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こにしき(言葉、日本社会、教育) このページをアンテナに追加 RSSフィード

July 17, 2017

ブックチャプター執筆しました(三省堂『小学校外国語科内容論』)

私がブックチャプターおよびコラムを執筆した本が出ました。

酒井英樹・滝沢雄一・亘理陽一編 (2017)『小学校で英語を教えるためのミニマムエッセンシャルズ 小学校外国語科内容論』三省堂



私が担当したのは以下の2つです。


論文が出ました。(Globalisation, Societies and Education 誌)

論文が出ました。

Terasawa, Takunori. (2017). The contradictory effect of the ‘global’ on the ‘local’: Japanese behaviour and attitudes towards English use in local contexts. Globalisation, Societies and Education, Online First.


The contradictory effect of the ‘global’ on the ‘local’: Japanese behaviour and attitudes towards English use in local contexts: Globalisation, Societies and Education: Vol 0, No 0. Taylor and Francis Online


↑なぜか知らないですが、アブストだけでなく全文読めます。

July 09, 2017

臨界期仮説とSLAニワカによる教育論のコンタミ

実は私、卒論(の一部)で、L2臨界期仮説に関するレビューをやったりした。その頃からの疑問が、なぜ日本英語教育研究者は、教育とはほとんど関係ない臨界期仮説をすぐに紹介したがるのかという点だ。

そういえば一昨年出た(色んな人が引用する)この本も、早期英語教育の本ではなく、臨界期仮説に関する本である(早期英語を正面から扱っているのは最後の章だけ)。


臨界期仮説を支持するのはおかしいとかそういう話ではなく、支持・不支持それ以前のことについて私は言っている。教育論で臨界期に言及すること自体が、そもそも臨界期という概念をよくわかってないんじゃないの?という疑問である。


詳細はこちらに書いた。

英語学習と臨界期(寺沢拓敬) - 個人 - Yahoo!ニュース


もちろん「臨界期仮説に言及しても変じゃない文脈」というのはちゃんとあるので、それについては後述する。


臨界期仮説と早期英語教育がいかに関係ないか、この分野に明るくない人にもわかるような比喩を思いついた。

※わかっている人にとっては余計わかりづらくなる比喩なので無視して下さい


結婚相手選択出身

「結婚相手の選択」と「出身校」が、臨界期仮説と早期英語位教育の関係に対応する。

お見合いを続けていて、候補者が2人に絞られたとしよう。ひとりはW大卒、もうひとりはK大卒。大人の事情(?)で今すぐにどちらかに決めなくては行けない。

ここで「平均的に見てW大卒者はK大卒者よりも高収入」という「W大卒高賃金仮説」という有力な仮説が存在したとする。

この仮説を根拠に、この人はW大卒者の人との結婚を決めるだろうか?

そんなはずはない。W大卒高賃金仮説なんて、結婚相手を決める種々のファクターの前ではかなりとどうでもいい情報だ。


教育論における臨界期の話は情報量がほんの少し

もちろん情報がゼロの時には、「W大卒高賃金仮説」は意味がある。その仮説が正しいと信じれば賭ける価値もあるだろう。

しかし、現実には、こんな状況はまずない。

上の仮説よりももっと豊富な情報は山ほどある――○○さんのほうが実際に年収が多いとか、△△さんの方が優しいとか、××さんの方がハンサムとか。

臨界期仮説の話に戻ると、早期教育意思決定の場面(たとえば「何歳からプログラムを始めるか」)において、相対的にかなりどうでもいい「臨界期仮説」という科学的知見をわざわざ参照するという問題である。


ニワカSLA論による教育論のコンタミ

しかし、早期英語教育の文脈で臨界期仮説が持ち出されるのは結構多い。


学説研究者としてはこの理由を考えているのだが、いま個人的にもっとも有力(だが凡庸)な仮説が、「臨界期を持ち出す人は、言語習得論の教科書に(無意識的に)水路付けられてるだけ」というものである。


たとえば、以下のような話の展開は言語習得論の概論という観点からすれば、全然おかしくない。


第一言語習得(L1臨界期の話が含まれる)

  ↓

第二言語習得(L2臨界期の話が含まれる)

  ↓

現実との接点


だから、言語習得論のレクチャーをしているんであれば、L1臨界期→L2臨界期→早期教育という話は不自然ではない。図示するとこんな感じ。


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一方、ニワカSLAの人は、この辺に対する明確な自覚がなく、矢印を逆方向に進んでるんじゃないだろうか(図)


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早期英語教育から出発した場合、まず最初ステップでものすごく多くの論点拡散する。したがって、L2臨界期へ到達するパスは果てしなく遠い。


論書再生産による水路付=教育知識のコンタミ

コンタミ (contamination) というのは科学実験純粋性を脅かす事故(例、雑菌混入)を指す言葉だが、教育知識にも同様のことが言えるように思う。

まず誰か臨界期研究に不案内な人(要はニワカ知識の人)が、早期教育論の観点から臨界期仮説を紹介する。講演でしゃべったり概論書に書いたりする。

それを聞いたり読んだりした臨界期研究に不案内な人(ニワカ)が、「早期英語→臨界期」のような独得なスキームを発達させる。もしその人が概論書を書くようなことがあれば、そのスキーム/章立てに則って書くだろう。


そして、その章立てで勉強した臨界期研究に不案内なニワカが、(以下略

June 23, 2017

関学寺沢ゼミ2017年春学期:『「日本人と英語」の社会学』(研究社, 2015)

前期後半。すみません自分の本を読ませました。

「日本人と英語」の社会学 −−なぜ英語教育論は誤解だらけなのか

「日本人と英語」の社会学 −−なぜ英語教育論は誤解だらけなのか


計量社会学×社会言語学という点でいえば、和書洋書わず、まあこの本しかないので仕方ない。

なお全部読むのは流石にきついだろうということで、統計分析シンプルで、かつ、個人的面白いと思われる3章・8章・9章をピックアップした。


なお、個人的に一番好きなのは6章(しかし、今まで誰にも言及されたことはない6章)。


佐野さんの本は言語学に関する前提知識(「言語学はこういう理論仮定があるけど社会言語学はそうじゃない」的な)が必要だったのでなかなか大変だった学生もいるようだったけれど、今回のは下敷きは社会学だったので多少は抵抗がすくなかった、、、のかな。社会学を2年間学んできているわけで。


なぜ板書(ディスカッショントピック)を転載しているかというと、この中のどれか(あるいは別のものでも良い)をリサーチクエスチョンにして、ミニ論文を書くというのが夏のレポート課題だから。



序章&第1章

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第3章 英語力の国際比較について

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第8章 ビジネスでの英語使用推定

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第9章 英語使用率の推移分析

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