飛鳥時代の歌人。三十六歌仙の一人。伝記的資料は万葉集以外は残っていない。 7世紀中頃生まれる。芸能、門付の家に生まれたという説もある*1。
持統天皇に重用され、宮廷の公事の歌を多数詠む。枕詞を多用したダイナミックな長歌、簡潔な短歌が特徴。持統朝以後の消息は不明。
8世紀初めに石見で死去したとされている*2。
同人を祀る神社も各地にある(兵庫県明石市の柿本神社など)。
あしひきの山鳥の尾の垂り尾の長々し夜を独りかも寝む (百人一首 3/拾遺和歌集 巻十三 恋歌三 778)
*1:柿本朝臣は和邇氏の同族とされる
*2:「石見にありて死に臨む時」の歌は残るが、石見国赴任は晩年のことではなく、伝説によって詞書が書かれたものとも考えられている
朝鮮小壺。小型とあなどって手に取ると、存外重い。分厚い。垢抜けない。糸底は粗削りだし、貫入には粗密が著しく、正面も裏も視定めがたい。つまり観賞を意図していない丈夫専一で、実用一点張りの品だ。土間に落したくらいでは割れそうもない。 台所の隅で、塩か油でも収めたものか。まさか香炉の代用か線香立てでもあるまい。製作時代の用途目的については、聴き漏らした。 湯島の喫茶店を兼ねた骨董屋で入手した。通りすがりにいく度か覗いて、面白い店だと口にしたら、母が異様な関心を示したので、一度だけ案内したことがあった。うず高い古道具に埋れたテーブルで珈琲を飲むのを、母も面白がった。親孝行なんぞしたこともなかったし、さ…
在原元方がもとにおくる しらくもの たなびきゐたる くらはしの やまのまつとも きみはしらずや 白雲の たなびきゐたる 倉橋の 山のまつとも 君は知らずや 在原元方のところに贈った歌 白雲がたなびいている倉橋の山の松ではないが、私が待っていることをあなたは知らないのか 「倉橋」は大和国にある歌枕。初句から第三句「山の」までが次の「まつ」を導く序詞、その「まつ」は「松」と「待つ」の掛詞ですね。万葉集(巻第七 第1282番)に はしたての くらはしやまに たてるしらくも みまくほり わがするなへに たてるしらくも はしたての 倉橋山に 立てる白雲 見まく欲り 我がするなへに 立てる白雲 という柿本…
笹の葉は み山もさやに さやげども 我れは妹思ふ 別れ来ぬれば (ささのはは みやまもさやに さやげども あれはいもおもふ わかれきぬれば) 柿本人麻呂 万葉集・巻二・133 〈現代語訳・口語訳〉 笹の葉は山に満ちてざわざわと風に鳴っているが、私の心は一途に妻を思う。別れてきたので。
楽浪の 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の 船待ちかねつ (ささなみの しがのからさき さきくあれど おほみやびとの ふねまちねつ) 柿本人麻呂 万葉集・巻一・30 〈現代語訳・口語訳〉 楽浪の志賀の唐崎は変わらずあるのに、大宮人を乗せた船はいつまで待っても帰って来ない。 ※楽浪(ささなみ) 志賀(しが)、大津などを導く枕詞です。楽浪(ささなみ)は琵琶湖の西南岸地域を示し、志賀は現在の滋賀県大津市の北部一帯とされています。 ※志賀(しが)の唐崎(からさき) 滋賀県大津市唐崎の唐崎神社の周辺。琵琶湖西岸。近江旧都の東北方。
燈火の 明石大門に 入らむ日や 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず (ともしびの あかしおほとに いるひにや こぎわかれなむ いへのあたりみず) 柿本人麻呂 万葉集・巻三・254 〈現代語訳・口語訳〉 ともしびの明るい明石海峡に入っていく日に、漕ぎ別れてゆくのだろうか、家のあたりを見ずに。 ※明石の大門 兵庫県。明石海峡。大門は両岸のひらいた大きな海峡の意。
玉衣の さゐさゐしづみ 家の妹に 物言はず来にて 思ひかねつも (たまぎぬの さゐさゐしづみ いへのいもに ものいはずきて おもひかねつも) 柿本人麻呂 万葉集・巻四・503 〈現代語訳・口語訳〉 美しい絹の衣がさやさやとしなだれるように心も沈んで、家の妻に語らずに出て来たので、思いにたえられないことだ。 柿本人麻呂
笹の葉は み山もさやに さやげども 我れは妹思ふ 別れ来ぬれば (ささのはは みやまもさやに さらげども あれはいもおもふ わかれきぬれば) 柿本人麻呂 万葉集・巻二・133 〈現代語訳・口語訳〉 笹の葉は山に満ちてざわざわと風に鳴っているが、私の心は一途に妻を思う。別れて来たので。
あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに 弓月が岳に 雲立ち渡る (あしひきの やまかわのせの なるなへに ゆづきがだけに くもたちわたる) 柿本人麻呂歌集 万葉集・巻七・1088 〈現代語訳・口語訳〉 あしひきの山川の瀬音が激しくなるにつれて、弓月が嶽に雲が立ち渡ってゆく。 ※あしひきの 「山」を導く枕詞(まくらことば) ※弓月が岳 奈良県桜井市三輪の東北方にある山
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む (あしびきの やまどりのをの しだりをの ながながしよを ひとりかもねむ) 柿本人麻呂 〈現代語訳・口語訳〉 夜になると、雄(おす)と雌(めす)が離れて寝るという山鳥だが、その山鳥の長く垂れ下がった尾のように、こんなにも長い長い夜を、私もまた、(あなたと離れて)ひとり寂しく寝るのだろうが。
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は、 飛鳥時代を代表する万葉歌人であり、「歌聖」とも称される存在です。彼の生涯には謎が多く、正確な出自や経歴は明らかになっていませんが、彼の作品は『万葉集』に多く収録されており、日本文学史において重要な位置を占めています。 生涯と背景 柿本人麻呂は、7世紀後半から8世紀初頭にかけて活躍したとされています。彼は宮廷歌人として天武天皇や持統天皇に仕えたと考えられていますが、具体的な官位や役職についての記録は残されていません。彼の出身地についても奈良県、滋賀県、島根県など諸説あります。 作品と特徴 彼の作品は、長歌19首、短歌75首が『万葉集』に収録されており、特に…