前の記事でも書きましたが、阪神淡路大震災では同じ神戸市内にありながら私の住む垂水区の被害は大きくはなかったです。 この震災では「ボランティア元年」とも言われました。 わたしも微力ながら初めて「ボランティア」なるものをしました。力仕事は合わないので、ITの知識があったのでパソコン通信ニフティの震災情報の交通整理的なものに携わりました。 「ボランティア元年」でしたが年末ころにWindows95が発売されて「インターネット元年」でもありました。 そのときの活動の記録が冊子「大きなうねりへ」となりました。指揮を執ったのは阪神大震災地元NGO救援連絡会議の代表であった草地賢一さんでした。後に兵庫県立大学…