先日、郡上市長が北海道下川町を訪問し、岐阜橋の写真をアップしていたので、改めて思い出した今はなき国鉄名寄本線岐阜橋駅の話を書く。 岐阜橋の駅名由来は岐阜県からの入植者が名寄川に架橋したことに因んでいることは知っていたが、まさか郡上からの移住だったとは思ってもいなかったのである。名寄本線は廃止までに二度ほど乗車したが、それ以前の昭和59年(1984)に岐阜県が好きな岩田ドラえもんが岐阜橋の駅名標を写真でおさえていた。当時はまだネガフィルムの時代、フィルム・現像代もバカにならなかったから一発勝負。途中下車したわけでもなく、わずかな停車中にこの構図で撮ったのだから大したものだ。 明治34年(1901…