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こにしき(言葉、日本社会、教育) このページをアンテナに追加 RSSフィード

March 02, 2017

小学校英語賛成派はどこへ消えた?

2017年、「小学校英語論争」はもはや存在しない。


「賛成派」が消えたからだ。


小学校英語を推進する人たちが一番輝いていたのは90年代だと思う。


当時の世間児童英語に冷たく、「小学校英語なんか教えられるはずがない」と思っていた。

中学高校大学の英語教員なかにも「小さい頃から学ぶなんてもってのほか」と考える人も多かった。

逆境の中、賛成派は団結しなければならなかった。いくつかの団体学会は「小学校に英語を入れろー!」という声明すら出したほどだ。

関係者はみな、理論自身経験をもとに、子どもに英語を学ばせればこんな素晴らしい成果が得られると熱く語っていた。


それから20年、状況は完全に変わった。


政府既定路線はいまや「小学校から英語を始める」だ。

声高に「英語を入れろー!」と叫ぶ者はどこにもいない。

「子どもたちは英語学習を通じてこんなにも成長する」と熱く語る者もいない。


攻略すべき「目標」がなくなったからだ。

その代わり、行政から与えられた仕事をきちんとこなす役割の人が大量に生まれてきた。

こうなると、小学校英語に反対の人、不安に感じている人は困ってしまう。

誰に文句を言ったらわからなくなってしまうからだ。

誰も「小学校英語の有効性」を語らない。

文科省ですら語らない。

だから、「有効性なんてないんだ!」と批判もできない。


無責任体制のきわみである



チーズはどこへ消えた?

チーズはどこへ消えた?

February 26, 2017

反・文科省的な研究

Ask.fm の回答を加筆修正のうえ転載してしまうコーナー!

https://t.co/9agw29MUrq

質問

まり詳しい分野とかは言えませんが、私の研究内容に対し、指導教員から、文科省の批判につながるかもしれないので避けたほうがいいのではと言われています。どう思いますか?指導教員もあまり詳しくないようなので明言しているわけではありませんが。ちなみに、私の研究内容は文科省を正面から批判しているわけではなくて、あくまでつながる可能性があるくらいの内容です。

回答

就職心配でしょうか?その点でいえば指導教員の先生の心配は杞憂だと思います。「文科省を正面から批判する研究」をしている院生ポストが、その研究内容故に狭まったということはあまり聞いたことがありません。

いわゆる「御用学者」的な仕事はできなくなるでしょうが教育研究において「御用学者的な仕事」は全体の5パーセントもないと思います。もっとずっと多いと感じるのは官製シンポジウムや「行政代弁」系の雑誌など「目立つ」場所で発表をしている研究者が多いからです。紀要学会誌、国際誌などもっと「地味」な舞台活躍している研究者はいくらでもいます。


就職という観点から慎重に考慮するべきは、文科省ではなくむしろ人事権を持ている中堅クラス教授)に対する批判です。助教准教授名誉教授への批判ならまったく問題ないでしょう。


余談ですが、「文科省と闘う学者」みたいな自己演出をする研究者がたまにいますが、それがマクロでどういう帰結を持っているか考えて欲しいと思うことがあります。たしかに「闘う人」としてその人に注目が集まるので個人レベルでは合理的でしょうが、一方で、質問者さんのような心配をしてしまう人が現れる点でマクロでは非合理的です。「教育政策批判」のハードルを不当に高めてしまい、他の研究者(とくに若手や院生)が参入を躊躇してしまいます。その結果、その分野は徐々に衰退してしまうでしょう。

February 16, 2017

エビデンスと僕

僕は「エビデンスベースト」という考え方が大好きである


最近そっち系研究もしているし、実際、いままさにその論文も書いている*1

例:Evidence-Based Education Policyと日本の英語教育学


ただ、よく誤解されるので(勝手に)はっきりさせておきたい。僕がこの考え方が好きなのは、「科学的に教育を考えたい」という動機ではまったくない。

そうではなくて、メソドロジーとかリサーチデザインの話そのものが好きだからである。


エビデンスベーストの優等生、エビデンスベースト医療EBM)はリサーチデザインの標準化成功した例なので、大いに関心がある。

しかし、「科学的で羨ましい」とかましてや「理系っぽくてかっこいい」みたいな思いは一切ない。

実際、そのまま適用するのは無理だ。


何が「効果的」でもかまわない

僕には個別指導法指導原理にほとんど思い入れがない。

英語教育学者一般的特定の指導原理に強い感情を持っているので、そういう人たちと比べれば、僕の情熱は最低クラスだと思う。


したがって、文法訳読法とか協同学習の効果のエビデンスが見つかろうが見つかるまいがどっちでもいい。コミュニカティブな教育プログラムやTBLTが効果的だというエビデンスが見つかろうが見つかるまいがどっちでもいい。


しかし、上記の効果(因果効果=エビデンス)を実証するために、巧いリサーチデザインを思いついたという人がいたら、ぜひ話を聞きたいと思う。

繰り返すが、その効果は、文法訳読でもコミュニケーションでも何でもよいのだ。


だから、「(標準化された)科学的リサーチデザイン」が浸透しているEBMを見て、「科学的リサーチデザイン」がまったく顧みられていない教育分野は遅れてる、EBMが羨ましいとは別に思わない。

どうして医療では標準化が成功して、教育ではうまくいかないのか、という点にはすごく興味があるが。


小学校英語政策とエビデンス

まあ、小学校英語教育政策に関しては多少の悔しさ、みたいなのはある。推進した研究者が、ちゃんと勉強してればもうちょっとマシなエビデンスとれたのに、と思うからだ。うらやましいというよりは、「あああ、科研費無駄遣い」という呆れ感。

先日も「『エビデンスがない』からといって小学校英語を否定するのはおかしい」と(おそらく小学校英語推進の人から)言われのだが、何を甘えたことを言っているんだと思った。

実験校のスタートから約20年たっているのだ。

初期の児童の多くがとっくに成人しているのに「エビデンスがまだない」というのは単なる甘えである。

*1:近日中に書き終わるが査読誌への投稿なので日の目を見るかは定かではない