天皇が外出すること。類義語に「御幸」があり、この場合は天子以外の上皇とか法皇の場合も含む*1。
読みは《ぎょうこう》以外に、《きょうこう》《ぎょうごう》《みゆき》などとも。
なお、皇太子や皇太后などが出かける場合は「行啓」である。
*1:厳密に言うと「御幸」は《みゆき》と読むか《ごこう》と読むか、《ぎょこう》と読むかで意味が変わってきますが
六波羅はもう夕《ゆうべ》の灯だった。 彼の姿を見ると、右馬介はすぐ侍部屋から走り出て迎えたが、 なにか冴えない容子ですぐ告げた。 「若殿。ついにここのご宿所を嗅《か》ぎつけてまいりましたぞ」 「嗅ぎつけて。……誰がだ」 「大晦日《おおつごもり》の小酒屋での」 「あ。あの犬家来どもか。それが」 「探題殿へ訴え出たため、 検断所から何やら御当家へきついお沙汰のようです」 「足利又太郎と知ったのか」 「そこのほどは分りませぬが、 上杉殿には、甥《おい》どのが立帰ったら、 すぐにも旅支度して、東《あずま》へ帰れとの仰せなので」 「伯父上は、奥か。 ——いや旅支度など急がずともよい。 ちょうどおいでなれ…
翌十九日、 大宮大納言 隆季《たかすえ》の徹宵の準備で 御幸はつつがなく行なわれた。 三月も半ばを過ぎている。 霞に曇る有明の月おぼろな空の下、御幸の一行は、 地に淡い影を落しながら鳥羽殿へ向った。 鳥の声、空を渡るのを見上げれば、 遥か北陸を目指す雁の群である。 一群消えればまた一群、哀れをもよおす雁の声は、 御幸の者の胸にひびいた。 鳥羽殿についたのはまだ未明であった。 御車より上皇は降り、門を開いて進んだ。 すでに春は暮れなんとしている。 薄暗い木立、人の気配すらない。 木々の梢の花色あせて、 樹葉は早くも夏を告げる装いをしている。 鳴く鶯《うぐいす》の声も力なく老いていた。 上皇の胸に…
治承三年十一月二十日、 清盛の軍勢は法皇の御所を取り囲んだ。 「平治の乱の時と同じように、御所を焼打ちするそうだ」 という流言が広がって、 御所の中は、上を下への大騒ぎとなった。 その混乱のさなかに、 平宗盛が車をかって御所へやってきた。 「急いでお乗り下さい。お早く」 単刀直入の宗盛の申し入れに法皇も驚かれた。 「一体何事が起ったのじゃ、 わしに何か過失があったとでもいうのか、 成親や俊寛のように遠国へ流すつもりなのだろう? わしが政務に口を出すのは、まだ天皇が幼いからじゃ、 それもいけないというのなら、 以後、政治には関りはもたぬことにしよう」 「いや、そのことではないようでございます。 …
昭和天皇とマッカーサーの会見の場面はマッカーサーも書いている。マッカーサー回想記(下)P142…昭和天皇とマッカーサー元帥の最初の会見場面 >私は天皇が、戦争犯罪者として起訴されない様、自分を訴え始めるのではないか、>という不安を感じた。連合国の一部、ことにソ連と英国からは、天皇を戦争犯罪人に>含めろという声がかなり強く上がっていた。>>現に、これらの国が提出した最初の戦犯リストには、天皇が筆頭に記されていたのだ。>私は、そのような不公正な行動が、いかに悲劇的な結果を招くことになるかが、>よくわかっていたので、そういう動きには強力に抵抗した。>>ワシントンが英国の見解に傾きそうになった時には、…
夜になってから退出する左大臣に伴われて源氏はその家へ行った。 行幸の日を楽しみにして、 若い公達《きんだち》が集まるとその話が出る。 舞曲の勉強をするのが仕事のようになっていたころであったから、 どこの家でも楽器の音をさせているのである。 左大臣の子息たちも、 平生の楽器のほかの大篳篥《おおひちりき》、 尺八などの、大きいものから太い声をたてる物も混ぜて、 大がかりの合奏の稽古《けいこ》をしていた。 太鼓までも高欄の所へころがしてきて、 そうした役はせぬことになっている公達が 自身でたたいたりもしていた。 こんなことで源氏も毎日|閑暇《ひま》がない。 心から恋しい人の所へ行く時間を盗むことはで…
二条の院へ帰って、源氏は又寝《またね》をしながら、 何事も空想したようにはいかないものであると思って、 ただ身分が並み並みの人でないために、 一度きりの関係で退《の》いてしまうような態度の取れない点を 煩悶《はんもん》するのだった。 そんな所へ頭中将《とうのちゅうじょう》が訪問してきた。 「たいへんな朝寝なんですね。なんだかわけがありそうだ」 と言われて源氏は起き上がった。 「気楽な独《ひと》り寝なものですから、 いい気になって寝坊をしてしまいましたよ。御所からですか?」 「そうです。まだ家《うち》へ帰っていないのですよ。 朱雀《すざく》院の行幸の日の楽の役と舞《まい》の役の人選が 今日あるの…
源氏は無心によく眠っていた姫君を抱き上げて目をさまさせた。 女王は父宮がお迎えにおいでになったのだと まだまったくさめない心では思っていた。 髪を撫《な》でて直したりして、 「さあ、いらっしゃい。宮様のお使いになって私が来たのですよ」 と言う声を聞いた時に姫君は驚いて、 恐ろしく思うふうに見えた。 「いやですね。私だって宮様だって同じ人ですよ。 鬼などであるものですか」 源氏の君が姫君をかかえて出て来た。 少納言と、惟光《これみつ》と、外の女房とが、 「あ、どうなさいます」 と同時に言った。 「ここへは始終来られないから、 気楽な所へお移ししようと言ったのだけれど、 それには同意をなさらないで…
貞信公(26番)『拾遺集』雑集・1128 小倉山 峰の紅葉ば 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ🍁 〜小倉山の峰の美しい紅葉の葉よ、 もしお前に人の情けが分かる心があるならば、 散るのを急がず、 もう一度の行幸をお待ち申していてくれないか。 💠貞信公💠 ていしんこう 藤原忠平 ふじわら ただひら(880~949年) 関白太政大臣、藤原基経(もとつね)の四男 兄・時平、仲平とともに 「三平」と呼ばれます。 従一位関白の座まで栄達。 709年の秋、忠平は宇多上皇のお供で小倉山に遊びに行った折、 上皇が 「我が子の醍醐にも見せてやりたいものだ」 と言われたお言葉に対して、 この和歌をつくったと伝…