歌人。六歌仙の一人 生没年・伝未詳(810の頃か)。 宇治山(三室戸の奥)の僧らしい。三室戸の奥には喜撰ヶ岳があり、中腹には喜撰洞もある。 川柳とお茶で有名な「上喜撰」もこの宇治の地名からきている。 古今集に収められた「わかいほはみやこのたつみしかそすむよをうちやまとひとはいふなり」の歌 以外に伝えられていないので、その存在は疑問視されている。
逢坂の六人 (集英社文庫) 周防 柳価格: 2080 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 和歌を始め言葉に対する感覚に秀でた紀貫之(きのつらゆき)だが、下級貴族で日の目があたらず、時に隠遁した坊主、喜撰法師と名乗って、都の東南(たつみ)の宇治に住む自分をこう詠んでいた。 「わが庵は みやこの辰巳 しかぞすむ よをうぢ山と 人はいふなり」 そんな折、真名と呼ばれる漢文で作られた今までの勅撰集に代わり、仮名で作られた「やまとうた」の勅撰和歌集が編纂されることになり、貫之は39歳にして選者に抜擢された。貫之はその任命に喜ぶと共に、和歌集への様々な想いが広がっていく。脳裏には12歳のころ、「あにくそ(可…
しめやかにお話をあそばすうちに夜になった。 十五夜の月の美しく静かなもとで 昔をお忍びになって帝はお心をしめらせておいでになった。 お心細い御様子である。 「音楽をやらせることも近ごろはない。 あなたの琴の音もずいぶん長く聞かなんだね」 と仰せられた時、 わたつみに 沈みうらぶれ ひるの子の 足立たざりし 年は経にけり と源氏が申し上げると、 帝は兄君らしい憐《あわれ》みと、 君主としての過失を みずからお認めになる情を優しくお見せになって、 宮ばしら めぐり逢ひける 時しあれば 別れし春の 恨み残すな と仰せられた。 艶《えん》な御様子であった。 🌷🎼あの日の僕たちへ written by …
深夜の澄んだ気の中であったから、非常に美しく聞こえた。 入道は感動して、 娘へも促すように自身で十三絃の琴を 几帳《きちょう》の中へ差し入れた。 女もとめどなく流れる涙に誘われたように、低い音で弾き出した。 きわめて上手である。 入道の宮の十三絃の技は現今第一であると思うのは、 はなやかにきれいな音で、聞く者の心も朗らかになって、 弾き手の美しさも目に髣髴《ほうふつ》と描かれる点などが 非常な名手と思われる点である。 これはあくまでも澄み切った芸で、 真の音楽として批判すれば 一段上の技倆《ぎりょう》があるとも言えると、 こんなふうに源氏は思った。 🌸🎼辺の夜桜 written by のる🌸 …
もったいないお手紙を得ましたことで、 過分な幸福をどう処置してよいかわからぬふうでございます。 それをこんなふうに私は見るのでございます。 眺むらん 同じ雲井を 眺むるは 思ひも同じ 思ひなるらん だろうと私には思われます。 柄にもない風流気を私の出しましたことをお許しください。 とあった。 檀紙に古風ではあるが書き方に一つの風格のある字で書かれてあった。 なるほど風流気を出したものであると源氏は入道を思い、 返事を書かぬ娘には軽い反感が起こった。 使いはたいした贈り物を得て来たのである。 【源氏物語 13帖 明石(あかし)】 連日のように続く、豪風雨。 源氏一行は眠れぬ日々を過ごしていた。 …
それがあってから藤壺の宮は宮中から実家へお帰りになった。 逢う機会をとらえようとして、 源氏は宮邸の訪問にばかりかかずらっていて 左大臣家の夫人もあまり訪わなかった。 その上 紫の姫君を迎えてからは、 二条の院へ新たな人を入れたと伝えた者があって、 夫人の心はいっそう恨めしかった。 真相を知らないのであるから恨んでいるのがもっともであるが、 正直に普通の人のように口へ出して恨めば自分も事実を話して、 自分の心持ちを説明もし慰めもできるのであるが、 一人でいろいろな忖度をして恨んでいるという態度がいやで、 自分はついほかの人に浮気な心が寄っていくのである。 とにかく完全な女で、欠点といっては何も…
「私がどんなにあなたを愛しているかしれないのに、 私を愛さないで、こんな平凡な人をつれていらっしって 愛撫《あいぶ》なさるのはあまりにひどい。恨めしい方」 と言って横にいる女に手をかけて起こそうとする。 こんな光景を見た。 苦しい襲われた気持ちになって すぐ起きると、 その時に灯《ひ》が消えた。 不気味なので、太刀《たち》を引き抜いて枕もとに置いて、 それから右近を起こした。 右近も恐ろしくてならぬというふうで近くへ出て来た。 「渡殿《わたどの》にいる宿直《とのい》の人を起こして、 蝋燭《ろうそく》をつけて来るように言うがいい」 「どうしてそんな所へまで参れるものでございますか、 暗うて」 「…
源氏よりは八歳上の二十五であったから、 不似合いな相手と恋に堕《お》ちて、 すぐにまた愛されぬ物思いに沈む運命なのだろうかと、 待ち明かしてしまう夜などには 煩悶《はんもん》することが多かった。 霧の濃くおりた朝、帰りをそそのかされて、 ねむそうなふうで 歎息《たんそく》をしながら源氏が出て行くのを、 貴女の女房の中将が格子《こうし》を一間だけ上げて、 女主人に見送らせるために 几帳《きちょう》を横へ引いてしまった。 それで貴女は頭を上げて外をながめていた。 いろいろに咲いた植え込みの花に心が引かれるようで、 立ち止まりがちに源氏は歩いて行く。 非常に美しい。 廊のほうへ行くのに中将が供をして…
宇治川に架かる観流橋と大吉山 喜撰法師(8番)🦌古今集 雑下・98 🌿我が庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり 〜私の庵は都の東南にあって、このように平穏に暮らしている。 なのに、世を憂いて逃れ住んでいる宇治(憂し)山だと、世の人は言っているようだ。 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり その宇治山は現在 喜撰山きせんやまと呼ばれてハイキングコースになってるようです🗻 なんだかよく分からないけど、あれこれ言われてるらしいな😅 でも、私はのんびり平穏に暮らしているんだよ🌿 ちょっと苦笑いしてい喜撰法師様を想像してしまった( ̄∀ ̄) ハイキングコースとしても、楽し…
百人一首の八首目の作者は喜撰法師。 九世紀頃の人で、小野小町などと同時代に生きたと考えられています。 今回は喜撰法師について紹介します。 喜撰法師とは 時代背景 百人一首の歌 喜撰法師とは 宇治の御室戸の奥に住んでいたようです。 鴨長明の「無名抄」にも、喜撰が宇治の山中に住んでいたと紹介されています。 山の中に住んでいて、実は仙人だったとか、不老長寿の薬を作っていたとか、天上に飛び去ったとか、いろいろと言われています。 喜撰の歌にも、世間の目から離れた暮らしを身軽に楽しむ雰囲気が読み取れますね。 時代背景 平安時代の初期の頃になります。 最澄や空海が中国から帰国してそれぞれの宗派を教え始めた時…