琵琶湖と京都市を結ぶ人工の水路。京都市の上水道と関西電力の発電のために利用されている。
「疏水」とは切り開かれた水路をいう。「疏」が常用漢字外のため「疎水」と書き換えられることがあるが、「疎水」とは水に親しみにくい(疎遠)という意味であり、意味がまるで異なるので、好ましい書き換えではない。京都市役所では一貫して正字の「疏水」を使用している。
東京遷都により活力を失った京都の産業活性化を目的として、第3代京都府知事北垣国道が発案。工部大学校を卒業したばかりの青年技師田辺朔郎が工事主任として設計・施工にあたった。1885年6月に着工し、1890年3月、大津から鴨川合流点までが完成した。
その後伏見までの延長や第2疏水の開削がなされた。
疏水は当初は水車動力による工業利用が予定されていたが、完成間近になって水力発電を行うことに計画が変更された。1891年蹴上に開設された発電所(現・関西電力蹴上発電所)は、事業用としては日本初の水力発電所である*1。この発電所の電力を用いて、1895年には京都電気鉄道が日本で最初の市街電車を走らせた。
第2疏水が完成した1912年から上水道用に取水が開始された。現在、京都市水道局の供給する水道水の97%が琵琶湖疏水の水でまかなわれている*2。蹴上浄水場は構内のツツジが有名で、毎年4月から5月にかけての開花時期に一般公開が行われる。
初期には水運にも利用された。琵琶湖の水面と京都盆地の標高の違いから蹴上地区には大きな落差が生じることになり(これが発電に利用された)、この部分を舟が越えるためにインクラインと呼ばれる巻き上げ式の傾斜鉄道を設け、舟を台車に載せて運搬することにした。インクラインは1940年頃までに廃止されたが、1977年にに復元されており、動きはしないものの、現在も当時の面影を偲ぶことができる。
その他、各トンネル出口の装飾や扁額なども一見の価値がある
*1:自家用のものとしてはこれ以前に、1888年に開設された宮城紡績所の発電所(現・東北電力三居沢発電所)がある。