某授業で作った英語教育政策概論のハンドアウトを,こちらに少しづつアップしていきます。きちんとした文章化はしていませんので,理解しづらい部分があったらすみません。質問があったら遠慮なくコメント欄にどうぞ。
イデオロギー
- イデオロギー ideology とは
イデオロギーの再生産作用
- プロセスレベル:イデオロギーが,特定の英語教育政策を進める。あるいは,ある政策を事後的に正当化する。
- プロダクトレベル:ある政策(政策文書や施策)のなかにイデオロギー的表現が(まるで事実のように)埋め込まれる。
- 循環作用:上記の結果,特定の人間観・社会観・教育観が自然化する(=自明な事実として受け入れられてしまう)。すると,ますますそのイデオロギーに偏った政策・実践・表現がまん延する
英語教育政策とイデオロギーの関係
便宜的に3つに分解可能(ただし,相互に大きく重複・影響しあっているため,「分類」することにはあまり意味がない)
- 政策とイデオロギー
- 社会はどう成り立っているか,社会をどう作っていくか,社会問題をどう解決していくか,等
- 教育とイデオロギー
- 学習者はどのように育つか,どのような指導・学習が効果的か,教員はどのように行動するか,等
- 英語(英語教育・学習)とイデオロギー
- 英語をなぜ学ぶ/教える必要があるのか(英語拡大)
- 英語はどのように学ぶ/教えるべきか(指導法・指導者・学習開始時期)
- 言語習得とはどういうものか(言語学習ビリーフ)
英語教育政策におけるイデオロギーいろいろ(各論)
英語教育で重要なイデオロギーとして以下のものがある。
以下,個別に見ていく。
グローバル化をめぐるイデオロギー
グローバル化研究(globalisation studies)の先行研究はそんな単純なことは言わない
英語教育政策に見られる「グローバル化」イデオロギーの例
リストアップできないくらい膨大にある...。(重要文献:Seargeant, 2011. English in Japan in the Era of Globalization )
日本
- 「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」(2003年)。明示的にグローバル化に対応するためと言及。
- 「国際共通語としての英語力向上のための5つの提言と具体的施策」 (2011年)。同上。
- 近年の外国語科の『学習指導要領解説』にも,明示的にグローバル化への対応の文言がある。2020-22年施行版。(なお学習指導要領(外国語)本体には,言及なし)
- 近年の英語教育改革---早期化,各種教育施策---では,枕詞としてほぼ必ず「グローバル化への対応」
諸外国
新自由主義 neoliberalism
- 表面的な定義
- 伝統的に政府の役割とされてきた領域(例、公教育、福祉、インフラ整備)を、市場(=人々の自由な選択)に移管すると,経済的効率性が向上し,社会全体が豊かになるとする考え方
- 批判的な定義(ハーヴェイ, 2007)
- グローバル資本家階級(多国籍企業等)の利益にかなう形で様々な制度(例、教育)が市場化されること
- グローバル資本家にとって各国政府の規制は障害
- 各国政府もグローバル資本家に逃げられては困るので,ドメスティックな制度の市場化・国際化を推進して,必死にアピールする
基本的に,他者を批判するために用いられる用語であり,自称ではあまり用いられない。新自由主義者として名指しされる人が,自分のことを「新自由主義者」と呼ぶことは稀。
新自由主義的な経済・社会に対応を余儀なくされる労働者 (新自由主義的統治 neoliberal governmentality)
英語教育政策の事例
注意すべきポイント
- 「グローバル化」と違い,前述の通り「新自由主義」はある種の蔑称なので,自らそう名乗る政策はほぼゼロ。分析のためには,政策の背後にある意図を読み取る必要がある。
- 市場化・自由化は,表面上は,個々の学校現場が自主的に進めた形が多く,その点で,個々の施策を,政府の政策的介入という枠組みで扱うのは難しい面もある。
- ただし,政府介入によって,市場化・自由化という大きな流れが誘導されていることは事実である。
- つまり,ミクロとマクロで評価が変わる。
→個々の英語教育施策は現場の自律性の結果かもしれないが,他方,そう仕向けた構造的条件は政府の介入の結果。
事例
市場化は初等中等教育よりも高等教育が顕著
「企業進出しやすさランキング」を上げるツールとしての英語教育早期化
英語教育政策自体が,新自由主義的な労働政策と親和的
- 日本におけるグローバル人材育成
- ただし,実際の議論では,論理的思考やタフネス,異文化対応力などの汎用スキルのほうが重視されており,英語力育成の優先順位は比較的低い。こうした複雑性を考慮しないと,「何でもかんでも新自由主義で説明する」という万能概念=無能概念の罠に陥りかねない。
- 韓国の労働市場と英語力
- 韓国の労働市場で猛威を振るう,就職に有利に働く(と信じられている)能力・資格の束,SPEC(스펙)。ここに,英語力(TOEICの点数もSPECに含まれる)
- Park, J. S. Y. (2011). The promise of English: linguistic capital and the neoliberal worker in the South Korean job market. International Journal of Bilingual Education and Bilingualism, 14(4), 443?455. https://doi.org/10.1080/13670050.2011.573067
- 参考)上記著者の単著 韓国の英語熱とネオリベラル主体 - こにしき(言葉・日本社会・教育)
- 日本におけるグローバル人材育成
現代の (so-called) global workers の言語能力観
- Kubota, R. and Takeda, Y. (2021), Language-in-Education Policies in Japan Versus Transnational Workers’ Voices: Two Faces of Neoliberal Communication Competence. TESOL J, 55: 458-485. https://doi.org/10.1002/tesq.613
ナショナリズム/ペイトリオティズム
ナショナリズム nationalism / ペイトリオティズム patriotism
- 国益重視論:国力を増強すべきだ
学校教育は,概して言えば,国家(and/or 社会)のため。
- 有能な労働者(→経済成長)
- 民主的市民(→社会の安定)
- 秩序に対し従順な市民(→社会の安定)
- 文化的一体感の醸成(→社会の安定)
外国語教育は,本質的に,コスモポリタン的な志向性があるので,上記のナショナリスト的な目的から少しだけ(あくまで少しだけ)ずれる。
- 「外国語(外国文化)」の教育に,ナショナルなものだけではカバーできない価値を託す
- ただし,非ナショナルな価値の部分的・限定的取り入れ(和魂洋才,中体西用等々)
- 経済的に強い外国語(典型例は英語)は,こうしたジレンマが生じにくく,よりストレートに国益的価値観と結びつく
関連概念:文化本質主義
- とくに日本社会の文脈においては,文化本質主義としての日本人論・日本文化論も重要(英語圏の文献でも Nihonjin-ron と表現されている2)
- 日本文化や日本人の行動様式は世界的に見ても独特だ(ポジティブな意味でもネガティブな意味でも)とする一連の言説群。
- 専門的に研究している研究者(文化人類学者,比較社会学者,日本社会研究者など)からは,一般的に批判的に取り扱われる。他方,英語教育研究者では素朴に信じている人も多い。
- 参考)https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3165cc3fb264237cbdd1b0f1ca7a7d396f16bab5
- 文化本質主義・日本人論が,明示的に 英語教育政策文書に表現されることはあまりない。
- ただ,何らかの「文化接触/衝突」が生じる文脈において,暗示的に述べられることはある。
- たとえば,外国人指導者(および指導助手)を歓迎する文脈(典型的には JET Programme)や,訪日・在日外国人の増加を英語教育と結びつける文脈など。
- 「暗示的」だけに,政策文書の行間(隠された意図)および余白部分(文書化されない政策背景)を読む必要がある。それだけに,狭い意味での実証性は一見,低下しがち(だからといって,「見えるところだけ見る」では分析にならないことも多いのでバランスが重要)。
英語帝国主義
- 英語帝国主義とは:(言葉自体は昔からある3が)大衆化に貢献したのは,Phillipson's (1992) Linguistic imperialism. (OUP)
- 暫定的な定義(注意:以下は寺沢の私見=オリジナル)
- 定義の注釈
- 「言語に関連する様々な価値判断を行う際」→英語帝国主義の射程は広い。たとえば…
- 「不当に」:不正義・不公正を前提にする。
- 「抑圧する」:価値判断に伴う単なる偏見だけでなく,実害が発生していることを前提にする。
- 「~すること,および,その状態」:日本語の「主義」(志向性)だけでなく,「状態」も含意する(-ism という語の多義性)
政策事例
- 英語教育推進の結果として引き起こされた数世代にわたる言語シフト(例,英語圏国内部の少数言語話者コミュニティ,シンガポール)
- 英語教育推進によって,他の言語や教科の教師が解雇あるいは配置転換される(冷戦崩壊後の旧共産圏)
英語帝国主義を正当化するイデオロギー
- 英語帝国主義自体がイデオロギーだが,同時に,それを正当化する別のイデオロギーもある(深く関連しているが,一応独立していると概念化できるイデオロギー)
- 「正当化」がポイント。英語関連事象への優越を,自然で,合理的で,非抑圧的で,有益的なものとして理解させる理論・レトリック。
英語の言語社会学的位置づけに関するイデオロギー
英語話者に対する見方
- 英語母語話者の能力
- 英語話者と人種(白人性)
政策事例
英語教員採用に蔓延する母語話者主義
- JET Programme (正式名称:外国青年招致事業)https://jetprogramme.org/ja/
- 英語母語話者あるいは高い英語運用能力があると,英語教員資格を持たなくとも,比較的良い待遇(※)でALTとして働くことができる。https://jetprogramme.org/ja/faq02/ (※新卒公立校教員程度)
- 大阪府「ネイティブ英語教員採用選考」https://www.pref.osaka.lg.jp/kyoshokuin/nativeteacher/index.html
- 一般の公立校教員選考と違い,教職資格や専門性を問わず,「ネイティブ」性を重要な応募資格にする選考。詳細な批判は,藤原 (2017) 論文(『これからの英語教育の話しをしよう』[ひつじ書房]所収)
言語学習ビリーフ
- 英語教育研究で比較的周知がなされている誤信念
- 大津由紀雄著『ワイド新版 英語学習 7つの誤解』 https://hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-89476-780-5.htm
- 久保田 竜子 著『英語教育幻想』 https://chikumashobo.co.jp/product/9784480071569/
- 金谷憲著『英語教育熱―過熱心理を常識で冷ます』https://books.kenkyusha.co.jp/book/978-4-327-41069-8.html
- 誤信念=イデオロギー?
- 誤信念の例(上掲,大津本より抜粋)
- 誤解1「英語学習に英文法は不要である」
- 誤解2「英語学習は早く始めるほどよい」
- 誤解3「留学すれば英語は確実に身につく」
- 誤解4「英語学習は母語を身につけるのと同じ手順で進めるのが効果的である」
- 誤解5「英語はネイティブから習うのが効果的である」
- 誤解6「英語は外国語の中でもとくに習得しやすい言語である」
- 誤解7「英語学習には理想的な、万人に通用する科学的方法がある」
政策事例
- 英語教育の早期化(世界的トレンド)
- 英語圏国(+英語プログラムを推進している大学)の留学生呼び込み政策