肥後国では島津義久(しまづよしひさ)と龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)による勢力争いが続く。 天正9年(1581年)8月、島津義久は肥後国水俣(みなまた、熊本県水俣市)を攻めて、相良義陽(さがらよしひ)を降伏させた。 球磨・葦北・八代(熊本県の人吉市・水俣市・葦北郡・八代市のあたり)に勢力を持っていた相良氏が傘下となったことで、島津氏は肥後国のかなりの範囲を支配下に置いた。そして、肥後国に勢力を伸ばす龍造寺氏との対立も激化。また、阿蘇(あそ)氏も抵抗する。 rekishikomugae.net 激戦が続く。島津義久・島津忠平(ただひら、島津義弘、よしひろ)・島津歳久(としひさ)・島津家久(い…