第123代天皇。名は嘉仁(よしひと)。明治天皇の第三皇子。母は側室の柳原愛子。明治12年(1879年)8月31日生まれ。大正15年(1926年)12月25日崩御。陵は多摩陵(武蔵陵墓地)。
九条節子(貞明皇后)と結婚。側室は置かなかった。子は、昭和天皇(迪宮裕仁親王)、秩父宮雍仁親王(淳宮)、高松宮宣仁親王(光宮)、三笠宮崇仁親王(澄宮)の4人。
かつては「暗愚で無能」、「先天的に頭が悪かった」と言われ、勅書を丸めて中を覗いたとされる「遠眼鏡事件」が語られていたが、原武史の『大正天皇』(ISBN:4022597631)によって旧来のイメージが覆された。彼によれば大正天皇は明治憲法下における「天皇」の役割が重すぎるために精神的なバランスを崩したとされている。皇太子時代は快濶な性格で、漢詩を得意とし、朝鮮語の学習に意欲を注いだそうである。