江戸時代の剣豪で、京の吉岡一門や巌流の佐々木小次郎を倒したことで有名。 父は十手の使い手・無二。 島原の乱の時馬を率いて鎮圧に従事したことが書物に記される。 細川藩に仕え、藩内の洞窟で『五輪の書』をしたためる。
生誕地には諸説あるが、そのひとつとして、智頭急行智頭線に宮本武蔵駅が置かれる。
観見二つのこと、
無神の旅あかつき岬をマッチで燃し 金子兜太この句には何か惹かれるものがあります。敬虔な張りつめた空気の中、無一物の青年の純な旅立ちの決意のようなものを想像します。 -------------------------------------------- 上掲の句について、かつての記事で上記のように述べました。 現在「金子兜太 自選自解99句」という本を開いています。 金子兜太氏の全句集を読み終えて、百数十句についてはフレージングを終えて、いつでもそれらの句が口をついて出てくるようになっていたので、やっとこの本「自選自解99句」を手に取ることにした次第。 今日は、上掲の句について、金子氏の「自解…
大人数のゼネコン現場で後輩がアタマを張っている。 そこで二日間だけ新人女性隊員の教育係をしてくれと云ふ。 と云えば聞こえがよろしいが、新人は即戦力にならないのでお人よしのあたしに押し付けたという形だろう。 アタマが直々に新人指導に時間を割けるような現場でもないからだ。 彼女は若いのか、 はたまたそこそこ行っているのかはわからん。 フル装備とメイクのせいもあって目じりに小じわがあるように感じたのだが、錯覚か。メットを脱いで髪を解くと二十代に見えなくもない。 華奢。 ラバーベット付きのカラーコーンならふたつ持つのが精いっぱいじゃなかろうかといった風情。 そして美人、だな。うん。 社交的な振る舞いが…
宮本武蔵亡くなった日の5月19日(1645年・旧暦)に『有明抄(250519)』は二刀流を思う◆「二刀流」の剣豪といえば武蔵◆学生時代、吉川英治の『宮本武蔵』を読み、強烈に引きつけられた。心に残る言葉は「我事において後悔せず」◆武蔵も「たけぞう」と呼ばれた頃はただ強いだけの若者だったが、出会いを重ねながら「むさし」という人格者に成長する。吉川英治の創作だったとしても、読者に感動や影響を与えるならそれでいいと考えたりする◆とはいえ武蔵のように劇的な変化を遂げることは少ない◆ところで、ロサンゼルス市は昨年、ドジャースの大谷翔平選手の活躍をたたえ、5月17日を「大谷翔平の日」に制定。武蔵に負けない伝…
今回は、「日本武術神妙記」(2016年)を読みました。 日本武術神妙記 (角川ソフィア文庫) 作者:中里 介山 KADOKAWA/角川学芸出版 Amazon 本書は、 剣豪・武術家の歴史書がまとめられた本で、言葉も古く、全て読点(、)で区切ってあるため、高速読み上げでは大変読みづらく分かりにくかったのですが、宮本武蔵についても書かれていて、一生懸命読んでしまいました。過去記事「五輪書」では、宮本武蔵が熊本にいたことを知り、もしかしてあまり慕われていなかったのでは?と推察していましたが、その可能性の一端を垣間見たので、興味深かったエピソードをまとめたいと思います。 遅刻魔 巌流島の佐々木小次郎の…
現代の二刀流と言えば、プロ野球の大谷翔平選手ですが、元祖二刀流と言えば、剣豪の宮本武蔵です。左右の手に刀を持って試合をすることから、広く二刀流と言われるようになりました。その元祖二刀流の宮本武蔵のイメージを作り出したのは、作家の吉川英治さんと言っても過言ではないでしょう。小説『宮本武蔵』に登場する宮本武蔵が、強い自制心を持って剣の道を究めようとする姿こそ、多くの人が想像する真の宮本武蔵だと。もちろん、小説の中の宮本武蔵なので、本当の宮本武蔵は違っていてもおかしくありません。しかし、それはわかっていても、実際の宮本武蔵が、吉川さんが描いた宮本武蔵以外の素顔を持っているとは想像できません。それだけ…
今回は宮本武蔵の「五輪書」の本を読んでみました。 宮本武蔵「五輪書」 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫) 作者:宮本 武蔵 KADOKAWA Amazon 現代語訳 『五輪書』 誰でもわかる実用的兵法書 作者:宮本 武蔵 文芸社 Amazon これは、過去記事「思考を深める読書」の著者さんがおすすめとして挙げていた本(タイトルのみ合致)で、いつも通り、unlimitedで読めるものになります。 ddh-book.hatenablog.com このような本を書く方というのは本当に宮本武蔵がお好きで、現代語に訳はしてくれているのですが、ぜひ原文を読んで欲しい、じっくりと味わって欲しいとい…
スピーチ:宮本武蔵 宮本武蔵(一) (新潮文庫) 作者:吉川 英治 新潮社 Amazon 皆さん、こんにちは。私は宮本武蔵と申します。1612年4月13日、巌流島(現在の山口県下関市)で佐々木小次郎と天下一の剣を争った決闘を行いました。本日は、この特別な日に起こった出来事とその意義についてお話しします。 4月13日に起こった出来事 1. 巌流島の決闘(1612年)この日、私は巌流島で佐々木小次郎と対峙しました。小次郎は「物干し竿」と呼ばれる長刀を振るい、私は船の櫓を削って作った木刀で挑みました。この戦いは「技術と精神の勝負」であり、小次郎を打ち破ったことで私の剣術が天下に知られることとなりまし…
4月13日――江戸時代初めの1612年4月13日、関門海峡に浮かぶ巌流島で、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した日=巌流島の戦いが行われました。 日本史に残るこの有名な対決は、今でも多くの人に語り継がれています。 2025年(令和7年)、その前日の4月12日、巌流島では佐々木小次郎の慰霊祭=舟島祭が開かれました。 神職や関係者たちだけで行われる神聖な儀式に参列してきました。 (巌流島) 巌流島は、山口県下関市と福岡県北九州市門司区の間にある関門海峡に浮かぶ小さな 無人島です。下の地図の赤丸部分。かつて舟の形をしていたことから舟島と呼ばれていました。 江戸時代初めの1612年、豊前小倉藩の小倉城下で…
福岡県北九州市小倉北区の「手向山(たむけやま)」は、剣豪・宮本武蔵の養子・宮本伊織が建立した顕彰碑がある歴史的な場所です。しかもこの場所は観光客が少なく、春には桜が楽しめる“穴場スポット”です。 (宮本武蔵の養子・伊織が立てた顕彰碑)福岡県北九州市小倉北区にある手向山の中腹には、「宮本武蔵顕彰碑」という石碑が、ひっそりと建っています。この碑は、小倉碑文とも呼ばれています。これは、武蔵の養子・宮本伊織が江戸時代初期の1654年4月19日に武蔵の功績を後世に伝えるために建立したものです。 「新免武蔵」の文字が刻まれています 高さ4.5メートルの碑の頂部に「天仰實相圓満兵法逝去不絶」十二文字の大文字…