著者: 藤田素子
「額田王」のマンガのコマをアルで探す
万葉歌人。七世紀後半のひと。 日本書紀によれば、大海人皇子(天武天皇)との間に十市皇女をもうけた。後に大海人皇子の兄の天智天皇に寵愛をうけたとも言われるが、詳しいことはわかっていない。 「あかねさす紫草野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」や 「熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬいまは漕ぎいでな」が有名。
君待つと 我が恋ひ居れば 我が宿の 簾動かし 秋の風吹く (きみまつと あがこひをれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく) 額田王 万葉集・巻四・488 〈現代語訳・口語訳〉 君を待つとて恋しく思っていると、わが家のすだれを動かして秋の風が吹く。
萬葉集 巻第一 17 長歌 額田王 味酒三輪の山 あをによし 奈良の山の山の際に い隠るまで道の隈 い積もるまでにつばらにも 見つつ行かむをしばしばも 見放けむ山を心なく 雲の隠さふべしや 最新全訳古語辞典(東京書籍)の訳 三輪の山が、奈良の山々の、山の重なりの向こうに隠れてしまうまで、道の曲がりが幾重にも重なるまで、存分に何度も見ていきたいのに、幾度でも仰ぎ見たい山なのに、無情にも雲が隠し続けてもよいものか。 額田王 意訳 題詞:額田王が天智天皇と不倫旅行をする時の長歌 作者:額田王 あなた(天智天皇)は、私を遠くへ連れ出すために、夫(大海人皇子)や子どもを遠くへ引き裂いて、美酒の里、三輪ま…
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる) 額田王 万葉集・巻一・20 〈現代語訳・口語訳〉 あかね色をおびる、紫草の野を行き、その禁じられた野を行きながら、野の番人は見るのではないでしょうか。あなたが袖をお振りになるのを。 ※この歌の前書きには、「大海人皇子が蒲生野で狩りをしたときに、額田王が詠んだ歌」と記されています。額田王は飛鳥時代の歌人です。大海人皇子(のちの天武天皇)と結婚をして子どもをもうけていましたが、この歌を詠んだときには、大海人皇子とは別れて、天智天皇(大化の改新で有名な中大兄皇子。大海…
額田王(ぬかたのおおきみ)は、 飛鳥時代を代表する女性歌人であり、万葉集に多くの和歌を残した人物です。彼女の生涯や作品は、当時の日本の文化や政治、恋愛観を知る上で重要な手がかりとなっています。 生涯と背景 生没年 正確な生没年は不明ですが、631年から637年頃に生まれたと推定されています。 出自 父親は鏡王(かがみのおおきみ)とされ、天皇家の血を引く貴族の家系と考えられています。 宮廷生活 若い頃からその才能を認められ、宮廷で歌を詠む機会が多かったとされています。 天智天皇・天武天皇との関係 額田王は、当初、大海人皇子(後の天武天皇)と結ばれ、十市皇女(とおちのひめみこ)という娘をもうけまし…
熟田津(にきたつ)に 船(ふな)乗りせむと 月(つき)待てば 潮(しお)もかなひぬ 今は漕(こ)ぎ出(い)でな 額田王 万葉集・巻一・6 〈現代語訳・口語訳〉 熟田津(にきたつ)で、船を出そうと月を待っていると、いよいよ潮の流れも良くなってきた。さあ、いまこそ船出するのです。 ※この歌は九州へ向かう途中、斉明7年(西暦661年)1月、熟田津(にきたつ:愛媛県松山市)に滞在し、次の航海のタイミングをはかっていたときの歌です。斉明天皇(さいめいてんのう)の歌とも言われています。
今回は、額田王と鏡王女(かがみのおおきみ)の歌。 額田王は、天武天皇の妃だけれど、天武の兄の天智天皇とも恋愛関係にあったらしいと言われている。 鏡王女は、天智天皇の妃だったけれど、後に藤原鎌足の正妻になった女性。 額田王の父親が鏡王であるため、鏡つながりで、二人は姉妹だという説や、同じ一族の中で育ったのではないかという説あるけれど、確かなことは分からないようだ。 同じ男性をめぐるライバル同士だったかもしれない二人が、歌のやり取りをしているのが面白い。 額田王、近江天皇〔天智天皇〕を思ひて作れる歌一首 君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く (きみまつと わがこいおれば わがやど…
今回は、有名だけれど謎の多い歌人、額田王の、どうもよく分からない長歌について。 春山と秋山の優劣というか、勝敗が、不思議な理由で決定されている。 天皇、内大臣藤原朝臣に詔して、春山の万花の艶、秋山の千葉の彩を競はしめたまひし時、額田王、歌以ちて判れる歌 冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ さかざりし 花もさけれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木葉を見ては もみちをば 取りてぞしのふ 青きをば 置きてぞ歎く そこし恨めし 秋山吾は 万葉集 巻一 16 【語釈】 冬ごもり…春にかかる枕詞。 さる(去る)…(季節や時が)やってくる。 しのふ…賞美する。思い慕…
訓読 >>> やすみしし わご大君(おほきみ)の 恐(かしこ)きや 御陵(みはか)仕(つか)ふる 山科(やましな)の 鏡の山に 夜(よる)はも 夜(よ)のことごと 昼はも 日のことごと 音(ね)のみを 泣きつつありてや ももしきの 大宮人は 行き別れなむ 要旨 >>> 恐れ多くも我が大君の御陵にお仕えする、その山科の鏡の山で、夜は夜どおし、昼は日中ずっと、声をあげて泣き続けてばかりいた大宮人たちは、今はもう散り散りに去っていく。 鑑賞 >>> 天智天皇の挽歌として9首並んでいるうちの最後、山科の御陵に奉仕していた大宮人たちが、葬儀の期間を終えて退散するときに、額田王が作った歌。もっとも山科陵の…
君待つとわが恋をれば わが屋戸の暖簾 動かし秋の風ふく 額田王 (萬葉集 巻第八 秋相聞 1606) 赤松久美子様 ameblo.jp この歌の現代語訳は下記のようになります。 「あなたを待って私が恋しく思っていると、私の部屋のすだれを動かして秋の風が吹いていきます。」 詞書は「額田王、近江天皇を思(しの)ひて作る歌」。人を待っていると、物音や気配に敏感になります。それが愛する人ならなおさら。 かすかに簾が動いたことに気付き、期待を込めて振り返った瞬間。 それがただの風だと気付いて、切なくため息を吐く瞬間。 それらが冷凍保存されたかのような歌。1350年の時を超えて、ありありと情景が浮かび、共…
冬こもり春さり来れば鳴かずありし鳥も来鳴きぬ咲かずありし花も咲けれど山を茂み入りても取らず草深み取りても見ず 秋山の木の葉を見ては黄葉をば取りてぞ偲ふ青きをば置きてぞ嘆くそこし恨めし秋山我は(秋山吾は) 額田王 (萬葉集 巻第一 16) 意訳 春が来ると鳴かなかった鳥も来て鳴き 咲かなかった花も咲くけど 山が茂っていては入って手に取る事はなく 草が深いので手に取る事はことはない 秋山の木の葉を見て黄色く色付いたものは手に取って愛でる まだ青いものはそのままに置いて残念に思う そんな思いをさせる秋山こそ素晴らしいでしょう 補足 長歌 天智天皇が内大臣藤原朝臣に 「春山の花の艶と、秋山の紅葉の色、…