宝永6年3月21日。この日から文左衛門の蔵の壁の下地を3人がやって来て行う。大須でこの日から十三郎の狂言、演目は丹波与作。昨日明け方、太鼓を叩いて廻っていた。竹腰山城守郷手代山田左介が昨日味鋺川に身を投げて死ぬ。32歳であった。大小刀を差していた。この日夕暮れ、連れて来て弔う。坂下に町屋を持っており、妻子はいなかった。後にも記す。16日に鉄砲塚町あたりの50になる町人の妾が夫のことを訴えると云々。身を投げると沢井助左衛門向かいの堀端で伏せていたが、雨が降り出したので帰る。とてもしぶとい愚痴っぽい女で、この頃追放となる。城の石垣普請のため岩崎山から石を切り出し、大八車で曳く。車引役の者が岩崎から…