マゲイとテキーラ 前の記事で、私は真木悠介の「紫陽花と餅」を、じっくり読んだ。個体性と共同性の弁証法、絵にかいたモチ、唖者とはひとつの関係性。共同体をめぐるあの論考を、私は自分の〈開展〉座標の空白に照らして受け取った。 その記事の終わりに、私は真木の一行を引いた。すべての道はどこにも通じていない、問うべきはこの道に心があるかだけだ、と。私の第2巻『流転の歩法』は、この一行から立ち上がっている。 今度は、その一行がどこから来たのかを読む。 「心のある道」という言葉は、『気流の鳴る音』の序章、その第三節にある。「マゲイとテキーラ」という題の、短い一節だ。前回読んだ「紫陽花と餅」と同じ、本の入り口に…