理に売ることはないと思いますよ、などと伝えてやんわりとお断りしてしまう。このテクニックは最近になってやっと会得した。今回の場合は雑誌の復刻版が数年間に出たので、全体的に価格が下がってしまったということも伝えて納得していただいた。
 さてもう一件は、亡くなったご主人が経営していた学習塾の本を見てほしいというご希望。大した本はないかもしれないけれど、捨てるには忍びないので使える本は必要な人の手に渡してほしいという趣旨の電話である。こういう場合は話は成立しやすい。
 本を売る人には2種類ある。ひとつは少しでも高く売りたい人。もうひとつは本を処分したい人。前者は少しでも高く買ってくれる古本屋を選ぶ。だから電話の段階で慎重な判断が必要だ。出張先まで出向いて話が成立しないと一日棒に振ることになるからだ。
 一方後者は処分が目的なので、自分で処分のコストを負担してもよいと思っている人もいる。ときおり正直に「処分までしていただいてお金までいただけるなんてありがたいです〜♡」などと言われることもあるぐらいだ。
 さいわい大阪のご婦人は後者のだったので、電話だけで即断して大阪出張を決めた。最悪でも大コケだけはしないだろうという勝算があった。その目論見を支えていたのは学習参考書という特殊な分野の本が買えそうだから。後の詳述する。
 さすがに大阪まではクルマで行くとしんどいので新幹線にした。そうなると本の梱包・運搬の準備がいる。まずは事前にグーグルマップで段ボールの調達できそうなホームセンター郵便局をチェック。配送ヤマト運輸の「ヤマト便」が安くて便利。その伝票の準備などもする。この辺、現地であたふたするのは避けたいものだ。
 さて朝博多を発ち昼前に現地到着。古びてはいるが住宅地には稀な鉄筋コンクリート造の建物。品の良い奥様にご案内いただくと、予想通り学習参考書の山。実はこの分野、時折高額なものがあるのだ。なぜ古い参考書や問題集に高値が付くのか? これは推測だが予備校講師たちが模擬試験の作成や授業のネタとして古い情報を探しているからではなかろうか。温故知新ですね。推測の当否はどうであれ、高値で売れる本が幾ばくか混じっていれば出張経費は回収できる。
 さて、無事買い取りは終わり見積額を申し上げると上品な奥様は「そんなにい要りません。半分でいいです」とおっしゃる。なんとひさしぶりの「逆値切り」だ。
 つくづく思うがこれって経済合理性だけでは説明がつかない。本を高く売るより「捨てたくない」という動機の方が強いのだ。
 紙面はここで尽きたけど、こんどはこの辺りについてもう少し掘り下げて書いてみたいと思っている。


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