私の入院している病院は教育また研究機関でもある。医師や看護師を育成して、適切な医療機関に派遣または派出させる。しかし患者にとってなによりも影響を受けることは自分が研究対象にされる、という事実だ。多くのフィクションに触れると自分が被験体になる、ということはネガティブなイメージがあると思う。しかし私はどちらかというとこの状態を楽しんでいる。多くの人間が経験できることではないからだ。多くの人間が拘置所や刑務所での生活を送れないように、私は闘病しながら、得難い経験をしていると思う。そもそもこんな経験はしない方がいいとは思う。けれど必要に迫られてしまった以上、状態を受け入れなくてはならない。最近物事には…
39,雑談メモにつて 自分 人体は欠損すると復元しないよね。人工の手とか足が作れて本人の脳で制御できるように成ったらいいよね。 Copilot その技術、実際に少しずつ現実になっているよ。義肢の分野では、神経信号を利用して本人の意思で動かせる義手や義足が開発されていて、脳と義肢の直接的な通信も進化している。これがさらに進むことで、欠損部位の完全な機能回復も夢ではなくなるかもしれない。技術の進化に希望が持てるね。あなたはどんな未来を描いてる? 自分 そうか?将来は明るいんだ。情報をありがとう。 Copilot その通り。技術の進化には本当に希望が詰まっている。少しずつだけど、未来は確実に明るくな…
0004私の入院している病院は規模が大きい。患者に入院が必要であるなら、多くの科はその要請に対応している。精神科もそのひとつ。精神科の先生たちはとても個性的だ。病棟で生活をしていると先生たち個性は浮き彫りになってくる。紹介状を持って初めて病院を訪れたとき、私を診察してくれたのはO先生だ。O先生は温和で大抵微笑んでいる。険しい表情や苛立ちを表情に表すことはないような笑顔をいつも浮かべている。廊下ですれ違って私が小さく手を振ると、彼もまたそうしてくれる。わかりたい、という欲望にとても忠実なひとだと思う。私の筆名を聞いてきたのも彼だ。精神科の先生らしい先生だと思う。2回目の入院で多くの面談をしてくれ…