南鳥島は、日本最東端の島。マーカス島(Marcus Island)とも呼ばれる。
面積1.51km²、周囲6kmの三角形に近い形の島で、隆起珊瑚礁でできているため、最高標高は8mとほとんど平らである。
行政区分としては、東京都小笠原村に属する。
日本で唯一太平洋プレート上にあり、日本で唯一、他の島と排他的経済水域を接していない島でもある。
東京から南東へ1,860km、小笠原村役場のある父島からも1,200kmも離れている。
島には、飛行場施設を管理する海上自衛隊硫黄島航空基地隊の南鳥島航空派遣隊、気象庁(南鳥島気象観測所)、国土交通省関東地方整備局(南鳥島港湾保全管理所)の職員、計二十数名ほどが交代で常駐する。なお、常駐職員の選挙事務については、神奈川県綾瀬市からの要請により小笠原村職員が訪島し、選挙事務(期日前投票)を行っている。
島内からは、インターネットや携帯電話はつながらず、テレビはあっても映らない*1、常駐職員が連絡を取る手段は、海上自衛隊庁舎内に1本だけある衛星電話を使うか、手紙しかない*2。
1933年に島民が撤収し、無人島になって以降は定住者はおらず、現在は一般人の渡航もできない。
島内には、往来や補給を目的とした長さ1,380mの滑走路があり、航空自衛隊が月に一度、海上自衛隊が週に一度、業務用物資、生活物資を届けるために飛来する。
燃料等の危険物や重機・建設資材などの大型の資機材については、船舶により輸送しているが、浅いサンゴ礁に阻まれて輸送船が直接接岸できないため、島から300m沖に停泊して台船等に積み替えて陸揚げを行っており、安定的な物資輸送に大きな支障を来している。
このため、国土交通省は2015年度まで、250億円をかけて、岸壁の整備と船舶の泊地を建設している。
2012年6月、周辺の海域にレアアース(希土類)が大量に存在する可能性が指摘された。
島内には海岸沿いの至る所に第二次世界大戦中に破壊されたトーチカが残っているほか、旧日本軍の戦車の残骸がそのままの姿で野ざらしになっており、戦争の傷跡はあちこちに見られる。また、島の中央部には戦没者慰霊碑も設置されている。
南鳥島は1864年、ハワイの宣教師によって発見され、「マーカス」と名付けられた。
その後、日本人が小笠原から移住したため、1898年に明治政府が南鳥島と命名し、日本領土となった。
第二次世界大戦後の1968年、アメリカ合衆国から小笠原諸島が返還され、現在に至っている。
第二次世界大戦中は、アメリカ軍の艦砲射撃や空襲を受け、上陸こそなかったが、191人が戦死した。
2009年12月1日9時までは、島内でロランC局が運用されており、海上保安庁の職員も常駐していたが、GPSの普及に伴い廃止、2010年1月24日に発破解体工事によって、マストは解体された。