1878―1923年 「星座」「宣言」「カインの末裔」「生まれ出づる悩み」「或る女」などにより、リアリズムの虚構を極めた作家として、大きな足跡を残した。 大正時代を代表する作家であり、武者小路実篤・志賀直哉らと共に雑誌「白樺」に参加。
父から引き継いだ広大なニセコの農場を、土地共有という形で小作人に無償で解放し、当時の社会に大きな反響を呼んだ (北海道ニセコ町有島記念館より)
息子に、俳優の森雅之。
有島武郎の生まれ出づる悩みを読んだ。 最初はAudlbleで聞いたのだけれど、結局青空文庫で読み直した。やはり文学作品は文語としての表現があるし、できればしっかり目で読みたいですね。 この本を手に取った理由として、最近自死について調べてたんですが、亡くなる人が晩年にどのようなことを思っているのだろうという下世話な興味から。 この本には有島武郎の晩年の創作の苦しみがありありと描かれていましたよ。 ざっくり本の設定を話すと、創作に行き詰まっている文学者の私が絵を描きたいという学生の「君」との出会いの中で「君」の心中を妄想するという内容。「君」は絵を書き続けたいと思っているけれども、心が折れ故郷の北…
(斎藤清『舞妓 京都(K)』、1961年) ★斎藤 清 小樽芸術村コレクション展 ニセコ/有島記念館、2025年1月11日(土)-2月16日(日) (WEBサイト→) www.town.niseko.lg.jp www.nitorihd.co.jp 小樽ゆかりの版画家、斎藤清の展覧会を開催いたします。斎藤清は、1907年(明治40年)福島県会津坂下町に生まれました。4歳で夕張市に移住、14歳で小樽へ奉公に出て、働きながら絵を描き始めます。1931年、画家を志して上京。安井曾太郎の版画に感銘を受け、版画制作に力を注ぐようになり、1951年、第1回サンパウロ・ビエンナーレ展で日本人賞を受賞。以後、…
(木田金次郎ストーリーズ展) ★木田金次郎ストーリーズ展(前編、後編) 木田金次郎美術館、2024年7月5日(金)-11月4日(月・振) (WEBサイト→) www.kidakinjiro.com 木田金次郎の作品は様ざまな「物語」が秘めています。小説『生まれ出づる悩み』の主人公のモデルとして描いた有島武郎との関連を始め、岩内や北海道内での制作背景など、作品所蔵者が木田金次郎や岩内に関わりが深く、作品ごとと言っても過言ではないほどに、エピソードやストーリーに彩られています。 2024年は「岩内大火」から70年の節目でもあります。そこで今回の特別展では、会期を「前編・岩内大火以前」「後編・岩内大…
彼は門を通る人ではなかつた。また門を通らないで済む人でもなかつた。(二十一の二) 夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)の小説「門」(明治43.3.1~6.12 『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』)の舞台となったことで知られる北鎌倉の円覚寺。 (総門) 親友安井の内縁の妻を奪った主人公宗助が、安井との再会を恐れて参禅した円覚寺。 実は作者の夏目漱石も、明治27~28年にかけて円覚寺に参禅しています。「門」の舞台設定は、その時の経験が大きく反映されています。 (山門) 山門を入ると、左右には大きな杉があつて、高く空を遮つてゐるために、路が急に暗くなつた。其陰気な空気に触れた時…
『僕は一生が大事だと思いますよ。来世があろうが、過去世があろうが、この一生が大事だと思いますよ。有島武郎『或る女』(新潮社)』 過去に対する意識が強い人がいます。 一方、来世に希望を持つ人もいます。 人によっては、現世は、苦痛の地獄でしか無いようです。 そこまで、深刻でなくても、「今」には、居心地が良くないようです。 「この一生が大事」というフレーズのくり返しは、際立った表現として感じられます。 「生きているだけで丸儲け」と言ったコメディアンがいました。 つまり、生かされ、生きている間こそが大事だというのが、有島武郎のフレーズですね。 「おもしろくない」とか「つまらない」、「楽しくない」と聞く…
ごきげんよう、ワタクシよ。(Hello! It's me!みたいなかんじで読んでもらえれば…)書くことがないと書き出しがおかしくなりますね。とうとう関東甲信が梅雨入り。東京は夜から雨で、ジメジメしますわね。話すことがないと天気の話をしちゃうのも社交のテクニックですわよ。 みなさん書くことがないときはどうしてるんですか?書くことがないのにブログの更新するとかいうことはしないんですかね。私はハケ口がブログなので、書かないとやってられないのです。いや、書くことないって言ったばっかりなんですけど。 本日のお題を自分で作りますが、「愛は惜しみなく奪うものなのか?」についてお話ししたいと思います。 ser…
有島武郎に「或る女」という小説がある。独歩の妻だった佐々城信子がモデルである。今で言う飛んでる女である。”ある日、独歩が家に帰ってくると信子がいない”。信子に捨てられて「余は一種異様の感あり」。暫く未練を引きずっている。「源叔父」はそういう騒動のあった翌年発表された。 「源叔父」」は、佐伯地方の葛港と大入島を渡す船頭と城下を徘徊する白痴の哀れな少年「紀州乞食」との物語である。二人には実在のモデルがいる。 この時分の葛港は、「佐伯町にふさわしかるべし。見給ふ如く家といふ家幾ばくありや、人数は二十にも足らざるべく、淋しさは何時も今宵の如し」、と未だ寒村に過ぎない。独歩はこの港でよく泳いだ。葛港には…
(帰ってきた木田金次郎展) ★帰ってきた木田金次郎展 木田金次郎美術館、2022年7月1日(金)-11月6日(日) (WEBサイト→) www.kidakinjiro.com 1994年に開館した木田金次郎美術館は、収蔵作品のおよそ半分が、所蔵者からの寄贈・寄託によるものという、全国的に見ても珍しい美術館です。これは、1954年(昭和29年)9月の「岩内大火」により、木田金次郎自身や岩内の友人たちが所蔵してきた作品の多くを焼失したことに端を発しますが、当館の開館準備から現在まで、遺族から寄贈を受けた作品を核にして、開館当時の91点(油彩)が175点と、倍近くまでに充実してまいりました。これらの…
(有島武郎『やちだもの木立』、1914年) ★三岸好太郎 1920年-1930年代展 北海道立三岸好太郎美術館、2022年7月16日(土)-9月25日(日) (WEBサイト→) artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp 1923年の画壇デビューから、わずか10年あまりのあいだに日本の近代洋画史を彗星のごとく駆け抜けた三岸好太郎。三岸好太郎は何を見て、何に心を躍らせていたのでしょうか。本展では、激動の1920年-1930年代に変貌を重ねた三岸好太郎の軌跡と、同時代の国内外の画家たちによる習作をご紹介いたします。 ※なお、こちらの掲載画像は、当ブログが独自に定めるガイドラインに基…
『或る女』有島武郎新潮文庫平成7年5月15日発行平成30年3月5日16刷 先日読んだ、佐藤優さんと富岡幸一郎さんの『危機の日本史 近代日本150年を読み解く』の大正篇で取り上げられていた作品。 megureca.hatenablog.com 有島武郎って、多分読んだことないと思ったので、図書館で借りて読んでみた。 裏の紹介文には、”美貌で才気溢れる早月葉子は、従軍記者として名をはせた詩人・木部と恋愛結婚するが、2ヶ月で離婚。その後、婚約者木村の待つアメリカへと渡る船の中で、事務長・倉知のたくましい魅力の虜となり、そのまま帰国してしまう。個性を抑圧する社会道徳に反抗し、不羈(ふき)奔放に生き通そ…