心、霊魂、肉体の関係を自動車に例えたわかりやすい説明がありました。 「自動車が有る」といえないのは、様々な部位が合わさって成り立っているためです。 3つのどれか一つが欠けても自動車足り得ないという関係としての存在です。 心はエンジンであるとともにアクセル役も果たしていると書かれています。 これ全部で車(人間)として、実際の運転手は人間です。ボディーは運転しません。 「それを調整するものは本人の理性によるものと考えています」と書かれています。 算命学原理の難しさは、時々こうして、別の概念ががポンと登場するところです。 「理性」という(断定されていない)新たな単語をどこに当てはめるのか? 前にやっ…