白河院がまだご在位の時、関白藤原師実《もろざね》の娘、 賢子《けんし》の中宮をひどく寵愛されていた。 かねがね、この御腹に、一人皇子が欲しいと望んでいられたが、 当時、その道では聞えた三井寺の頼豪 阿闍梨《あじゃり》を呼び出した。 「賢子の中宮の御腹に皇子誕生を祈祷してくれまいか、 願いのかなった暁は、恩賞は望み次第じゃ」 「お安いご用でござります」 頼豪は三井寺に帰ると、百日の間、 心をこめて祈り続けた。 やがて百日の内に、中宮にご懐妊の徴候が現れ 承保《しょうほう》元年十二月、 目出度く皇子が誕生した。 主上の喜びは殊のほかで、早速頼豪を招いた。 「そなたのお陰で、皇子が生れた。 約束通り…