Franco-Prussian War 1870年〜1871年。ドイツ統一を目論むプロイセンと第二帝制下のフランスの戦争。 オットー・フォン・ビスマルクの政略とヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケの戦略ががっちり噛み合い、ナポレオン3世 自らも捕虜となるというフランスの完敗に終わる。結果、プロイセン王がドイツ帝国皇帝を兼ねる形で、ドイツの統一がなされた。
【第一次世界大戦前夜】 ナポレオン戦争以後、用兵面ではジョミニの思想の影響が大きかったものの、火力の発達からジョミニ的な戦術の限界が見受けられるようになってきた。 そのような状態の中、ジョミニを筆頭とする旧来の原則にとらわれることなく、戦略を臨機応変の体系と定義し、時代の変化や技術の進歩に合わせて適切な統帥術や用兵術を編み出したのがドイツのモルトケであり、『高級指揮官に与える教令』の中に彼独自の「委任戦術(訓令戦術)」などに関する優れた記述が残されている。普墺戦争や普仏戦争での輝かしい勝利によって名声を獲得し、時代の寵児となったモルトケであったが、普仏戦争での経験から将来のヨーロッパにおける戦…
旅の楽しみとはなんだ? 見たこともないものを目の当たりにし、味わったことのないものを舌の上に乗せること、どれほど雄渾な想像力を以ってしてでも追っつかぬ、「リアル」に圧倒されること、総じて未知に触れること。世界観を拡張される快さ――とどのつまりは福澤諭吉が言ったところの、「天然に於て奇異を好む人の性(サガ)」を満足させるこそに在る。 この「天性」を解説するため福澤は、実例を多く添付した。 「山国の人は海を見て悦び、海辺の人は山を見て楽む。生来其耳目に慣れずして奇異なればなり。而して其これを悦び之を楽むの情は、其慣れざるの甚しきに従て益々切にして、往々判断の明識を失ふ者多し。フランスの南部は葡萄の…
ケールの教会 ドイツの国境の街ケールのプロテスタント教会です。以前に紹介した母なるキンツィヒの記念碑と同じくマルクト広場に建てられています。名称はドイツ語なのでよくわからないのですが、Googleマップを見ると福音教会や平和教会という訳になっていました。ケールの街は1683年にストラスブールの橋頭堡として、かのヴォーバンの手により要塞化されたそうですが、この教会は要塞の土台の上に建てられているそうです。1847年9月24日に礎石が据えられ、1851年7月27日に奉献されました。その後三度の戦争、とすると普仏戦争、第一次、第二次世界大戦でしょうか、を経験しますが、比較的に無傷だったようです。激戦…
戦争の惨禍を蒙るのは、なにも人間ばかりではない。 物言わぬ動物も同様である。 以前私は、ハーゲンベック動物園の悲劇に触れた。欧州大戦末期に於いて、飢餓に苦しむハンブルクの住民は、かつてあれほど秋波を送った堀の向こうの動物たちを、もはや可憐な隣人と看做す余裕を失くした、と。 (Wikipediaより、1890~1900年ごろのハンブルク) 彼らにとってその四つ脚は単なる脂肪とタンパク質の塊であり、ほんのいっときとはいえど、餓鬼の境遇から自己(おのれ)を救済してくれる貴重な資源に他ならなかった。 資源ならば資源らしく、然るべき処置が執り行われて――やがて戦火が熄んだ際には、たった三匹の猿を除いて園…