2008 Olympic Games in Beijing day 5

Japanese Football Boys: what they know, and what they don't know.


「これを知るをこれを知るとし為し、知らざるを知らずと為せ。」
中国思想家の孔子は、「知る」ということについてそう言った。


ほぼ確実に超一流である。
現在、北京オリンピックで戦っているアスリートたちだ。
長い競技生活の間、トップの道を歩んできたことだろう。


知っていることが多いはずである。
数々の紆余曲折を潜り抜けてきて、その度に経験が増える。


でも、初体験のオリンピックには、知らないことが多かったのかもしれない。
サッカー男子日本代表が、13日、オランダ代表に0−1で敗れた。
予選3戦全敗で大会から姿を消した。


選手たちは自分たちの可能性を信じていたはずだ。
これまでに積み上げてきた自信や実績がある。
このスポーツのいくつかのことについて、知っていたのだ。


しかし、知らないことが今大会前の各選手たちにはあったことだろう。
アメリカ、ナイジェリア、オランダの選手たちの強さは何か。
自分たちとの差は何なのだろうか。どれくらい通用するだろうか。


知らないことを知らないとしながら、彼らは強豪国に果敢に挑んだ。
そして、今大会3試合から「知ったこと」も多いにあったことだろう。
これこそが孔子の言う「知る」なり。
謙虚な姿勢でサッカーに励み続けてほしい。


Ryo2412

2008 Olympic Games in Beijing day 4

Women have performed well. But, men, be careful.


男は度胸、女は愛嬌。
男女それぞれに必要な特性を意味しているが、
北京オリンピックでこれは当てはまりそうにない。


特に女性の方だ。女性オリンピックアスリートは増加している。
開会式で、各国別々の服装で行進してきた女性アスリートたちは美しかった。
女は化けると言われているが、競技ではなく式でまず綺麗になっていた。
でも、この大会は、ファッションショーではない。
度胸のあり方ですべてが決まる大会なのである。


女性アスリートたちへの期待の高さが、これを反映している。
12日、サッカー女子日本代表ノルウェーを5−1で逆転勝ちを収めた。
1点ビハインドの展開でも気後れしないこと。
1対1を積極的に仕掛ける姿勢。
2点目と4点目は、相手DFにドリブルで果敢に1対1を挑んだ結果だった。
こうした攻撃的姿勢で、期待がさらに高まる。


女子バドミントンでは、末綱聡子前田美順組が日本勢初のベスト4進出を決めた。
世界ランク1位の中国ペアを、接戦の末、撃破した。大金星と言われている。
また、体操では、日本女子団体が24年ぶりに決勝へ駒を進めた。
さくらジャパン」の日本女子ホッケーは、初戦を白星で飾った。


度胸がある女性たちが活躍しているが、悲しくも全員がそうではない。
女子柔道48キロ級の谷亮子は、「ママでも金」を叶えることができなかった。
女子バドミントンの小椋・潮田ペア(通称「オグシオ」)は準々決勝で敗退。
そして、今日12日、女子マラソン野口みずき選手が、怪我の為、出場を断念した。


女の一念岩をも通す。今後の彼女たちの活躍に期待したい。
しかし、男性は、少し注意が必要かもしれない。
女の髪の毛には大象も繋がるという。
今日、開会式で美声を披露した女の子が、
フェイクだったことが判明された。


Ryo2412

2008 Olympic Games in Beijing day 3

Swimming is the matter of comfort, not what to wear.


江戸時代の人々は度肝を抜かしていたかもしれない。
というより、現代の水着の複雑さに困惑しているかもしれない。
なにせ、当時の水着は、六尺褌だったのだから。


野蛮だとアメリカ人に見られたという日本古来の水着。
アメリカの帝国主義が繁栄した20世紀に、現代風の水着が取って代わる。
そして、技術革新とグローバリゼーションが進み、
今では英国スピード社のレーザー・レーサー(LZR)が世界基準である。


褌の方が着心地は良いだろう。一方でLZRの締め付けはグッと強い。
一人で着ることは困難な上、20分もかかるという。
Tバックにも類似する褌は野蛮かもしれないが、LZRも普通ではない。


しかし、LZR着用で気持ちよく泳ぎきった日本人が11日に北京で出現した。
男子競泳平泳ぎ100mで、日本代表・北島康介選手が世界新記録58秒91で優勝した。
優勝した2004年アテネ大会では1分0秒08だった。
4年間で1秒以上速くなった。


どこからこの成長は生まれたのだろうか。
北島選手は、平井伯昌コーチとの二人三脚で、厳しい練習を積んできた。
今回の決勝の泳ぎは、ストローク数が3回減っていたという。
効率の良い動きで、後半戦の驚異的な伸びができたのだろう。


世界基準のLZRの効果もあるかもしれない。
このハイテク水着の最大の特徴は、水に抵抗を削減することだ。
米国航空宇宙局NASAとの共同開発で生まれた極上に滑らかな表面と、
高い弾水力がこれを可能にしている。
前回大会のスピード社製Fastskin FS Pro比較すると、5%も削減しているという。


しかし、LZRはどれだけの違いを生んでいるのだろうか。
北京五輪の日本の競泳代表男女31人中25人がLZRを着用している。
これまでの戦いを振り返ると、日本選手たちは、日本新記録を樹立している。
それにも関らず、決勝トーナメントに進出する選手はほぼいない。
海外の超一流選手たちとの差が明らかとなっている模様だ。


LZRは速い泳ぎを引き出すだろうが、保証はしていない。
むしろ、精神的な余裕や安心感をもたらしているのだろう。
はたして、着心地の悪さはこれを妨げないのだろうか。
女子バタフライの星奈津美選手は、ミズノ社製で臨む。
「首や肩が窮屈でないので泳ぎやすい」という。


一方、水泳において、速過ぎということは競技を駄目にしないのだろうか。
独自の泳ぎ方や、技術などが軽視されて、速さ一辺倒になる危険があるのではないだろうか。
テニスでは、サーブが早くなりすぎたために、一部の間では試合の質が低下したと言われている。


また、独自性の低下は、各選手の違った泳ぎが見られないということになる。
日本には、江戸時代から伝わる、日本泳法がある。全国各地で流派があり、その数は十を超える。
水泳はその当時、水術であり、武術の一つであった。
つまり、武士階級の人々が、海でも戦を交えるようにするためのものだった。
島国という環境、歴史、伝統が日本にはあり、
お家芸」と言われるのにも腑が落ちる気がする。


これは日本水泳の歴史だ。
昔に戻れと言っているのではない。他人とは異なる独自の泳ぎが大切なのだ。
はたして、北島選手はこれを手にしているのであろうか。
「気持ちいい。最高」という北島選手のコメントから察するに、
少なくても彼は、決勝では力み過ぎてはいなかった。


体に無理を強いていないからリラックスできる。
日々の鍛錬が積み重なり、北島選手独自の泳ぎが形成されたのだと思う。
LZRという「お守り」もあった。


しかし、LZRは鬱陶しいほどに目立っている。
この水着の使命は、ただの金メダルではなく、世界記録更新での金メダルである。
アメリカ代表のマイケル・フェルプス選手が8冠へ向け、順調なスタートを切った。
LZR支援の世界新記録樹立ショーである。


でも、フェルプス選手の8冠は、競技の「独占」とも見れるのではないだろうか。
実力主義の世界では、誰よりも強い人が生き残る。
あまりスポーツでは、不平等は問題視されていない。実力と運の世界と認識されているからだ。
しかし、問題は、LZRという「富」の分配の仕方がどうなっているかではないだろうか。
完全なる平等は厳しいかもしれないが、
競技の全体的な底上げからすれば、これは無視できない。
また、持つ者と持たざる者との間で対立が起きるかもしれない。


江戸時代に人気絶頂を迎えた褌は、今も履かれている。
独特な見た目と、安さ($550のLZRと比べたら絶対に安い)、着心地の良さがあるからだろう。
これから褌姿の選手が登場することはないだろう。
気持ちよく泳げる選手も同じかもしれない。
着心地の良い服をみな求めるが、この基準は古今東西バラバラだ。


Ryo2412

2008 Olympic Games in Beijing day 2

Japanese boys may need to be entertainers.


サッカー五輪日本代表が、予選敗退した。
10日、躍動するナイジェリアに1−2で敗れた。
2大会連続の予選敗退は何を意味するのだろうか。


ナイジェリア戦の日本は、やや活発だった。
サイド攻撃で幾つか好機を作り出していた。
後ろにいる選手たちが前に空くスペースへ走りこむ追い越しも見られた。


守備陣は、苦労していた。
ナイジェリアの攻撃は予測しずらそうだった。
荒削りだが、鋭い。圧倒的な身体能力は脅威以外の何でもなかった。
前半を無失点で終えた日本は、踏ん張っていた。


ただ、日本はこれを活かせなかった。
奪ったボールを簡単に失っていたことが原因だろう。
ボールコントロールとパスが雑だった。
決定的だったのは、これが試合終了まで続いてしまったことだ。
ディフェンス陣は徐々に、ナイジェリアのスピードに対応できなくなっていた。


ナイジェリアは、躍動感に溢れていた。
パス交換は荒削りだった。しかし、柔らかいボールタッチと圧倒的なスピードが、
それを補っていた。時折見せたトリックは、魔法のように効いていた。
ナイジェリアのサッカーが次第に観客たちを魅了していった。
日本を奈落の底に落とした2点は、あっという間の出来事だった。


このことから、ナイジェリアは楽しいサッカーをしていたことがわかる。
スペクタクルであり、選手たちの即興性が随所に見られた。
逆に、これらは日本に欠けていたものだった。
そして、この事実は、予選敗退という致命的結果となった。


五輪である程度成功した日本から、A代表へ昇格する選手が多い傾向にある。
1996年アトランタ五輪は予選敗退だったが、
ブラジルを降した「マイアミの歓喜」や、ハンガリーに逆転勝ちを納めるなど成功を収めた。
そこから、中田英寿城彰二川口良活選手がA代表の主力となっていった。
2000年シドニー五輪では、「黄金世代」と呼ばれた選手たちがベスト8という結果を残し、
その後、中村俊輔小野伸二など多くの主力がA代表の主軸となっていった。


しかし、この逆だと、少し悲しい現実が浮かび上がる。
五輪の予選リーグ敗退後、多くの選手はJリーグで燻っている。
確かに、2004年アテネ五輪で、現在代表に名を連ねている選手はいる。
松井大輔や田中マルクス闘莉男、阿部勇樹は活躍している。
だが、若い力の多くは、腐ってしまっている。


宝の持ち腐れという悲しい現実。
本来、若手は台頭し、ベテランを脅かさなくてはならない。
実力主義なのだから、年齢は関係ない。


サッカーは楽しくなくてはならない。
攻撃的な試合が、最も観客を楽しませる。
元オランダ代表のヨハン・クライフ氏が言う通り、スペクタクルが大切になる。
これには、高い技術と即興性を要する。
そして、最も大切なことに、これは若いうちにしか身につかない。


北京での予選敗退を臥薪嘗胆にしてほしい。
負けから学ぶことの方が多く、貴重なのだから。


Ryo2412

2008 Olympic Games in Beijing day 1

The Jyudo Queen does not lose her dignity.


女子柔道48キロ級で、谷亮子選手は銅メダルだった。
3位決定戦後のインタビューでは、悔しい表情が浮かんでいた。
しかし、谷選手の「清さ」に私は感動した。


準決勝での不可解な判定は、しばらく議論を呼ぶだろう。
試合中、組めなかったのか、それとも、組まなかったのだろうか。
2回警告を受け、それでも二人の組合が見られなかったのは、
お互いが防御姿勢だったか、攻めに躊躇したかのどちらかだろう。
つまり、攻めの柔道ではなかった。


谷選手の進退問題は、依然ベールに包まれたままだ。
本人だけで決めることではない、と述べている。


ただ、わかっていることがある。
彼女は32歳のベテランながらにして、大言壮語だった。
「ママでも金」と言って、自分の実力を限定させなかったのかもしれない。
そして、谷選手は、5大会に渡り、日本の牽引力だった。


女王は、強く、品位に溢れている。
谷選手はそんな柔道家である。
準決勝での審判の判定に怒りをぶつけず、むしろ既にそれを受け入れていた。
他の選手たちをも褒めていた。国民の期待をわかっていた。


3位決定戦。一本勝ちを収めた顔には、笑顔はなかった。
だが、谷選手がこれまで歩んできた「道」こそ、何よりも価値がある。


Ryo2412

Baseball: Aging Well

Mr. Yamamoto's 200th winning has proved that Kiyohara is not a hero yet.


英雄と悪者は紙一重だという。
不況や戦争が起きている現在、人々は不安に駆られている。
福田改造内閣にも、あまり人々は期待していない。
政治家が悪者扱いされる今日、ある2人の野球選手が英雄になり、なろうとしている。


中日ドラゴンズ山本昌投手が、8月4日の巨人戦で通算200勝を達成した。
チームメートに胴上げされ、宙に舞うと、涙がこぼれた。
「よく頑張った」と父・巧さんは言う。落合監督もねぎらいの言葉をかけた。


中年の星」は、輝くのに時間がかかった。
山本選手は42歳。この歳の男性は、メタボが気になる頃だろう。
40歳を過ぎてから200勝を達成した投手は、現・横浜の工藤公康(04年)1人しかいない。
過去にこれを達成した24投手の多くは比較的に若い。今日では、この記録に到達するのが難しくなっている。


史上最年長での記録は、人々の励みになるだろう。
山本昌投手は、83年にドラフト5位で中日に入団。
初勝利を上げるまでに5年かかった(88年8月30日、対広島)。
88年にアメリカへ留学した。日本で燻っていた雑草魂が、アメリカで羽を広げた。


現在、野球は不安に苛まれている。
2008年の北京オリンピックで野球は五輪から姿を消すことになっている。
野球の五輪復帰を懸けた「タイブレーク方式」導入では、日本は出し抜かれた。
6月下旬には、ヤクルトのダニエル・リオス選手から禁止薬物が検出された。
熱闘が続く高校野球からは、未だに不祥事がなくなっていない。
私立校と公立校では、格差が広がっているという。


不安な時代に、努力家のストーリーは、人々に希望を与える。
ナゴヤドームの38,333人だけでなく、テレビのニュースなどで知った人々も、
山本昌選手の偉業に、歓喜したはずだ。


山本昌投手がナゴヤドームで歴史に挑戦していた一方で、
京セラドームの16,295人の観客は、オリックス清原和博選手の復活への狼煙を見た。
06年9月2日のロッテ戦以来の安打を放ったのだ。


清原選手の見かけは、健康的だ。
大きな身体は、ほんやりと黒く焼けている。左耳のピアスの輝きが際立つ。
雨の中の盟友・桑田投手との練習を経て、2日に復帰した清原選手。
1軍復帰初打席は、空振り三振に倒れた。
そのスイングはぎこちなさが残っていたが、力強く「魂」がこもっていた。


だが、彼は背水の覚悟を決めている。2度手術を受けた左ひざは、完治しなかった。
軟骨移植手術を受けた選手は、過去に一度もフィールドへ戻っていない。
武装した肉体は、恐怖と不安を隠している。
心技体は、脆弱い状態かもしれない。


だが、こんな時こそ、人は信じられない集中力を発揮する。
陸上200mハードルの為末大選手が言う「『私』が薄まるような感覚だ。
「自分の体で動いているが、そうでないような気もする」と言う為末選手は、
今年6月に行われた日本選手権を、この感覚で制した。


3日に初安打を放った清原選手も、こんな感覚だったかもしれない。
40歳の清原選手と42歳の山本昌選手は、人々の心を熱くする。


お互いの歩んできた道は、はじめこそ違ったが、今では似ているようだ。
そして、若くして光を集めてきた清原選手は、近年、特に巨人移籍以降、苦しんでいる。
山本昌選手も、昨シーズンはわずか2勝しか手にしなかった。
97年にシーズン18勝を上げて以降、勝利数は下降している。


だが、この2人には決定的な違いがある。
若い頃に苦労している分、山本昌選手は強い。まさに雑草。
一方、清原選手は、若い頃から、名声を手にした帝王である。
山本選手の方が、ハングリー精神に溢れ、努力の大切さをわかっているだろう。
清原選手がこれらを持っていないと言う訳ではない。
しかし、「勝負強さ」の面で違いが出るだろう。自分を信じる力だ。


200勝達成で、ほぼ英雄となった山本昌投手。
清原選手の残されたプロ野球人生は長くない。
野球界を盛り上げるためにも、彼の活躍は欠かせない。
だが、今のままでは「英雄」にはなれない。
「結果」が今こそ求められる。


Ryo2412

Football: A Confusing Mess

Will Messi be allowed to play in the Beijing Olympic games?


国際サッカー連盟FIFA)とバルセロナFC、サッカー・スペインリーグの強豪クラブ、が対立した。
北京オリンピックに臨むアルゼンチン代表は、FWメッシを召集したい。
だが、バルセロナ側はこれを拒否した。8月12日にチャンピオンズリーグ(CL)予備3回戦があるからだ。
オリンピック・サッカーは8月7日から始まる。
代表召集されれば、バルセロナはメッシをその試合で使えないことになる。
23歳以下の選手が代表に招集された場合、クラブはそれを了解しなければならないと、FIFAは決定している。
バルセロナは、the Court of Arbitration(CAS)でFIFAを訴えるようだ。


なぜ、このようなことが起きたのだろうか。防ぐことはできなかったのだろうか。
対策を講じるには、不確実な要素が多すぎたのかもしれない。
オリンピックは4年に1度開催される。時間の猶予があるため、役員たちの重い腰は上がらなかった。
また、欧州のサッカークラブの順位は予想できない。どんなに強豪であろうと、優勝するとは限らない。
もしバルセロナが、昨シーズン、リーグやCLで優勝していたら、この8月の予備戦は日程にはなかっただろう。


次に、代表チームとクラブとの力関係が変化しているためだろう。
後者が前者を凌いでいるのだ。代表は見下されている状況にある。
ブラジル代表MFカカーは、オリンピック出場を所属クラブのACミランによって断られた。
同代表でレアルマドリードロビーニョもそうだ。
クラブ側が選手に高額な給料を払う。代表戦でケガなどされて、使えなくなるというのは困る。


そして、FIFAは、IOCとのバランスを保ちたい。
オリンピックのサッカーには、23歳以下の選手と、3人のオーバーエイジ選手しか参加できない。
ワールドカップこそが、サッカーの世界最高の大会であるからだ。
オリンピックが、W杯を凌駕しないようにするための規制でもある。
だが、プロ選手が出場せずにアマチュア選手だけの試合では、つまらない。
FIFA国際オリンピック委員会IOC)は、こうして妥協した。


今回の騒動で、新たな妥協点が探られそうだ。
19世紀後半のイギリスでは、アマチュア主義とプロ化との対立が起きた。
プロ化が認められ、今日、もはやそれは普通である。アマチュア主義は生き残れなかった。
そして、サッカー協会(FA)がこれを統治している。


こうしてみると、FIFAの抑止力が試されている。
クラブにも訴えられるほど、この協会の統治は怠慢なのかもしれない。
バルセロナシャルケFC、ドイツの強豪、などは、オリンピックの試合が国際カレンダーに組み込まれていないと主張しているのだ。この主張からすれば、クラブと選手との契約上の問題ではないのかもしれない。


欧州の強豪クラブは、団結するかもしれない。
FIFAにとっては厄介だろう。欧州サッカーが脅威なのだ。
CLが、W杯以上に名誉も価値もある大会になっている。
妥協点が模索されるかもしれない。そして、新たなルールが設置されるだろう。


それは、選手の意思を尊重するものだろうか。それとも、全く逆だろうか。
これによって、オリンピック・サッカーの価値は決まるだろう。
ただ、結局のところ、サッカーでは、長い間、オリンピックは二の次なのだ。
この事実は、くつがえることがないだろう。


Ryo2412