平安時代初期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。色好みの代表格として知られる。通称の在五中将は五男で、右近衛中将であったため。
天長二(825)年生、元慶四(880)年没。
阿保親王*1の第五子。母は伊都内親王*2。同母兄に在原行平・在原仲平・在原守平。大江本主もしくは大江音人も異母兄弟とされる。子には在原棟梁・在原師尚・在原滋春。
天長三(826)年に父である阿保親王の上表により、在原姓を賜る。
『三代実録』の伝には,
体貌閑麗、放縦にして拘らず、略才学なく、善く倭歌を作る
とあり、美男で気まま、学才はなかったが和歌を得意としたとされる。『古今和歌集』仮名序では
その心あまりてことばたらず
と評されたように、情熱あふれる秀歌が多く、技法的にも古今調の先駆をなす。
『古今和歌集』に三十首入集。また、『伊勢物語』は在原業平の和歌をモチーフに後世から付会した物語をつけたもので、主人公と業平を同一視する後世の見方は誤っているともいえる。
家集は『業平集』
ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは
百人一首17/古今和歌集 巻五 秋下 294
『古今和歌集』で小野小町らと共に「六歌仙」と呼ばれたその筆頭。『伊勢物語』では業平の歌がBGMとして反芻されながらの紀行という、他に例のない斬新な構造で叙情豊かな展開がなされている。