第9講 H-10 いつの日からか、この『常自語』は株式投資の記録ではなくなっている。それはなぜか。一つには、停滞があるだろう。株式投資の結果が芳しくない、その上で、芳しくないことから目をそらし、逃げようとしている。もはや、逃げている。もう一つの理由は、停滞があるだろう。一つ目と同じではないか、こう思われても仕方ない、表現が同じなのだから。こちらの停滞は、日常の停滞である。変化の乏しい日々を送ることによって、加えて、一つ目に挙げた「芳しくない」ことが相まって、悲観的思考が増しているのである。あるいは、そう思っているのである。 以上、二つの理由から分かる通り、たいした成長が感じられない。何度も書い…