プロ野球選手(外野手)・指導者・解説者。
1954年1月8日生まれ。香川県三豊市高瀬町生まれの大阪府出身。左投左打。
現役時代は強竜打線のリードオフマンとして活躍。1番打者として打撃陣を牽引した。
1982年に長崎慶一と激しく首位打者を争う。故意四球攻めに遭い、最終打席では無言の抗議として三振を喫した。
持ち前の性格から首脳陣やフロントと衝突する事が多く、1984年に優勝争いに貢献するも、親会社の意向が反映され2位となった。「望み通り2位になりましたよ」と発言し、物議を醸す。
1991年に現役引退し、翌年よりフジテレビ・関西テレビの野球解説者となる。また、モルツ球団の選手、マスターズリーグ・大阪ロマンズの選手としても活躍。
2005年、新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督に就任するも、成績不振*1を理由に解任、僅か1年で退団。同年9月29日の福岡ドームでの最後の采配では、イーグルス・ホークス両球団のファンから盛大な声援で送られた。
2006年に関西テレビ・ニッポン放送の野球解説者に復帰。名古屋エイティディザーズに入団し、マスターズリーグにも復帰。
年度 | 所属チーム | 背番号 | 備考 |
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1969〜1971 | 泉尾高校 | - | 甲子園出場はないが、無名校をベスト4へ進出させた |
1972〜1975 | 同志社大学 | - | 投手で3番を打ち、首位打者を獲得 |
1976〜1984 | 中日ドラゴンズ | 2 | 1975年ドラフト1位 |
1985〜1986 | 西武ライオンズ | 2 | 杉本正・大石友好との交換トレード |
1987〜1991 | 阪神タイガース | 8 | 吉竹春樹・前田耕司との交換トレード |
2005 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 88 | チームの初代監督 |
*1:3年契約、来季の計画を既に立てている中での電撃的な解任に、ファンは反発。成績に関しては予測できた事であり、選手補強に消極的な中で監督に責任を問うフロントの姿勢が問題となった。