さてこの記事では、北条家のまとめとして、その「家風」を見てみよう。 初代・宗瑞から三代目の氏康治世の前半までは、北条家は関東においては新興勢力であったから、やむなく博打を打つこともあった。例えば二代・氏綱の時の「国府台合戦」や、三代・氏康の時の「川越夜戦」(実際には夜戦ではなかったので、「砂窪合戦」と呼ぶ人もいる)がそうである。強大な敵に対し思い切った決断をし、大規模な会戦に勝利した結果、その勢力を大きく伸ばしている。 だが代が進み統治が安定してきた頃になると、北条氏には「王者の風格」が出てくる。大きな会戦を挑むような博打を打たなくなり、基本的には「大軍でもって少数の敵に当たる」という、真っ当…