ドストエフスキーに関するメモの抜き書き。〜辞任前の混乱から今に至るまで

安岡治子訳、『貧しき人々』、光文社 
5月14日
以前帰省時、かつてあらゆる種類の本(もちろんいかがわしいやつも)を買った駅前の書店で購入。ドストエフスキーが23−4歳の頃に書いて、発表したデビュー作らしい。安岡治子という人の軽い文体の新訳(光文社文庫)で読んだ。
47歳の下級官吏の男と18歳の女性という貧しい二人が文通をしているわけだが、20代の作者が書いたとは思えないリアルさ。とくに男の手紙のまとまりの悪さ、ころころ変わる話題、つねに他人の評価を意識した『地下室の手記』の主人公みたいな卑屈さとか。「内面」とか「一貫性」とかではなくて、まさに表面の頼りなさ、馬鹿ばかしさ、危うさから、わたしたちがなにげなく「人格」と呼んでいるものが鋭く浮き彫りになっている。
「地位や名誉なんて気にしないで生きる」と言うのはかんたん。でも、他人の目から自由になることがどれほど難しいことであるか。また、他人の欲望に翻弄されずに自らのみ欲することがどれほど不可能に近い(コマーシャル!)ことであるか。ジラールバフチンに、またふれたくなったな。
でも『罪と罰』、『地下室の手記』、『貧しき人々』と読んだら、いよいよ『カラマーゾフの兄弟』にも挑戦しないとな。
 亀山郁夫訳、『カラマーゾフの兄弟』、光文社 
5月31日
カラマーゾフの兄弟』、いろいろあってなかなか読み進まずもどかしいが、今日は少し読めてありがたかった。話が横に逸れまくる物語展開だが、こういう脇道、寄り道は大好きだ。

“「まるきり冗談を言っていたわけではない、それはたしかです。この問題はあなたの心のなかでもまだ解決されておらず、苦しめているのです。しかし受難者も、やはり絶望に苦しむかに見せて、ときに絶望で気晴らしを楽しむことがあるものです。いまのところあなたも、絶望で気晴らしをされている。自分の弁証法が自分にも信じられず、胸の痛みをおぼえ、ひそかにそれをあざけりながら、雑誌の論文やら社交界での議論で気晴らしをなさっている・・・・・あなたのなかでこの問題は解決されておらず、そこにあなたの大きな悲しみがある。なぜなら、それはしつこく解決を求めているからです」”(亀山郁夫訳、『カラマーゾフの兄弟1』、光文社文庫、183頁)

ゾシマ長老という人、鋭いことを言う。ドストエフスキーは、というより小説家は、当たり前だが一人で何人もの人間を描き分ける。だがこの「小説なら当たり前」のことが不思議で仕方が無い。ドストエフスキーロシア正教の聖職者ではなかったし、おそらくこのような「思想」ないし「信仰」も彼が描き分けたテクスト(もっと言えば虚構)の一部に過ぎず、ドストエフスキー本人の本音/吐露であるわけでもない。ところが、他の登場人物同様にゾシマ長老も、なんてほんとうに居そうな人なんだろう。その発話も、なんてほんとうに言いそうな言葉だろうか。もちろん、そうじゃなかったら小説にならないわけで、こんな素朴なことに驚いていては話がはじまらないのだが。
 でも、たとえばゾルガー『美と芸術の対話 エルヴィン』なんかだと、対話と言っていながら、明らかにゾルガー自身の独り言なんだよなあ。それはそれで、美しいロマン主義文学ではあるんだけれども。
6月3日
「多」の豊かさと難しさ 
ドストエフスキーという個人の離れ業に感嘆しつつ聖書の仕事に戻ってみると、そこでも驚きが待っている。聖書には著者個人の名前は出てこない(確定できない)ものの、「伝承」という匿名性、要するに民衆もしくはちょっとインテリ?の人々による集合的な物語の多声性が満ち溢れている。いわゆる「悪役」であるところの悪霊やらファリサイ派やらの言うセリフ、旧約なら主に背いた「愚かな」王や民たちの立ち居振る舞い、そういったものにさえ命がある。
ところがドスエフスキーの多声性を感嘆するぶんには教会の人も何も言わないだろうが、聖書の多声性を感嘆するや、とたんに激しいアレルギー反応が起こる。「先生には、ただ十字架と復活の話だけをしてもらいたい。それだけなんですよ。」。
もちろん、わたしもそれのみを心がけてきたといっていい。むしろわたしは福音派出身の、コテコテに保守的な信仰者である。しかし保守的な意味での聖書の「一」に至るプロセスたる「多」を語ること、これだけでもどれほど危険であることか。人々がどれほどに「一」のみを、「多」など一切ショートカットした「一」のみを求めていることか。
そして人々の「一」を求めるその熱意、真剣さがひしひしと伝わってくるだけに、どれほど苦悩するか。しかしわたしも自分を神の前にごまかし、「多」が見えているのに嘘をついて「一」のみを語ることは、やはりどうしてもできない。
説教など所詮は礼拝のなかのほんの一部に過ぎず、人々はむしろ賛美や祈りに慰めを得ていることのほうが大きいだろう。とはいえ信徒がそう言うならともかく、わたしがそれを言ってしまったら、やっぱりダメなような気もする。聴くことも含めた語ることで生活の資を得ている身としては。
6月10日
屁理屈から屁が出るとき
カラマーゾフの兄弟』のなかでスメルジャコフという寡黙な若者が登場し、「バラムのロバ」などとあだ名されて軽視されてもいるが、これが口を開くや、辛らつなことを言う。カラマーゾフ家で殉教者のことが話題になり、イスラームからの拷問に屈せず、死ぬまで信仰を守り抜いたことが讃えられている。そこで彼は以下の論旨で大胆に語りだす。
 ・拷問にあって棄教を迫られイスラームに改宗しても、罪は無い。
 ・なぜなら、聖書には信仰があるなら山に向って「動け」といえば動くはずだと書いてある。そんなことができる人がいそうもない以上、真の信仰者などいない。
 ・拷問を受けている人は「もうだめだ」と思った瞬間に、言葉に出す前に棄教しているのだから、もう神から離れた人間が神を否定しても、神となんの関係があるか。
 ・そもそもイスラーム圏に生まれた人間が、キリスト教を選ぶ余地などあるのか。天国はキリスト教徒だけのものか。違うなら、棄教しても罪は軽いか、無いかだ。
他にもイワンという若者がおり、彼は完全な無神論者で、彼にとってはなんらかの「永遠」を前提するこのような議論さえ無意味である。おそらく20世紀へ向けて頭をもたげていた近代的思考を、実に手短に代弁した反論だと思った。
6月22日
今日も落ちてくるような曇り空。  
イワンという23歳の青年が、弟のアリョーシャという修道僧(見習い?)に、神を「受け入れられない」という話をする場面がある。そこでイワンは自分がコレクションしているという、ロシアやフランスの変態的な事件の記事を披露する。その内容たるや、まさにサディズムや幼児・児童虐待そのもの。
サドの『ソドム百二十日』を読んだときには、実はあまり残酷だとも思わなかった。あまりに現実離れしていたから。けれども、翻訳の口調もあるのかもしれないが(サドは澁澤龍彦で読んだ)、イワンの語るエピソードの数々たるや、昨今の様々な事件や問題をありありと連想させる、うんざりするような「コレクション」である。
で、彼はこう結論するのだ。そのように死んだ子どもが終わりの日に迫害者と和解するなど到底信じられないし、仮にそのような和解の真理があったとして、その真理は子どもの流した涙に値しないと。だから仮にそのような真理を神から与えられても、自分は謹んでお断りするのだ、と。
“「おれはいま、何もわかりたくないんだ。おれはただ事実ってものに寄り添っていたいんだ。だいぶまえに、おれは、理解しないって決めたんだよ。もしなにかを理解しようと思ったら、とたんに事実を裏切ることになるからな、事実に寄り添っていることに決めたのさ・・・・」”(亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟2』、光文社、241頁.)
6月26日
他人はわたしの芝生を  
カラマーゾフの兄弟2』やっと読了。『3』も楽しみ。
極端な意見かもしれないけど、「自分は自分、人の目(意見)なんか気にしないよ」とのびのびと生きている人は、ドストエフスキーなんか興味ないかも。
50がらみ(当時なら老年)の慈善家。若き回心者ゾシマのところへしきりと訪問してくる。見るからに信仰深い慈善家が、今から修道士になろうという20代の青年のどこに興味をもったか。
最後のほうの面会時、慈善家は告白する。自分はかつて完全犯罪で殺人を犯した。そのことでずっと苦しんできたと。これを今こそ公表したいが、妻や子どもを苦しめたくないと。で、慈善家はくよくよ悩み続けた後、ついに公表する。ところが世間からはその素行良さゆえに「錯乱」とみなされ、家族や世間の幸福な受け止めのうちに彼は病に死ぬ。
ところで、死の床で慈善家は若きゾシマに言う。「最後に会った時、あなたは人生のなかで最も命の危険に曝されていた」と。つまり若き青年に罪告白をした後、慈善家は彼を殺そうと真剣に考えたのだった。
自分の罪を知っている人間が、ただひとりこの地上に居る。彼が世界のどこにいるかとか、彼が秘密をばらすかばらさないかとか、そんなことは関係ない。ただ、自分の究極の罪、弱さを心中で「どうにでも裁ける」人間がこの世に存在することの恐ろしさ。彼は恐怖に耐えられず、自分から罪を告白したにもかかわらず、その若者をも殺そうとしかけたのだった。結果として、そうしなかっただけだった。しかしいずれにせよ、慈善家は告白の平安のうちに息を引き取り、青年ゾシマは信仰の道を究め始めるのだった。
ドストエフスキーの作品中、他人の眼、他人の評価への恐怖というモティーフは頻繁に登場する。他人の眼差しに、みんな何て弱いんだろう。そして、なんと愛らしき弱き人々だろう・・・・
7月3日
“たしかに同じ青年のなかにも、心の印象をうけ入れるのに注意深く、熱くならず、温かい気持ちで愛するすべを知り、正確ではあるが、年齢からするとあまりに分別くさい(それゆえ安っぽい)知性をもったものがいる。そういう青年というのは、あえて言わせてもらうなら、わたしの青年の身に起こったようなことは、避けてとおるだろう。しかし場合によっては、たとえ非合理的であれ、やはり大きな愛が原因で生じた熱中に身をゆだねるということは、そういう熱中にまるで無関心でいるより、はるかに尊敬に値するのではないかとわたしは思う。青春時代であれば、なおさらのことだ。なぜなら、つね日ごろあまりに分別臭い青年というのは、さして頼りにならず、そもそも人間としても安っぽいというのがわたしの意見だからである!”(『カラマーゾフの兄弟3』  “分別くさい”と“分別臭い”は引用元のまま)
今自分が置かれている状況のせいだろうか。こうした言葉が、限りなく慰めに満ちたものとして響いてくる。わたしはもう青年ではないし、まして青春時代など20年も昔に過ぎ去っている。それでもここに語られているこの優しさに、まるでわたし自身へと宛てられているかのような語り手の愛を感じずにはいられない。
もちろん、作品中いつも「前向きな」ことが描かれるわけではない。ただ、どんなに過激で悲観的で皮肉に満ちた表現さえも、どこか愛を感じさせるのだ。表現の中身の如何に関わらずこうした人間への徹底的な信頼のようなものを感じさせるところが、ドストエフスキーの紡ぎ出すテクストの凄みだろう。
8月6日
ドストエフスキーニーチェに影響を与えたんだろうか。少しニーチェより時代が早いようだけど。イワンが見る悪魔の幻覚が語る思想が、非常にニーチェに接近しているような。それも後期(?)の。
「君はやっぱり、ぼくらのいまの地球のことばかり考えているんですね!だって、もしかしたら、いまの地球自体、もう十億回も繰り返されているのかもしれないんですよ。」(亀山郁夫訳、『カラマーゾフの兄弟 4』、379頁)
とにかくとことん信仰的な人物が信仰的なことを語り、ニヒリストがニヒルなことを語るわけだが、ドストエフスキーには偏重がないように感じる。トルストイの『復活』を読んだときには、正直説教臭くてうんざりした。信仰的な結論が先にあるようで、悲惨も悪魔的なものもそのためのツールに感じたものだ。
とにかく『カラマーゾフ』には冷笑がない。皮肉がない。嘲笑もない。気が滅入るようなことしか描かれていないのに、いわゆる内容(ストーリー、あらすじ)とは別の、なにか温かさがある。
8月10日
カラマーゾフの兄弟』読了。エピローグはあっけなかった。兄弟たちは、その後どうなったんだろう。二人の女は、赦しあうことができたのだろうか。少年たちはどんなふうに成長していったのか。使徒言行録がそうであるように、結末の余白の続きは、自分で想像するしかない。
“こうして二人は、ほとんど意味もなく、狂おしい、ことによると真実とはかけはなれた言葉をたどたどしく交わしあっていたが、この瞬間にはすべてが真実であり、ともにひたむきに自分の言葉を信じていたのだった。”(36頁)
相手のことだけ考えることもできない。かといって、いくら自己中心になってみたところで、自分だけに意識を集中させることもまた、決してできないということ。「視線」が、そこにあるということ。

“「きっとぼくらはよみがえりますよ。きっとたがいに会って、昔のことを愉快に、楽しく語りあうことでしょうね」”(62頁)
今日は連れ合いの亡くなった母親の、誕生日だった。
 望月哲男訳、『白痴』、河出書房新社 
8月21日
死刑  
ドストエフスキーは20代後半、反逆罪みたいなもので死刑判決を受け、もう今まさに銃殺というぎりぎりのところで皇帝の恩赦の知らせが届いて生き延びたそうだ。癲癇の持病と闘いながら生きていた、たぶん心身ともに丈夫とは言えない彼にとって、この体験はどれほど恐ろしい刻印を刻んだことだろう。しかもシベリア徒刑の体験がそこに重なれば・・・・
そういう執拗な強迫観念みたいなものが、『白痴』にも出てくる。先に『カラマーゾフの兄弟』を読んでしまったから『白痴』“にも”、なんて言ってしまったが、順序は『白痴』が先だろう。『カラマーゾフ』とほとんど同じような死刑の描写が、同じように登場人物による証言という形式で描かれている。
“そもそも一番大きな、一番強烈な苦痛というのは、おそらく傷そのものの苦痛ではなくて、確実に予知することなのです。つまりあと一時間たったら、次にはあと十分たったら、それからあと三十秒たったら、それからもうすぐ、そしてまさにいま、魂が体から飛びだして、もはや人間ではなくなってしまうのだと、しかも確実にそうなるだろうと知ることなのです。”(望月哲男訳、『白痴 1』、河出書房新社、45頁.)
“自分は今こうして存在し、生きているが、三分後にはすでに「何か」に変化している、つまり何者かに、もしくは何物かになってしまっている。ではいったい自分は何者になっているのか?いったいどこにいるのか?”(同書、125頁.「何か」は本分では傍点)
カラマーゾフ』と違って、静かな口調で、穏やかそうに見える人物が淡々と語るから不気味である。生きるとは何か、死ぬとは何か、死んだらどうなるのか。素朴で強烈な問いが死刑の悪夢によって浮き彫りとなる。
8月23日
話す勢い
ドストエフスキーは速記記者だった人と再婚している。で、後期の作品は彼が草稿をもとに語るのを彼女が速記して原稿にしていたらしい。
あの独特のスピード感、目がまわるような出来事の展開の速度は、話し言葉の勢いなのかもしれない。翻訳者の解説によると、だから同語反復とか副詞の連発などが見られるという。
もちろん丁寧に練られた構想や草稿があるはずだが、彼が奥さんの前でいざ語るときには、レコーディングでいう「一発録り」みたいな感じだったのだろうか。作品世界の綿密な設定とまったく矛盾せずに、そのテクストにはロックでいう60年代のスタジオ録音やライヴ盤みたいな、荒削りな迫力がある。
 
8月28日
河出文庫の『白痴 1』読了。乗り物酔いしそうなカーニヴァルポリフォニーのなかで、意外な、そして適切な引用というか紹介でもって1巻が終わる。

“「ご存じですかトーツキーさん、噂によると、日本人もよく同じようなまねをするそうじゃないですか」プチーツィンがそう話しかけていた。「日本では、侮辱された人間が侮辱者のところに行って、こう言うそうですよ。『おまえは私を侮辱した。だから私はおまえの目の前で腹を切りに来た』そしてそう言うとともに、本当に侮辱者の目の前で自分の腹を切り裂いてみせ、しかもそれで実際に敵討ちをしたのと同じような極度の満足を得るのだそうです。まったく世の中にはいろいろ変わった性格があるものですね、トーツキーさん」
「つまりあなたは、今回の場合もその日本人のケースと似ていると言うんですね」トーツキーはにっこり笑って答えた。「なるほど!それはなかなか気がきいてる・・・・・いや、まったくうまい喩えですな。」”(同書、376頁.)

9月12日
疲れること、ラクなこと  
ドストエフスキー『白痴』の河出文庫版、2巻の途中を読んでいる。『カラマーゾフの兄弟』もそうだったが、ドストエフスキーの物語展開は特徴がある。
主人公がどこかにいて、誰かと話している→話が終わらないうちに、次々にまた別の人間が現れる、ないし唐突な出来事に出くわす。
これの繰り返しなので、ほっと一息つく暇がどこにもない。しかも人々の「性格」にあたるものも、目に見えて激しいか、おとなしく見えて実は激しいかで、穏やかな人はいない。重層的に二転三転する展開、AでもありBでもあるような真実の波・・・・・面白いんだけど、読むのに体力がいる。
それはいきいきとした礼拝説教に通じる特徴かもしれない。「これは!」という説教は、時に短いことがある。スピード感溢れるみずみずしさが30分以上続いたら、たぶん聴衆は疲れ切ってしまうのだ。語り手は手を抜いているから話が短いのではなくて、聴き手の体力に配慮しているのだ。読書は好きなところで打ち切れるが、説教は相手が話している限りそこに座って聴かなければならないのだから。
9月17日
士師記雑感  
“それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。”。ほとんど同じ表現で、17章と21章に出てくる言葉。 理由は「王がいなかったから」ということらしい。
上から命じる(禁じる)ものがない→だから自分にはすべてのことが許されている。この短絡をドストエフスキーは『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』で丁寧に問題化させている。サルトルは読んだことないが、もしかすると彼の有名な言葉“人間は自由の刑に処せられている”も、そのような文脈なのかもしれない。
それにしても、法や倫理が必要だから「神」が要請されねばならないのか。その問題と、神や王がいないから何をしても自由という問題とは、一見正反対のベクトルのようだけれども、実はまったく異質な問題設定であるようにも思われる。前者の問いであれば、それが「神」である必要はないという結論に至るからだ。しかし後者は、現実にそのことを理由に無差別殺人を行う人は現代でも居る。
士師記が問う問題は、ヨブ記やコヘレトの言葉が言語化して対象化している問題設定を、地で踏み越えて生きている越境者たちが実在する、ということだ。ヨブ記やコヘレトの言葉は、たしかに鋭い。しかしそれらは「個」の鋭さかもしれない。しかも踏みとどまる鋭さかもしれない。ところが士師記では主体の言葉ではなく集団の公けへと曝され、個は流出、溶解し、言語は黙り、問題設定は楽々と踏み越えられる・・・・士師記は沈思黙考を許さない。
それにしても聖書の編者はよく考えたものだ。士師記の次にルツ記をもってくるとは。傷つき疲れた読者を癒し、踏みにじられた異邦人/女性がここで命を発揮する。

それにしても、コーランを燃やしている牧師たち。つくづく残念だった。そこには単純なAという物語(と呼ぶに値するかどうかも分からないが)の一本調子しかない。疲れない。安心して乗っかれる物語。だから長くても大丈夫だし、そういう教会はヒトもカネも集まるのだろうな。


“「ご存じですかトーツキーさん、噂によると、日本人もよく同じようなまねをするそうじゃないですか」プチーツィンがそう話しかけていた。「日本では、侮辱された人間が侮辱者のところに行って、こう言うそうですよ。『おまえは私を侮辱した。だから私はおまえの目の前で腹を切りに来た』そしてそう言うとともに、本当に侮辱者の目の前で自分の腹を切り裂いてみせ、しかもそれで実際に敵討ちをしたのと同じような極度の満足を得るのだそうです。まったく世の中にはいろいろ変わった性格があるものですね、トーツキーさん」
「つまりあなたは、今回の場合もその日本人のケースと似ていると言うんですね」トーツキーはにっこり笑って答えた。「なるほど!それはなかなか気がきいてる・・・・・いや、まったくうまい喩えですな。」”(同書、376頁.)
9月21日
マタイ22:1−14/ルカ14:7−24  
家賃を払いに行った帰り、残暑のなかそこだけは寒い財布を抱いて書店に寄ったら、ドストエフスキー『悪霊1』が亀山郁夫訳で発売されていた。頂き物の図書カードで購入。思えばこのカード、ドストエフスキーのみに使っているな。
亀山の翻訳は「超訳か?」と思わせるほど漫画的だが、『カラマーゾフ』巻末の解説を読む限り、相当な裏づけによる解釈学的態度決定によるものと思われる。その一貫した態度がわたしの波長にあうのか、『カラマーゾフ』は辞任前後の慌しい生活のなか、一気に、取り憑かれたように読んだものだ。早く今の『白痴』を読み終えて『悪霊』にかかりたい。そういえば書店で確認時、埴谷雄高『死霊』が『悪霊1』巻末解説に言及されているのに気付いた。埴谷も面白かったなあ。あれは大学の先生に借りて読んだので持っていない。いつか買い揃えたいな。
亀山の解説で面白いのは、ドストエフスキーカーニヴァルに関する彼の解釈。バフチンの発見以来、カーニヴァル性がドストエフスキーの天才、人間らしさとして賛美されてきたわけだが、亀山はむしろドストエフスキーの弱さの産物として解説している。皇帝の差し向けるスパイや検閲から逃れるため、どれが本音か分からないように焦点をぼかしながらころころ論点を変える・・・・・その弱さ、優柔不断さが、言わば「結果として」すばらしいカーニヴァルとなったと。この解釈も微笑ましく慰めになる。カーニヴァルが計算であり作家の天才に帰されるとしてもそれはそれでいいことだが、凡人のわたしには無縁となる。引き裂かれ決断できない弱さの表れとしてのテクスト。実に素晴らしい。
10月15日
イディオット
ドストエフスキー『白痴』(望月哲男訳、河出文庫)を読了。読む順序としては『カラマーゾフの兄弟』と逆になってしまったが、これもまた最後の最後で、ああっとため息が出る物語だった。
白痴→明晰→白痴、という主人公ムイシキンの自己意識は、ふとダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』を想起させる。16歳のときにあれを読んだ衝撃は忘れられない。
もちろん天国だ救いだというキリスト「教」の教えを「信じて」はいる(はずだ)。だが、いつから自分はこのように生まれてあるのかを知らず、毎晩いつの間に眠っているのかを知らず、だからたぶん、いつの間に死ぬのかをも知り得ないわたしにとって、知り得ない「終わり」、それは知り得ない始まりでもあるが、それは強烈な印象をわたしの日々の生活に与え続ける何かである。子どものころから、ずっと。そして今は、もっと。