学校職員のうち、直接教育に従事する職員の総称。教育活動を職業にしている教師のこと。
大学・高等専門学校以外の学校では教員免許を要し,また国・公立学校の場合は教育公務員として扱われる。明治初期には教員と教師は厳密に区別され,日本の学校に雇用されている日本人の教師を〈教員〉,外国人教師を〈教師〉と呼んだ。
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №849" (テキスト版) 学校でのワンシーンシリーズ「体育の授業」 小学中学年の体育の授業。まもなく始業のチャイムが鳴りそうな時間、まだ先生の姿はない。すると、係ではない男児が「集まろう!」と声をかけた。みんなが一カ所に集ると、体育館の入口を見ながら先生が来ないか様子を伺っている。するとその内、また違った児童が「先、あいさつしよう!」と口にして、日番らしき児童が号令をかけると、元気よくはじめの挨拶が行われた。続いてまた違う児童から、「準備体操する?」という声が出たかと思うと、係の人が前に出て「体操の隊形に開け!」「ヤー!」と広がったとこ…
最近、学校の先生の「残業代」が見直されるというニュースを見た。いままで月給の4%程度しか支払われていなかった手当が、2.5倍に引き上げられるという。 たしかに、学校の先生は大変だとよく聞く。特に公立の小中学校では、担任を持てば授業以外の仕事も膨大にある。書類、保護者対応、行事準備。それに加えて、部活動の引率もある。 スポーツの大会、ブラスバンドの演奏会。土日だって、朝から生徒と一緒に移動して、練習や試合に付き添う。それが何年も、何十年も続いてきたということに、あらためて驚く。 でも、そのとき私は給食のことをまったく思い出していなかった。 学校で出される給食。それは子どもにとっては「楽しみ」であ…
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №848" (テキスト版) 「自己評価」 私は「子ども」がより良く育つ要因の1つとして、「子ども」自身が自ら自己評価の軸を持つことが大切だと思っている。これは大人もそうだが、「自分で自分を冷静に判断できる力」というのは、自立(ジタツ)であったり、自律に向けては大切な要因になってくる。とは言え、自立(ジタツ)、自律していない「子ども」にいきなり「自己評価をしなさい」「その軸をしっかり立てなさい」と言ったところで、それは何のことかわからないだろう。そこで、関わる大人が目の前の「子ども」を見ていて、気になることがあった時、いきなり「それはダメ」と…
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №847" (テキスト版) 「サロンでの会話」 私の実母は今も94年の年月を経て元気で生活している。そんな実母の唯一の生きがいといっても良いのが、週に3回自宅で開催している”編物教室”だ。そのメンバーは述べ10数名ほどだが、メンバーの平均年齢は70歳を優に超えていて、その場は一種のサロンのような雰囲気と化している。昨日はそんな中での”お茶の時間”にたまたま居合わせた私が呼ばれて、団欒の一時を過ごした。その時に出た話題の一つが、最近の「子ども」の話題。そこにいたメンバーが自分が育てた「子ども」時代の事も含めて孫や人によってはひ孫の話題に花が咲…
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №846" (テキスト版) 「男子輩3名」 昨晩は中学校を卒業して10年来の男子輩(やから)3名との飲み会。その内の1人は”いざ”という時の非常時には最前線に立って、市民や国民の安全と命を守る覚悟が感じられ、また違った1人は「子ども」の運動を通しての心身の機能の発育・発達を促す方法やトレーナーの資格取得に向けての勉強に励んでいたり、あと1人は、ひと月に莫大な金額のお金を動かす仕事に従事していたりと、それぞれが夢を持ちながらも悪戦苦闘している姿を目の当たりにして、とても興味深く話を聞くことが出来た。そして、中学生当時の話になると、私が知らなか…
#ヒガパパ_ の「子どもの教育」に関する「ポエム」 (休日限定) №.224 (テキスト版) 「リスペクト」 「子ども」は何をもって大人をリスペクトする? 大人によってはそんなリスペクトは要らないという しかし今 その瞬間目の前の「子ども」に責任が持てるのはあなたしかいない リスペクトは求めて生まれるものではなく寄り添って向き合える結果として滲み出るものだ ヒガパパ
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №845" (テキスト版) 「自分で判断する」 「子ども」を指導する時、一般的によく言われるのは、”してはいけないことを言うのではなく、どうしたらいいかを言う”というのがある。例えば”走っちゃダメ”ではなく”歩いてください”ということだ。しかし、私はこれに少し疑問を持っている。大切なことは「子ども」自身が自ら判断して納得した上で自分の行いをコントロールすることが大切だ。確かに”歩いてください”と言われれば、「歩いた方がいいんだな」と判断はしやすいかも知れない。しかし、もしそれが指示した大人の誤解で、どうしても走らなければならない状況があった…
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №844" (テキスト版) 「頼られる存在」 私は大人は「子ども」に対して、教える立場ではなく頼られる存在でなくてはならないと思っている。教えるというのは大人主体。頼られるというのは「子ども」主体の考えだからだ。しかし、大人はついつい”教えたがる”。今の若者世代は自分が「子ども」の時に散々大人にお節介をかけられてきたかも知れない。その時、もし「楽(ラク)だった」「苦労しなかった」という感覚が知らず知らず身に付いていたとしたら、それは恐らく大人になってからも身近な「子ども」に「同じような体験を施(ほどこ)してあげよう」と”教えてあげる”ことに…
"ヒガパパ の”子どもの教育”に関する ”つぶやき” №843" (テキスト版) 「長嶋茂雄さん」 「長嶋茂雄さん亡くなる」。ネットニュースで見て、思わず「そんなに体調を崩されていたのか」とメディアもその状況をあまり取り上げていなかっただけに驚いた。長嶋さんの代名詞は山ほどあるが、何と言っても野球というプロスポーツを一躍、国民的スポーツにまで押し上げた功績は並々ならぬものだと推測する。私は長嶋さんについて、特に詳しく知っているわけではないが、王貞治さんとの”ON”コンビで巨人軍を不動の地位まで引き上げたシーンやニュースは、かすかに記憶に残っている。私は、昨日の報道を見ているだけでも、「一野球人…
学校に行っている子供たちは授業を受けている。誰もがこう思っていると思う。もちろんほとんどの時間はそうである。しかし、多くの学校で年間数十時間は教師不在の自習時間があることを知っていますか?